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2016年02月05日 [ 第216回 ]

2016.04.16 例の奴の続きです。

□■ 2016年04月09日 □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 続きがキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!

 でも、正直言って、もう無━━ヽ(`゚д゚lll)ノ━理━(`゚д゚lll)乂━━!!!である。

 親父が遺した会社とコネ入社の施設事務員というワンマンダブルワークスで、こんなの書いてられね ーよ ・・・ と思いつつ中を読んだら、どうやらこれが最終回の様子。

 助かったぁ。

 - - ダチンコから 03月28日に来たメール晒し 此処から - - - - - - - - - - - - - - - - -

 ダチンココメント:

 > 「 自然を隷属させて搾取する結果、自然が破壊されようが、これっぽっちも省みることが無い 」
 > という意味での 『自然破壊主義』 ですよ。
 <中略>
 > クルマのタイヤは消耗品だ。 走り屋にとってタイヤは削ってナンボの存在。
 > 減らないように大切に使うなんてアリエナイ 」という認識で居ます。
 <中略>
 > 自然を浪費しなければ文明が成り立たないのに、文明至上主義を標榜する相手に向かって
 > 文明が至上なら、自然を遮断して暮らせ
 > と言うのは、話のスリカエでしかありません。

 仰る通りだとしても、タイヤは消耗しても交換すれば済みますが自然はそういう訳には行きません。
 消耗したらそれっきり、いずれタイヤの無い車になってしまいます。
 そうなっても大丈夫なのか自然を浪費し尽くす前に確認しておいて頂く必要が有ります。
 つまり文明至上主義が正しい事を証明するにはどう転んでも 「自然を遮断」 して
 実験して頂く以外に道は無いのです。
 しかも「資金的に出来ない」などと言われては、全人類が「自然を遮断」して
 (自然の恩恵無しに)生き残る事は資金的に無理だという事になってしまいます。
 たった一人に出来ない事がどうして数十億人に出来ましょうか。
 実験証明出来なければ「文明至上主義なんて絵に描いた餅だったね」という事になるだけです。
 話のスリカエでも何でもありません。 切実な問題です。


 > 人は、人の造りし概念上の善悪に照らして、『善』 であったり、『悪』 であったりする。
 > オイラが言う 「存在自体が悪」 の意味もまた、人が造りし概念としてのみの 『悪』 である。
 > もし、人よりも遥かに高次元な存在が居て、彼が人を裁く機会を持つとしたら、
 > 我々が 『悪』 として捉えている行為のいずれも裁かれはしないだろう ・・・ と言っているのです。

 いえね、主張されている理屈は分からないでもないんですけど、
 それなら 「存在自体が悪」 という土俵で交わして来た過去の激論が
 全て覆ってしまうと思うんですよね。
 僕も圭坊氏が作った 「存在自体が悪」 という土俵にわざわざ上ってコメントして来た訳だし
 梯子を外された気分です。
 そんな軽いノリで前言を覆されてはこれまでの激論が何だったのかという話になるんですよ。
 それならそれで 「存在自体が悪」 という前提でコメントされた事を全て取り下げて頂く事に
 なりますよ ( 今さら過去に戻って議論をやり直す気はさらさら有りませんが )。

 以下、今さら取り下げて頂く事になるコメントの数々↓沢山振り回してくれましたなぁ・・・

 「 大罪を犯して得た文明という名のぬるま湯に肩まで浸かった生活を享受し続けている状態で
  言うべきではない 」

 「 人が人の望むように自然を改変する事に対して、
  同じ人である者が異議を唱えることは出来なくなった 」

 「 悪の分際で正義の味方ヅラするの止めてくんない? 」

 「 オイラと同様、貴殿も同じ人間が犯した大罪の上に生かされている身ではないか。 」

 等々・・・


 > 長く飼われ続ける ← もはや御野鳥サマから習性が喪失して、タダのペットと化す。

 こんな詭弁には真面目に返すのも馬鹿馬鹿しいですが、前回コメントした通り
 野鳥が鳥籠に入った途端に野鳥の姿をした別の生き物に化ける訳が有りません。
 それは、だんだんペットと化したとしても元が野鳥なのだから同じ事です。
 時間軸は関係有りません。


 > どうして犬や猫,十姉妹,文鳥,その他、既にペットや家畜になってしまった物達は、
 > 人が飼って良くて、まだペットや家畜になっていない物達は、どうして飼ってはイケナイの?
 > 野鳥もペットとして飼い続ける内に、その生態が知り尽くされれば何も問題はありませんね。
 <中略>
 > それは犬や猫,齧歯類,文鳥,十姉妹,鸚哥などで、それぞれが歩んできた道です。
 > 野鳥を飼う時だけ特別扱いするのはオカシイですよ。
 > “悪魔行為”でなくとも、貴殿が“許し難い行為”と見做していることは事実ではありませんか。

 ペットを飼いたい気持ちも理解出来るから親切心から妥協案を示しているんですが・・・
 これのどこが 「“許し難い行為”と見做している」 になるんでしょうね。
 既にペット化されてしまったものは今さら犠牲になった個体を元には戻せないから
 止むを得ないでしょう。
 だから、どうしても野鳥を飼わねばならないのなら代替案として
 そうすればいい(文鳥やら十姉妹を飼えばいい)のではないでしょうかと言っているのです。
 それが嫌なら所詮その程度の欲求なのですからペットを飼うのを諦めて下さい。
 それが妥当な解決策です。


 > 犬にしろ猫にしろ、最初は習性も生態も分からず、五里霧中の中を手探りで飼ってきて、
 > おそらくは幾多の犠牲の上に今の 「ペットとして飼われる環境」 が整えられたハズです。
 > 同じ事をなぜ野鳥に対して行ってはならないのか?
 >
 > その “比較的飼育実績の有る鳥種” さえも元は野鳥なのではありませんか?
 > どうして『過去の野鳥』なら良くて、『今現在の野鳥』はダメなのでしょうか?
 >
 > 今現在に誰にも飼われていない野鳥であっても、今から試行錯誤して飼うことに挑戦して行けば、
 > 人間がその習性も生態も犬猫以上に知り尽くす様に成って、種として未来永劫人間と共存して
 > 行く可能性は十分にあるのではありませんか?
 > 今現在に野鳥である鳥類の如何なる種にも成し得ないとする根拠は何なのでしょうか。

 では質問を変えましょう。
 なぜ飼育するのが犬猫文鳥ではなくて新たな野鳥でなければならないのでしょうか?

 人類にとって必要不可欠だという確証も無く多大な犠牲を払う事が予想されるのだから
 無益な犠牲は避けるべきではないでしょうか?
 文鳥にしたってどうしても鳥を飼いたいと言う話だから
 犬猫が飼えない人の事情も汲んで妥協案として提示したまでです。


 > 遥か彼方に居て、近付いてくれさえしない野鳥がそのままでペットの代用になど
 > 成り得る筈がありません。

 バードウォッチング未経験の人にこういう世界も有りますよと紹介するのが
 そんなにイケナイ事なのでしょうか?
 ペットロスで自殺するほどの実例を紹介されたからバードウォッチングを提案したまでです。
 それが受け入れられない人には申し訳ありませんがこれまで通りペットロスを覚悟して頂くしか
 ありません。 どちらを選ぶかは本人次第です。

 ところで鳥をペットとして飼ったとしても実際は籠の中に入れたまま
 その姿やさえずりを楽しむだけであって、犬みたいに頬ずりをして溺愛するという事には
 ならないんじゃないですか?
 眺めて楽しむ程度の事であればバードウォッチングで充分その役目を果たせますよ。


 > 鳥以外の動物を飼う際にクリアしなければならない条件さえクリアできるなら、
 > 野鳥を捉えて飼うことに問題は無い
 <中略>
 > 飼っても問題が無いということの科学的根拠を示せと仰られますが、よろしいのですか?
 > その科学的な根拠とやらは、実験的に飼ってデータを集めて検証することが前提になりますよ。
 > そもそも今現在にペットである動物も鳥も、元を正せば野生だったんだから、手順を踏むなら
 > アリだろ

 「科学的な根拠」 が不可欠という前提で考えると、実験的に飼ってデータを集めなきゃ
 科学的な根拠を入手する事が出来ないという事は飼ってみなけりゃ分からないという事であり、
 少なくとも最初の1羽を飼うより前に 「科学的な根拠」 を入手する事は不可能、つまり
 科学的根拠を持って最初の1羽を飼う事は不可能、という事は後に続く野鳥を飼う事は
 不可能ですから実験するまでもなく諦めて頂くしかありません。


 > なぜ犬猫を除くのでしょう?

 また 「本質論」 で犬猫と野鳥を一緒にしようとされているのだと思いますが
 犬猫など誰が飼い始めたか分からないくらい歴史が長く飼育法も確立されています。
 野犬や野良猫などの問題が有る事は承知していますがペットの中では最も飼いやすい事は
 確かです。
 過去に誰かが多大な犠牲の上に犬猫をペット化したからと言って
 今さら彼らを裁く事は出来ませんし、だからと言って多大な犠牲を払ってまでして
 同じ事を野鳥に対して行っても良いという理由にはなりません。
 結果的にたまたまとは言え圧倒的な実績(科学的根拠)の有るペットが既に存在するのに
 わざわざ野鳥を飼わねばならない理由を教えて下さい。


 > オイラにとって鳥に関わるということは、
 >    [野鳥を観察する事] ≒ [野鳥をペットとして飼う事] ≒ [野鳥を獲って喰う]
 > です。
 <中略>
 > 等しくほぼ同じ:[野鳥をペットとして飼う事]
 >           ≒ [犬や猫をペットとして飼う事]
 >           ≒ [人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜]
 >           ≒ [単に野鳥を観察する事] :順位に意味は無い。等しくほぼ同じ
 > でしかありません。

 ここまで来ると新作落語の世界ですが、
 野鳥を観察する事=ストーカー行為規制法違反
 だと主張されるなら
 野鳥をペットとして飼う事=逮捕・監禁罪
 野鳥を獲って喰う=人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜=殺人罪・死体損壊等罪
 餌付け=食品衛生法違反・相手が公務員ならば贈賄罪
 スマホでさえずりを流す行為=詐欺罪
 ですね。

 そもそも人間界に例えてしまうのが間違いなのですが、
 もし圭坊氏の様にバードウォッチングをストーカーに例えるのであれば
 単に野鳥を観察する事は犯罪としては比較的軽い罰則と思われます。
 もちろんストーカーを正当化するつもりはありませんが 「等しくほぼ同じ」 とは言えないでしょう。


 > 貴殿が家畜の肉を喰らおうが喰らうまいが、
 > そんなことで 「野鳥を捕らえて飼う事」 が許されたり許されなかったりする道理はありません。

 そうですよ。そもそも不毛な議論に過ぎません。
 「 貴殿は、罪悪感なしに家畜の肉を喰らう癖に、
  野鳥をペットとして飼うことを頑なに禁則事項だと仰られる 」
 と言われたので 「家畜の肉を喰らう」 事においては対等だと言ったまでです。

 > 『鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律 ( 俗称:鳥獣保護法 )』 によって、
 > 鳥獣の 捕獲も飼養も極めて限定されているのですから、『無し』 に決まっています。

 ここのテーマは「―― 自然保護の観点を抜きにして ―― 有りか無しか」です。
 最初からそれを踏まえて激論しているのだからいくら何でもそれは分かってます。


 > グレートハンティングがアタリマエの野生のフィールドに於いて、
 > 貴重な生活時間を侵食するような人間の存在は織り込み済みではありません。
 > 「元々そこに有る恐怖」 なんかじゃねーよ。 『新たな(人工的な)恐怖』だよ。
 > と返した迄です。

 だからその 「『元々そこに有る恐怖』なんかじゃねーよ。」 というのが 「何の問題も無いよ」 と
 言った前言を覆していると言うのです (後述します)。

 僕は過去のフォトギャラリーも含め僕なりに自分の言葉には責任を持っているつもりなんですが、
 その責任を放棄してもいいんですかね?
 それをOKにしてしまったら毎回好き勝手な事を言い合う事になってしまいます。
 人間なんだから間違ったり見落としたりする事は有りますよ。
 でも間違いに気付いたならその前言を覆すに足る根拠を示した上で
 それまでの主張と合わせて取り下げて頂かねばなりません。
 その手順をすっ飛ばして新たなアイテムを繰り出されても話が混乱する一方です。

 激論コーナーは相手を言い負かして快感に浸るのを目的とするのではなく
 意見を闘わせる中で何らかの結論か妥結点を導き出す方向で進めたいものです。

 でなきゃ後に何も残りませんよ。

 ぼちぼちこのテーマもまとめに入りたいと思っているのでご協力をお願いします。

 それはそうと 「新たな(人工的な)恐怖」 って具体的に何の事ですか?
 今なお謎です。
 捕食の為に野鳥を観察する事と余暇で野鳥を観察する事との間に
 どんな違いが有ると言うのでしょう?
 観察者が心の中で思っている目的が(野鳥から見て)外見に現われるとでも言うのでしょうか?
 僕に違いが理解出来ないのですから野鳥にも理解出来ないでしょうね
 ( つまり仮に 「新たな(人工的な)恐怖」 だったとしても何の問題も無いという事です )。


 > 「新たな設題を投げかけてはならない」 のであれば、議論はおろか会話すら成り立ちません。
 > バードウォッチングが鳥にとって迷惑な行為であるという当方の主張は、かなり早い段階から
 > 在りました。

 そうだとしても
 その後「『元々そこに有る恐怖』なんだから何の問題も無い」という決着を見たのは
 厳然たる事実です。

 その結論を踏まえてコメントしているので
 「 『元々そこに有る恐怖』 なんかじゃねーよ。 『新たな(人工的な)恐怖』 だよ。」
 などと後出しジャンケンで覆されても議論が大混乱をきたしますし反駁は成立していません。
 反駁している様に見えるだけです。

 これまでの激論をないがしろにして唐突に新たなアイテムを出して来られた事を問うているのです。
 「新たな設題を投げかけてはならない」 とは言っていません。
 一度決着を見た事柄について蒸し返す様に前言を覆すのはこれまでの激論を反故にし、
 それこそ基本的な会話のキャッチボールを放棄しているのと同じです。
 こんな事を繰り返していたら収拾がつかなくなり永久に議論が終りません。
 反駁が成立していないという事はこの件につき決着がついたと見なさざるを得ません。

 故に、
 結論:「 僕が捕食者だろうがバードウォッチャーだろうが
      野鳥にとっては 『元々そこに有る恐怖』 なんだから何の問題も無い 」
 で宜しいですね。


 > だから問題は無いんだと申し上げております。
 > “王道のバードウォッチング”も“邪道のバードウォッチング”も
 > 等しく微罪であるというオイラの主張を貴殿が呑んで下さるのであれば、問題は何もありません。

 圭坊氏の 「問題は無い」 というのは
 バードウォッチャーが善い奴でなければ人間に慣れてしまって狩られ易くならないので
 「問題は無い」 だった筈。
 「“邪道のバードウォッチング”も等しく微罪」 と認めれば 「問題は無い」 ではなかった筈です。
 同様に 「存在自体が悪」 に比べれば 「微罪」 だから 「問題は無い」 でもなかった筈です。
 スリ替えはいけません。

 新たな設題を投げかけるのであれば前述の通り、
 自らも認めた 「(元々そこに有る恐怖なんだから)何の問題も無い」 という前言を
 覆すに足る根拠を示した上でなければばなりません。
 それは例えば 「元々そこに有る恐怖だからこそ問題が有る」 という根拠でなくてはなりません。

 つまりこの理論の根幹である 「元々そこに有る恐怖だから」 という根拠を崩さねばならないのです。
 それをせず「『元々そこに有る恐怖』なんかじゃねーよ。」というのは
 前言を覆すに足る根拠でも何でもありません。

 なお、「餌付けやスマホで囀りを流す行為」 は以前からコメントしている通り
 ( 元々そこに有る恐怖であるかどうかに関わらず ) 単に他人の迷惑です ( 後述します )。
 因みに 「バードウォッチャーが善い奴」 であっても、合法的な狩猟に何の問題も無いとしたら
 「鳥を人に狩られ易くする行為」 にも何の問題も無いという事はもうだいぶ前に論じた通りであり
 圭坊氏も反駁されていません。


 > 鳥にとっては迷惑な行為に及んでおきながら、一般人から見て大差ない行為 しかしていない
 > “邪道のバードウォッチャー”を殊更に悪く言うのは止めましょう ・・・ と申し上げているのです。
 > 野鳥の目から見てバードウォッチャーという存在は人間界のストーカーやパパラッチと
 > 何も変わりません。
 > 何としてでも 「自分は微塵も悪くない」 という風に話を持って行こうとするから、
 > オイラは、「何言ってんだ、コイツ」と反発しているのです。
 <中略>
 > 人が生まれながらにして持っている原罪に比べたら
 > バードウォッチングなんて罪は微罪にすぎないというフォローをしているんです。
 > “王道のバードウォッチング”と“邪道のバードウォッチング”の違 いは、
 > “味噌”と“糞”ではありません。 “白味噌”と“赤味噌”、もしくは、“目糞”と“鼻糞”です。

 これまでの我々の激論を整理しましょう
 ( 「非常識なレベルで餌付けしたりスマホで囀りを流す人」 を
  「邪道のバードウォッチング」 と置き換えます )。

 @ 「王道のバードウォッチング」も「邪道のバードウォッチング」も
   野鳥から見れば 「ハンターである原始人と同じ事をしているだけ」 であり
   (野鳥から見て) 何の問題も無い。

 A 上記にかかわらず 「邪道のバードウォッチング」 をしている人は
   非常識な人の事であり少なくとも 「王道のバードウォッチング」 をしている人にとって
   迷惑である。

 細かい部分で互いに言い分は有るでしょうが、
 これまでの激論で概ね上記の事実が確認出来ました。
 勝手に 「何としてでも 『自分は微塵も悪くない』 という風に話を持って行こうと」 している訳では
 なくこれまでの激論の結果こういう内容に落ち着いたのではありませんか。
 これら(@とA)と相違する圭坊氏の今回コメントはこれまでの激論をないがしろにしており
 反駁が成立していません。

 「“邪道のバードウォッチャー” を殊更に悪く言うのは止めましょう」と言われますが
 これまでの激論(上記A)の通り野鳥と無関係に
 「(少なくとも「王道のバードウォッチング」をしている人にとって)迷惑である」から
 「悪く言う」のであってバードウォッチングが
 「鳥にとっては迷惑な行為」「一般人から見て大差ない」「目糞鼻糞」
 なのは百も承知です(後述します)。
 従って「少なくとも『王道のバードウォッチング』をしている人にとって迷惑である」という事(上記A)
 に対する反駁が成立していません。

 「ストーカーやパパラッチ」 は前回コメントに何らマトモに反駁されないまま
 同じコメントを繰り返されています。

 「ストーカーやパパラッチ」 であっても 「何の問題も無い」 という事(上記@)に対する
 反駁が成立していません。

 「人が生まれながらにして持っている原罪」 という旗は降ろしたんではないですか?
 また都合良く復活ですな。

 「バードウォッチングなんて罪は微罪にすぎない」などというフォローなんか要りませんよ。
 「微罪にすぎない」どころかそんな罪は存在さえしない(上記@)というのが現時点での結論です。

 「存在自体が悪」 であろうがなかろうが人間が地上に存在する限り
 野鳥は人間に恐怖し迷惑するという関係に何の違いも無いからです。


 > 「人間は鳥獣よりも上位の存在なのだから、脅かそうが追い回そうとも人間の勝手である 」
 > という理論を振り回すのであれば、オイラも其れに相乗りさせて頂くことにしよう。
 > 人間は鳥獣よりも上位の存在なのだから、捕まえてペットとして飼おうとも人間の勝手である
 > 人間は鳥獣よりも上位の存在なのだから、スマホや餌で誘き寄せようとも人間の勝手である

 またまた一面からしか物事を見ずに早合点してしまう圭坊氏の悪い癖ですね。
 人間は鳥獣よりも上位の存在なのだとしても鳥籠から受ける苦痛は自然界とは無関係。

 バードウォッチャーから受ける苦痛は元々自然界に有ったものです。

 しかも前回のコメントで「捕まえて」まではともかく「ペットとして飼おうとも」の部分は
 NGという激論を交わしたばかりです。

 スマホや餌で誘き寄せる行為は野鳥と言うより周囲の人間
 ( 少なくとも「王道のバードウォッチング」をしている人)が迷惑するからNGというのも
 これまで繰り返しコメントした通りです。

 あと、これは見逃せないのですが
 「人間は鳥獣よりも上位の存在なのだから、脅かそうが追い回そうとも人間の勝手である」
 という僕の理論は存在しません。

 「 人間は元々そこにあるハンターだから野鳥にとって迷惑だろうが恐怖だろうが
  ( 狩猟して喰うのさえ) 『それが元々』 」 という理論なら存在します。

 だから 「捕まえて」 まではともかく 「ペットとして飼おうとも」 の部分はNGなのです。
 微妙な違いの様に見えて全然違いますよね。
 あるがままの自然界の食物連鎖における順位をそのままペット化に準用しているところに
 圭坊氏の根本的な誤謬が有ります。
 自然界のハンターは鳥をペットとして飼う事は有りません。

 勝手に都合良く人の理論をスリ替えてはいけませんし前回までの激論を忘れてはいけません。
 「スリ替えはイカン」 のではなかったですか?
 「反日サヨクのような手を使うのは止めましょう」 と言われたのではなかったですか?
 なお、ここでも圭坊氏の反駁が成立していないので、
 結論:[ 野鳥をとっ捕まえて、籠に入れて野鳥の姿をした別の生き物として飼う ] =NG
 すなわち「ペットとして飼う事を目的として野鳥を捕まえる事はNG」
 で宜しいですね。
 あら、今回のテーマの結論が出てしまいましたね。


 > 同じ場所でバードフォトグラファー同士が横一列に並ぶ程居るんでしょ?
 > そういう状態と同じ様に、原始人もまた、鳥を見る為に日本中のあちこちの山林で、
 > 群れを成していたというなら、原始人の存在を以てバードウォッチャーの弁護に使うことが
 > 出来るでしょう。

 そもそも現代人は原始人より人数が多いのだから
 当然野鳥が人間と遭遇する機会も多くなっていると思われます。
 で、そこに何の問題が?何の問題も無い事が起きる回数が増えただけではないですか。
 もしかしてこんなものが「新たな(人工的な)恐怖」なのでしょうか?

 おっと、「新たな(人工的な)恐怖」 の説明をして頂く前に、前述の通り 「問題は無い」 という
 前言を覆すに足る根拠を示した上でそれまでの主張と合わせて取り下げて下さいね。


 > そういう個体を見たというだけではエビデンスになりません。
 <中略>
 > そのオオルリも病気に罹っているのではありませんか?

 そうですね。変な餌を食べさせられた結果食中毒を起こしている可能性も有りますね。

 それはさて置き圭坊氏が科学的根拠を要求されたから
 止むを得ず主張の根拠となるオリジナル画像を目撃証言
 ( もし裁判なら重要な証拠になり得る ) を添えて紹介したまでです。

 少なくとも何も根拠無く主張している訳ではありませんし
 鳥類とかけ離れた魚類の例 ( しかもネットから拾って来ただけの伝聞によるエビデンス ) より
 少しはマシな根拠です。

 病気に罹っているかどうか解剖でもしなければ確認出来ないのは百も承知です。
 圭坊氏は動物実験でもしなければ入手不可能な
 高レベルの科学的根拠を要求されているのです。
 しかしこの激論をした結果前回あの画像を公開する事になった訳で、その意味では
 誰かが問題を認識してくれたかも知れないので無駄ではなかったのだと納得しています。


 > 一般ピープルから見て何のマナー違反なのか分からないような、スマホで囀りを流すとか、
 > その場限りの餌付け等に、いちいち苦言なんか呈さなければ良い。
 > なんだ。ゴマメの歯軋りかよw
 > 所詮マナー違反はマナー違反。制止する権限なんか誰にも無い。

 また 「0か100か」 ですか。
 (注意喚起を) 「やるならやる。やらないならやらない。」 というのは
 圭坊氏の生き方なのかも知れませんが僕は中間が有ってもいいという考えなので
 「やりたい時はやるし、やりたくない時はやらない」 ただそれだけです。
 圭坊氏が朝夕のラッシュ時に電車待ちの列に並んでいる所へ
 ゾロゾロと非常識な連中が割り込んで来て(※)圭坊氏が積み残しになってしまったとします。
 そういう事が繰り返されて終電に乗れずとうとう帰宅出来なかったとしても
 何ら文句を言わないのでしょうか?
 それとも駅の端から見張っていてそういう人を見掛けたら
 片っ端から注意喚起して回るのでしょうか?
 もしそうだとしても自分の生き方を他人に押し付けてはいけません。
 出来る事なら小学生でもわきまえている様な常識をいちいち言いたくはありませんよ。
 面倒くさい。
 ただ余りにも目に余る行為を目にした時は文句を言う資格くらいは有るでしょうし、
 Web上でマナー向上を呼び掛けてもとやかく言われるほどの事は無いでしょう。

 なお、「一般ピープルから見て何のマナー違反なのか分からない」 とのご指摘については
 後述します。

 (※) 大阪以外の読者の人は 「大阪の人は電車待ちの時に並ばない」 という
     マスコミ情報を鵜呑みにしている人も居られるかも知れないので補足しておきます。
     決してそんな事は有りません。
     どこの出身者か分からない一部の非常識な人を除き
     僕が知る限りきちんと列になって並んでいます。


 > 野鳥に知恵があって、人に付き纏われる事を嫌だと感じているなら、
 > ( 人間から見てどうであるか、ではなくて、野鳥の目から見てバードウォッチャーという存在は)
 > 人間界のストーカーやパパラッチと何も変わりません。

 僕が
 「人間界のストーカーやパパラッチを野鳥ファンみたいなものだと言っているに等しいです」
 と言った事に対する反駁になっておりません。
 つまり人間界のストーカー被害者に向かって
 「ストーカーなんて野鳥ファンみたいなものだ」
 などと言えばどんな反応が返って来ると思いますか?と問うているのです。

 ま、野鳥の目から見てバードウォッチャーという存在が
 人間界のストーカーやパパラッチと何も変わらないとしても
 何の問題も無いというのは既に論じて来た事ですからどうでもいいんですけどね。


 > バードウォッチングが鳥にとって迷惑かどうかなんて
 > 本人ならぬ本鳥にしか分からないでしょうに。
 > どうしてそうも確信めいた表現で 「私は無罪」 と言えるのでしょうか。
 > そういう解釈をする場合は、スマホで囀りを聞かせるのも、その場限りの餌付けを行うのも
 > 同様に無罪です。
 > 「極力影響を与えない」 と標榜されていても、バードウォッチャーが、他の捕食者と違って
 > 腹が減っているワケでも、食料を備蓄するワケでもないのに、
 > 貴重な生活時間を脅かす存在であることは、揺らがない事実です。

 ここでも圭坊氏の反駁が成立していません。
 「鳥にとって傍迷惑な行為に及んで」 いるとしても問題は無く
 「スマホで囀りを聞かせる」 のは他人が迷惑すると言っているのです。
 物事を一面からしか見ずに一緒にしないで下さい。
 毎回同じ様なコメントを繰り返していますよ。


 「鳥にとって傍迷惑な行為に及んで」 いるのは事実だろうから
 「極力影響を与えない」 様に心掛けるのはせめてもの良識であり飽くまでモットーです。
 極端な話、ここでの激論とは何の関係もありません。
 「極力影響を与えない」 を仮に放棄したとしても誰に批判される謂れも無く、
 尚且つ依然として 「スマホで囀りを聞かせるのも、その場限りの餌付けを行うのも」 迷惑だから
 やめてくれと言える事に変わりは有りません。

 もちろん実際には「極力影響を与えない」を放棄するつもりは有りませんが。

 > 横一列に並ぶって ( 呆
 > それじゃ、一般の観光客に対して、眺望に立ちはだかる壁になっているんでしょうに。
 > 以前にあった 「野鳥から見えない位置で隠れて撮った」 ってのも、
 > その境界線とやらを絶対に侵さない距離を保ってたの?

 だからバードウォッチングの現場を知らずに頭の中だけで観念的に考えるから
 そういう的外れな発想になるんです。
 野鳥ファンなら誰でもイメージ出来ていると思いますよ。
 「眺望に立ちはだかる壁に」なる様な立ち方にならない様に配慮するのもまた「常識」の範疇です。
 もしそういうシチュエーションでうっかりではなく「眺望に立ちはだかる壁に」なっていたら
 それこそが非常識でしょう。 その事を言っているのです。
 圭坊氏の空想の世界の住人を批判されても困りますので
 是非実際の現場に足を運んで自分の目で確かめてからコメントして下さい。
 僕は道から逸れて藪の中に立ち入る事はほぼ有りません。
 里山においては大抵そこは私有地ですから。
 仮に公園内などでそういう場合も他人に迷惑が掛かる様な状況であれば
 やるべきではありませんし、状況次第では諦める事も当然有ります。
 くどい様ですが通行の邪魔になる様な立ち方も以下同文です。
 上記の「野鳥から見えない位置で隠れて撮った」時は周囲に誰も居ませんでしたから
 「境界線」も存在しません。
 因みにこの時も藪の中に入った訳ではなく草ぼうぼうの池の畔の通路部分でした(通行人ゼロ)。


 > 「 慰安婦問題を否定するなら、可哀想なお婆さんに会って話を聞いてからにしろ 」 ですか

 はー・・・慰安婦問題まで飛躍しますか・・・
 居るか居ないか分からない様な元慰安婦に会いに行くよりも
 バードウォッチングの現場を知る事は断然容易ですよ。 自分の目で確認出来ますし。


 > すごすごとその場を去って、そんな邪道のバードウォッチングなんかする奴が居ない山林へ
 > 行って孤独にバードウォッチングを愉しむしか他に手はありません。

 言われなくとも現にここ数週間それに近い状況です。


 > だから
 >    行き過ぎた行為の結果、周辺の野鳥たちが混乱し
 >    本来の生態とは異なる挙動を見せたり不自然な体型になってしまったり
 > ↑こういう根拠のない、可能性の話に意味なんかないんだよ。
 > <中略>
 > ほうほう。 ではそうなってしまったスポットを教えてくれたまえ。
 > 異常な挙動を示した野鳥の動画と不自然な体型になってしまった野鳥の画像でも構わんぞ。

 科学的な根拠を示す事が難しい事を承知の上で
 僕なりに乏しい画像を紹介したのだから「そういう可能性も有るなぁ」と考えて
 教訓とするのは非科学的ではないでしょう。
 そもそもそんな極端な餌付け等をしている本人には他人から証拠を突きつけられるまでも無く
 「異常な挙動を示した野鳥」や「不自然な体型になってしまった野鳥」の姿は
 時々刻々と分かっているはずです。


 なお、非常識の例としては図らずも圭坊氏が示してくれました。
 「眺望に立ちはだかる壁」 も 「人が往来する通路に留まって観光客の邪魔をする」 のも
 非常識の例であり他人に迷惑をかけている人の具体例ですね。
 これに文句を言うのに非常識だと証明する必要が有りますか?

 それと同じです。 非常識な人にいちいち迷惑である事を証明する必要なんか無いのです。

 しかし圭坊氏ご指摘の通り 「制止する権限なんか誰にも無い」 のですから
 飽くまで 「呼び掛け」 するしか有りません。
 そもそもマナーに無頓着な人が簡単に他人の声に耳を傾けるとは期待出来ません。
 これは 「ゴミを捨てるな」 という立札みたいなものです。
 そんな立札が立っていたとしてもゴミを捨てる様な人は捨てるでしょう。


 > 確実に迷惑を被っている人と云うのは
 > 他の誰でもない“王道のバードウォッチャー”ということになります。
 > 結局、“王道のバードウォッチャー”が“邪道のバードウォッチャー”を嫌って
 > 排斥しようとしているだけ でしかないのではありませんか?

 バードウォッチングに限らずどの社会においても
 「常識」で考えて「他人の迷惑になりそうだ」と認識出来ない人を排斥しようとするのは
 人間社会の持つ当然の行動です。
 前々回のコメントで
 「 社会秩序維持の為に法律や条約が有り、
  明文化する必要性が低い事柄が『しきたり』や『ならわし』であり、
  その根底に有るのが『常識』や『良識』であったりする訳です 」
 と述べたのが正解だとすると 「非常識」 とは 「社会秩序を乱す行為」 ですから
 社会秩序を維持する為に非常識な人を排斥しようとする行為は正当だと評価されるべきです。

 前述の「列に割り込む人」の例を思い起こして頂ければ容易に理解出来ると思います。
 これは差別でも何でもなく本人が常識をわきまえれば済む話です。
 「常識」の説明なんか何度もさせないで下さい。


 > 一般車両の運転者に向かって
 > 「お前は邪魔だから、此処から出て行け」 なんてクチが裂けても言いませんよ。

 自覚しておられる様に、
 この場合は交通ルールをあからさまに無視する人の方が非常識なのだから
 サーキットに行く事をお勧めします。


 > スマホでも検索はできますから、
 > 検索して、呼び寄せる音声データを選んでダウンロードしていると思いますよ。

 それは圭坊氏の希望的観測に過ぎませんし、僕が指摘したのは
 飽くまで想定し得る弊害の 「一例」 です。
 想定し得る弊害の全てをいちいちここで検証しますか?
 「一般ピープルから見て何のマナー違反なのか分からない」 とのご指摘を頂きましたので、
 もう一つ 「一例」 を言えば
 以前コメントした通り本物の野鳥の囀りを聞きたい人にとって
 スマホの囀りなど騒音でしかありません。
 ライブコンサートの客席でラジカセ(死語)の音声を流す様なものです。

 更に 「一例」 を言えば探鳥において野鳥の声は存在を知る重要な手掛かりになります。
 そんな時にスマホで囀りを流されては混乱し迷惑です。

 まだ 「一例」 を言いますか?


 > だいたい自然なんかツマランもん。
 > 邪道のバードウォッチングのおかげで、退屈なハイキングにエンターティメントが加わるなら
 > ありがたいこっちゃ。
 > ベテランと素人は求めるモノが違うのです。

 話を整理しましょう。
 まず「観光客」ですが「初心者」とも言えない様な、
 バードウォッチングを疑似体験したいレベルの人と定義すれば
 「手っ取り早く見慣れない鳥を見たい人」と思われますから、
 そういう人には動物園や華鳥園に行く事をお勧めします。
 世界中の珍鳥が確実に見られますから。
 そういう人にハズレの多い自然界は残念ながら向いていません。
 ただし「観光客」がフィールドに足を踏み入れてはいけないと言うつもりは毛頭ありません。
 実際野外ではトレッカーと出会う事が多いです。
 常識的なトレッカーとは軋轢を経験した事がほとんど有りません。
 互いに常識をわきまえ相手を気遣っていれば何の問題も無いのです
 ( 必死にカメラを構えてシャッターを切っている時に執拗に話しかけられて閉口した事は有りますが
  それも気遣いや常識の問題ですね )。

 「初心者」の人は動物園では満足出来ない人であり
 バードウォッチングを今後本当に体験したい人と仮に定義しましょう。
 こういう人たちが野鳥ファンの間で認識されている暗黙の了解について
 良く把握出来ていなくても止むを得ないでしょう。
 しかし常識さえわきまえていれば郷に入っては郷に従えではありませんが、
 誰しも初心者の時は自分は新参者だという意識で周囲の空気にアンテナを張り
 「やっちゃマズイ事」 を覚る様に気配りするものです。
 それは結局 「他人に迷惑を掛けない」 とか 「常識で考える」 という事に尽きます。
 たったそれだけの事です。
 「餌付けしたりスマホで囀りを流す人」 は、どうすれば野鳥をおびき寄せられるかを
 知っているのだから、少なくともそこそこ経験者の人です。
 右も左も分からない様な「観光客」や「初心者」とは明らかに別物であり
 本来ならば「やっちゃマズイ事」のボーダーラインが分かっていなくてはならない人です。
 仮に全く常識の無い人であっても、既にネット上などで
 餌付け等を批判する意見が散見されるのですから、そういう目で見られているんだという事を
 認識する機会は有るはずです。

 中には「鳥類写真愛好家」とも言うべき大ベテランも見受けられます。
 何と望遠ではなくて広角レンズを装着したカメラを三脚にセットし
 レンズの直前に生き餌を仕込みご丁寧にレフ板まで敷いてリモート撮影している人も居ます
 ( 機材の扱いぶりを見ればとても「観光客」や「初心者」とは思えません )。
 ここまで来ると完全に野鳥を私物化しておりペット化していると言っても過言ではありません。
 こういう謂わば 「鳥類写真愛好家」 が野鳥ファンとは似て非なる別種のものだとしても、
 その世界のベテランならば他人の迷惑を顧みる節度というものが有って然るべきです。


 > それをたまたま横から見てた「観光客」が受動的利益として喜ぶなら喜べばいい
 > なんですよね?

 「観光客」 レベルの人がたまたまそこに居て喜んだというのなら
 「観光客」 には責められる謂れは無いという意味です。
 いちいち解説しなきゃ分かりませんかね?
 それとも「餌付けしたりスマホで囀りを流す人」は「観光客」を喜ばせてあげる為に
 ボランティアでお仕事をされているんでしょうか?


 > そもそも歩道が整備されている山林へ野鳥を見に行くこと自体が、
 > 『(自然に)あるがままの野鳥を見る』 という行為ではないような気がするんだがね。
 > 全く以て人工の環境に在る 「不自然な野鳥」 を観て撮って悦んでいますよね。

 ひょっとして圭坊氏は僕がその程度の事にも気付かずに
 今までバードウォッチングして来たとお考えですか?
 今さらこんな次元で勝ち誇られても、一言で言って(関西弁で)「難儀やなぁー」ですわ。
 まさかそんなとこから話さなきゃならんのですか?
 先が思い遣られますわ・・・気が重いですがもう少し頑張ります。
 以前コメントした様に日本には純然たる自然はほとんど残っていないと言わざるを得ません。
 巷の人々が「大自然」と呼んでいるのは大部分が初歩的な「勘違い」です。
 「あるがままの自然」などほとんどどこにも見当たりません。
 本物の自然が無いのだから泣こうが喚こうが仕方が有りません。
 もちろん里山や埋立地の干潟も例外ではなくむしろ典型的な人工物でしょう。
 しかしそこに集まる野鳥はその環境に適応した自然界の生き物です。
 もちろん 「あるがままの自然」 そのものではありませんが、
 それなりに命懸けの本物の生態系です。
 因みに大阪南港野鳥園では餌付けなどは行われておらず
 野鳥の生息に有益な環境が提供されているに過ぎません
 ( これについては鳥の巣箱も同様だと思います )。
 潮の干満によって干潟が生じ野鳥の餌となる甲殻類やゴカイなどが自然発生的に生息しています。

 出水市におけるツルへの餌付けは以前コメントした通り特異なケースですが
 僕個人としては諸手を上げて賛同している訳ではありませんし、かと言って
 江戸時代にまで遡及して批判出来るほど僕は偉くありません。
 カメラマンが己の個人的な都合で餌付けしているのとは次元が違います
 ( 圭坊氏はお得意の本質論で同じじゃないかと言うでしょうが )。
 むしろここは「観光客」の人にお勧めの手軽な観光地と言って良いでしょう。
 また、ここが事実上「動物園」みたいなものだとしても
 野鳥ファンが「動物園」に行って喜んではいけないという道理は有りません。
 これはこれで貴重な体験だと思います。
 このへんの僕の考え方はフォトギャラリー第99回などで触れた事が有ります。


 > プロなら良くて俺達はダメなのかよ

 普通に読んで頂ければ、「プロなら良い」 などとは言っておらず、
 むしろ 「プロがそんな事をしていいのか」 という問題提起である事が読み取って頂ける筈です
 ( 逆に 「アマなら良い」 と言うつもりも有りませんが )。

 「 そんなに都合良くカメラの前に獲物が飛び出し、
  そこに都合良く主人公が登場して狩りなどしたりする訳が無い 」
 ( フォトギャラリー第219回参照 )
 まだ話が飲み込めない人が居たらいけないので、折角だからこの話を展開させて頂きます。
 テレビ番組などでよくこういうシーンが放映されますが、現実の自然界はそう簡単に
 素顔を見せてくれません。
 日常的に自然界に接している野鳥ファンなら誰しもうなずけると思いますが
 こういうシーンの大半はズバリ言ってしまうと「仕込み」である疑いが濃厚です。
 つまりあらかじめ餌付けされた主人公に狙いを定めておいて、カメラの前に犠牲となる
 小動物を仕込み狩りをさせているのではないかという疑惑です。
 飽くまで物的証拠の無い疑惑レベルではありますが
 特定のチャンネルの特定の番組を名指ししている訳ではありませんから
 名誉棄損にはならないでしょう。

 一度でもバードウォッチングを経験してみれば実感出来ます。
 まず 「主人公」 自体が簡単には見つかりません。
 何日も続けて空振りというのが当たり前の世界です。
 そしてようやく見つかっても 「主人公」 はカメラマンを警戒し一瞬で姿を消してしまいます。
 それが猛禽類であっても同じです
 ( フクロウ科はそれほどではありませんがタカ科は対人警戒心が非常に強いです )。
 カメラをカモフラージュするなら先回りして待ち伏せ出来る状況でなければなりません
 ( 神出鬼没の野鳥が相手ですからその方が難しいはずです )。
 「獲物」 も野生ですから簡単には姿を現しません。 付近に猛禽が居ればなおの事です。
 その状況で 「主人公」 が目の前で狩りをするにはよほど条件が揃わなければならない事は、
 一度でもバードウォッチングを経験してみれば嫌と言うほど容易に理解出来ますよ。



 追記:

 どうにも圭坊氏とコメントのキャッチボールが上手く行ってない様に感じます。
 一つのテーマで投稿と回答を繰り返すうちコメントが尋常ではないほど長文になり
 訳が分からなくなって来ているのも原因かと思います。
 前述しましたがこのテーマもそろそろまとめに入りたいと思います。
 まだまだ言いたい事はいっぱい有ると存じますが
 何が何でも相手を論破するんだという事ではなく
 意見の擦り合わせをして行きたいと思うのですが如何でしょうか?
 このまま続けてもどぉーせ互いに「ああ言えばこう言う」に決まっていて
 決着なんてつきませんよ。
 もう少し早くこの事に気付くべきでした。
 もし人類よりも知能の高い宇宙人がこのコーナーをモニターしていたら
 「地球人ってアホやなぁ・・・」という評価になっている事でしょう。
 もちろん次回コメントは圭坊氏の言いたい事を全て出し切って頂いて構いません。
 それに対する僕のコメントは回答と言うより落とし所を提案する様なものになると思います。
 それで差し支えが有る様でしたらそのご意見もコメント下さい。
 そんな段取りでぼちぼち締めたいと思います。
 これを言ってしまうと身も蓋も無いのですが消耗戦の様な激論を闘わせている割には
 そのテーマが人類の将来を左右するほどの物でもない様な気がするので・・・

  - - - - - - - - - - - - - - - - - ダチンコから 02月07日に来たメール晒し 此処まで - -

 では、これで最後だという話を信じて、気を取り直して論破開始と行きましょう♪


 ダチンココメント:

 > 「 自然を隷属させて搾取する結果、自然が破壊されようが、これっぽっちも省みることが無い 」
 > という意味での 『自然破壊主義』 ですよ。
 <中略>
 > クルマのタイヤは消耗品だ。 走り屋にとってタイヤは削ってナンボの存在。
 > 減らないように大切に使うなんてアリエナイ 」という認識で居ます。
 <中略>
 > 自然を浪費しなければ文明が成り立たないのに、文明至上主義を標榜する相手に向かって
 > 文明が至上なら、自然を遮断して暮らせ
 > と言うのは、話のスリカエでしかありません。

 仰る通りだとしても、タイヤは消耗しても交換すれば済みますが自然はそういう訳には行きません。
 消耗したらそれっきり、いずれタイヤの無い車になってしまいます。
 そうなっても大丈夫なのか自然を浪費し尽くす前に確認しておいて頂く必要が有ります。
 つまり文明至上主義が正しい事を証明するにはどう転んでも 「自然を遮断」 して
 実験して頂く以外に道は無いのです。
 しかも「資金的に出来ない」などと言われては、全人類が「自然を遮断」して
 (自然の恩恵無しに)生き残る事は資金的に無理だという事になってしまいます。
 たった一人に出来ない事がどうして数十億人に出来ましょうか。
 実験証明出来なければ「文明至上主義なんて絵に描いた餅だったね」という事になるだけです。
 話のスリカエでも何でもありません。 切実な問題です。

 

 素晴らしい迄に話が噛み合いませんな。

 映画【未知との遭遇】を観ている気分ですよ。

 さて、此処に至って漸く何故齟齬が噛み合わないのか、の片鱗が垣間見えた様に思われます。

 どうやら貴殿は、文明至上主義で自然を徒に浪費することによって、資源が枯渇する事を危惧する が故に、当方へ向かって

   自然を遮断して暮らせ

 と、お仰って居られたみたいですね。

 漸く理解が出来ましたよw

 でも、それ、意味がありません。

 そもそも、日本人を含む先進諸国の生活は自然を余りにも浪費し過ぎていて、どの道、先は長くあり ません。 しかも、今は“グローバル化”という美名の下に、途上国の人間に先進国の生活を教えて、 新たな消費者として育てることでマーケットを拡大する方向へ舵取りされています。

 資本主義経済の本来在るべき姿は、「皆で幸せになろうよ」 ではなく、日本を含む一部の先進諸国 が最大限に豊かで文明的な生活を享受するために、多数の途上国に貧困と飢えを押し付ける物だっ た筈です。
 それが経済活動の行き詰まりから、途上国へ中途半端に豊かで中途半端に文明的な生活を与えて しまいました。 これは、地球の資源が有限であることを考慮すれば完全に誤った選択です。

 地球の資源が有限である事を前提に、世界中の人が“自然と文明のいいとこ取り”をしようと思った ら、我々の生活レベルは恐ろしいレベルで下方修正されることになります。 もちろん、その引き換え に、今現在に貧困と飢えを押し付けられている途上国の人達は、今よりは幾許かマシな生活を手に入 れることができるでしょう。 でも、一旦、資本主義経済格差社会の上位に居た我々日本人が、生活イ ンフラもマトモに整備されておらず、ちょっとした農作物の不作で飢え死するのが当然の生活になんか 戻れません。

 貴殿は自身の生活ポリシーを“いいとこ取り”と仰っていたと記憶にありますが、世界全体から見れば 日本人の平均的な生活は全然“いいとこ取り”なんかじゃありません。 途方もない浪費です。

 中国13億人が平均的な日本人と同等の生活を得る為には、地球がもう一つ必要だと言われていま す。 つまり、浪費を罪と感じない私はおろか、中庸を貴ぶ貴殿に於かれても、貧しい国に住む人達か ら見れば同じ 「資源を不当に浪費する簒奪者」 でしかありません。

 そもそも、故意に資源を浪費しようとしたところで、オイラが如き個人には大したこと等できません。

 水道を開きっ放しにして、水資源を浪費しようとしたら 「 水道代ガー 」 と嫁からグーパンチが喰らわ されますし、無人の部屋に冷暖房をガンガン掛けて石油資源や天然ガス資源を浪費しようとしても、や はり 「電気代ガー」 と嫁からグーパンチが喰らわされます。
 ( というか、暑い日に「だけ」掛けているエアコンに掛かる電気代でさえ、ぶーぶー文句言われていま す )
 オイラの趣味は車道楽ですが、次々と新車を乗り換える程の甲斐性はなく、新車で買えば十年以上 は乗り続けますので、“文明至上主義”を名乗るには稼ぎが足らなさ過ぎる様な気もします。

 ぶっちゃけ、オイラの“文明至上主義”ってのは、“存在自体が悪”と同じ次元の話でしかありません。  日本人に生まれただけなのに、百年前の人が見たらドラえもんの未来都市もビックリな科学万能の 時代に、科学の恩恵を受けて安穏と暮らしているという後ろめたさ故に、自分で自分にネガティブなレ ッテルを貼っているに過ぎません。

 オイラが少々、無理して故意に資源を消費したところで大勢に影響など微塵もありませんし、貴殿が 中庸の範囲で慎ましく暮らして資源を温存しようとしたところで大勢に影響など微塵もありません。

 そして、無理して故意に資源を浪費しようとしているオイラはもちろん、中庸の範囲で慎ましく暮らして 資源を温存しようとする貴殿も、文明とは程遠い世界で暮らす人達から見れば同じ 「資源を不当に浪 費する簒奪者」 です。

 貴殿が途上国から送り込まれたテロリストに銃を突き付けられた時に
 「 違う。 私は、この圭坊という男と違って自然の資源を浪費しない様に勤めて暮らしてきた 」
 なんで弁解しても、鼻で笑われてトリガーを引かれますよ。



 > 人は、人の造りし概念上の善悪に照らして、『善』 であったり、『悪』 であったりする。
 > オイラが言う 「存在自体が悪」 の意味もまた、人が造りし概念としてのみの 『悪』 である。
 > もし、人よりも遥かに高次元な存在が居て、彼が人を裁く機会を持つとしたら、
 > 我々が 『悪』 として捉えている行為のいずれも裁かれはしないだろう ・・・ と言っているのです。

 いえね、主張されている理屈は分からないでもないんですけど、
 それなら 「存在自体が悪」 という土俵で交わして来た過去の激論が
 全て覆ってしまうと思うんですよね。
 僕も圭坊氏が作った 「存在自体が悪」 という土俵にわざわざ上ってコメントして来た訳だし
 梯子を外された気分です。
 そんな軽いノリで前言を覆されてはこれまでの激論が何だったのかという話になるんですよ。
 それならそれで 「存在自体が悪」 という前提でコメントされた事を全て取り下げて頂く事に
 なりますよ ( 今さら過去に戻って議論をやり直す気はさらさら有りませんが )。

 

 そか、それはすまなんだのう。

 で ─┐
.    │
┌──┘

以下、今さら取り下げて頂く事になるコメントの数々↓沢山振り回してくれましたなぁ・・・

「 大罪を犯して得た文明という名のぬるま湯に肩まで浸かった生活を享受し続けている状態で
│ 言うべきではない 」

「 人が人の望むように自然を改変する事に対して、
│ 同じ人である者が異議を唱えることは出来なくなった 」

「 悪の分際で正義の味方ヅラするの止めてくんない? 」

「 オイラと同様、貴殿も同じ人間が犯した大罪の上に生かされている身ではないか。 」

等々・・・



└→ ( ゚д゚)はて?

 実際に罪を犯しているという前提であっても、概念上の ( 現実の法で裁き様が無い ) 罪を犯してい るという前提であっても、等しく意味は変わらないと思うんだが。

  ( 人間の知能の範囲で想像する ) 人よりも高位な存在から見て許しがたい犯罪行為に当たるであ ろうと思われる自然破壊や喰う目的以外の殺戮によって生かされている我々は、その人よりも高位な 存在から見れば犯罪者、もしくは、共犯者であろう。

 そういう意味で

   「 大罪を犯して得た文明という名のぬるま湯に肩まで浸かった生活を享受し続けている状態で
    言うべきではない 」

 も

   「 人が人の望むように自然を改変する事に対して、
    同じ人である者が異議を唱えることは出来なくなった 」

 も

   「 悪の分際で正義の味方ヅラするの止めてくんない? 」

 も

   「 オイラと同様、貴殿も同じ人間が犯した大罪の上に生かされている身ではないか。 」

 も

   等々・・・

 も決して翻ることはないと思うのだが。




 > 長く飼われ続ける ← もはや御野鳥サマから習性が喪失して、タダのペットと化す。

 こんな詭弁には真面目に返すのも馬鹿馬鹿しいですが、前回コメントした通り
 野鳥が鳥籠に入った途端に野鳥の姿をした別の生き物に化ける訳が有りません。
 それは、だんだんペットと化したとしても元が野鳥なのだから同じ事です。
 時間軸は関係有りません。

 

 ま、この辺は、どうにも会話が通じていないので書くだけ無駄だと思うのですが、一応。

 『御野鳥サマ』 の部分を 『まだ人に飼われる歴史を持っていない時代の野生の犬』 や 『まだ人に飼 われる歴史を持っていない時代の野生の猫』 に置き換えても意味は同じです。

 遥かな昔に、最初に○○という野生動物を飼おうとした者が居て、連綿と続く試行錯誤の歴史の結 果、今現在に人の環境下でペットとして暮らす○○が存在する。

 これがどうして○○の中に『野鳥』の二文字が入ってはならないのか。

 既に、文鳥も十姉妹も鸚鵡も同様の道を歩んできたというのに。

 ・・・ というだけの話です。



 > どうして犬や猫,十姉妹,文鳥,その他、既にペットや家畜になってしまった物達は、
 > 人が飼って良くて、まだペットや家畜になっていない物達は、どうして飼ってはイケナイの?
 > 野鳥もペットとして飼い続ける内に、その生態が知り尽くされれば何も問題はありませんね。
 <中略>
 > それは犬や猫,齧歯類,文鳥,十姉妹,鸚哥などで、それぞれが歩んできた道です。
 > 野鳥を飼う時だけ特別扱いするのはオカシイですよ。
 > “悪魔行為”でなくとも、貴殿が“許し難い行為”と見做していることは事実ではありませんか。

 ペットを飼いたい気持ちも理解出来るから親切心から妥協案を示しているんですが・・・
 これのどこが 「“許し難い行為”と見做している」 になるんでしょうね。
 既にペット化されてしまったものは今さら犠牲になった個体を元には戻せないから
 止むを得ないでしょう。
 だから、どうしても野鳥を飼わねばならないのなら代替案として
 そうすればいい(文鳥やら十姉妹を飼えばいい)のではないでしょうかと言っているのです。
 それが嫌なら所詮その程度の欲求なのですからペットを飼うのを諦めて下さい。
 それが妥当な解決策です。

 

 “許し難い行為”と見做していないというのであれば、貴殿は”許し得る行為”と見做しているという理 解で宜しいですね?

 では飼わせて頂きくことにしましょうかw

 実際問題、( どこまで環境破壊になるのかはともかく ) 野鳥のペット化は ( 法律違反ですが ) そこ かしこで普通に行われている行為であって、飼い主がトンデモナイことをしなければ、普通に飼える様 に思われます。

 雀なんかは、「あれ? いつの間に飼う事が解禁になったんだ?」と思う程、飼っている事例がweb上 に満ち溢れています。

   2012年08月08日 ぷーすけ君の田舎暮らし
   子雀飼育奮闘記
   http://pusukekun.exblog.jp/17843300/

   2014年07月09日 おりこう雀と自然の天使
   スズメの雛の飼育日記
   http://blog.livedoor.jp/pikchu123/archives/1005702223.html

   「近畿化学工業界」誌,1998年3月号 エッセイ:手乗り雀
   http://www2.kobe-u.ac.jp/~osakai/sparrow.html

   2012年06月03日 けだまぶろぐ
   【続報有り】スズメを保護して2年経った
   http://m0furu.blog.fc2.com/blog-entry-110.html
   ↓
   2012年11月14日 けだまぶろぐ
   【続報あり】前にスズメを保護して2年云々っていうスレを建てた者だが
   http://m0furu.blog.fc2.com/blog-entry-111.html
   ↓
   2013年07月30日 けだまぶろぐ
   【続々報】 3年前に保護したスズメ
   http://m0furu.blog.fc2.com/blog-entry-494.html

   雀の飼育日記 実技編
   http://www2.tbb.t-com.ne.jp/morusuzu/suzume/suzume3.htm

   我が家に保護されて丸5年目になるスズメのペペウ! 動画.mov
   https://www.youtube.com/watch?v=5tUd_ZL1V8Y
   480X360
   

   すずめの巣立ち雛?を保護
   https://www.youtube.com/watch?v=7DPdb0GjcTw
   560X315
   

   スズメのブンちゃん ますます手乗りになりました
   https://www.youtube.com/watch?v=qiwMj8CcJdE
   560X315
   

 もちろん、「 『鳥獣保護法』 で禁じられているのに 」 という余計な御節介をする外野に備えて、動物 病院の指示を仰いでいるだの、役所に届け出はしてあるだの、予防線は敷いてありますが、基本的 に、してはイケナイ筈の野鳥飼いを勝手にしています。

 ( ※ 『してはイケナイ筈の野鳥飼い』 というのが、法律を曲解した都市伝説であることが
  分かりました。 後述します )



 > 犬にしろ猫にしろ、最初は習性も生態も分からず、五里霧中の中を手探りで飼ってきて、
 > おそらくは幾多の犠牲の上に今の 「ペットとして飼われる環境」 が整えられたハズです。
 > 同じ事をなぜ野鳥に対して行ってはならないのか?
 >
 > その “比較的飼育実績の有る鳥種” さえも元は野鳥なのではありませんか?
 > どうして『過去の野鳥』なら良くて、『今現在の野鳥』はダメなのでしょうか?
 >
 > 今現在に誰にも飼われていない野鳥であっても、今から試行錯誤して飼うことに挑戦して行けば、
 > 人間がその習性も生態も犬猫以上に知り尽くす様に成って、種として未来永劫人間と共存して
 > 行く可能性は十分にあるのではありませんか?
 > 今現在に野鳥である鳥類の如何なる種にも成し得ないとする根拠は何なのでしょうか。

 では質問を変えましょう。
 なぜ飼育するのが犬猫文鳥ではなくて新たな野鳥でなければならないのでしょうか?

 

 飼いたいからですよ。

 もし、ドラえもんとお友達に成れたとして、あるいは、タイムマシンを開発して、猫でも兎でも何でもい いですから、タイムマシンで過去へ行き、最初に野生種をペットとして飼おうとした人にこう訊いたとした ら、どんな返事が得られると思いますか。

   貴方はどうしてその○○(野生種)を飼おうとするのですか?

 常識的に考えて返事なんか貰えないでしょう。

 「 ( 何言ってんだ、コイツ ) 」 という目で見られて、棒で追い払われるのが関の山でしょう。

 飼いたいから飼おうとするのです。 感情に理屈なんかありません。



 人類にとって必要不可欠だという確証も無く多大な犠牲を払う事が予想されるのだから
 無益な犠牲は避けるべきではないでしょうか?
 文鳥にしたってどうしても鳥を飼いたいと言う話だから
 犬猫が飼えない人の事情も汲んで妥協案として提示したまでです。

 

 「 フェラーリ348GTB(1989年 〜1994年)や同F355(1994年〜1999年)が欲しいよぉ 」
 と言っているクルマヲタクに向かって
 「 んじゃトヨタ・MR2(SW20 / 1989年〜1999年)で我慢しなよ 」
 と返すのを妥協案とは申しません。

 文鳥や十姉妹で我慢できるなら、疾うの昔に文鳥や十姉妹を飼っているでしょう。



 > 遥か彼方に居て、近付いてくれさえしない野鳥がそのままでペットの代用になど
 > 成り得る筈がありません。

 バードウォッチング未経験の人にこういう世界も有りますよと紹介するのが
 そんなにイケナイ事なのでしょうか?
 ペットロスで自殺するほどの実例を紹介されたからバードウォッチングを提案したまでです。
 それが受け入れられない人には申し訳ありませんがこれまで通りペットロスを覚悟して頂くしか
 ありません。 どちらを選ぶかは本人次第です。

 

 では貴殿もバードウォッチングに代えて、大型モニタ ( または、ヘッドマウントディスプレイ ) で観る動 画で御辛抱なさいませ。



 ところで鳥をペットとして飼ったとしても実際は籠の中に入れたまま
 その姿やさえずりを楽しむだけであって、犬みたいに頬ずりをして溺愛するという事には
 ならないんじゃないですか?
 眺めて楽しむ程度の事であればバードウォッチングで充分その役目を果たせますよ。

 

 バブル景気の真っ只中に佐川急便が出した求人広告にこんなのがありました。

 虚覚えですが、

 「佐川急便に入社すれば、○年間の給料で新車のフェラーリが買えます」
 ( すいません、○に入る数字はド忘れしました)

 「でも乗る時間はありません」
 
 「それでも、自宅へ帰ってガレージに佇む愛車を見る度に『明日も頑張ろう』とやる気が起きます」

 ・・・ こんな感じの広告でした。

 眺めて楽しむだけの結果にしか成らなかったのだから、彼はフェラーリを買うべきではなかったのでし ょうか? 眺めて楽しむだけなんだから、帰路の途中で外車ディラーに寄って、閉店済みのガラス越し にフェラーリを眺めれば其れで良かったのでしょうか?

 違いますよね。

 「所有する」 と 「所有しない」 の間には大きな隔たりがあります。

 それは所有欲が満たされるか否かの違いです。

 だから、バードウォッチングは鳥を飼う事の代わりには成り得ません。

 それに、懐かない鳥は別にして、懐く鳥は野鳥でも手に乗ります。

 スズメを飼った話とか鴉を飼った話などを読むと、体や頭を撫でると犬や猫のように喜ぶという描写 が書かれています。 さすがに頬ずりをして溺愛というワケに行かないかも知れませんが、其れに近い 愛玩行為は出来ます。



 > 鳥以外の動物を飼う際にクリアしなければならない条件さえクリアできるなら、
 > 野鳥を捉えて飼うことに問題は無い
 <中略>
 > 飼っても問題が無いということの科学的根拠を示せと仰られますが、よろしいのですか?
 > その科学的な根拠とやらは、実験的に飼ってデータを集めて検証することが前提になりますよ。
 > そもそも今現在にペットである動物も鳥も、元を正せば野生だったんだから、手順を踏むなら
 > アリだろ

 「科学的な根拠」 が不可欠という前提で考えると、実験的に飼ってデータを集めなきゃ
 科学的な根拠を入手する事が出来ないという事は飼ってみなけりゃ分からないという事であり、
 少なくとも最初の1羽を飼うより前に 「科学的な根拠」 を入手する事は不可能、つまり
 科学的根拠を持って最初の1羽を飼う事は不可能、という事は後に続く野鳥を飼う事は
 不可能ですから実験するまでもなく諦めて頂くしかありません。

 

 ( ゚д゚)は?

 そんなことを言い出したら、全ての科学的な進歩は否定されてしまいますよ。

   科学的根拠を持って最初の1羽を飼う事は不可能

 なのではありません。

   科学的根拠を得る為に最初の一羽を飼う必要がある

 のです。

 クドいようですが、話のスリ替えは止めましょう。



 > なぜ犬猫を除くのでしょう?

 また 「本質論」 で犬猫と野鳥を一緒にしようとされているのだと思いますが
 犬猫など誰が飼い始めたか分からないくらい歴史が長く飼育法も確立されています。
 野犬や野良猫などの問題が有る事は承知していますがペットの中では最も飼いやすい事は
 確かです。
 過去に誰かが多大な犠牲の上に犬猫をペット化したからと言って
 今さら彼らを裁く事は出来ませんし、だからと言って多大な犠牲を払ってまでして
 同じ事を野鳥に対して行っても良いという理由にはなりません。
 結果的にたまたまとは言え圧倒的な実績(科学的根拠)の有るペットが既に存在するのに
 わざわざ野鳥を飼わねばならない理由を教えて下さい。

 

 飼いたいと希望する人が存在するからです。

 文明が進化してきた原動力は欲望です。

 欲望を叶える為に行動する事は、文明人の基本的原則です。

 今まで散々っぱら、インフラ整備や資源開発の為に彼らの棲家と生活圏を奪い、食料として狩って喰 い、あるいは、狩って羽根を毟り取った後で、旨くない死肉を不遜にもゴミとして捨てきた歴史を歩んで おきながら、今更、飼う為の条件を整える迄に犠牲となるかも知れない幾つかの個体が可哀想だなん て、よくもまぁ、アグネスチャンでも目を伏せたくなるような綺麗事が言えますね。

 いいですか、

 @ 野鳥を飼ってはイケナイという法律がない
   ( ※:実は『鳥獣保護法』が「保護する際は許可を得よ」と規定しているのは、
      狩猟鳥以外の野鳥であって、狩猟鳥には規定がありません。
      したがって、身近にありふれた狩猟鳥を飼う事を禁止している法律は存在しません。
      ⇒ 後述します )

 A 野鳥を飼いたいと願う人が存在する。

 B Youtube や webページ 等を見ると、既にスズメやヒヨドリ,鴉等で、ほぼぺット化に成功して
   いると思われる例が幾つも見られる。

 C 既に人間は、犬や猫を始めとして鳥類もペットとして飼っており、少なくとも人の目に見て、
   良好な関係を築いていると言える。

 D 今までに飼おうと試みて失敗した種に再チャレンジするというならマダしも、
   まだペットとして普遍的な地位を確立していないだけの種 ( Bで挙げたような種 ) であれば
   飼う事が常態化すれば、十分にペットとして確立する可能性が高い。

 此処まで揃っているんだから、( 少なくとも希少種ではないありふれた身近な野鳥に関しては ) 「 絶 対に飼うべきではない 」 という主張の方がオイラには異常に思えます。

 別に絶滅危惧種を飼おうってんじゃないんだからさ。

 いいんじゃねーの?



 > オイラにとって鳥に関わるということは、
 >    [野鳥を観察する事] ≒ [野鳥をペットとして飼う事] ≒ [野鳥を獲って喰う]
 > です。
 <中略>
 > 等しくほぼ同じ:[野鳥をペットとして飼う事]
 >           ≒ [犬や猫をペットとして飼う事]
 >           ≒ [人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜]
 >           ≒ [単に野鳥を観察する事] :順位に意味は無い。等しくほぼ同じ
 > でしかありません。

 ここまで来ると新作落語の世界ですが、
 野鳥を観察する事=ストーカー行為規制法違反
 だと主張されるなら
 野鳥をペットとして飼う事=逮捕・監禁罪
 野鳥を獲って喰う=人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜=殺人罪・死体損壊等罪
 餌付け=食品衛生法違反・相手が公務員ならば贈賄罪
 スマホでさえずりを流す行為=詐欺罪
 ですね。

 

 自分の都合の良い様に話をすり替えないで頂きたい。

   ×:野鳥を観察する事 = ストーカー行為規制法違反
 
   ○:野鳥を観察する事 = ( 人間にとっての人権に類する法律が鳥に与えられているなら )
                   ストーカー行為規制法違反

                   ( 人権に類する法律が鳥に与えられていない現状は )
                   単にバードウォッチング

 です。



 そもそも人間界に例えてしまうのが間違いなのですが、
 もし圭坊氏の様にバードウォッチングをストーカーに例えるのであれば
 単に野鳥を観察する事は犯罪としては比較的軽い罰則と思われます。
 もちろんストーカーを正当化するつもりはありませんが 「等しくほぼ同じ」 とは言えないでしょう。

 

 いや、それ、既にオイラが言うてるやん。

 2016年03月04日の記事 ( 03月03日に頂いたメールに対する返答 ) よりコピペ

   『美少女を拉致監禁して檻に入れて飼う』 と 『美少女に付き纏うストーカー行為』 の比較なら、
   前者 が圧倒的に悪逆卑劣な犯罪であることは疑いありません。
   が、しかし。 だからといって、後者が無罪 というわけでもありません。

 ただし、人間の場合は、人を捕らえて喰えば佐川君ですからね。

 そりゃもう、拉致監禁やストーカーとは罪状が違います。

 しかし、鳥に対して人が行う行為に関しては、『鳥獣保護法』や『動物愛護法』のような法律しか存在 なくて、狩猟鳥になるようなありふれた身近な野鳥に関しては、保護するための規定がありません ( 「一旦飼って、人に依存させてしまったら野に還すな」 という規定はありますが )。

 ですから、人が人に対して行う行為に関しては罪の重さに順位が付けられますが、人が鳥に対して行 う行為に関しては罪の重さに順列が付けられません。

 ですから

   等しくほぼ同じ:[野鳥をペットとして飼う事]
             ≒ [犬や猫をペットとして飼う事]
             ≒ [人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜]
             ≒ [単に野鳥を観察する事] :順位に意味は無い。等しくほぼ同じ

 なのです。



 > 貴殿が家畜の肉を喰らおうが喰らうまいが、
 > そんなことで 「野鳥を捕らえて飼う事」 が許されたり許されなかったりする道理はありません。

 そうですよ。そもそも不毛な議論に過ぎません。
 「 貴殿は、罪悪感なしに家畜の肉を喰らう癖に、
  野鳥をペットとして飼うことを頑なに禁則事項だと仰られる 」
 と言われたので 「家畜の肉を喰らう」 事においては対等だと言ったまでです。

 > 『鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律 ( 俗称:鳥獣保護法 )』 によって、
 > 鳥獣の 捕獲も飼養も極めて限定されているのですから、『無し』 に決まっています。

 ここのテーマは「―― 自然保護の観点を抜きにして ―― 有りか無しか」です。
 最初からそれを踏まえて激論しているのだからいくら何でもそれは分かってます。

 

 ところが、ですね。

 「 野鳥を飼うのは鳥獣保護法によって禁じられている 」 という大前提が“常識”として周知されている が故に、今まで疑問にさえ思っていなかったのですが、実は、その“常識”というのが、都市伝説の類で ある可能性が出て来ました。

 偶然に遭遇したサイトの記事です。

   2009年10月06日 雀坊の納戸 〜 文鳥動向の忘備録 〜
   捕って食うスズメを飼って愛せない不思議 〜 時代遅れの鳥獣保護法 〜
   http://plaza.rakuten.co.jp/jackbo/diary/200910060000/

   > 〔 前置き 〕
   >
   > 文鳥などの小鳥の飼い主が、野鳥を家の中に持ち込むのは避けるべきだと思っています。
   > 自然界で生きる野鳥には、家の中で生きる飼い鳥が持たない病原菌に感染している可能性が
   > あるので、近づけない方が無難だからです。
   >
   > また、私個人は自然界のことは放っておくのが基本だと信じているので、
   > 例え迷子のスズメの子に遭遇しても、その不運に同情するだけで何もしません。
   > しかし、そういった態度を誰もが取るべきだとも思っていません。
   > 他に既に飼っているなら、そちらに感染症を及ぼさないように十分注意しながら、
   > 自分の納得するような対応をすれば良いものと思います。
   > 何しろ他人に迷惑をかけない限りは自由です。
   >
   > ただ、野鳥の保護は物議を醸すことが多く、
   > まったく部外者の私にも飛び火してくることがあるくらいなので、
   > 当事者になりそうな人は、前知識として少し考えておいた方が良いと思います。
   > そこで、以下参考までに以前考えてみた私見を、改めて提示しておきます
   > ( 法律の専門家ではないので、誤解や曲解があるかもしれないので、
   >  お手柔らかにご教示願います )。
   >
   >
   > 〔 問題の所在 〕
   >
   > 巣立ち直後のスズメのヒナが、地面でウロウロしているところを見つけ、
   > 迷子になったものと見て保護する優しい人は多いかもしれません。
   > しかし、鳥類の多くは、巣から離れた後もしばらく親鳥の保護下にあり育つものなので、
   > 実はその人としてのやさしさを示す行為が、近くにいた親鳥からヒナを引き離してしまった
   > 「余計なおせっかい」 になっていた可能性もあります。
   > 何しろ、その可能性を重視した日本野鳥の会などは、「ヒナを拾わないで!!」 と
   > 一般に呼びかけるキャンペーンを展開しているくらいです。
   >
   > しかし、いくら注意して周囲をうかがっても親鳥は姿を現さず、
   > ヒナは本来捕食者である人間なる生き物に対して抵抗できないほどやせ細って、
   > 今にも死んでしまいそうな状態であることも多いものです。
   > そのような運悪く親鳥とはぐれてしまった個体は、早晩確実に死んでしまいますから、
   > これを助けたいと思うのは、人間として当然の心情でしょう。
   > そして、その後の看病で生命の危機を脱したスズメの子が、命の恩人に愛着を覚えて
   > 手乗り化するのも不思議な話ではなく、救った人もそうしたスズメを手放せなくなるのも、
   > 当然の成り行きだと思います。
   >
   > ところが、スズメは飼ってはいけないもので、保護するとしても、将来自然に戻すことを前提に
   > しなければならず、少なくとも行政府に許可を受けないと法律違反になる、と指摘したがる
   > 人も多く、それは一面において正しいのも事実なのです。
   > しかし、法律以前に、スズメを自然に戻すことが、野生生物の保護活動として
   > 意味があるでしょうか?
   > 少なくとも、保護すべき動物だから自然に帰さなければいけないとお考えでしょうか?
   > もしそう思うなら、スズメが害鳥または食用とされ、毎年何万羽も捕獲されている
   > 厳然たる事実はどのように考えたら良いのでしょう?
   > スズメについては、最近生息数が激減していると主張する研究者もいますが、
   > 人間の作り出した環境に適応して、大いに繁栄している自然界の 「勝ち組」 である点に
   > 変わりはなく、年に数万羽程度食べられても生息数に影響しないほどの個体数が存在して
   > いるのが現実なのです。
   > 従って、「物好き」 な人間が拾い上げた一羽のヒナを飼育したところで、
   > スズメの生息数に何の影響も与えませんし、あのような片手に収まる生き物を
   > カゴの中で飼育したところで、誰にも迷惑はかけないのも、ほとんど自明のことのはずです。
   >
   > では、一方で数万羽殺しながら、一方で一羽の飼育を許容しないのは何故でしょうか。
   > 現実的・論理的思考を優先させたい私には理解しがたいところですが、
   > 法律ではそうなっているらしいのです。 信じがたいではありませんか?
   > そこで、かなり面倒ですが、改めて 『鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律』、
   > 略して鳥獣保護法の条文を確認したいと思います。
   >
   >
   > 〔 法律の解釈 〕
   >
   > まず同法第八条に
   > 「 鳥獣及び鳥類の卵は、捕獲等又は採取等をしてはならない 」
   > とありますが、
   > 「 第十一条第一項の規定により狩猟鳥獣の捕獲等をするとき 」 などは
   > 「 この限りでない 」 ともあります。
   > つまり、ここだけ読めば、「狩猟鳥獣」 に含まれるスズメを、捕って食おうと保護して育てようと
   > 勝手と言うことになりそうです。
   >
   > ところが、前提となる第十一条第一項を見ると、「 規定に従って狩猟をするとき 」 とあり、
   > 狩猟許可を受けているか、狩猟可能区域で諸々の制約の下でのみ認められる行為と
   > なっています。
   > 従って、狩猟しても良いくらいにありふれた鳥獣でも、
   > 一般人は気軽に捕獲してはならないことになっているのです
   > ( とは言え、昭和30年代くらいまでの子供は鳥モチその他で
   >  スズメやヒヨドリなどを捕獲して焼き鳥にしていたと思われ、
   >  それを咎める大人はいなかったはずである )。
   >
   > しかしながら、この規定は街中で好き勝手に狩猟を行われないようにするのが眼目であり、
   > 狩猟免許など持つはずもない一般人が、狩猟対象の鳥類を保護して愛護することなど
   > 欠片も想定していません。
   > 何しろ、同法第十九条に
   > 「 許可を受けて捕獲をした鳥獣のうち、対象狩猟鳥獣以外の鳥獣を飼養しようとする者は、
   >  その者の住所地を管轄する都道府県知事の登録を受けなければならない 」
   > とあり、「狩猟鳥獣」 を飼うなどという事態そのものを初めから想定せず、
   > あくまでも狩猟すれば絶滅の恐れのある野生動物を保護しようとしているのです。
   >
   > にもかかわらず、同法第十条に
   > 「 許可を受けないで鳥獣の捕獲等若しくは鳥類の卵の採取等をした・・・者に対し、
   >  ( ※ 鳥獣の保護のため必要があると認めるときは ) 当該違反に係る鳥獣を解放すること
   >  その他の必要な措置を執るべきことを命ずることができる 」
   > とあります。従って、管轄地域の住民がスズメを飼育している事を知った
   > 地方行政の担当者が、ほんのわずかに軽率な人だと、保護など必要のない狩猟対象の
   > スズメに対しても、この規定を適用して、飼育下にあるスズメの自然界への解き放ちを
   > 要求することにもなりかねません ( 実際そういう指導が行われる場合もあったようです )。
   >
   > つまり、この法律では、スズメなど保護する価値もないありふれた狩猟対象の野生動物など、
   > 許可さえ受ければ煮て食おうと焼いて食おうと構わないものと扱っていながら、
   > たんに条文にないので飼育することは出来ないと解釈されてしまっていることになります。
   > これをおかしいと思わない人がいるとしたら、やはりその感覚の方がよほどおかしいと
   > 私は思います。
   >
   > おそらく、同じ問題に対しても、融通の利く優秀な人が担当することになった場合、
   > この狩猟対象鳥獣の飼養という法律の想定外の事態に対し、
   > 上記十条の 「 その他の必要な措置 」 を適用し、
   > 同法第九条に
   > 「 学術研究の目的、鳥獣による生活環境、農林水産業又は生態系に係る被害の防止の
   >  目的・・・で鳥獣の捕獲等又は鳥類の卵の採取等をしようとする者は・・・都道府県知事の
   >  許可を受けなければならない 」
   > とあるのに準じ、登録申請の上許可するといった対応をされるのではないかと思われます
   > ( 実際そういった話も聞きます )。
   >
   > ようするに法律でまともに規定していないので、解釈によっていろいろと異なる対応が
   > 必要になっていると言えるでしょう。
   > 「 法律にあるからスズメを飼ってはダメ 」 とも言い切れない曖昧さがあるわけです。
   >
   > 一方、ずっと最近に出来た愛護及び管理に関する法律、略して動物愛護法第四十四条には、
   > 「 愛護動物に対し、みだりに給餌又は給水をやめることにより
   >  衰弱させる等の虐待を行った者は、五十万円以下の罰金に処 」 し、
   > また 「 愛護動物を遺棄した者は、五十万円以下の罰金に処 」 すとあります。
   > この 『愛護動物』 とは 「人が占有している動物で哺乳類、鳥類又は爬虫類に属するもの」 の
   > ことなので、保護の後飼育するに至っているスズメも含まれる可能性が高いはずです。
   > つまり、飼育した元 「狩猟動物」 を自然に帰せば、逆に愛護動物の遺棄として、
   > 処罰対象になる可能性も出てきます。
   >
   >
   > 〔 私的な感想 〕
   >
   > このように現状をとらえると、
   > 「 野生動物であるスズメを飼うのは法律に反するのでは? 」 と言われたら、
   > 確かにそのようにも解釈できるので正しいと言わねばならず
   > ( 条文だけで見ればこちらの解釈のほうが自然でしょう )、
   > 一方、愛着を持って育てたスズメを、生命の危険があふれる自然界に放すのは
   > 「 動物愛護の精神に反するのでは? 」 と言われたら、それは確かにごもっともと
   > 答えるしかありません。
   >
   > 文鳥の飼育者である私は明らかに部外者なので、「どっちもどっちだ」 ではありますが、
   > 鳥獣保護法に狩猟対象動物の飼養に関する明確な条文がない以上は、
   > 保護して飼う人はあまり大っぴらにせず、一方注意する人もたしなめる程度にするのが
   > 適当だと思います。
   >
   > 本音としては、スズメの子飼いなど平安時代から行われているようなものは、
   > 生息数が危機レベルに達しない限り、放っておくしかないと思いつつ、
   > 窓の外で自然の姿を見られるスズメを飼うより、飼い鳥である文鳥を飼えば良いものを、
   > となりますけどね・・・。
   >
   >
   > 【追記】 10/10
   >
   > 一昨日、HPの前向きな意見投稿フォームよりこの件に付きご教示を頂きました。
   > メールアドレスがありませんでしたので、とりあえずここに御礼申し上げます。
   >
   > 私は、どうやら一般の人は 『狩猟出来ない』 という先入観を持っていたため、
   > 鳥獣保護法第十一条の
   > 「 (狩猟可能区域内では) 環境大臣又は都道府県知事の許可を受けないで、
   >  狩猟鳥獣の捕獲等をすることができる 」
   > を、市街地は狩猟可能区域ではないはずだから、一般人には無関係
   > と軽く流してしまっていたようです。
   > しかし、実際には狩猟禁止区域の方が限定的で、
   > 市街地でも
   > 「 垣、さくその他これに類するもので囲まれた住宅の敷地内において
   >  銃器を使用しないでする狩猟鳥獣の捕獲等 」
   > は、同条において無許可狩猟が認められていました。
   > つまり、例えば私が家の敷地内で、発見した衰弱したスズメの若鳥を拾い上げても、
   > 原始的なワナなどで捕獲しても、何の問題もないと見なせます。
   >
   > そして、狩猟鳥獣の飼育については規定がないので、
   > 捕まえたスズメを愛玩動物として扱っても、それは自由と言うことになりそうです。
   > ・・・ では、なぜ結構以前から方々で大騒ぎしていたのでしょう?
   > やはり窓口レベルで混乱しているのでしょうか。
   > それなら、統一ルールが必要だと思うのですが、困ったものです
   > ( まだ誤解している点がありそうなので、お詳しい方はアドバイスいただければ幸いです
   >  【 と言いつつ、自分には無関係な話なので乗り気ではないのですが・・・ 】 )。
   >
   >
   > 【追記】 10/12
   >
   > 別件で狩猟時期について気づいたので ( 8月にヒヨドリのヒナを保護した事例 )、
   > 施行規則を確認したところ、狩猟期間は 「11月15日〜2月15日」 となっていました。
   > ・・・ となると、スズメのヒナが多く見られる春夏は、自宅敷地内でも捕獲が禁止されていると
   > 見なさねばならないと思われます。
   > つまり、あくまでも飼育をしたい場合は、捕獲場所を狩猟可能区域、捕獲時期を
   > 狩猟期間内としなければならないことになるようです。
   > やはり、インターネットなどで公表はしない方が無難だと思われます。
   >
   >
   > 【追記】 11/6
   >
   > 住宅敷地内での捕獲については、第十一条の規定が優先され、
   > 狩猟期間は無関係になるようにも思われます。

 どうですか? なかなかに目から鱗の落ちる内容ではありませんか。

 野鳥を飼う時に役所に申請しなければならないという思い込みは、

   「 許可を受けて捕獲をした鳥獣のうち、対象狩猟鳥獣以外の鳥獣を飼養しようとする者は、
    その者の住所地を管轄する都道府県知事の登録を受けなければならない 」

 を曲解した都市伝説だったのです。

 あくまで

   対象狩猟鳥獣以外の鳥獣を飼養しようとする者は
            ^^^^^^^
 であって、

   対象狩猟鳥獣を飼養しようとする者は

 ではありません。

 『狩猟鳥』 というのは、

   http://ja.wikipedia.org/wiki/狩猟鳥 - 1.狩猟鳥リスト

   > コウノトリ目
   >
   > ・ ゴイサギ
   > ・ カワウ[1]
   >
   >
   > カモ目
   >
   > ・ マガモ
   > ・ カルガモ
   > ・ コガモ
   > ・ ヨシガモ
   > ・ ヒドリガモ
   > ・ オナガガモ
   > ・ ハシビロガモ
   > ・ ホシハジロ
   > ・ キンクロハジロ
   > ・ スズガモ
   > ・ クロガモ
   >
   >
   > キジ目
   >
   > ・ エゾライチョウ
   > ・ ヤマドリ ( 「コシジロヤマドリ」 は対象外 )[2]
   > ・ キジ ( 「コウライキジ」 を含む )[3]
   > ・ コジュケイ
   >
   >
   > ツル目
   >
   > ・ バン
   >
   >
   > チドリ目
   >
   > ・ ヤマシギ ( 「アマミヤマシギ」 は対象外 )
   > ・ タシギ
   >
   >
   > ハト目
   >
   > ・ キジバト
   >
   > スズメ目
   >
   > ・ ヒヨドリ[4]
   > ・ ニュウナイスズメ
   > ・ スズメ
   > ・ ムクドリ
   > ・ ミヤマガラス ( カラス科 )
   > ・ ハシボソガラス ( カラス科 )
   > ・ ハシブトガラス ( カラス科 )

 ですから、結構色々な野鳥を飼う事が可能であるように思われます。

 ( とはいえ、日頃見慣れた種類以外は、自分家の住宅敷地内までどうやって誘き寄せるのか?
  がハードルになりますけど )



 > グレートハンティングがアタリマエの野生のフィールドに於いて、
 > 貴重な生活時間を侵食するような人間の存在は織り込み済みではありません。
 > 「元々そこに有る恐怖」 なんかじゃねーよ。 『新たな(人工的な)恐怖』だよ。
 > と返した迄です。

 だからその 「『元々そこに有る恐怖』なんかじゃねーよ。」 というのが 「何の問題も無いよ」 と
 言った前言を覆していると言うのです (後述します)。

 

 前提条件の追加によって結果が分岐するのは極々普通の事であって、覆しているのではありませ ん。

 A:「邪道のバードウォッチングに罪がないというおおらかな視点に立つのであれば」

 a:「王道のバードウォッチングは何の問題もない」

 ↓ ↓

 B:「如何なる法規にも抵触しない邪道のバードウォッチングを咎めるような視点に立つのであれば」

 b:「王道のバードウォッチングもまた、狭量な視点から咎められ得る重箱の隅突きが可能」

 「A」to「a」と「B」to「b」は等価に成立します。

 何も覆って等おりませぬ。



 僕は過去のフォトギャラリーも含め僕なりに自分の言葉には責任を持っているつもりなんですが、
 その責任を放棄してもいいんですかね?
 それをOKにしてしまったら毎回好き勝手な事を言い合う事になってしまいます。
 人間なんだから間違ったり見落としたりする事は有りますよ。
 でも間違いに気付いたならその前言を覆すに足る根拠を示した上で
 それまでの主張と合わせて取り下げて頂かねばなりません。
 その手順をすっ飛ばして新たなアイテムを繰り出されても話が混乱する一方です。

 

 貴殿は、「前提条件が変われば結論が変わる」 という至極アタリマエのロジックが御理解できていら っしゃらないが故に、矛先違いのお怒りをなさっておいでなのです。

 当方に取り下げなければならない主張など存在しません。



 激論コーナーは相手を言い負かして快感に浸るのを目的とするのではなく
 意見を闘わせる中で何らかの結論か妥結点を導き出す方向で進めたいものです。

 

 いやいやいや。

 そもそも、こんなことろで、僅か二名の閑談で何らかの妥協点が見い出せたトコロで、世の中は何も 変わりはしませんよ。

 我々の間で 「 (絶滅危惧種でも何でもない普遍的なありふれた) 野鳥は飼ってヨシ 」 という結論が 出たトコロで、「 如何なる『種』であろうとも、野鳥を飼う事は決して許されず、一時的な保護であっても 然るべき機関の許可が要る 」 という都市伝説が消えることはなく、都市伝説の元凶になっている法律 が改正されることもなく、今まで通りに、他人に知られない様にひっそりと隠れて飼う人が居続けること でしょう。

 逆に、我々の間で 「 (絶滅危惧種でも何でもない普遍的なありふれた) 野鳥でも飼うべきではない 」 という結論が出ても『以下同文』です。 な〜〜〜〜んにも変わりはしません。

 ですから、
.       │
┌────┘

でなきゃ後に何も残りませんよ。



└→ こんなものは、ディペードの模擬戦でしかありません。



 ぼちぼちこのテーマもまとめに入りたいと思っているのでご協力をお願いします。

 

 そりゃもう双方歩み寄りの余地なく『ああ言えば上祐』状態ですからね。

 さすがに徒労感が半端ない。

 さっさと終わらせましょう。



 それはそうと 「新たな(人工的な)恐怖」 って具体的に何の事ですか?
 今なお謎です。
 捕食の為に野鳥を観察する事と余暇で野鳥を観察する事との間に
 どんな違いが有ると言うのでしょう?
 観察者が心の中で思っている目的が(野鳥から見て)外見に現われるとでも言うのでしょうか?
 僕に違いが理解出来ないのですから野鳥にも理解出来ないでしょうね
 ( つまり仮に 「新たな(人工的な)恐怖」 だったとしても何の問題も無いという事です )。

 

 ですから、自衛隊の訓練を例に挙げて説明致したのですが、御理解頂けませんか。

   捕食の為に野鳥を観察する事と余暇で野鳥を観察する事との間に
   どんな違いが有ると言うのでしょう?

 違いが無いから問題だと申し上げているのです。

 鳥は捕食者と観察者を区別できません。

 したがって、鳥は不審に近付く人間を発見する度に回避行動を取ります。

 観察者という存在がいなければ、( 観察者が居る場合に比べて ) 鳥は平穏な時間をより多く持つこ とができます。

 つまり、捕食者とは別に、観察者という存在がいることによって、鳥は余計な警戒をしなくてはならな いということです。

 ウチのガキンチョで喩えて言うなら。

 学校の休みの日に母親が買い物に出掛け、「 さぁ、この隙にゲームすんぞ 」 と思ったのも束の間、 父親 ( =オイラ ) が自室から出て来て 「 コラ、この糞ガキ。宿題終わらせる前にゲームなんかするん じゃねぇ 」 と怒るような 『迷惑な存在』 ・・・ それが野鳥にとってのバードウォッチャーです。

 ガキンチョにしてみればゲームが後回しになるだけの些細な悲劇ですが、鳥にしてみれば下手をす れば死に直結するサバイバルですからね。 そりゃ願わくば、そういうのは止めて欲しいんじゃないです か?



 > 「新たな設題を投げかけてはならない」 のであれば、議論はおろか会話すら成り立ちません。
 > バードウォッチングが鳥にとって迷惑な行為であるという当方の主張は、かなり早い段階から
 > 在りました。

 そうだとしても
 その後「『元々そこに有る恐怖』なんだから何の問題も無い」という決着を見たのは
 厳然たる事実です。

 

 ですから、それは

 A:「邪道のバードウォッチングに罪がないというおおらかな視点に立つのであれば」

 a:「王道のバードウォッチングは何の問題もない」

 です。

 自身が鳥に対する迷惑行為 ( ただし合法 )をやっておきながら、スマホで囀りを鳴らすとかその場限 りの餌付けで鳥を集める様な、貴殿が迷惑に感じる行為 ( ただし合法 ) を咎めるのであれば、卓袱 台がひっくり返されるのは仕方がありません。



 その結論を踏まえてコメントしているので
 「 『元々そこに有る恐怖』 なんかじゃねーよ。 『新たな(人工的な)恐怖』 だよ。」
 などと後出しジャンケンで覆されても議論が大混乱をきたしますし反駁は成立していません。
 反駁している様に見えるだけです。

 

 ですから、早い段階からバードウォッチングが鳥にとって迷惑な行為であるという主張を当方がしてい たにも関わらず、

   「『元々そこに有る恐怖』なんだから何の問題も無い」

 という妥協点を見い出したからには、理由があったと考えるべきです。

 理由ではなくて前提条件ですが。

 もともと、人間は鳥類よりも高位の存在で、人の法は下位の存在に対する生殺与奪権を認め、狩ろう が喰おうが飼おうが自在です。 したがって、鳥に恐怖を与える如きが罪に問われる道理がありませ ん。

 だから、バードウォッチャーが野鳥にとって恐怖の対象であっても

   「『元々そこに有る恐怖』なんだから何の問題も無い」

 のです。

 しかし、その論で言うなら、スマホで囀りを鳴らしたり、餌で呼び寄せたりする行為もまた、罪に問わ れるモノではありません。

 これを貴殿が認めるのであれば、オイラと貴殿の間で ( 実に意味のない狭い範囲の話ですが )

 バードウォッチングは

   「『元々そこに有る恐怖』なんだから何の問題も無い」

 が成立します。

 しかし、貴殿は

   B:「如何なる法規にも抵触しない邪道のバードウォッチングを咎めてしまう視点に立っても」

   a:「 ( 自分がやっている ) 王道のバードウォッチングは何の問題もない」

 と仰られる。

 さすがにそれは、ご都合がよろし過ぎるのではありませんか ・・・ と申し上げているのです。



 これまでの激論をないがしろにして唐突に新たなアイテムを出して来られた事を問うているのです。
 「新たな設題を投げかけてはならない」 とは言っていません。
 一度決着を見た事柄について蒸し返す様に前言を覆すのはこれまでの激論を反故にし、
 それこそ基本的な会話のキャッチボールを放棄しているのと同じです。
 こんな事を繰り返していたら収拾がつかなくなり永久に議論が終りません。
 反駁が成立していないという事はこの件につき決着がついたと見なさざるを得ません。

 故に、
 結論:「 僕が捕食者だろうがバードウォッチャーだろうが
      野鳥にとっては 『元々そこに有る恐怖』 なんだから何の問題も無い 」
 で宜しいですね。

 

 もちろん、鳥にとって捕食者も観察者も同じであるという点に異論はありません。

 しかし、現実問題として、バードウォッチャーは捕食者ではありません。

 そして、捕食者でないが故に、何度も野鳥に恐怖を与え得ることが鳥にとって問題となります。

 捕食者は腹が満たされれば、新たな餌に興味を持ちません。

 ですから、誰かが襲われて犠牲になれば、しばらくの間、その捕食者の周囲は安全地帯になります。  腹の膨れた捕食者は獲物を目で追うこともしません。 弱肉強食の日々の中に訪れる安寧の時間 は、そうやって作り出され、その短い時間の中で弱者はセックスして子を産み育てて眠るのです。

 しかし、捕食者で無い観察者は、飽きてとか疲れてとか日が暮れてとか、そういう状況になるまで 延々と野鳥の姿を追い求めます。 弱肉強食の日々の中に訪れる安寧の時間を観察者が奪うので す。

 これに問題が無いか?と問われるなら、「 全く問題は無い 」 と断言するのは無理があるように
思います。

 しかし、前述した通り、人間は鳥類よりも高位の存在で、人の法は下位の存在に対する生殺与奪権 を認め、狩ろうが喰おうが飼おうが自在です。 したがって、鳥に恐怖を与える如きが罪に問われる道 理がありません。

 ですから、余計な恐怖を味わう事で野鳥の頭がストレスで禿げようが、セックスする時間が無くて個体 数を減らそうが、知ったこっちゃありません。

 でも、だからこそ。

 そこまで許すなら、スマホで囀りを鳴らすとか餌で誘き寄せるとか、そういうのも許されて然るべきで す。




 > だから問題は無いんだと申し上げております。
 > “王道のバードウォッチング”も“邪道のバードウォッチング”も
 > 等しく微罪であるというオイラの主張を貴殿が呑んで下さるのであれば、問題は何もありません。

 圭坊氏の 「問題は無い」 というのは
 バードウォッチャーが善い奴でなければ人間に慣れてしまって狩られ易くならないので
 「問題は無い」 だった筈。
 「“邪道のバードウォッチング”も等しく微罪」 と認めれば 「問題は無い」 ではなかった筈です。
 同様に 「存在自体が悪」 に比べれば 「微罪」 だから 「問題は無い」 でもなかった筈です。
 スリ替えはいけません。

 

 極言するなら、そもそも前提条件があろうとなかろうと何も問題はありません。

 普遍的なありふれた野鳥( 狩猟鳥 ) が狩られ過ぎて絶滅危惧種になってしまうような大量殺鳥でも やらかさない限りは、絶滅危惧種でも何でもない狩猟鳥に対する行為に於いて、他者から咎められる 謂れは何も存在しません。

 だから、バードウォッチングを問題視すようとするなら、条件で縛る必要があります。

 その一つは、人と絡む事に因る環境の変化、つまり、鳥が 「 あれ?人間って怖くないんだ。 じゃあ、 近くまで寄っても安心だね♪ 」 と捉えるようになってしまうことで、狩られ易くなる。 あるいは、人に飼 われたスズメを見た野生のスズメが 「 あれ?人間って怖くないんだ。 じゃあ、近くまで寄っても安心だ ね♪ 」 と捉えるようになってしまって、人の威を借りて天敵のスズメを避けていたツバメが危機的状況 に追い込まれる ・・・ こういう変化の可能性です。

 最初に掲げていたのはコレです。

 コレは解決されたワケではありませんが、バードウォッチャーが鳥にとって悪い奴であるならば、鳥 「 あ、やっぱり人間って怖い存在なんだな。近付かないでおこう 」 ということになり、問題はクリアさ れたことにされました。

 これで最初の縛りは一応の解決を見た形になりました。

 で、話を終わりにしても良かったのですが、

  思い起こせばその一つ前、2016年02月26日に頂戴した反駁の中に

   フォトギャラリーにも書きましたが最近バードウォッチングをしていると、
   手っ取り早く撮影する為にスマホなどでさえずりを流したり餌付けしたりなどして
   野鳥をおびき寄せる行為がごく一部の人に見受けられ (フォトギャラリー第212回参照)
   個人的に快く思っていないため特にそういった事を意識したコメントになりました。
   僕も人間ですから主観が混ざってしまうのはやむを得ません。
   野鳥ファンなら誰しも野鳥のいい写真が撮りたいという気持ちは分かりますが
   そんな自分勝手な動機で必要以上に野鳥を翻弄する権利が人間には有るのでしょうか。

 とありましたので、

 「 え〜、そんな些細な事を問題視するなら、そもそもバードウォッチングという行為自体が
  そんなに褒められた代物じゃないと捉える事も可能じゃん 」

 という思考でこう書きました。

   ではなぜ、バードウォッチャーの存在が恰も野鳥の警戒を解いて
   彼らを危険に晒しているが如き主張 を、オイラは書いたのか。

   それは、スマホで囀りを鳴らす行為やその場限りの一時的な餌付けが
   野鳥に及ぼす影響が、オイラ が書いた
   「バードウォッチャーの存在が野鳥の警戒を解いて彼らを危険に晒す影響」
   と大同小異な杞憂なのではないか?と問いたいのです。

   そうした行為が野鳥の生活環境を微小に変化させ、その変化がバタフライエフェクト的に
   ドミノ倒しの 影響を及ぼし、最終的に野鳥はおろか、人間様の生活環境にまで
   悪影響を及ぼす可能性は、ゼロと 断言することが出来ません。

 で、この後に、科学を思い込みで判断すると間違いに辿り着く例を挙げ ( 人工甘味料否定 )、

 「 邪道のバードウォッチングを否定されるなら科学的根拠を寄越せ 」

 と求めたのです。

 その後は、御自身も覚えておられると思いますが、「科学的に」 という要求に対して 「常識ガー」 と か 「常識に科学的根拠なんてフヨウ」 とか言って煙に撒こうとされて今に至っております。

 前の議題をすり替えたのではありません。

 前の議題を強制終了して、「 じゃあ、もう何も問題はないんだね 」 という大団円に持ち込もうとしてい るのに、スマホで囀りを鳴らすとか餌で誘き寄せるとかそういう第三者から見て、取るに足らない行為 を禁忌にしようとされたので、次の議題が立ちあがったのです。

 「 邪道を批難できるほど王道は立派なのか?」

 「目糞鼻糞なんじゃねーのか?」

 と。

 それだけの話です。



 新たな設題を投げかけるのであれば前述の通り、
 自らも認めた 「(元々そこに有る恐怖なんだから)何の問題も無い」 という前言を
 覆すに足る根拠を示した上でなければばなりません。
 それは例えば 「元々そこに有る恐怖だからこそ問題が有る」 という根拠でなくてはなりません。

 つまりこの理論の根幹である 「元々そこに有る恐怖だから」 という根拠を崩さねばならないのです。
 それをせず「『元々そこに有る恐怖』なんかじゃねーよ。」というのは
 前言を覆すに足る根拠でも何でもありません。

 

 元々其処に在る恐怖であっても、捕食者だけから受ける恐怖と捕食者プラス観測者(=バードウォッ チャー)から受ける恐怖では、恐怖の頻度が異なります。

 恐怖の頻度が増えれば、野生動物は生活時間を奪われる事になります。

 したがって、猛禽類や狩人のような捕食者しか居ない環境と、其処へ更に観測者と云う余計な恐怖 対象が加わった環境を同一視することはできません。



 なお、「餌付けやスマホで囀りを流す行為」 は以前からコメントしている通り
 ( 元々そこに有る恐怖であるかどうかに関わらず ) 単に他人の迷惑です ( 後述します )。
 因みに 「バードウォッチャーが善い奴」 であっても、合法的な狩猟に何の問題も無いとしたら
 「鳥を人に狩られ易くする行為」 にも何の問題も無いという事はもうだいぶ前に論じた通りであり
 圭坊氏も反駁されていません。

 

 ですから、大局的な物の見方をするなら、法で禁止されていない行為をする限りに於いて、法的な問 題など生じ様が御座いません。

 解禁期間内に特定の場所ならば狩猟して喰う事も許され、狩猟鳥のリストに在る物に関しては飼うこ とも可能。 なのに、バードウォッチング如きが咎められる道理はありません。

 ですが。 だからこそ。

 自分の気に入らないという極めて低次元な理由で、他人の行動を制限しようと考えるのは止めるべき でしょう。

 そういう狭量な人物の行為に対しては、重箱の隅を穿り返して難癖を付ける様なイチャモンが纏わり 付くのも致し方のないことです。



 > 鳥にとっては迷惑な行為に及んでおきながら、一般人から見て大差ない行為 しかしていない
 > “邪道のバードウォッチャー”を殊更に悪く言うのは止めましょう ・・・ と申し上げているのです。
 > 野鳥の目から見てバードウォッチャーという存在は人間界のストーカーやパパラッチと
 > 何も変わりません。
 > 何としてでも 「自分は微塵も悪くない」 という風に話を持って行こうとするから、
 > オイラは、「何言ってんだ、コイツ」と反発しているのです。
 <中略>
 > 人が生まれながらにして持っている原罪に比べたら
 > バードウォッチングなんて罪は微罪にすぎないというフォローをしているんです。
 > “王道のバードウォッチング”と“邪道のバードウォッチング”の違 いは、
 > “味噌”と“糞”ではありません。 “白味噌”と“赤味噌”、もしくは、“目糞”と“鼻糞”です。

 これまでの我々の激論を整理しましょう
 ( 「非常識なレベルで餌付けしたりスマホで囀りを流す人」 を
  「邪道のバードウォッチング」 と置き換えます )。

 @ 「王道のバードウォッチング」も「邪道のバードウォッチング」も
   野鳥から見れば 「ハンターである原始人と同じ事をしているだけ」 であり
   (野鳥から見て) 何の問題も無い。

 A 上記にかかわらず 「邪道のバードウォッチング」 をしている人は
   非常識な人の事であり少なくとも 「王道のバードウォッチング」 をしている人にとって
   迷惑である。

 細かい部分で互いに言い分は有るでしょうが、
 これまでの激論で概ね上記の事実が確認出来ました。
 勝手に 「何としてでも 『自分は微塵も悪くない』 という風に話を持って行こうと」 している訳では
 なくこれまでの激論の結果こういう内容に落ち着いたのではありませんか。
 これら(@とA)と相違する圭坊氏の今回コメントはこれまでの激論をないがしろにしており
 反駁が成立していません。

 

 まず、@。

 貴殿の事だから 「 また新説ガー 」 って火病られるのでしょうけれども、実は以前にも

   たとえば、エゲレスの王室を追い回すパパラッチが5人居て、
   そこに6人目のパパラッチが加わった らとしたら、
   それは 「元々そこに有るパパラッチ」 でしょうか? 違いますよね。
   新たに加わったパパ ラッチですね。

 と触れたことがあるように、数が増えるという問題は厳に存在します。

 バードウォッチャーという観測者の存在は、( 鳥にしてみれば ) 捕食者や猟師のような 『本当に警戒 しなければならない敵』 と区別できない 『敵もどき』 であり、そういう存在が加わる事に因って多大なス トレスを受けるハズです。

 したがって、何も問題は無いというのは、あくまで、喰ったり防寒着の材料として羽根を毟って殺したり することさえも問題ではないのだから、バードウォッチング如きは問題にならない、であってバードウォ ッチングという行為に如何なる些細な問題も生じてはいない、という意味ではありません。



 「“邪道のバードウォッチャー” を殊更に悪く言うのは止めましょう」と言われますが
 これまでの激論(上記A)の通り野鳥と無関係に
 「(少なくとも「王道のバードウォッチング」をしている人にとって)迷惑である」から
 「悪く言う」のであってバードウォッチングが
 「鳥にとっては迷惑な行為」「一般人から見て大差ない」「目糞鼻糞」
 なのは百も承知です(後述します)。
 従って「少なくとも『王道のバードウォッチング』をしている人にとって迷惑である」という事(上記A)
 に対する反駁が成立していません。

 

 「 俺が迷惑だと言ってるから迷惑なんだ 」

 にどう反駁するんですか。

 あくまで個人の感想じゃないですか。

 そういう話で終わりなら、それはそれで結構です。



 「ストーカーやパパラッチ」 は前回コメントに何らマトモに反駁されないまま
 同じコメントを繰り返されています。

 

 いやいやいや、法律を抜きにすれば、ストーカーやパパラッチは個人に対する迷惑行為であり、バー ドウォッチングは野鳥に対する迷惑行為であるというだけの話を貴殿が御理解して下さらないので 「 大切な事なので二回言いました 」 状態になってしまっただけです。

 「 いや、バードウォッチングは、ストーカーやパパラッチとは違う 」 と仰られるなら、どのような点が違 うのか具体的に御指摘下さいませ。

 なお、ストーカーは、感情の高ぶった犯行者から暴行を受けたり強姦されたりする可能性を秘めてい ますが、ストーキング自体は物理的な被害を与えてはいません。 パパラッチにしても、不倫現場や恋 愛の縺れからの修羅場だの泥酔して狼藉を働いただの、そういう劇的瞬間を写真に撮られてしまう迄 は、周囲に集る蠅のような存在であり、物理的な被害は生じておりません。

 したがって、ストーカー行為やパパラッチ行為というのは、それを取り締まる特別な法律や迷惑行為 禁止条例などの法的な制約で抑止できない場合には、単なる迷惑行為でしかありません。

 それは、鳥類に十分な知能があった際に、バードウォッチャーに対して感じるであろう嫌悪感と何も変 わらないだろうと思われます。



 「ストーカーやパパラッチ」 であっても 「何の問題も無い」 という事(上記@)に対する
 反駁が成立していません。

 

 おおらかな心で大局的に見れば何の問題もありませんが、スマホで囀りを鳴らすのが許せないだ の、餌で誘き寄せるのが許せないだのという狭量な心で見るならば、バードウォッチャーの存在は野鳥 にとって大変迷惑な存在であるという点を見逃すワケにはいかなくなります。



 「人が生まれながらにして持っている原罪」 という旗は降ろしたんではないですか?
 また都合良く復活ですな。

 

 ( ゚д゚)は?

 旗を降ろした? 誰が? オイラですか? とーんでもございません。

 森林を薙ぎ払い、河川を埋め、鳥獣の棲家と生活空間を奪い、人類の終焉まで到底持たないペース で資源を無駄遣いし続ける人類。 その人類に生まれ、生まれた時から文明の恩恵を甘受して、今後 も死ぬまで自然と資源を搾取し続ける ・・・ これが『(先進諸国の) 人が生まれながらにして持っている 原罪』でなくて何だと仰られるのでしょうか?

 もちろん、貴殿が 「 私はそんなことを罪だとは微塵も思わない 」 のであればそれはそれで構いませ ん。

 2ちゃんねるで一時期に流行ったアスキーアート、「 お前がそう思うならそうなんだろう、お前の中で はな 」 ということです。

     /: : : : : __: :/: : ::/: : ://: : :/l::|: : :i: :l: : :ヽ: : :丶: : 丶ヾ    ___
     /;,, : : : //::/: : 7l,;:≠-::/: : / .l::|: : :l: :|;,,;!: : :!l: : :i: : : :|: : ::、  /     ヽ
    /ヽヽ: ://: :!:,X~::|: /;,,;,/: :/  リ!: ::/ノ  l`ヽl !: : |: : : :l: :l: リ / そ そ お \
   /: : ヽヾ/: : l/::l |/|||llllヾ,、  / |: :/ , -==、 l\:::|: : : :|i: | /   う う  前  |
.   /: : : //ヾ ; :|!: イ、||ll|||||::||    ノノ  イ|||||||ヾ、 |: ::|!: : イ: ::|/   な 思 が
   /: : ://: : :ヽソ::ヽl |{ i||ll"ン    ´   i| l|||l"l `|: /|: : /'!/l     ん う
 ∠: : : ~: : : : : : : :丶ゝ-―-      ,  ー=z_ソ   |/ ハメ;, :: ::|.   だ ん
   i|::ハ: : : : : : : : : : : 、ヘヘヘヘ     、  ヘヘヘヘヘ /: : : : : \,|.   ろ な
   |!l |: : : : : : : : :、: ::\    、-―-,      / : : :丶;,,;,:ミヽ   う  ら
     丶: :ハ、lヽ: :ヽ: : ::\__  `~ "      /: : ト; lヽ)   ゝ
       レ `| `、l`、>=ニ´        ,  _´ : :} `   /
         ,,、r"^~´"''''"t-`r、 _  -、 ´ヽノ \ノ   /    お ・
       ,;'~  _r-- 、__     ~f、_>'、_         |  で  前 ・
      f~  ,;"     ~"t___    ミ、 ^'t         |  は  ん ・
      ,"  ,~         ヾ~'-、__ ミ_ξ丶     |  な  中 ・
     ;'  ,イ ..          ヽ_   ヾ、0ヽ丶    l         /
     ( ;":: |: :: ..          .`,   ヾ 丶 !    \____/
     ;;;; :: 入:: :: ::      l`ー-、   )l   ヾ 丶
     "~、ソ:: :い:: :     \_  ノ ,    ヾ 丶



 「バードウォッチングなんて罪は微罪にすぎない」などというフォローなんか要りませんよ。
 「微罪にすぎない」どころかそんな罪は存在さえしない(上記@)というのが現時点での結論です。

 

 他人の合法的な行為を許さない狭量な心を持つ者は、やはり他人から狭量な物の見方をされなくて はならないとオイラは考えます ( 貴殿に於かれましては、オイラのこの考え方は間違って見えるのかも 知れませんが )。 そう考えると、たかがスマホで囀りを鳴らすだの餌で誘き寄せるだのという些細な 行為に眉を顰めるような狭量なバードウォッチャーに対しては、

 「 バードウォッチングは元々野生に存在していた恐怖にプラスされた余計な恐怖であるのだから、
  野鳥にしてみればトンだ迷惑行為である 」

 という烙印を捺さざるを得ません。



 「存在自体が悪」 であろうがなかろうが人間が地上に存在する限り
 野鳥は人間に恐怖し迷惑するという関係に何の違いも無いからです。

 

 なんか面倒臭くなってきたので、上からコピペ。

 - - ちょっち上からのコピペ此処から - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

 もちろん、鳥にとって捕食者も観察者も同じであるという点に異論はありません。

 しかし、現実問題として、バードウォッチャーは捕食者ではありません。

 そして、捕食者でないが故に、何度も野鳥に恐怖を与え得ることが鳥にとって問題となります。

 捕食者は腹が満たされれば、新たな餌に興味を持ちません。

 ですから、誰かが襲われて犠牲になれば、しばらくの間、その捕食者の周囲は安全地帯になります。  腹の膨れた捕食者は獲物を目で追うこともしません。 弱肉強食の日々の中に訪れる安寧の時間 は、そうやって作り出され、その短い時間の中で弱者はセックスして子を産み育てて眠るのです。

 しかし、捕食者で無い観察者は、飽きてとか疲れてとか日が暮れてとか、そういう状況になるまで 延々と野鳥の姿を追い求めます。 弱肉強食の日々の中に訪れる安寧の時間を観察者が奪うので す。

 これに問題が無いか?と問われるなら、「 全く問題は無い 」 と断言するのは無理があるように
思います。

 しかし、前述した通り、人間は鳥類よりも高位の存在で、人の法は下位の存在に対する生殺与奪権 を認め、狩ろうが喰おうが飼おうが自在です。 したがって、鳥に恐怖を与える如きが罪に問われる道 理がありません。

 ですから、余計な恐怖を味わう事で野鳥の頭がストレスで禿げようが、セックスする時間が無くて個体 数を減らそうが、知ったこっちゃありません。

 でも、だからこそ。

 そこまで許すなら、スマホで囀りを鳴らすとか餌で誘き寄せるとか、そういうのも許されて然るべきで す。

 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - ちょっち上からのコピペ此処まで - -

 つまり、

   野鳥は人間に恐怖し迷惑するという関係に何の違いも無い

 のであっても、バードウォッチャーという招かざる客が加わる事に因って、野鳥が被る恐怖は増えて、 彼らの生活時間が削られてしまいます。

 そもそも、狩猟に解禁期間が存在して、いつでも好きな時に狩って良いのではない理由は、解禁期間 以外に狩猟鳥を狩ることが、狩猟解禁期間に狩るのとは意味が違ってくるからではないのでしょうか?

 セクロスとか産卵とか子育てでひがな一日餌を運び続けるとか、そういう時期に狩りを行ってしまう と、死ぬのが撃たれた個体だけではなくて、雛鳥の餓死という形で子孫にも及んでしまうから特定の期 間以外は禁止されているのではありませんか?

 でも、バードウォッチングに禁止期間はありませんよね。

 ということは、本来ならば狩猟禁止期間は、人間に狩られるいうリスクは存在せず、人間以外の食物 連鎖の上位にいる捕食者だけが恐怖の対象であったはず。 だからこそ、野鳥は安心して ( とはい え、野生の捕食者と云うリスクは尚も存在していますが ) セクロスして産卵して子育てすることが出来 ているのです。

 もちろん、太古の時代に於いては、法で定められた禁猟期間なんて物は存在しませんでしたから、年 がら年じゅう、食物連鎖の上位にいる捕食者に襲われるリスク+人間に狩られるリスクだったことでし ょう。

 しかし、その頃は人間の数もホンの僅か ( なにせ天変地異で絶滅危惧種になる程度に少ない )でし たし、その頃に バードウォッチング などという高尚な趣味なんぞ存在しませんでしたから、野鳥は、野 生の捕食者と云うリスク+狩人に襲われるリスクの中で、セクロスして産卵して子育て出来ていたのだ と思われます。

 このように想いを馳せれば、必ずしもバードウォッチングは

   野鳥は人間に恐怖し迷惑するという関係に何の違いも無い

 のだから完全無欠に無罪だとは言い切れない様に思われます。

 いえ、もちろん、法的な問題は何も存在しません。

 巣の近くにバードウォッチャーが居る所為で、親鳥が雛に餌を与えることが出来ず、ひっきりなしに入 れ替わり立ち代わりするバードウォッチャーの影響で雛鳥が飢え死にするとしても、人の法的には何の 問題もありません。

 ただ、人としてそういう可能性についてどう捉えるか?という話です。



 > 「人間は鳥獣よりも上位の存在なのだから、脅かそうが追い回そうとも人間の勝手である 」
 > という理論を振り回すのであれば、オイラも其れに相乗りさせて頂くことにしよう。
 > 人間は鳥獣よりも上位の存在なのだから、捕まえてペットとして飼おうとも人間の勝手である
 > 人間は鳥獣よりも上位の存在なのだから、スマホや餌で誘き寄せようとも人間の勝手である

 またまた一面からしか物事を見ずに早合点してしまう圭坊氏の悪い癖ですね。
 人間は鳥獣よりも上位の存在なのだとしても鳥籠から受ける苦痛は自然界とは無関係。

 

 自然界に有ろうが / 無かろうが、人工で無かろうが / 有ろうが、苦痛は苦痛です。

 温泉で受ける放射線被曝や放射性花崗岩などによるバックグラウンド被曝は、天然の被曝だから健 康に良いというサヨクのトンデモ理屈じゃあるまいし、自然だから良くて人工だから悪いと云う発想は狂 っている様にしか見えないので止めましょう。

 自然なら良いというのであれば、葦等の植物が絡んで恰も籠状になった空間に、野鳥が嵌り込んで、 脱出不可能になったとしても、それは自然だからOKということになりますよ。

 そりゃあ、農薬や食品添加物を忌避する自然教の信者にしてみれば、そう見えるのかもしれません が、当の野鳥にしてみれば、葦等の植物が絡んで恰も籠状になった空間に嵌り込んで、餌が獲れずに 飢え死にするくらいなら、人工の鳥籠に捕らえられて衣食住と安全が保証される方が余程マシでしょ う。

 ・・・ とはいえ、当の野鳥は知能が低いので、そういう判断は期待できないんですけどね。



 バードウォッチャーから受ける苦痛は元々自然界に有ったものです。

 

 はい、もう一度。

 - - 直上からのコピペ此処から - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

 もちろん、鳥にとって捕食者も観察者も同じであるという点に異論はありません。

 しかし、現実問題として、バードウォッチャーは捕食者ではありません。

 そして、捕食者でないが故に、何度も野鳥に恐怖を与え得ることが鳥にとって問題となります。

 捕食者は腹が満たされれば、新たな餌に興味を持ちません。

 ですから、誰かが襲われて犠牲になれば、しばらくの間、その捕食者の周囲は安全地帯になります。  腹の膨れた捕食者は獲物を目で追うこともしません。 弱肉強食の日々の中に訪れる安寧の時間 は、そうやって作り出され、その短い時間の中で弱者はセックスして子を産み育てて眠るのです。

 しかし、捕食者で無い観察者は、飽きてとか疲れてとか日が暮れてとか、そういう状況になるまで 延々と野鳥の姿を追い求めます。 弱肉強食の日々の中に訪れる安寧の時間を観察者が奪うので す。

 これに問題が無いか?と問われるなら、「 全く問題は無い 」 と断言するのは無理があるように
思います。

 しかし、前述した通り、人間は鳥類よりも高位の存在で、人の法は下位の存在に対する生殺与奪権 を認め、狩ろうが喰おうが飼おうが自在です。 したがって、鳥に恐怖を与える如きが罪に問われる道 理がありません。

 ですから、余計な恐怖を味わう事で野鳥の頭がストレスで禿げようが、セックスする時間が無くて個体 数を減らそうが、知ったこっちゃありません。

 でも、だからこそ。

 そこまで許すなら、スマホで囀りを鳴らすとか餌で誘き寄せるとか、そういうのも許されて然るべきで す。

 つまり、

   野鳥は人間に恐怖し迷惑するという関係に何の違いも無い

 のであっても、バードウォッチャーという招かざる客が加わる事に因って、野鳥が被る恐怖は増えて、 彼らの生活時間が削られてしまいます。

 そもそも、狩猟に解禁期間が存在して、いつでも好きな時に狩って良いのではない理由は、解禁期間 以外に狩猟鳥を狩ることが、狩猟解禁期間に狩るのとは意味が違ってくるからではないのでしょうか?

 セクロスとか産卵とか子育てでひがな一日餌を運び続けるとか、そういう時期に狩りを行ってしまう と、死ぬのが撃たれた個体だけではなくて、雛鳥の餓死という形で子孫にも及んでしまうから特定の期 間以外は禁止されているのではありませんか?

 でも、バードウォッチングに禁止期間はありませんよね。

 ということは、本来ならば狩猟禁止期間は、人間に狩られるいうリスクは存在せず、人間以外の食物 連鎖の上位にいる捕食者だけが恐怖の対象であったはず。 だからこそ、野鳥は安心して ( とはい え、野生の捕食者と云うリスクは尚も存在していますが ) セクロスして産卵して子育てすることが出来 ているのです。

 もちろん、太古の時代に於いては、法で定められた禁猟期間なんて物は存在しませんでしたから、年 がら年じゅう、食物連鎖の上位にいる捕食者に襲われるリスク+人間に狩られるリスクだったことでし ょう。

 しかし、その頃は人間の数もホンの僅か ( なにせ天変地異で絶滅危惧種になる程度に少ない )でし たし、その頃に バードウォッチング などという高尚な趣味なんぞ存在しませんでしたから、野鳥は、野 生の捕食者と云うリスク+狩人に襲われるリスクの中で、セクロスして産卵して子育て出来ていたのだ と思われます。

 このように想いを馳せれば、必ずしもバードウォッチングは

   野鳥は人間に恐怖し迷惑するという関係に何の違いも無い

 のだから完全無欠に無罪だとは言い切れない様に思われます。

 いえ、もちろん、法的な問題は何も存在しません。

 巣の近くにバードウォッチャーが居る所為で、親鳥が雛に餌を与えることが出来ず、ひっきりなしに入 れ替わり立ち代わりするバードウォッチャーの影響で雛鳥が飢え死にするとしても、人の法的には何の 問題もありません。

 ただ、人としてそういう可能性についてどう捉えるか?という話です。

 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 直上からのコピペ此処まで - -

 コピペって本当に便利ですね♪

 こんなの逐一書いていたら発狂しちゃうわ。



 しかも前回のコメントで「捕まえて」まではともかく「ペットとして飼おうとも」の部分は
 NGという激論を交わしたばかりです。

 

 それが双方の合意に至った話ですか? 違いますよね。

 オイラの意見は、あくまで 「ペットとして飼おうとも構わない」 であり、それは揺らいでおりません。



 スマホや餌で誘き寄せる行為は野鳥と言うより周囲の人間
 ( 少なくとも「王道のバードウォッチング」をしている人)が迷惑するからNGというのも
 これまで繰り返しコメントした通りです。

 

 だから法的に抑止する事が出来ない行為であり、スマホが鳴らす囀りや御馳走に誘き寄せられて野 鳥が近くへ寄って来れば、( たとえ王道のバードウォッチャーにとって不快であろうとも ) 長玉を構えて 遠方の野鳥を捉えることが出来ない観光客は喜びます。

 観光客にとって、山林を歩くことのメインは運動であって野鳥観察ではありませんが、それでも、とあ る山林へ行けば野鳥が近くに寄って来るという噂が立てば、観光客の増加が期待できます。そうなれ ば、地元の観光産業も潤うことになるのですから、これはもう、win - win の関係でしょう。



 あと、これは見逃せないのですが
 「人間は鳥獣よりも上位の存在なのだから、脅かそうが追い回そうとも人間の勝手である」
 という僕の理論は存在しません。

 「 人間は元々そこにあるハンターだから野鳥にとって迷惑だろうが恐怖だろうが
  ( 狩猟して喰うのさえ) 『それが元々』 」 という理論なら存在します。

 

 あー、ま、なんだその。

 もう一回コピペな

 - - 直上からの再コピペ此処から - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

 もちろん、鳥にとって捕食者も観察者も同じであるという点に異論はありません。

 しかし、現実問題として、バードウォッチャーは捕食者ではありません。

 そして、捕食者でないが故に、何度も野鳥に恐怖を与え得ることが鳥にとって問題となります。

 捕食者は腹が満たされれば、新たな餌に興味を持ちません。

 ですから、誰かが襲われて犠牲になれば、しばらくの間、その捕食者の周囲は安全地帯になります。  腹の膨れた捕食者は獲物を目で追うこともしません。 弱肉強食の日々の中に訪れる安寧の時間 は、そうやって作り出され、その短い時間の中で弱者はセックスして子を産み育てて眠るのです。

 しかし、捕食者で無い観察者は、飽きてとか疲れてとか日が暮れてとか、そういう状況になるまで 延々と野鳥の姿を追い求めます。 弱肉強食の日々の中に訪れる安寧の時間を観察者が奪うので す。

 これに問題が無いか?と問われるなら、「 全く問題は無い 」 と断言するのは無理があるように
思います。

 しかし、前述した通り、人間は鳥類よりも高位の存在で、人の法は下位の存在に対する生殺与奪権 を認め、狩ろうが喰おうが飼おうが自在です。 したがって、鳥に恐怖を与える如きが罪に問われる道 理がありません。

 ですから、余計な恐怖を味わう事で野鳥の頭がストレスで禿げようが、セックスする時間が無くて個体 数を減らそうが、知ったこっちゃありません。

 でも、だからこそ。

 そこまで許すなら、スマホで囀りを鳴らすとか餌で誘き寄せるとか、そういうのも許されて然るべきで す。

 つまり、

   野鳥は人間に恐怖し迷惑するという関係に何の違いも無い

 のであっても、バードウォッチャーという招かざる客が加わる事に因って、野鳥が被る恐怖は増えて、 彼らの生活時間が削られてしまいます。

 そもそも、狩猟に解禁期間が存在して、いつでも好きな時に狩って良いのではない理由は、解禁期間 以外に狩猟鳥を狩ることが、狩猟解禁期間に狩るのとは意味が違ってくるからではないのでしょうか?

 セクロスとか産卵とか子育てでひがな一日餌を運び続けるとか、そういう時期に狩りを行ってしまう と、死ぬのが撃たれた個体だけではなくて、雛鳥の餓死という形で子孫にも及んでしまうから特定の期 間以外は禁止されているのではありませんか?

 でも、バードウォッチングに禁止期間はありませんよね。

 ということは、本来ならば狩猟禁止期間は、人間に狩られるいうリスクは存在せず、人間以外の食物 連鎖の上位にいる捕食者だけが恐怖の対象であったはず。 だからこそ、野鳥は安心して ( とはい え、野生の捕食者と云うリスクは尚も存在していますが ) セクロスして産卵して子育てすることが出来 ているのです。

 もちろん、太古の時代に於いては、法で定められた禁猟期間なんて物は存在しませんでしたから、年 がら年じゅう、食物連鎖の上位にいる捕食者に襲われるリスク+人間に狩られるリスクだったことでし ょう。

 しかし、その頃は人間の数もホンの僅か ( なにせ天変地異で絶滅危惧種になる程度に少ない )でし たし、その頃に バードウォッチング などという高尚な趣味なんぞ存在しませんでしたから、野鳥は、野 生の捕食者と云うリスク+狩人に襲われるリスクの中で、セクロスして産卵して子育て出来ていたのだ と思われます。

 このように想いを馳せれば、必ずしもバードウォッチングは

   野鳥は人間に恐怖し迷惑するという関係に何の違いも無い

 のだから完全無欠に無罪だとは言い切れない様に思われます。

 いえ、もちろん、法的な問題は何も存在しません。

 巣の近くにバードウォッチャーが居る所為で、親鳥が雛に餌を与えることが出来ず、ひっきりなしに入 れ替わり立ち代わりするバードウォッチャーの影響で雛鳥が飢え死にするとしても、人の法的には何の 問題もありません。

 ただ、人としてそういう可能性についてどう捉えるか?という話です。

 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 直上からの再コピペ此処まで - -

   狩猟して喰うの

 は

   『それが元々』

 ですが、バードウォッチングは

   『それが元々』

 ではありません。



 だから 「捕まえて」 まではともかく 「ペットとして飼おうとも」 の部分はNGなのです。
 微妙な違いの様に見えて全然違いますよね。
 あるがままの自然界の食物連鎖における順位をそのままペット化に準用しているところに
 圭坊氏の根本的な誤謬が有ります。
 自然界のハンターは鳥をペットとして飼う事は有りません。

 

 鷹匠がスズメを愛玩動物として飼っている例を前のページで挙げているんですけどネw

 それ以外にもweb上でこんなのを見つけましたヨ♪

   2015年1月19日 目指せ!狩りガール
   教えて!狩猟の達人
   VOL.6-2 囮で寄せ、囮でだます──駆け引きの妙味。[京都編:2/3]
   http://kari-girl.com/tatsujin/vol-6-2/

 スズメを狩る際の囮として、生きたスズメを飼っている例です。

 他にも ( スズメ以外でも ) 狩猟鳥を誘き寄せる囮として生きた狩猟鳥を狩っているハンターは居ると 思いますねぇ。 まぁ、囮は愛玩対象ではありませんから、厳密な意味ではペットとは違いますが。



 勝手に都合良く人の理論をスリ替えてはいけませんし前回までの激論を忘れてはいけません。
 「スリ替えはイカン」 のではなかったですか?
 「反日サヨクのような手を使うのは止めましょう」 と言われたのではなかったですか?
 なお、ここでも圭坊氏の反駁が成立していないので、
 結論:[ 野鳥をとっ捕まえて、籠に入れて野鳥の姿をした別の生き物として飼う ] =NG
 すなわち「ペットとして飼う事を目的として野鳥を捕まえる事はNG」
 で宜しいですね。
 あら、今回のテーマの結論が出てしまいましたね。

 

 ( ゚д゚)は?

   [ 野鳥をとっ捕まえて、籠に入れて野鳥の姿をした別の生き物として飼う ] =NG

 は、貴殿の結論であって、オイラの結論ではありませんよ。

 オイラは、最初から今に至るまで ( そして、おそらくこの先も )

   [ 野鳥をとっ捕まえて、籠に入れて野鳥の姿をした別の生き物として飼う ] =OKOK!

 であり、一歩も譲った覚えはありません。

 まさしく、

   勝手に都合良く人の理論をスリ替えてはいけません

 ですね。

 それに、そもそも、譲らなきゃならなくなるような隙のない完璧な理論武装を貴殿から見せて頂いた記 憶も御座いません。

 「 既にペットになっている種が在るのに、わざわざ野性をペットにする理由がない 」

 という子供の我儘みたいな屁理屈武装しか拝んでおりません。

 単純な愛玩動物がペット化された時と同じ理由 ―― 単純に可愛い動物に癒されたいから飼うので す。

 ところが貴殿は、其れに対して 「 では、バードウォッチングで代用しろ 」 と仰る。

 見るだけで我慢しろ、って小中学生にオモチャを買ってやらない親の良い分そのまんまじゃありませ んか。

 先に、佐川急便社員とフェラーリの関係で述べた通り、人の所有欲を無視した理論に意味なんかあり ません。

 欲しいという欲望に「No!」を突き付ける為には相応の説得力のある“理由”が必要です。

 上で示した通り、狩猟解禁期間内に、自宅の敷地内で飛び道具以外の手段で狩猟鳥を捕まえて飼う 事に法的な制限はありません ( 正直、ちょっち意外でしたが )。

 もちろん、この事実は、今回明らかにされた物であって、前回の段階ではオイラも貴殿も知らなかっ たのですから、これを切り札にはしませんが、ありふれた狩猟鳥を飼う事を許さない法的な根拠は存在 しません。

 どうか、( 絶滅危惧種の類ではない ) ありふれた狩猟鳥を飼ってはならないという“理由”をお聞か せ下さいませ。

 既にペットと成っている種が、野生種からペットに至る過程を今現在の野鳥に与えてはいけない理由 ―― リスクの可能性があるから等と云う糞みたいな屁理屈ではなく ( 動物のリスク如きの為に、人間 の欲望が抑制されなければならないなんて不条理は受け入れられません ) 同意せざるを得なくなるよ うな説得力のある理由を ―― お聞かせください。

 ・・・ って、ああ、そういうば、今回で終わりなのでしたね。



 > 同じ場所でバードフォトグラファー同士が横一列に並ぶ程居るんでしょ?
 > そういう状態と同じ様に、原始人もまた、鳥を見る為に日本中のあちこちの山林で、
 > 群れを成していたというなら、原始人の存在を以てバードウォッチャーの弁護に使うことが
 > 出来るでしょう。

 そもそも現代人は原始人より人数が多いのだから
 当然野鳥が人間と遭遇する機会も多くなっていると思われます。
 で、そこに何の問題が?何の問題も無い事が起きる回数が増えただけではないですか。
 もしかしてこんなものが「新たな(人工的な)恐怖」なのでしょうか?

 

 はい、もう一回。

 - - 直上からの再々コピペ此処から - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

 もちろん、鳥にとって捕食者も観察者も同じであるという点に異論はありません。

 しかし、現実問題として、バードウォッチャーは捕食者ではありません。

 そして、捕食者でないが故に、何度も野鳥に恐怖を与え得ることが鳥にとって問題となります。

 捕食者は腹が満たされれば、新たな餌に興味を持ちません。

 ですから、誰かが襲われて犠牲になれば、しばらくの間、その捕食者の周囲は安全地帯になります。  腹の膨れた捕食者は獲物を目で追うこともしません。 弱肉強食の日々の中に訪れる安寧の時間 は、そうやって作り出され、その短い時間の中で弱者はセックスして子を産み育てて眠るのです。

 しかし、捕食者で無い観察者は、飽きてとか疲れてとか日が暮れてとか、そういう状況になるまで 延々と野鳥の姿を追い求めます。 弱肉強食の日々の中に訪れる安寧の時間を観察者が奪うので す。

 これに問題が無いか?と問われるなら、「 全く問題は無い 」 と断言するのは無理があるように
思います。

 しかし、前述した通り、人間は鳥類よりも高位の存在で、人の法は下位の存在に対する生殺与奪権 を認め、狩ろうが喰おうが飼おうが自在です。 したがって、鳥に恐怖を与える如きが罪に問われる道 理がありません。

 ですから、余計な恐怖を味わう事で野鳥の頭がストレスで禿げようが、セックスする時間が無くて個体 数を減らそうが、知ったこっちゃありません。

 でも、だからこそ。

 そこまで許すなら、スマホで囀りを鳴らすとか餌で誘き寄せるとか、そういうのも許されて然るべきで す。

 つまり、

   野鳥は人間に恐怖し迷惑するという関係に何の違いも無い

 のであっても、バードウォッチャーという招かざる客が加わる事に因って、野鳥が被る恐怖は増えて、 彼らの生活時間が削られてしまいます。

 そもそも、狩猟に解禁期間が存在して、いつでも好きな時に狩って良いのではない理由は、解禁期間 以外に狩猟鳥を狩ることが、狩猟解禁期間に狩るのとは意味が違ってくるからではないのでしょうか?

 セクロスとか産卵とか子育てでひがな一日餌を運び続けるとか、そういう時期に狩りを行ってしまう と、死ぬのが撃たれた個体だけではなくて、雛鳥の餓死という形で子孫にも及んでしまうから特定の期 間以外は禁止されているのではありませんか?

 でも、バードウォッチングに禁止期間はありませんよね。

 ということは、本来ならば狩猟禁止期間は、人間に狩られるいうリスクは存在せず、人間以外の食物 連鎖の上位にいる捕食者だけが恐怖の対象であったはず。 だからこそ、野鳥は安心して ( とはい え、野生の捕食者と云うリスクは尚も存在していますが ) セクロスして産卵して子育てすることが出来 ているのです。

 もちろん、太古の時代に於いては、法で定められた禁猟期間なんて物は存在しませんでしたから、年 がら年じゅう、食物連鎖の上位にいる捕食者に襲われるリスク+人間に狩られるリスクだったことでし ょう。

 しかし、その頃は人間の数もホンの僅か ( なにせ天変地異で絶滅危惧種になる程度に少ない )でし たし、その頃に バードウォッチング などという高尚な趣味なんぞ存在しませんでしたから、野鳥は、野 生の捕食者と云うリスク+狩人に襲われるリスクの中で、セクロスして産卵して子育て出来ていたのだ と思われます。

 このように想いを馳せれば、必ずしもバードウォッチングは

   野鳥は人間に恐怖し迷惑するという関係に何の違いも無い

 のだから完全無欠に無罪だとは言い切れない様に思われます。

 いえ、もちろん、法的な問題は何も存在しません。

 巣の近くにバードウォッチャーが居る所為で、親鳥が雛に餌を与えることが出来ず、ひっきりなしに入 れ替わり立ち代わりするバードウォッチャーの影響で雛鳥が飢え死にするとしても、人の法的には何の 問題もありません。

 ただ、人としてそういう可能性についてどう捉えるか?という話です。

 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 直上からの再々コピペ此処まで - -

   狩猟して喰うの

 は

   『それが元々』

 ですが、バードウォッチングは

   『それが元々』

 ではありません。



 おっと、「新たな(人工的な)恐怖」 の説明をして頂く前に、前述の通り 「問題は無い」 という
 前言を覆すに足る根拠を示した上でそれまでの主張と合わせて取り下げて下さいね。

 

 - - ちょっち上からのコピペ此処から - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

 前の議題をすり替えたのではありません。

 前の議題を強制終了して、「 じゃあ、もう何も問題はないんだね 」 という大団円に持ち込もうとしてい るのに、スマホで囀りを鳴らすとか餌で誘き寄せるとかそういう第三者から見て、取るに足らない行為 を禁忌にしようとされたので、次の議題が立ちあがったのです。

 「 邪道を批難できるほど王道は立派なのか?」

 「目糞鼻糞なんじゃねーのか?」

 と。

 それだけの話です。

 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - ちょっち上からのコピペ此処まで - -



 > そういう個体を見たというだけではエビデンスになりません。
 <中略>
 > そのオオルリも病気に罹っているのではありませんか?

 そうですね。変な餌を食べさせられた結果食中毒を起こしている可能性も有りますね。

 

 なんで食中毒で腹が膨らむんだよ。

 食中毒を起こしたら、毒素を一刻も早く体外へ排出する為に酷い下痢を起こすだろ。

 食中毒なら痩せなきゃおかしいじゃん。



 それはさて置き圭坊氏が科学的根拠を要求されたから
 止むを得ず主張の根拠となるオリジナル画像を目撃証言
 ( もし裁判なら重要な証拠になり得る ) を添えて紹介したまでです。

 

 食料が食べ放題である状況下で、しかも飛翔能力を有する鳥にとって最もカロリーを消費する行為を 制限されている鳥 = ペットとして飼われている鳥が肥満体にならないことから、飛ぶ為に特化してい る ―― つまり、重量物を体に貯め込み難い身体構造に成っている ―― 飛ぶ鳥は安易に太ることは 起こり得ないと考えるのが理に適っています。

 また、以前にオイラが示した通り、たかだか邪道のバードウォッチャーが連日持ち込む小さなタッパ に詰めたワーム如きで、( その邪道のバードウォッチャーが居ない時間帯や来ない日は、自力で餌を 捕らなければならないのに ) 野鳥が餌撒きで太るということは、ロジック的に考え難いことです。

 したがって、実際に太っている鳥 ( 飛翔能力を持つ鳥 ) の存在を以て否定する為の証拠とするため には、そういう例が普遍的である事を示さなくてはなりません。

 此処は個人同士の言い合いの場ですから、そこまでの下衆の勘繰りはしませんが、もし裁判でこん な一羽の写真だけで反論の根拠にしようとしたら、それこそ

 「 異議あり!
  この画像の鳥が特別なクスリを配合した餌で無理矢理肥えさせられていたり、
  あるいは、画像を加工たりしている可能性があるので、証拠として採用はできません 」

 と言われるでしょうね。



 少なくとも何も根拠無く主張している訳ではありませんし
 鳥類とかけ離れた魚類の例 ( しかもネットから拾って来ただけの伝聞によるエビデンス ) より
 少しはマシな根拠です。

 

 ネットから拾ったからエビデンスが低い ・・・ 正気ですか?

 別に金魚でなくても腹が膨らむ病気に罹れば、腹が膨らみます。

 それこそ酷い便秘をすれだけで、人間のお腹は膨らみます。

   2004年09月11日 教えて!goo
   おなかが膨れてパンパンに張ってるんです・・・
   http://oshiete.goo.ne.jp/qa/997792.html

   2014年03月21日 YAHOO!知恵袋
   便秘でお腹の膨らみが凄いです…。
   http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14125188229

 便秘だけではありません。

 女性では、卵巣嚢腫や卵巣癌,子宮癌,子宮筋腫,子宮内膜症などでお腹が膨らむ症状が現れま す。

 男女問わずでは、肝硬変,大腸癌,腸下垂などでお腹が膨らむ症状が現れます。

 ですから、人間と違って、中年太りした野生種の鳥やペットの鳥がそうそう見られないにもかかわら ず、お腹が出ている野鳥の画像を見て 「 これは邪道のバードウォッチャーが撒いた餌を食い過ぎて太 ったに違いない 」 と考えるのは、変なフィルターが掛かった人だけです。

 そう、貴殿の様な、ね。



 病気に罹っているかどうか解剖でもしなければ確認出来ないのは百も承知です。
 圭坊氏は動物実験でもしなければ入手不可能な
 高レベルの科学的根拠を要求されているのです。
 しかしこの激論をした結果前回あの画像を公開する事になった訳で、その意味では
 誰かが問題を認識してくれたかも知れないので無駄ではなかったのだと納得しています。

 

 そもそも当方の主張は、鳥類は飛ぶ為に特化した進化を遂げており、また、飛ぶこと自体が異常な までにエネルギーを消費する為に非常に太り難い、に主軸を置いている。 実際に、餌が食い放題で、 飛ぶ機会に恵まれない籠の鳥 ―― 文鳥や十姉妹など ―― でも人間の中年太りのような体型に成る 個体はほぼ存在しない。

 したがって、人間の中年太りのような体型に成った個体が目撃された場合は、食い過ぎで太ったとい う推測よりも病気で体型が変わったと推測するのが妥当である。

 また、鳥類と魚類では身体の構造が大きく異なるが、それでも金魚に多く餌を与えたからと云って太 ってしまうという例は寡聞にして知らない。 ガキンチョが幼稚園児や小学校低学年の頃は、夏祭りの 金魚掬いで持って帰ってくるモノだから、何度も飼わされた ( しかも、水槽の掃除という一番面倒臭い 仕事がオイラの分担という理不尽 ) が、餌をやり過ぎて太った事は一度もない。
 金魚の場合は、餌を多くやれば早く大きくなって早く死ぬ ・・・ 基本的にそれだけだった。

 そしてネットで調べれば、案の定、人間の中年太りのような体型に成った金魚は病気であるという情 報が得られた。 だから反駁として掲載した。

 何が気に入らぬのか分からないが、一応、ロジックの基本は踏んだつもりだぞ。



 > 一般ピープルから見て何のマナー違反なのか分からないような、スマホで囀りを流すとか、
 > その場限りの餌付け等に、いちいち苦言なんか呈さなければ良い。
 > なんだ。ゴマメの歯軋りかよw
 > 所詮マナー違反はマナー違反。制止する権限なんか誰にも無い。

 また 「0か100か」 ですか。
 (注意喚起を) 「やるならやる。やらないならやらない。」 というのは
 圭坊氏の生き方なのかも知れませんが僕は中間が有ってもいいという考えなので
 「やりたい時はやるし、やりたくない時はやらない」 ただそれだけです。
 圭坊氏が朝夕のラッシュ時に電車待ちの列に並んでいる所へ
 ゾロゾロと非常識な連中が割り込んで来て(※)圭坊氏が積み残しになってしまったとします。
 そういう事が繰り返されて終電に乗れずとうとう帰宅出来なかったとしても
 何ら文句を言わないのでしょうか?
 それとも駅の端から見張っていてそういう人を見掛けたら
 片っ端から注意喚起して回るのでしょうか?
 もしそうだとしても自分の生き方を他人に押し付けてはいけません。
 出来る事なら小学生でもわきまえている様な常識をいちいち言いたくはありませんよ。
 面倒くさい。
 ただ余りにも目に余る行為を目にした時は文句を言う資格くらいは有るでしょうし、
 Web上でマナー向上を呼び掛けてもとやかく言われるほどの事は無いでしょう。

 

 異議あり!と云うか待った!と云うか。

 その手のマナー違反に関しては、他でもないオイラがやらかしているんでね。

 なんせ、最寄駅が終点のホン手前なんでね。

 web上じゃ悪逆卑劣厚顔無恥の極みみたいに言われている“折り返し乗車”をしています。

 マナー違反の際たる物だと思いますが、実はコレ、合法です。

 通勤定期の場合、( 経理課に領収書を提示しなければならない厳しい会社を除いて普通は ) 不足 分を自腹で叩いて、終着駅から目的地までの区間の定期券を買ってしまえば、鉄道事業法上も鉄道営 業法上も折り返し乗車を規制していません。 最寄駅から目的地までの通勤定期で折り返し乗車をす ればキセルになりますが、ちゃんと乗る区間全体の定期券を持っていたら、法的に文句を言われる筋 合いはないんですw

 ( ちなみに、マナー的には弩級のアウトなので、例えば阪急烏丸駅などでは、乗車位置よりも
  一旦手前で電車が停止して、乗客を全員下ろしてから正規の乗車位置に移動して、待っている
  客を乗せるという荒業で“折り返し乗車”を拒否しています。

  ちなみ、この場合の法的な根拠は、
  鉄道の運営上、車掌の権限を大きなものにしてある → だから車掌の言うコトには従え、
  という割と無茶なモノです。

    鉄道営業法
    第42条

    左の場合に於て鉄道係員は旅客及公衆を車外又は鉄道地外に退去せしむることを得
    (1) 有効の乗車券を所持せす又は検査を拒み運賃の支払を肯せさるとき
    (2) 第33条第3号の罪を犯し鉄道係員の制止を肯せさるとき又は第34条の罪を犯したるとき
    (3) 第35条、第37条の罪を犯したるとき
    (4) 其の他車内に於ける秩序を紊るの所為ありたるとき )

 オイラ自身がこういう『悪いコト』 をやっとりますんで、横から割り込まれて積み残されても笑って済ま すしかないわいなw



 なお、「一般ピープルから見て何のマナー違反なのか分からない」 とのご指摘については
 後述します。

 (※) 大阪以外の読者の人は 「大阪の人は電車待ちの時に並ばない」 という
     マスコミ情報を鵜呑みにしている人も居られるかも知れないので補足しておきます。
     決してそんな事は有りません。
     どこの出身者か分からない一部の非常識な人を除き
     僕が知る限りきちんと列になって並んでいます。

 
 いやいやいや。

 首都圏の電車待ちの行列は、ナチス軍でも斯くや有らんと思うレベルで、アレを基準にされたら、関 西人の電車待ちの行列は無法地帯に見えても仕方がないと思いますよ。

 関西は、待ち列はグチャグチャで、乗るのはムッチャクチャに詰め込みますからね。

 もう三十年ばかし前に、名古屋の某特殊鋼メーカーにコネ入社した際、格好ばかりの面接を受ける 為に東京の地下鉄に乗った時の話なんですけどね。 大阪だと本当に物理的に乗車が不可能になる まで乗り続けますけど、東京は ( 関西の感覚で ) 一つのドアあたり余裕で後5人は乗るだろうという時 点で、もう誰も乗らなくなるんですよ。 関西人から見ると 「 なんでやねん。 まだまだ乗れるやんけ、も っと奥、詰めろや 」 って感じなんですけどね。 諦めが良いのか、恰好を付けているのか、無理に乗ろ うとしないんですよ。 関東一帯で四千万人も人が住んでいるのに、あんな格好付けマナーで、交通機 関がよく回るよな、と不思議に思いますよ。

 まぁ、三十年も前の話なので、今は昔と違って、東京も大阪と大差のない待ち列グチャグチャ&ムッ チャクチャ詰め込みに劣化しているのかも知れませんが。



 > 野鳥に知恵があって、人に付き纏われる事を嫌だと感じているなら、
 > ( 人間から見てどうであるか、ではなくて、野鳥の目から見てバードウォッチャーという存在は)
 > 人間界のストーカーやパパラッチと何も変わりません。

 僕が
 「人間界のストーカーやパパラッチを野鳥ファンみたいなものだと言っているに等しいです」
 と言った事に対する反駁になっておりません。
 つまり人間界のストーカー被害者に向かって
 「ストーカーなんて野鳥ファンみたいなものだ」
 などと言えばどんな反応が返って来ると思いますか?と問うているのです。

 
 そもそもパパラッチはともかく、ストーカーは法に抵触する犯罪行為です。

 したがって、此処で話し合っている内容を前提にした仮定を一切抜きにして、単純に

 「 ストーカー行為はバードウォッチングと同じか否か? 」

 と無辜の第三者に問えば、そりゃあ予想される返答は、

 「 ストーカーとバードウォッチングは違う 」

 になるでしょう。 至極あたりまえの話です。

 しかし、ストーカー行為は、被付き纏わられる側に対して物理的な接触 ( 手紙やプレゼントの送付か ら、実際に腕を掴んだり抱き寄せたりする、あるいは、それ以上 ) に至らない限りは、周囲をうろちょ ろするだけであり、付き纏わられる側にトラウマになるような記憶が無ければ、鬱陶しい存在でしかあり ません。

 もちろん、ストーキングされるに至るまでの経過に於いて、付き纏われる側に思い出したくもないおぞ ましい体験があれば、ストーキング行為は、( たとえ物理的な接触に至らなくても )付き纏わられる側 にとって、紛れもない犯罪行為です。

 これを取り締まるのは、『ストーカー行為等の規制等に関する法律』 という 「 ヒトがヒトの為に作りし、 人の行動を制限する法律 」 です。

 一方で、人間に対する人権に類する権利が鳥に対しては認められておらず、絶滅危惧種の類でない ありふれた野鳥に関しては、狩猟解禁期間内に規定された場所で許可された方法で狩るのであれば、 狩って殺すことさえ許されており、人が人を殺せば問答無用で殺人罪と云う重罪犯になるのとは余りに 扱いが異なります。

 もし、人間に対する人権に類する権利が鳥に対して認められていたらどうでしょう?

 野鳥にとって人間は、人が狩りを始めた太古から連綿と続く捕食者であり、その姿を見ただけで背中 に張り付いた死を覚悟させる恐ろしい存在です。 もちろん、バードウォッチャーは単なる観測者であ り、鳥を狩る者ではありませんが、鳥から見れば狩人も観測者も見分けが付きません。

 したがって、もし、人権ならぬ鳥権が認められたなら、狩猟解禁期間外に狩猟鳥に対して狩られる恐 怖を与える行為は法律で禁止されるでしょう。 そうなれば、当然の事ながら、バードウォッチングもま た、法律で禁止される行為と成り得ます。

 ・・・ という解説を無辜の第三者に対して行った上で、

 「 ストーカー行為はバードウォッチングと同じか否か? 」

 と問うたのであれば返答が、

 「 もしかしたら、ストーカーとバードウォッチングは相似しているかも知れない 」

 となる可能性は決して低くないハズです。

 何も知らない無辜の第三者に対して、犯罪行為と犯罪行為以外を比較させたら、犯罪行為だけが避 難されるに違いない。 だから、犯罪で無い行為は完全無欠に何の問題もない ・・・ というのは、物事 の本質を度外視した詭弁です。

 そもそも、法に触れるから / 法に触れないから、であるならば、疾うの昔に結論は出ています。

 現行の法で裁けないのだから、スマホで囀りを流して野鳥を誘き寄せようが、餌で野鳥を誘き寄せよ うが全く無罪であると。

 それに対して貴殿が

   「 それでも、やっぱり邪道のバードウォッチングは許し難い 」

 と仰るから、

   「 んなこというなら、王道のバードウォッチングだって目糞鼻糞じゃねーか 」

 と当方が申し上げているのです。

 其れに対して、

   何も知らない第三者に問うたならば、
   犯罪行為が有責と返答され、犯罪以外の行為は無責と返答されるであろうから
   ストーカー行為は悪だが、バードウォッチングは悪ではない。

 という理屈で反駁して来るのは意味がありません。

 なぜなら、合法 / 非合法の話であれば、

   現行の法で裁けないのだから、スマホで囀りを流して野鳥を誘き寄せようが、
   餌で野鳥を誘き寄せようが全く無罪

 で終わっているからです。



 ま、野鳥の目から見てバードウォッチャーという存在が
 人間界のストーカーやパパラッチと何も変わらないとしても
 何の問題も無いというのは既に論じて来た事ですからどうでもいいんですけどね。

 

 はい、もう一度。

 - - 直上からの再々々コピペ此処から - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

 もちろん、鳥にとって捕食者も観察者も同じであるという点に異論はありません。

 しかし、現実問題として、バードウォッチャーは捕食者ではありません。

 そして、捕食者でないが故に、何度も野鳥に恐怖を与え得ることが鳥にとって問題となります。

 捕食者は腹が満たされれば、新たな餌に興味を持ちません。

 ですから、誰かが襲われて犠牲になれば、しばらくの間、その捕食者の周囲は安全地帯になります。  腹の膨れた捕食者は獲物を目で追うこともしません。 弱肉強食の日々の中に訪れる安寧の時間 は、そうやって作り出され、その短い時間の中で弱者はセックスして子を産み育てて眠るのです。

 しかし、捕食者で無い観察者は、飽きてとか疲れてとか日が暮れてとか、そういう状況になるまで 延々と野鳥の姿を追い求めます。 弱肉強食の日々の中に訪れる安寧の時間を観察者が奪うので す。

 これに問題が無いか?と問われるなら、「 全く問題は無い 」 と断言するのは無理があるように
思います。

 しかし、前述した通り、人間は鳥類よりも高位の存在で、人の法は下位の存在に対する生殺与奪権 を認め、狩ろうが喰おうが飼おうが自在です。 したがって、鳥に恐怖を与える如きが罪に問われる道 理がありません。

 ですから、余計な恐怖を味わう事で野鳥の頭がストレスで禿げようが、セックスする時間が無くて個体 数を減らそうが、知ったこっちゃありません。

 でも、だからこそ。

 そこまで許すなら、スマホで囀りを鳴らすとか餌で誘き寄せるとか、そういうのも許されて然るべきで す。

 つまり、

   野鳥は人間に恐怖し迷惑するという関係に何の違いも無い

 のであっても、バードウォッチャーという招かざる客が加わる事に因って、野鳥が被る恐怖は増えて、 彼らの生活時間が削られてしまいます。

 そもそも、狩猟に解禁期間が存在して、いつでも好きな時に狩って良いのではない理由は、解禁期間 以外に狩猟鳥を狩ることが、狩猟解禁期間に狩るのとは意味が違ってくるからではないのでしょうか?

 セクロスとか産卵とか子育てでひがな一日餌を運び続けるとか、そういう時期に狩りを行ってしまう と、死ぬのが撃たれた個体だけではなくて、雛鳥の餓死という形で子孫にも及んでしまうから特定の期 間以外は禁止されているのではありませんか?

 でも、バードウォッチングに禁止期間はありませんよね。

 ということは、本来ならば狩猟禁止期間は、人間に狩られるいうリスクは存在せず、人間以外の食物 連鎖の上位にいる捕食者だけが恐怖の対象であったはず。 だからこそ、野鳥は安心して ( とはい え、野生の捕食者と云うリスクは尚も存在していますが ) セクロスして産卵して子育てすることが出来 ているのです。

 もちろん、太古の時代に於いては、法で定められた禁猟期間なんて物は存在しませんでしたから、年 がら年じゅう、食物連鎖の上位にいる捕食者に襲われるリスク+人間に狩られるリスクだったことでし ょう。

 しかし、その頃は人間の数もホンの僅か ( なにせ天変地異で絶滅危惧種になる程度に少ない )でし たし、その頃に バードウォッチング などという高尚な趣味なんぞ存在しませんでしたから、野鳥は、野 生の捕食者と云うリスク+狩人に襲われるリスクの中で、セクロスして産卵して子育て出来ていたのだ と思われます。

 このように想いを馳せれば、必ずしもバードウォッチングは

   野鳥は人間に恐怖し迷惑するという関係に何の違いも無い

 のだから完全無欠に無罪だとは言い切れない様に思われます。

 いえ、もちろん、法的な問題は何も存在しません。

 巣の近くにバードウォッチャーが居る所為で、親鳥が雛に餌を与えることが出来ず、ひっきりなしに入 れ替わり立ち代わりするバードウォッチャーの影響で雛鳥が飢え死にするとしても、人の法的には何の 問題もありません。

 ただ、人としてそういう可能性についてどう捉えるか?という話です。

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 Is there anything unclear to you?



 > バードウォッチングが鳥にとって迷惑かどうかなんて
 > 本人ならぬ本鳥にしか分からないでしょうに。
 > どうしてそうも確信めいた表現で 「私は無罪」 と言えるのでしょうか。
 > そういう解釈をする場合は、スマホで囀りを聞かせるのも、その場限りの餌付けを行うのも
 > 同様に無罪です。
 > 「極力影響を与えない」 と標榜されていても、バードウォッチャーが、他の捕食者と違って
 > 腹が減っているワケでも、食料を備蓄するワケでもないのに、
 > 貴重な生活時間を脅かす存在であることは、揺らがない事実です。

 ここでも圭坊氏の反駁が成立していません。
 「鳥にとって傍迷惑な行為に及んで」 いるとしても問題は無く
 「スマホで囀りを聞かせる」 のは他人が迷惑すると言っているのです。
 物事を一面からしか見ずに一緒にしないで下さい。
 毎回同じ様なコメントを繰り返していますよ。

 

 毎回同じ様なコメントを繰り返しているのは、オイラの主張が貴殿の主張によって論破されたとは到 底思えないからです。

 そもそも、上で書いた“折り返し乗車”という凶悪なマナー違反であっても、

   車掌に見つかって

   電車の運行を妨げる行為だと車掌が判断して

   車掌が一旦降車して、待ち列の最後尾に並ぶように命じる

 というパターンに嵌らない限り、( 車掌以外の誰も ) 私の“折り返し乗車”を阻むことは出来ません。

 「スマホで囀りを聞かせる」 のも 「餌で誘き寄せる」 のも、例え貴殿がそれらの行為に対して、どれほ どトサカに来ようとも行為者を制する権限を貴殿は持ちません。

 以前にも書きましたが、「 ( 法的な根拠は何も無いが ) 迷惑だから止めろ 」 という主張が通るので あれば、「 そのミルク缶みたいなバカデカいレンズを付けたカメラをブラさげてウロチョロするのは目障 りだから止めろ 」 もまた成立する主張となります。

 「 そんな馬鹿な主張をする奴が居る筈がない 」

 なんて戯言は止めて下さいよ。

 基本的にオタクは嫌われるんです。

 一般乗客の動線を邪魔して、ちょっと鉄道が好きな一般乗客の視界を遮って、ホームに入って来る 電車を見えないようにしてしまう鉄道ヲタクは、「 いやいや、そこまで嫌わなくても 」 という位に世間一 般から嫌われています。 それはもちろん、一部の鉄道オタクの行動が常軌を逸していて、その所為で 無害な鉄道オタクまで十派一絡げで嫌われているのですが、鉄道オタク全体が嫌悪の対象になってい ることは事実です。

 キャンペーンガールやコスプレイヤーを撮るカメラ小僧も嫌われ者です。

 改造車ショウは、改造車を披露してその技術力をアピールし、改造を依頼する顧客を集める為のショ ウです。 ところが、それだけじゃ盛況に成らないから、マスメディアが取材に来た時に閑古鳥が鳴いて いたら恰好が付かないので、オヘソ丸出しのキャンペーンガールを立たせて精子タンク満杯のアンチャ ンや古女房に欲情しなくなったオッサン連中を集めています。 もともと、改造車好きの人間が来るの で、改造車を撮るという目的でのカメラの携行は規制されておらず、その延長としてキャンペーンガー ルを撮る事も規制されてはいません。 しかし、それを幸いとカメラ小僧が来るわ来るわ。 キャンペー ンガールが現われると通路にカメラ小僧が鈴生りになって、通路は完全に機能を失います。 純粋にク ルマを見に来ている客にとって、迷惑千万な存在であることは明白です。

 ( 斯く言うオイラも最近はカメラ小僧と化していて、ショウに来るまともな客に迷惑を掛けまくりです )

 コスプレイヤーを撮るカメラ小僧も同じ。 毎年春に行われる大阪日本橋の 『ストリート・メッセ』 は、 年を追う毎に来訪者が増え、二つの大通り、延べ2キロメートル未満の歩行者天国に数十万人がひし めき合います。 そんな中で、そこいらじゅうで、コスプレイヤーの周りに空間を置いてカメラ小僧が終 結するのですから、満員電車に車椅子やベビーカーが入ってくるようなモノ。
 コスプレイヤーの写真を撮るのではなく、単に眺めに来ただけの観光客にしてみれば、やはり、迷惑 千万な存在でしょう。

 まぁ、さすがに野山に居るバードフォトグラファーが、鈴生りになって道を塞いだり、野鳥を取り囲んで コロニーを作ってしまうようなことは ( フォトグラファーの人数的に ) 起こり得ない事だと思いますが、 それでも他の観光客からすれば、バードウォッチャーは異質な存在です。

 波風が立てば排斥される側であることを重々承知された方が宜しいのではないでしょうか。



 「鳥にとって傍迷惑な行為に及んで」 いるのは事実だろうから
 「極力影響を与えない」 様に心掛けるのはせめてもの良識であり飽くまでモットーです。
 極端な話、ここでの激論とは何の関係もありません。
 「極力影響を与えない」 を仮に放棄したとしても誰に批判される謂れも無く、
 尚且つ依然として 「スマホで囀りを聞かせるのも、その場限りの餌付けを行うのも」 迷惑だから
 やめてくれと言える事に変わりは有りません。

 

 迷惑と感じているのは、“王道のバードウォッチャー”だけですよ。

 貴殿もご自覚しておられる通り、野鳥というのは、基本的に人の居る所へ寄っては来ません。

 趣味として捉える限りは、そういうハードルの高さ故に遣り甲斐があるのでしょうけれども、趣味じゃな い一般の観光客にしてみれば、スマホで囀りを聞かたり、その場限りの餌付けを行ったりすることで、 野鳥の方からコッチへ寄って来て、リアルタイムに生の囀りを聞かせてくれて、御姿を間近に拝見する ことが叶うのです。

 其処に “迷惑” の二文字は存在しません。

 迷惑と感じているのは、貴殿等“王道のバードウォッチャー”だけです。



 もちろん実際には「極力影響を与えない」を放棄するつもりは有りませんが。

 > 横一列に並ぶって ( 呆
 > それじゃ、一般の観光客に対して、眺望に立ちはだかる壁になっているんでしょうに。
 > 以前にあった 「野鳥から見えない位置で隠れて撮った」 ってのも、
 > その境界線とやらを絶対に侵さない距離を保ってたの?

 だからバードウォッチングの現場を知らずに頭の中だけで観念的に考えるから
 そういう的外れな発想になるんです。
 野鳥ファンなら誰でもイメージ出来ていると思いますよ。
 「眺望に立ちはだかる壁に」なる様な立ち方にならない様に配慮するのもまた「常識」の範疇です。
 もしそういうシチュエーションでうっかりではなく「眺望に立ちはだかる壁に」なっていたら
 それこそが非常識でしょう。 その事を言っているのです。
 圭坊氏の空想の世界の住人を批判されても困りますので
 是非実際の現場に足を運んで自分の目で確かめてからコメントして下さい。
 僕は道から逸れて藪の中に立ち入る事はほぼ有りません。
 里山においては大抵そこは私有地ですから。
 仮に公園内などでそういう場合も他人に迷惑が掛かる様な状況であれば
 やるべきではありませんし、状況次第では諦める事も当然有ります。
 くどい様ですが通行の邪魔になる様な立ち方も以下同文です。
 上記の「野鳥から見えない位置で隠れて撮った」時は周囲に誰も居ませんでしたから
 「境界線」も存在しません。
 因みにこの時も藪の中に入った訳ではなく草ぼうぼうの池の畔の通路部分でした(通行人ゼロ)。

 

 それは失敬。



 > 「 慰安婦問題を否定するなら、可哀想なお婆さんに会って話を聞いてからにしろ 」 ですか

 はー・・・慰安婦問題まで飛躍しますか・・・
 居るか居ないか分からない様な元慰安婦に会いに行くよりも
 バードウォッチングの現場を知る事は断然容易ですよ。 自分の目で確認出来ますし。

 

 ま、この話と慰安婦問題は全く関係がないので簡潔に。

 慰安婦は存在します。

 慰安婦は七十余年前に、売春も管理売春も合法だった時代に、侵略 ( 侵略ではないのですが、ま ぁ、便宜上 ) した土地を統治しなければならなかった日本帝國は、兵士が強姦をしたのでは、統治に 支障をきたしかねないので、業者に委託して慰安所を営業させました。 この慰安所という名の売春宿 で働いていたのが“慰安婦”という名の売春婦。 七割がたは日本人で、貧乏な東北の農村から売られ てきた女性です。

 七割がたは日本人 ・・・ ということですから、日本人以外の慰安婦も居ました。

 大半は日本人と同じ境遇で、貧乏人は飢饉が起これば死ぬしかなかった時代に家族全員が飢え死 から逃れるために、親に、あるいは、夫に売られてきた女性でした。

 ( 実際に、今は 「日本兵に攫われて慰安婦にされた」 と言って憚らない自称元慰安婦の婆さまも
  最初は 「親に売られて慰安婦になった」 と証言していました )

 で。

 「 お前等、以前は 『親に売られた』 って言ってたじゃねーか 」

 って突っ込むと

 「 慰安婦問題を否定するなら、可哀想なお婆さんに会って話を聞いてからにしろ 」

 と返ってくるんですな ( 小林よしのり氏談 )。

 なんだか、似てませんかw ・・・ という話です。



 > すごすごとその場を去って、そんな邪道のバードウォッチングなんかする奴が居ない山林へ
 > 行って孤独にバードウォッチングを愉しむしか他に手はありません。

 言われなくとも現にここ数週間それに近い状況です。

 

 よかったですね。

 それが棲み分けです。



 > だから
 >    行き過ぎた行為の結果、周辺の野鳥たちが混乱し
 >    本来の生態とは異なる挙動を見せたり不自然な体型になってしまったり
 > ↑こういう根拠のない、可能性の話に意味なんかないんだよ。
 > <中略>
 > ほうほう。 ではそうなってしまったスポットを教えてくれたまえ。
 > 異常な挙動を示した野鳥の動画と不自然な体型になってしまった野鳥の画像でも構わんぞ。

 科学的な根拠を示す事が難しい事を承知の上で
 僕なりに乏しい画像を紹介したのだから「そういう可能性も有るなぁ」と考えて
 教訓とするのは非科学的ではないでしょう。
 そもそもそんな極端な餌付け等をしている本人には他人から証拠を突きつけられるまでも無く
 「異常な挙動を示した野鳥」や「不自然な体型になってしまった野鳥」の姿は
 時々刻々と分かっているはずです。

 

   「異常な挙動を示した野鳥」や「不自然な体型になってしまった野鳥」

 が存在するなら“邪道のバードウォッチャー”じゃなくても、同じ場所に居る貴方達“王道のバードウォ ッチャー”にも

   時々刻々と分かっている

 んじゃないんですか?

 スマホで囀りを鳴らしたり餌を与えたりする立場で無いにしても、貴殿達は、同じ野鳥を邪道のバード ウォッチャーと同じ様に観測しているのではありませんか? そんな貴殿等が、杳として掴みあぐねて いる野鳥の変化を、どうして、スマホで囀りを鳴らしたり、餌を与えたりしている当事者なら掴んでいる に違いないと断言できるのでしょう?

 逆に、スマホで囀りを鳴らしたり、餌を与えたりしても、野鳥は異常な挙動を示す事も体型が不自然 になってしまうこともない ・・・ だから、貴殿等にも邪道のバードウォッチャー達にも野鳥の変化が掴め ないのだ。

 ↑こう考えるのが普通でしょうに。

   スマホで囀りを鳴らせば、野鳥は異常な挙動を示すに違いない。

   人の手から餌を貰えば、野鳥は不自然な体型になってしまうに違いない。

 残念ですが、それは妄想です。



 なお、非常識の例としては図らずも圭坊氏が示してくれました。
 「眺望に立ちはだかる壁」 も 「人が往来する通路に留まって観光客の邪魔をする」 のも
 非常識の例であり他人に迷惑をかけている人の具体例ですね。
 これに文句を言うのに非常識だと証明する必要が有りますか?

 

 「眺望に立ちはだかる壁」 は、壁に成っている人にとってはどうでもいい話であり、壁に眺望を阻まれ ていない立ち位置に居る人にとってもどうでもいい話です。 それは、壁に眺望を阻まれている人にとっ て『のみ』問題になる話です。

 「人が往来する通路に留まって観光客の邪魔をする」 のも同様に、往来する通路に留まっている人 にとってはどうでもいい話であり、通路を通ろうとしない人にとってもどうでもいい話です。 これもまた、 通行の邪魔をされた人にとって『のみ』問題になる話です。

 同様に、「スマホで囀りを鳴らしたり、餌で誘き寄せる行為 」 もまた、それを迷惑と思っている人と思 っていない人がいます。

 そして、「スマホで囀りを鳴らしたり、餌で誘き寄せる行為 」 に於いては、単純に運動の為に歩きに 来たり、風景を愉しむ為にハイキングに来ている人にとって迷惑でも何でもありません。 それどころ か、むしろ、「スマホで囀りを鳴らしたり、餌で誘き寄せる行為 」 に因って運良く野鳥が間近に寄って来 てくれれば、彼等、観光客にとって嬉しいハプニングに成ります。

 つまり、「スマホで囀りを鳴らしたり、餌で誘き寄せる行為 」 を迷惑と思っているのは、少数という捉え 方ができると思います。

 もちろん、少数だから間違っている / 多数だから正しい、とは申しません。

 しかし、改造車ショウに群がるカメラ小僧が排斥されないのも、ストリートフェスタに群がるカメラ小僧 が排斥されないのも、主催者側の意図とカメラ小僧の存在が合致するからです。 改造車ショウに群が るカメラ小僧の存在は 『枯れ木も山の賑わい』 であり、取材に来るマスメディアに盛況であることを見 せる材料になりますし、ストリートフェスタで撮られた画像は ( 建前上、主催者側は 「画像や動画を webやSNSへ上げないで下さい」 というスタンスを取っていますが ) webやSNSへ上げられる事によっ て、こういう愉しい事をやっていると広報する結果となり、次回の客が増える要因になり得ます。

 だから、カメラ小僧が看過されるどころか、 カメラ小僧が居なくなったら困るというのが本音です。

 野鳥の居る山林にしても、( 紅葉の季節の箕面などを見れば瞭然ですが ) 食堂や土産物屋でお金 を落してくれる観光客が神様です。

 野鳥が遥か彼方にしか居なくて、エンターティメント性に欠ける山林と、なぜか野鳥が向こうから寄っ て来て、その鳴き声を聞かせ、姿を見せてくれるというエンターティメント性に富んだ山林。

 観光客の目に魅力的に映る山林は、果たしてどちらの山林でしょうか?



 それと同じです。 非常識な人にいちいち迷惑である事を証明する必要なんか無いのです。

 しかし圭坊氏ご指摘の通り 「制止する権限なんか誰にも無い」 のですから
 飽くまで 「呼び掛け」 するしか有りません。
 そもそもマナーに無頓着な人が簡単に他人の声に耳を傾けるとは期待出来ません。
 これは 「ゴミを捨てるな」 という立札みたいなものです。
 そんな立札が立っていたとしてもゴミを捨てる様な人は捨てるでしょう。

 

 「悪いことをするな」 という呼び掛けは、あくまで 「スマホで囀りを鳴らしたり、餌で誘き寄せる行為 」 が ( 不法ではないけれども、普遍的な観点から見て許し難い ) マナー違反であるという前提でしか成 立しません。

 もちろん、貴殿達、“王道のバードウォッチャー”にとって、“邪道のバードウォッチャー”の行為が許し 難いというのは重々承知しています。 しかし、それは普遍的な物の見方ではありません。

 実際問題、オイラ達のような ( 自然に在る野鳥なんかどうでもいい ) 一般ピープルが、「野鳥なんか 遥か遠くに居るだけの山林」 と 「野鳥がなぜか向こうから寄って来て、近くで鳴き声を聞かせてくれて、 枝から枝へ飛び交う野鳥の姿が見られる山林」、どちらへ行きたいですか?と問われれば、断然後者 です。

 そう考えれば、( 少なくとも自然に在る野鳥なんかどうでもいい ) 一般ピープルから見れば、「スマホ で囀りを鳴らしたり、餌で誘き寄せたりしている人達」 が “目に余る悪い行為” をしているのではなく、 むしろ、逆に、「スマホで囀りを鳴らしたり、餌で誘き寄せたりしている人達に対して、止めろと呼び掛け をしている人達」 の方が ( 目に余る悪い行為ではありませんが ) 「余計なことをして、野鳥が寄って来 ないようにしている嫌な奴等」 に見える可能性を憂慮すべきではないでしょうか。



 > 確実に迷惑を被っている人と云うのは
 > 他の誰でもない“王道のバードウォッチャー”ということになります。
 > 結局、“王道のバードウォッチャー”が“邪道のバードウォッチャー”を嫌って
 > 排斥しようとしているだけ でしかないのではありませんか?

 バードウォッチングに限らずどの社会においても
 「常識」で考えて「他人の迷惑になりそうだ」と認識出来ない人を排斥しようとするのは
 人間社会の持つ当然の行動です。
 前々回のコメントで
 「 社会秩序維持の為に法律や条約が有り、
  明文化する必要性が低い事柄が『しきたり』や『ならわし』であり、
  その根底に有るのが『常識』や『良識』であったりする訳です 」
 と述べたのが正解だとすると 「非常識」 とは 「社会秩序を乱す行為」 ですから
 社会秩序を維持する為に非常識な人を排斥しようとする行為は正当だと評価されるべきです。

 

 果たしてそうでしょうか?

 これは、オイラが異常な偏見に基づいて脳内で創り上げた幻想なのかも知れませんが、何の知識も 持たない無垢な一般ピープルにとって、歓迎すべきは 「野鳥が遥か彼方で囀っていて、影も形も見え ない、《自然にあるがまま》」 ではなくて、「野鳥が向こうから寄って来てくれて、その囀りを近くで聞くこと が出来て、あまつさえ、その姿までも拝むことが叶う」 ような山林だと思います。

 もし、オイラの幻想が正鵠を射ているのであれば、「(観光客にとって都合の良い) 社会秩序を乱す 行為」 をしているのは、野鳥が寄って来ない方向へ変化させようとしている貴殿達の方になるでしょう。

 絶対的な視点から観察した絶対的な『正』と『邪』などというモノは物語の中にしか存在しません。

 同じモノを見ても、立場が変われば見えるモノが変わります。

 山林に於ける 「社会秩序」 が 「野鳥が寄って来ない、本来在るべき秩序」 であるなら、貴殿の仰ら れる通りに、「スマホで囀りを鳴らしたり、餌で誘き寄せる行為」 を行っている輩は悪であり、排除され るべき存在でしょう。 しかし、野鳥に興味がない人にとって野鳥は、追い求めるハードルが高ければ 高い程に燃える趣味の対象ではなくて、たまたま運動不足解消の為にやって来た人やハイキングでや って来た人にとっては、「わぁ、野鳥がスグ近くまで寄って来たよ。可愛いなぁ」 という素敵なパプニング が再々起こってくれる状態の方が好ましい 「社会秩序」 となるでしょう。

 そう考えるなら、「(観光客が好む様な、観光客にとって都合の良い)社会秩序」 を維持する為に排斥 されるべきは、“邪道のバードウォッチャー”ではなくて“王道のバードウォッチャー”ということになりま す。



 前述の「列に割り込む人」の例を思い起こして頂ければ容易に理解出来ると思います。
 これは差別でも何でもなく本人が常識をわきまえれば済む話です。
 「常識」の説明なんか何度もさせないで下さい。

 

 だから、再三に渡って、その 「常識」 とやらがバードウォッチャーにとっての 「常識」 だと指摘させて 頂いておる。

 閑静な野山でスマホを鳴らす行為自体は、非常識と捉えて間違いはなかろう。

 しかし、その結果、本来であれば、余程の幸運に恵まれない限り、その囀りを間近で聞くことも、その 御姿を間近で拝見することも叶わない野鳥が、なんと!向こうからコッチへやって来て、リアル生囀りを 聞かせてくれて、肉眼で拝見を賜ることが叶うのだ。

 これを歓迎しない一般ピープルが居るでしょうか?

 「 野鳥なんて、本来は遥か彼方に居て、囀りが微かに聞こえるのがデフォルト。
  姿なんて見えなくて当然。
  囀りの聞こえる方向へ向かって歩いて歩いて歩き倒して、それでも出会えないのが普通で。
  でも稀に、努力の結果、近くに野鳥の姿を捉えて、囀りも真傍で聞くことが出来る事がある 」

 ↑こんなストイックな趣味、普通の人は御免被りますよ。

 普通の人は、野鳥の為に努力なんかしたくないんだから、向こうからやって来て、近くで鳴き声を聞か せてくれて、その御姿も肉眼でしっかりと見せてくれる方が良いに決まっています。

 これが、貴殿達、野鳥ファンとやらが把握してない、一般ピープルの野鳥に対する 「常識」 です。



 > 一般車両の運転者に向かって
 > 「お前は邪魔だから、此処から出て行け」 なんてクチが裂けても言いませんよ。

 自覚しておられる様に、
 この場合は交通ルールをあからさまに無視する人の方が非常識なのだから
 サーキットに行く事をお勧めします。

 

 そう。 その通り。

 違法行為をしている者に、遵法行為をしている者を責める権利は無い。

 しからば

 スマホで囀りを鳴らすとか、餌で野鳥を誘き寄せる様な“邪道のバードウォッチャー”は、違法行為を していない者なのだから、誰にも責める権利はない。

 のですよ。



 > スマホでも検索はできますから、
 > 検索して、呼び寄せる音声データを選んでダウンロードしていると思いますよ。

 それは圭坊氏の希望的観測に過ぎませんし、僕が指摘したのは
 飽くまで想定し得る弊害の 「一例」 です。
 想定し得る弊害の全てをいちいちここで検証しますか?
 「一般ピープルから見て何のマナー違反なのか分からない」 とのご指摘を頂きましたので、
 もう一つ 「一例」 を言えば
 以前コメントした通り本物の野鳥の囀りを聞きたい人にとって
 スマホの囀りなど騒音でしかありません。
 ライブコンサートの客席でラジカセ(死語)の音声を流す様なものです。

 

 その例はオカシイ。

 ライブコンサートの会場の席は、これから始まる登場するアーチストを待っている席であり、その席で ラジカセを鳴らそうが鳴らすまいが、開演時間に成ればアーチストが登場して演奏が始まる。

 しかし、山林にあっては、基本的に野鳥の囀りは、余程の幸運に恵まれていない限り、近くで囀りを 聞くことはできない。 遠くの方で囀っているのを、閑静な環境で耳を澄まして聞くのが精一杯だ。 とこ ろが、スマホで囀りを鳴らせば ( どのくらいの確率なのかは知らないが、少なくともそうしないよりは高 い確率で ) 野鳥の方からこちらへ寄って来て、リアル生の囀りを聞かせてくれる。

 これをライブコンサートに喩えるなら、

   ライブコンサート会場外の駐車場で、ラジカセ(死語)の音声を流していたら、
   なんと! アーチストがやってきて歌いだした!!!

 という状況です。

 遠くに在って聴き取り難い野鳥の声を、間近で聞けるようになることに対して、不快感を催すのは“王 道のバードウォッチャー”だけです。



 更に 「一例」 を言えば探鳥において野鳥の声は存在を知る重要な手掛かりになります。
 そんな時にスマホで囀りを流されては混乱し迷惑です。

 

 だから、それは、“王道のバードウォッチング”側の理屈だっちゅうの。

 「 なんか、アッチの方から鳥の囀りが聞こえて来る 」

 といっても、『アッチ』 というのが、整備された道路沿いでなければ、鳴き声を間近で聞いたり、御姿を 間近で拝見することは叶いません。 『アッチ』 というのが整備された道路沿いでなくても、せめて近くか ら聞こえてくのであれば、まだブッシュに足を踏み入れる覚悟があれば、近付くことが叶います。 で も、深い谷の向こう側から聞こえて来るような状況では、“王道のバードウォッチング”は諦めることしか 出来ません。

 ところが。

 それが “邪道のバードウォッチング”という魔法の手に掛かれば、野鳥の方からコッチへ来てくれる のです。

 なんと素晴らしい! ハラショー!!

 無垢な観光客に言わせれば

   探鳥において野鳥の声は存在を知る重要な手掛かり?
   ・・・ 知らんがな。
   そういうマニアックなことは、一般観光客の居ない場所で、マニアだけでやってろ。

 だと思いますよ。



 まだ 「一例」 を言いますか?

 

 あるならどうぞ ・・・ と言いたいところですが、このディペード模擬戦を終わりにしたいというお申し出 があり、当方も其れに同意しますので、もう終わりにしましょう。



 > だいたい自然なんかツマランもん。
 > 邪道のバードウォッチングのおかげで、退屈なハイキングにエンターティメントが加わるなら
 > ありがたいこっちゃ。
 > ベテランと素人は求めるモノが違うのです。

 話を整理しましょう。
 まず「観光客」ですが「初心者」とも言えない様な、
 バードウォッチングを疑似体験したいレベルの人と定義すれば
 「手っ取り早く見慣れない鳥を見たい人」と思われますから、
 そういう人には動物園や華鳥園に行く事をお勧めします。

 

 なんで観光客が野鳥を見に来ている前提なんだよ。

 都会の喧騒を離れて精神的にリフレッシュとか、会社の健康診断でメタボを指摘されて運動不足の 解消とか、単に友達と、あるいは、親子でハイキングとか、そういうのが 「観光客」 だろ。

 観光客にとって野鳥の存在は、ディズニーランドに於けるドナルドダックとかデイジーダックとかプル ートとかグーフィーとかチップ&デールなんだよ。 決してメインキャラクターであるミッキーマウス&ミニ ーマウスじゃない。 野鳥は、運が良ければ見られる程度のオマケだ。

 逆に、貴殿達 ( 王道も邪道も ) バードウォッチャーが山林に求めているのは野鳥。

 つまり、貴殿達にとって野鳥はディズニーランドに於けるミッキーマウス&ミニーマウスだけれど、観 光客にとってはそうではないのだよ。

 変な思い込みは慎みたまえ。



 世界中の珍鳥が確実に見られますから。
 そういう人にハズレの多い自然界は残念ながら向いていません。
 ただし「観光客」がフィールドに足を踏み入れてはいけないと言うつもりは毛頭ありません。
 実際野外ではトレッカーと出会う事が多いです。
 常識的なトレッカーとは軋轢を経験した事がほとんど有りません。
 互いに常識をわきまえ相手を気遣っていれば何の問題も無いのです
 ( 必死にカメラを構えてシャッターを切っている時に執拗に話しかけられて閉口した事は有りますが
  それも気遣いや常識の問題ですね )。

 「初心者」の人は動物園では満足出来ない人であり
 バードウォッチングを今後本当に体験したい人と仮に定義しましょう。
 こういう人たちが野鳥ファンの間で認識されている暗黙の了解について
 良く把握出来ていなくても止むを得ないでしょう。
 しかし常識さえわきまえていれば郷に入っては郷に従えではありませんが、
 誰しも初心者の時は自分は新参者だという意識で周囲の空気にアンテナを張り
 「やっちゃマズイ事」 を覚る様に気配りするものです。
 それは結局 「他人に迷惑を掛けない」 とか 「常識で考える」 という事に尽きます。
 たったそれだけの事です。
 「餌付けしたりスマホで囀りを流す人」 は、どうすれば野鳥をおびき寄せられるかを
 知っているのだから、少なくともそこそこ経験者の人です。
 右も左も分からない様な「観光客」や「初心者」とは明らかに別物であり
 本来ならば「やっちゃマズイ事」のボーダーラインが分かっていなくてはならない人です。
 仮に全く常識の無い人であっても、既にネット上などで
 餌付け等を批判する意見が散見されるのですから、そういう目で見られているんだという事を
 認識する機会は有るはずです。

 

 餌付け等を批判する意見が散見されているからといって、其れに従わなければならないという道理は 何処にも存在しません。

 それに、餌付け等をしてはイケナイという科学的な考証を、現時点で貴殿が何一つ挙げることが出来 ない事から推測して、その批判する意見もまた、感情論に終始している 『聞く価値のない意見』 である 事が明白である。

 ( ちゃんと科学的・統計的根拠があって餌付け等をしてはイケナイと批判しているサイトが
  存在するなら、疾うの昔に貴殿は、其処から得た情報でオイラに邪道のバードウォッチングが
  責められる科学的な根拠を突き付けているでしょう )

 子供の躾けじゃないんだから、何の根拠も示さずに、合法な行為を勝手な思い込みで制限する権利 なんか誰にもありません。



 中には「鳥類写真愛好家」とも言うべき大ベテランも見受けられます。
 何と望遠ではなくて広角レンズを装着したカメラを三脚にセットし
 レンズの直前に生き餌を仕込みご丁寧にレフ板まで敷いてリモート撮影している人も居ます
 ( 機材の扱いぶりを見ればとても「観光客」や「初心者」とは思えません )。
 ここまで来ると完全に野鳥を私物化しておりペット化していると言っても過言ではありません。
 こういう謂わば 「鳥類写真愛好家」 が野鳥ファンとは似て非なる別種のものだとしても、
 その世界のベテランならば他人の迷惑を顧みる節度というものが有って然るべきです。

 

 誰に迷惑を掛けているんですか?

 観光客ですか?

 既に説明させて頂いた通り、観光客にとって、そういう 「本来なら肉眼で見ることが困難な野鳥を間 近で見させてくれる 」 のは、“迷惑” じゃなくて “歓迎” ですよ。

 それとも、バードウォッチングの初心者ですか?

 そりゃあ、初心者を王道のバードウォッチング側へ引き込みたい人間にとって、そう考えるのは当然 だと思いますが、邪道がなぜイケナイのかを誰も科学的・統計的に説明できていません。
 したがって、初心者が王道を選ぶのか、それとも邪道を選ぶのか、は彼自身が決める事です。

 もしかしたら、広角レンズを装着したカメラを三脚にセットし、レンズの直前に生き餌を仕込み、レフ板 まで敷いてリモート撮影している 「鳥類写真愛好家」を見た初心者が、「 ああ、あれイイな! よし、俺 も 」 と考えたとしても、誰にも彼の行動を制止する権利はありません。

 ・・・ 結局のトコロ、邪道のバードウォッチャーを迷惑だと思っているのは、貴殿等王道のバードウォッ チャーだけです。

 貴殿等が、囀りを鳴らしたり餌で誘き寄せたりする行為を迷惑だと思って白眼視することは構いませ ん。 それも個人の自由。 妨害する為に相手の腕を掴んだり、罵詈雑言を浴びせる様な違法な手段 に訴えない限りは、頭の中でどう想おうが自由です。

 しかし、それはあくまで貴殿等にとっての正義でしかありません。

 普遍的な正義であるが如き言い様は止めましょう。



 > それをたまたま横から見てた「観光客」が受動的利益として喜ぶなら喜べばいい
 > なんですよね?

 「観光客」 レベルの人がたまたまそこに居て喜んだというのなら
 「観光客」 には責められる謂れは無いという意味です。
 いちいち解説しなきゃ分かりませんかね?
 それとも「餌付けしたりスマホで囀りを流す人」は「観光客」を喜ばせてあげる為に
 ボランティアでお仕事をされているんでしょうか?

 

 ( ゚д゚)は? 何言ってるの?

 邪道のバードウォッチャーが、スマホで囀りを鳴らしたり、餌で誘き寄せたりするのは、アタリマエだ が、自分の為だ。 自分が省労力で野鳥の生の囀りを聞いて、その御姿を拝見する目的でやっている に過ぎない。

 ただ、その行為の結果として

   野鳥は飢えから解放され、

   邪道のバードウォッチャーは、願望通りに、野鳥の生の囀りを聞いて、野鳥の御姿を拝見でき、

   偶然居合わせた観光客も、普通だったら囀りが遠くに聞こえるだけで、姿なんか見えやしない
   野鳥の生の囀りを聞いて、その姿を見ることができる

 のである。

 win -win ならぬ、win - win - win の関係である。



 > そもそも歩道が整備されている山林へ野鳥を見に行くこと自体が、
 > 『(自然に)あるがままの野鳥を見る』 という行為ではないような気がするんだがね。
 > 全く以て人工の環境に在る 「不自然な野鳥」 を観て撮って悦んでいますよね。

 ひょっとして圭坊氏は僕がその程度の事にも気付かずに
 今までバードウォッチングして来たとお考えですか?
 今さらこんな次元で勝ち誇られても、一言で言って(関西弁で)「難儀やなぁー」ですわ。
 まさかそんなとこから話さなきゃならんのですか?
 先が思い遣られますわ・・・気が重いですがもう少し頑張ります。
 以前コメントした様に日本には純然たる自然はほとんど残っていないと言わざるを得ません。
 巷の人々が「大自然」と呼んでいるのは大部分が初歩的な「勘違い」です。
 「あるがままの自然」などほとんどどこにも見当たりません。
 本物の自然が無いのだから泣こうが喚こうが仕方が有りません。
 もちろん里山や埋立地の干潟も例外ではなくむしろ典型的な人工物でしょう。
 しかしそこに集まる野鳥はその環境に適応した自然界の生き物です。
 もちろん 「あるがままの自然」 そのものではありませんが、
 それなりに命懸けの本物の生態系です。
 因みに大阪南港野鳥園では餌付けなどは行われておらず
 野鳥の生息に有益な環境が提供されているに過ぎません
 ( これについては鳥の巣箱も同様だと思います )。
 潮の干満によって干潟が生じ野鳥の餌となる甲殻類やゴカイなどが自然発生的に生息しています。

 

 そうか。 大阪南港にある野鳥園の干潟は、野鳥の為にゴカイ等の多毛類を人工的に撒いてはいな かったのか。 それは知らなかったわ。

 とはいえ、まぁ、まるっきり自然状態というわけでもなさそうだけどな。

   WWFの活動
   大阪南港野鳥園の存続を
   http://www.wwf.or.jp/activities/2013/01/1114022.html

   > 今、これだけの環境があるのは、
   > 南港ウェットランドグループの前身組織である南港グループ'96のメンバーが中心となって、
   > 日頃から調査や観察を行ない、その結果を分析・検討し、管理主体である大阪市港湾局と
   > 協議し、よりよい環境にするための方策を他の市民ボランティアとともに試行錯誤してきた
   > 結果なのです。

   > 関連情報
   > 阪南港野鳥園の存続に関する要望書
   >
   > 【市民ボランティアによる干潟環境保全】
   >
   > 市民ボランティアによる清掃、ヨシ刈り、アオサ取りなどの干潟保全活動が継続して行われ、
   > 企業による清掃も継続実施されています。

 ここまで整備してるというのは、ある意味、餌を撒いているのと変わらないような気がしますけどね。



 出水市におけるツルへの餌付けは以前コメントした通り特異なケースですが
 僕個人としては諸手を上げて賛同している訳ではありませんし、かと言って
 江戸時代にまで遡及して批判出来るほど僕は偉くありません。
 カメラマンが己の個人的な都合で餌付けしているのとは次元が違います
 ( 圭坊氏はお得意の本質論で同じじゃないかと言うでしょうが )。
 むしろここは「観光客」の人にお勧めの手軽な観光地と言って良いでしょう。
 また、ここが事実上「動物園」みたいなものだとしても
 野鳥ファンが「動物園」に行って喜んではいけないという道理は有りません。
 これはこれで貴重な体験だと思います。
 このへんの僕の考え方はフォトギャラリー第99回などで触れた事が有ります。

 

 江戸時代から続いている似たような事に関してはクチチャックで、今から始めるのは咎めるっての も、ちょっとご都合が宜しすぎやしませんか。

 それに、どの程度管理された餌付けなのか知りませんが、鶴の首にドッグタグを付けているワケじゃ ないでしょうから、同じ鶴が何度も飛来して餌をたらふく食っていても、「 あ、こいつ、また来てやがる。  追い払え! 」 とは成らないでしょう ( 幾ら専門家でも鳥の顔が見分け出来るとも思えませんしw )。  フードファイターみたいに食ってる個体が居る可能性だってあると思います。

 更に言えば、人から鶴へ手渡しで餌を配っているなら良いのですが、餌を干潟に撒いているのだとし たら、鶴以外の野鳥にも其れを啄むことが可能ですから、それでは邪道のバードウォッチャーがやって いる餌撒きと何も変わりません ( 数量が大きい分、コッチの方が悪質かも知れません )。

 しかし、現実には、餌を配られた鶴も、お零れを頂戴した他の野鳥も、肥大化したり不自然な体型に 成ったりはしていません。

 これが意味する事は、フォアグラの生産に見られる様な強制給餌でも行わない限り、自由に飛翔して 自由に活動することが出来る野鳥は、労せずに餌を食べられる環境に置かれたからといって、肥大化 したり不自然な体型に成ることはないという事です。

 自然界の限られた量ではなく、人工的に与えられた餌を食うと太って飛翔能力に影響が出ると言わ れても、北海道や鹿児島県の鶴センターで発生していないんだから杞憂だと捉えるのが常識的な考え 方だと思いますよ。



 > プロなら良くて俺達はダメなのかよ

 普通に読んで頂ければ、「プロなら良い」 などとは言っておらず、
 むしろ 「プロがそんな事をしていいのか」 という問題提起である事が読み取って頂ける筈です
 ( 逆に 「アマなら良い」 と言うつもりも有りませんが )。

 

 幾ら脳に障害が残るような病気をやったからといって、オイラは、さすがに其処まで読解力がなくなっ たワケではありませんよ。

 そうではなくて、そういうことをプロがやっているという現実を、邪道のバードウォッチャーが見たら、
 「 ほらほら、プロがやってるんだから、俺達がやってダメな理由なんかないじゃん♪ 」
 と考えるのは当然でしょう。
 また、バードウォッチングの初心者が見たら
 「 お♪ そんな手があるのか、こいつは楽チンだね 」
 と考えるでしょう。

 そんな風に考える邪道のバードウォッチャーや初心者に対して、
 「 そういう行為はマナー違反だから止めろ 」
 と諭そうとしたところで、
 「 俺にヤメロという前に、あそこでやってるプロに文句言えよ、糞チキン 」
 と返されるのがオチだ。

 ・・・ と申し上げているのです。



 「 そんなに都合良くカメラの前に獲物が飛び出し、
  そこに都合良く主人公が登場して狩りなどしたりする訳が無い 」
 ( フォトギャラリー第219回参照 )
 まだ話が飲み込めない人が居たらいけないので、折角だからこの話を展開させて頂きます。
 テレビ番組などでよくこういうシーンが放映されますが、現実の自然界はそう簡単に
 素顔を見せてくれません。
 日常的に自然界に接している野鳥ファンなら誰しもうなずけると思いますが
 こういうシーンの大半はズバリ言ってしまうと「仕込み」である疑いが濃厚です。
 つまりあらかじめ餌付けされた主人公に狙いを定めておいて、カメラの前に犠牲となる
 小動物を仕込み狩りをさせているのではないかという疑惑です。
 飽くまで物的証拠の無い疑惑レベルではありますが
 特定のチャンネルの特定の番組を名指ししている訳ではありませんから
 名誉棄損にはならないでしょう。

 

 T豚Sですね、知ってますw

   TBSが腐ってる証拠映像集
   http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/1028.html



 一度でもバードウォッチングを経験してみれば実感出来ます。
 まず 「主人公」 自体が簡単には見つかりません。
 何日も続けて空振りというのが当たり前の世界です。
 そしてようやく見つかっても 「主人公」 はカメラマンを警戒し一瞬で姿を消してしまいます。
 それが猛禽類であっても同じです
 ( フクロウ科はそれほどではありませんがタカ科は対人警戒心が非常に強いです )。
 カメラをカモフラージュするなら先回りして待ち伏せ出来る状況でなければなりません
 ( 神出鬼没の野鳥が相手ですからその方が難しいはずです )。
 「獲物」 も野生ですから簡単には姿を現しません。 付近に猛禽が居ればなおの事です。
 その状況で 「主人公」 が目の前で狩りをするにはよほど条件が揃わなければならない事は、
 一度でもバードウォッチングを経験してみれば嫌と言うほど容易に理解出来ますよ。

 

 で?

 貴殿が 『こう在るべき』 と考えるバードウォッチングが、艱難辛苦の道程であることは判ったよ。

 だからなに?

 これこそが唯一無二のバードウォッチングだから、“邪道のバードウォッチング”なんかすべきではな い、と。 そう仰りたいの?

 いやまぁ、貴殿が艱難辛苦の道程を求めるのは構わないよ。 凄いね、大変だね、と思うよ。

 でも、それは、「 お前がそう思うならそうなんだろう、お前の中ではな 」 でしかありません。

 全然話が違いますが、例えばオイラはクルマのトランスミッションに関して所謂 『MT派』 です。

 「 ちょ〜、おめ〜、自分名義のクルマがATじゃねーか 」 という厳しいツッコミが入ることは覚悟してい ます。 正直、サブスロットルが余計な電制をされると知っていたらTC-SST仕様なんか買いませんで したよ。 ああ、MTにしておけば良かった ( 激しく後悔 )。

 でも、だからといって他人がクルマを買う時に、「 免許が限定じゃないならMT買え、MT 」 なんて野 暮なアドバイスはしません。 やれ、ヒールアンドトゥだの、クラッチ蹴りだの、シフトロックだの、普通の 人はそんなことしませんもの。 クルマが趣味の対象ではなくて、タダの道具でしかない人にとってはM Tなんて疲れるだけのクソですからね。

 でも、だからといって、オイラはATユーザーを貶しはしません。

 余程の好き者か、お金持ちでなければ、一家に二台も三台もクルマは買いません。

 ( オイラは異常な好き者なので複数台所有です。 安い国産車ですけどw )

 一台限りのクルマが日常使いで、しかも、嫁さんも運転するとなれば、そりゃあ、MT車なんか買えま せん ( 稀に奥様がクルマニアで、旦那がAT車を買おうとするのを制止して、無理矢理MT車を買った という微笑ましい逸話もありますが )。

 普通は買うならAT車。 MT車なんて好事家だけが買ってりゃイイんです。

 バードウォッチングも同じではないでしょうか。

 エビデンスは低いかも知れませんが、既知の情報から類推する限りに於いて、スマホで囀りを鳴らす 事も、餌を用いて誘き寄せることも、統計的有意なレベルで野鳥に悪影響を与えているとは考えられま せん。

 で、あるならば、ライトなバードウォッチャーは、省労力でバードウォッチングを愉しめる方法を採れば 良くて、ヘビーなバードウォッチャーは、艱難辛苦の上に成し遂げる喜びが得られるような方法を採れ ば良いのではありませんか。

 自分達にとって、バードウォッチングというものが、ハードで高尚な物だったとしても、其れを他人に強 いることは間違っているとオイラは思います。



 追記:

 どうにも圭坊氏とコメントのキャッチボールが上手く行ってない様に感じます。
 一つのテーマで投稿と回答を繰り返すうちコメントが尋常ではないほど長文になり
 訳が分からなくなって来ているのも原因かと思います。
 前述しましたがこのテーマもそろそろまとめに入りたいと思います。
 まだまだ言いたい事はいっぱい有ると存じますが
 何が何でも相手を論破するんだという事ではなく
 意見の擦り合わせをして行きたいと思うのですが如何でしょうか?
 このまま続けてもどぉーせ互いに「ああ言えばこう言う」に決まっていて
 決着なんてつきませんよ。
 もう少し早くこの事に気付くべきでした。
 もし人類よりも知能の高い宇宙人がこのコーナーをモニターしていたら
 「地球人ってアホやなぁ・・・」という評価になっている事でしょう。
 もちろん次回コメントは圭坊氏の言いたい事を全て出し切って頂いて構いません。
 それに対する僕のコメントは回答と言うより落とし所を提案する様なものになると思います。
 それで差し支えが有る様でしたらそのご意見もコメント下さい。
 そんな段取りでぼちぼち締めたいと思います。
 これを言ってしまうと身も蓋も無いのですが消耗戦の様な激論を闘わせている割には
 そのテーマが人類の将来を左右するほどの物でもない様な気がするので・・・

 

 人類の将来を左右するも何もw

 貴殿が折れて、野鳥のペット化を認めたからといって、それで 「野鳥を飼う」 という項目が欠損してい る 『鳥獣保護法』 が補完されるわけでもありませんし、貴殿が折れて、邪道のバードウォッチングを認 めたとしても、他の王道のバードウォッチャーが白眼視する状況は全く変わらないでしょう。

 逆に、オイラが折れて、野鳥のペット化を諦めたとしても、今まで通りに飼いたい奴は飼うでしょうし、 オイラが折れて 「邪道のバードウォッチングはダメだ」 という主張に与したとしても、山林でスマートフォ ンを鳴らしたり、ジプロックから多毛類を取り出して野鳥を誘き寄せる輩は出没し続けるでしょう。

 結果なんか出したって何も変わりはしません。

 延々とやってきて、今更言うのもアレですが、こんなもの、完全に時間の無駄ですよ。

  ・
  ・
  ・

 で.“落し所” って話なんですけど。

 そんなものは要らないと思いますよ。

 「野鳥を飼って善し」 と 「野鳥を飼うのは許されざる」 の中間点に、「ドーム球場を買い取って、野鳥 が自由に飛び回れる環境を用意するなら飼っても善し」 なんて落し所を用意しますか?

 そんなもん、だれもせんでしょw

 今でもそうですけど、飼いたい奴はこそこそと狭いゲージに入れて飼うでしょうし、飼いたくない奴はそ もそもどんな条件であれ飼いません。

 「スマホで囀りを鳴らし、餌で誘き寄せる」 と 「そういう省労力目的な姑息な手段は一切禁止」 の中 間点に、「スマホの代わりに『バードコール』、餌はワングループに50グラムまで」 って制限を掛けましょ うか?

 そんなもん、だれが守るんすかw

 スマホを鳴らそうが、バードコールを鳴らそうが、どちらも合法である以上、より効率の良い法を使い ます。 量の制限なんて 「もうちょっとあったら、もっと寄って来たのに」 というシチュエーションが一回で も有ったら、誰も守らなくなるに決まってます ( とはいえ、重いので無制限だからって何キロも持って来 るワケではなく、どの道、常識レベルに収まると思いますが )。

 こんな ( 余程の暇人以外 )誰も訪れないようなところで、老いさらばえたオッサン二名が言い合った だけなのですから、もう 「そういうことがあった」 でイイじゃないですか。

 こういうのが、死ぬ間際に走馬灯のように流れる記憶の一コマに成るんですから、下手に弄らないで 《あるがまま》 にしておきましょうや。

 さて、綺麗にオチたところで、これにて終了。

 それでは皆さん。 さ〜〜よ〜〜う〜〜な〜〜ら〜〜 ( ← 横山ホットブラザース風に )

 




□■ 2016年04月16日 □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 最終章がキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!

 もう無━━ヽ(`゚д゚lll)ノ━理━(`゚д゚lll)乂━━!!!だから、

   これで終━━ヽ(`゚д゚lll)ノ━り━(`゚д゚lll)乂━━!!!であり、最終回は何より目出鯛。

 では、とりあえずご紹介。

 - - ダチンコから 04月14日に来たメール晒し 此処から - - - - - - - - - - - - - - - - -

 ダチンココメント:

 今回の圭坊氏コメントにも 「前回までのダチンココメントにその回答が有る」 という様なコメントも
 多々あるし、僕からもまだまだ反駁したい事は山ほどありますが、もう本当にキリが有りませんので
 予告通りまとめに入ります。
 そもそも互いに半世紀もかかって己の価値観を構築し信念に従って(?)生きて来たのだから
 ここでいくら膨大なコメントを繰り返したところでその半生を覆すに至らないのは
 当然と言えば当然ですからね。
 実際、互いに相手を納得させる事が出来ていないのが現実なので、以下半強制的に整理します。


 圭坊氏の主張;

 < 野鳥の飼育 >

 我々は 「資源を不当に浪費する簒奪者」 だ。
 我々は 「存在自体が悪」 だ。
 ( あくまで人間の道徳観から生み出された幻想であって
  人が自然を破壊したり、他の動物を徒に殺しまくっている現状は悪でも何でもない )
 だから今更、飼う為の条件を整える迄に犠牲となるかも知れない幾つかの個体が
 可哀想だなんて綺麗事だ。
 [ 野鳥をとっ捕まえて、籠に入れて野鳥の姿をした別の生き物として飼う ] =OK
 野鳥を所有したいという欲望を否定するためには相応の説得力のある“理由”が必要。
 法律的には結構色々な野鳥を飼う事が可能。
 野鳥には鳥権が無いのだからストーカー行為も監禁も等しく同じだ。
 ありふれた狩猟鳥を飼ってはならないという理由は無い。


 < 王道のバードウォッチング >

 猛禽類や狩人のような捕食者しか居ない環境と、
 其処へ更に観測者と云う余計な恐怖対象が加わった環境を同一視することはできない。
 捕食者でないが故に、何度も野鳥に恐怖を与え得ることが鳥にとって問題。
 人権ならぬ鳥権が認められたなら、バードウォッチングもまた、法律で禁止される行為と成り得る。


 < 邪道のバードウォッチング >

 鳥に対する迷惑行為をやっておきながら、スマホで囀りを鳴らすとか
 その場限りの餌付けで鳥を集める行為を咎めるべきではない。
 「王道のバードウォッチング」 も 「邪道のバードウォッチング」 も大同小異である。
 スマホで囀りを鳴らすとかその場限りの餌付けを迷惑と感じているのは、
 “王道のバードウォッチャー”だけ。
 邪道のバードウォッチングを否定されるなら科学的根拠を寄越せ。
 違法行為をしていない者なのだから、誰にも責める権利はない。
 スマホで囀りを鳴らせば、野鳥は異常な挙動を示すに違いない、
 人の手から餌を貰えば、野鳥は不自然な体型になってしまうに違いないというのは妄想だ。
 狭量な人物の行為に対しては、重箱の隅を穿り返して難癖を付ける様なイチャモンが
 纏わり付くのも致し方のないことだ。
 野鳥が近くへ寄って来れば、長玉を構えて遠方の野鳥を捉えることが出来ない観光客は喜ぶ。
 「 観光客が好む様な、観光客にとって都合の良い社会秩序」が維持されるべき社会秩序。
  ミルク缶みたいなバカデカいレンズを付けたカメラをブラさげてウロチョロするのは
  社会秩序を乱す行為。


 < ストーカーやパパラッチ >

 バードウォッチングとストーカーやパパラッチとは同じだ。


 ダチンコの主張;

 日本における法律がどうであるかにかかわらず、

 @ 「王道のバードウォッチング」 も 「邪道のバードウォッチング」 も
   野鳥から見れば 「ハンターである原始人と同じ事をしているだけ」 であり
   (野鳥から見て) 何の問題も無い。

 A 上記にかかわらず 「邪道のバードウォッチング」 をしている人は
   非常識な人の事であり少なくとも 「王道のバードウォッチング」 をしている人にとって
   迷惑である。


 < 野鳥の飼育 >

 自然界のハンター(原始人や猛獣や猛禽)は鳥をペットとして飼う事は無いのだから、
 [ 野鳥をとっ捕まえて、籠に入れて野鳥の姿をした別の生き物として飼う ] =NG
 野鳥をとっ捕まえ、捌いて喰うならまだしもペットとして飼うのは 「あるがままの自然」 の姿から
 程遠いと言わざるを得ない
 ( 「あるがままの自然」 から遠いほど野鳥に与える影響は予測が困難である )。
 本来野に在る鳥を本来の生態とは異なる環境に置いている時点で
 個体としての野鳥に何も弊害が無いとは言い切れない。
 未来永劫人間と共存して行けるのか未知数である限り
 種としての野鳥にとって果たしてプラスなのか誰にも分からない。
 野鳥を飼いたい人こそ上記に対抗する科学的根拠が必要。
 ペットを飼育したい人にはペットロスを覚悟してペットを飼育するか
 ペットロスを回避するために飼育を断念するかという二者択一が迫られているが
 野鳥ファンにはバードウォッチングするか大型モニタで観る動画で辛抱するかという
 二者択一を迫られる動機が無い。
 ペット飼育を希望しない者にとって既にペットと成っている種が
 野生種からペットに至る過程を許容しなければならない理由は無いのだから
 今現在の野鳥に同じ苦痛を与えてはいけないと主張しても
 ( 存在自体が悪という罪とやらを度外視すれば ) 何ら矛盾は無い。
 バードウォッチングをストーカーに例えるのであれば
 飼い鳥は監禁でありストーカーと監禁は等しく同じではない。
 上記にかかわらず既に飼育下に有って復元困難なものは最期まで飼育されるべきだ。
 野鳥は誰の所有物でもない。
 よってどうしてもペットを飼育したい人は既存のペットの中に活路を見出すべきである。
 野生種をペット化するという事はその遺伝子を人間に依存しなければ生きて行けない様に
 改変する事になる。 故に安易なペット化は避けるべきである。


 < 王道のバードウォッチング >

 捕食者も運悪く獲物が獲れない状態が長引けば延々とハンティングを継続するはずである。
 捕食者だろうがバードウォッチャーだろうが野鳥にとっては 「元々そこに有る恐怖」 だから、
 頻度に関わらずどこにも問題は無い
 ( 野鳥がストレスが原因で死滅してしまったという話は聞かない )。
 どこにも問題は無いのだから上記が頻繁に起こるとしても 「新たな(人工的な)恐怖」 などではない
 ( 「前提条件が変われば結論が変わる」 などという事象はどこにも生じていない )。
 ただし野鳥が迷惑しているのは事実だろうから 「極力影響を与えない」 様に心掛けるのは
 間違いではない。


 < 邪道のバードウォッチング >

 上記 @ の通り 「王道のバードウォッチング」 も 「邪道のバードウォッチング」 も
 ( 野鳥から見て ) 何の問題も無い。
 だとしても、スマホで囀りを鳴らすとかその場限りの餌付けを科学的に否定する事は困難だが
 状況証拠と目撃体験から、常識的に度を越せば問題有りと認識している。
 餌付けも度を越すとペット化と同じであり種の弱体化を招く。
 一方で迷惑している人が居て一方で迷惑をかけている人が居たら
 それはやはり迷惑だと言われても仕方がない。 法律に抵触しているかどうかの問題ではない。
 何事も程度問題である。
 人間社会によって自然界の生態系がどういう形であれ維持されているのだとしたら、
 我々が 「自然」 と捉えているものも社会秩序の一部であると言える。
 だとすると社会秩序を乱す事はすなわち生態系を乱す事にも繋がる。
 人間界の社会秩序が維持されなければ自然界に多大な悪影響を及ぼす。


 < ストーカーやパパラッチ >

 人間界のストーカーやパパラッチは被害者より元々上位に位置する存在ではない。
 従って野鳥ファンをストーカーやパパラッチに例えるのは根本的に間違っている。


 イタチの最後っ屁ではありませんが圭坊氏の直近コメントに少し回答しておかねばなりません。

 野外のフィールドにおける社会秩序には一般常識で容易に類推出来る様な事柄(総則)と、
 野鳥ファン同士やトレッカー同士などそれぞれのジャンル(社会)において形成されている
 事柄(細則)とが有る様に思います(もちろん明文化はされていませんが)。
 野鳥ファン以外の人に野鳥ファンの社会秩序を押しつける事は出来ないという意見は
 一見するともっともな事の様ですが細則は総則とかけ離れた特殊なものではなく
 一般常識の延長上に有り総則に内包されている性質のものです。
 よって常識的に判断すれば 「こんな事をしていたら野鳥ファンが迷惑するだろう」 と予測する事は
 可能だと思われます。
 立場が変わっても社会一般の常識が大きく異なるとは思えません。
 仮にその予測が出来なかったとしても、野鳥を見たいという強い動機の無い
 「野鳥は運が良ければ見られる程度のオマケ」 としか思っていない一般観光客が
 スマホでおびき寄せられた野鳥を見て喜ぶなどという社会秩序は
 未だ存在していない様に見受けられます。
 もしそんな社会秩序が形成されているとしても
 邪道のバードウォッチャーが王道のバードウォッチャーに迷惑を掛けているという事実は消えませ ん。
 また 「 ミルク缶みたいなバカデカいレンズを付けたカメラをブラさげてウロチョロするのは
 社会秩序を乱す行為 」 という社会秩序も存在していません。
 そんな細則は総則の中に内包されているとは思えません。
 つまり常識的に判断して 「こんな事をしていたら一般ピープルが迷惑するだろう」 と予測する事の
 出来ない事象です。
 野鳥ファンは一般ピープルよりも少し大き目の荷物を背負っているだけであり
 ウロチョロしているのは一般ピープルも同じだからです。
 恐らくその社会秩序は圭坊氏の理屈の中にだけ存在するものでしょう。
 また仮に鳥を見たいという動機が有れば 「確実に鳥が見られる」 という
 社会秩序が存在する動物園へ行けば良いのです。
 或いは本来の 「あるがままの野鳥」 を見たいという動機が有るのなら
 スマホでおびき寄せられた野鳥を見ても希望が叶えられたとは言えません。
 地上の自然界が巨大な鳥籠だとしても 「あるがままの野鳥」 に最も近いものを求めるしかありませ ん。
 ( 少なくとも野鳥ファン同士の ) 社会秩序を乱してまで
 あからさまに手を加えられた飼い鳥同然の姿を見るくらいなら
 動物園へ行った方が無難というものです。
 なお、

 > 巣の近くにバードウォッチャーが居る所為で、親鳥が雛に餌を与えることが出来ず、
 > ひっきりなしに入れ替わり立ち代わりするバードウォッチャーの影響で雛鳥が飢え死にする。

 とのご指摘が有りましたが、実はこれはバードウォッチャーが最も注意しなければならない事なので す。
 野鳥の繁殖を邪魔すると営巣放棄により雛や卵が死んでしまう危険性が高く、
 実際そういう事例が少なからず有るものと思われます。
 ここでの議論から人間は元々捕食者なのだから問題無いと言っても良いのですが
 野鳥に極力影響を与えないというモラルが普遍的なものであるならば
 そのモラルに反するとも言えます。
 故に営巣の観察には最低限の知識と細心の注意が求められます。

 これにて終了です (やっと終った・・・)。
 「文明至上主義」 についてはテーマから遠退きましたので割愛しました
 ( 場所を変えて継続してもいいですけど )。
 ここまでの激論を以ってしてもテーマに関して結論めいたものは残念ながら得られませんでした。
 あとは読者の人がどう思うかです。 人により価値観は千差万別です。
 理屈が通っていても他人が納得するとは限りません。
 ただ今回の激論の結果、僕個人の考え方はだいぶ整理出来ました。 有り難うございました〜。

 このままダチンコのコメントで終るのはダチンコのモラルとしてどうかと思います。
 まだ何か言いたい事が有れば冥途の土産にどうぞ・・・

  - - - - - - - - - - - - - - - - - ダチンコから 04月14日に来たメール晒し 此処まで - -

 SEALDs や 朝日新聞 を相手にしているのかと錯覚する程に意見が暖簾に腕押し状態なので、言い 返したい事は多々御座いますが、敢えて何も申し上げません。 私の腹の中に在るモノは、すべてが 些事に御座います。

 それこそもう、本当に

     /: : : : : __: :/: : ::/: : ://: : :/l::|: : :i: :l: : :ヽ: : :丶: : 丶ヾ    ___
     /;,, : : : //::/: : 7l,;:≠-::/: : / .l::|: : :l: :|;,,;!: : :!l: : :i: : : :|: : ::、  /     ヽ
    /ヽヽ: ://: :!:,X~::|: /;,,;,/: :/  リ!: ::/ノ  l`ヽl !: : |: : : :l: :l: リ / そ そ お \
   /: : ヽヾ/: : l/::l |/|||llllヾ,、  / |: :/ , -==、 l\:::|: : : :|i: | /   う う  前  |
.   /: : : //ヾ ; :|!: イ、||ll|||||::||    ノノ  イ|||||||ヾ、 |: ::|!: : イ: ::|/   な 思 が
   /: : ://: : :ヽソ::ヽl |{ i||ll"ン    ´   i| l|||l"l `|: /|: : /'!/l     ん う
 ∠: : : ~: : : : : : : :丶ゝ-―-      ,  ー=z_ソ   |/ ハメ;, :: ::|.   だ ん
   i|::ハ: : : : : : : : : : : 、ヘヘヘヘ     、  ヘヘヘヘヘ /: : : : : \,|.   ろ な
   |!l |: : : : : : : : :、: ::\    、-―-,      / : : :丶;,,;,:ミヽ   う  ら
     丶: :ハ、lヽ: :ヽ: : ::\__  `~ "      /: : ト; lヽ)   ゝ
       レ `| `、l`、>=ニ´        ,  _´ : :} `   /
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       ,;'~  _r-- 、__     ~f、_>'、_         |  で  前 ・
      f~  ,;"     ~"t___    ミ、 ^'t         |  は  ん ・
      ,"  ,~         ヾ~'-、__ ミ_ξ丶     |  な  中 ・
     ;'  ,イ ..          ヽ_   ヾ、0ヽ丶    l         /
     ( ;":: |: :: ..          .`,   ヾ 丶 !    \____/
     ;;;; :: 入:: :: ::      l`ー-、   )l   ヾ 丶
     "~、ソ:: :い:: :     \_  ノ ,    ヾ 丶

 なのですよ。

 では、これにて終了 〜〜〜。

 

 ま、映画【007 スペクター】のレンラルビデオが始まったことだし、007ファンの貴殿としては、あれでも 観て、ごゆるりと気持ちをリフレッシュしてくれたまえ。

 んじゃ、ばいちゃ。


 
 ↑ 売り方がセコイってんで、amazonのユーザー評価が炎上しているけど、作品としてはまずまず面 白かったヨ。



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