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フォト_ギャラリー

2016年02月05日 [ 第216回 ]

 ツクシガモ,ミコアイサ

2016.04.09 例の奴は隣のページに続きを載せました

 

 

 ツクシガモ Common Shelduck Tadorna tadorna

 分類:カモ目 カモ科

 全長:63.0cm

 翼開長:133.0cm

 分布:中国地方から九州北部で冬鳥。

 生息環境:海岸、河口など。

 食性:海草、甲殻類など。

 レッドリスト:絶滅危惧U類(VU)

 フォトギャラリー:第77回他参照

 撮影難易度:★★★☆☆


 撮影日:2016年1月23日

 撮影時間:12時28分54秒

 シャッタースピード:1/320秒

 絞り値:F16

 撮影モード:マニュアル

 焦点距離:1000mm(換算1500mm)

 ISO感度:800

 撮影地:大阪府

 使用カメラ:NIKON D40

 使用レンズ:Nikon Reflex−NIKKOR・C 1:8 f=500mm
        :Nikon Teleconverter TC−201 2×


 撮影日:2016年1月23日

 撮影時間:12時29分32秒

 シャッタースピード:1/320秒

 絞り値:F16

 撮影モード:マニュアル

 焦点距離:1000mm(換算1500mm)

 ISO感度:800

 撮影地:大阪府

 使用カメラ:NIKON D40

 使用レンズ:Nikon Reflex−NIKKOR・C 1:8 f=500mm
        :Nikon Teleconverter TC−201 2×





 
 @

 
 A

 
 B

 
 C

 ミコアイサ(@手前・奥中央=雄繁殖羽、A・B雌タイプ、C雄換羽中) Smew Mergellus albellus

 分類:カモ目 カモ科

 全長:42.0cm

 翼開長:61.0〜70.0cm

 分布:九州以北で冬鳥。北海道北部で夏鳥。

 生息環境:湖沼、河川、港など。

 食性:魚類、貝類、甲殻類など。

 フォトギャラリー:第107回他参照

 撮影難易度:★★☆☆☆


 @

 撮影日:2016年1月23日

 撮影時間:14時16分06秒

 シャッタースピード:1/320秒

 絞り値:F16

 撮影モード:マニュアル

 焦点距離:1000mm(換算1500mm)

 ISO感度:800

 撮影地:大阪府

 使用カメラ:NIKON D40

 使用レンズ:Nikon Reflex−NIKKOR・C 1:8 f=500mm
        :Nikon Teleconverter TC−201 2×


 A

 撮影日:2010年12月30日

 撮影時間:13時47分52秒

 シャッタースピード:1/80秒

 絞り値:F16

 撮影モード:マニュアル

 焦点距離:1000mm(換算1500mm)

 ISO感度:800

 撮影地:鳥取県

 使用カメラ:NIKON D40

 使用レンズ:Nikon Reflex−NIKKOR・C 1:8 f=500mm
        :Nikon Teleconverter TC−201 2×


 B

 撮影日:2011年12月14日

 撮影時間:09時55分38秒

 シャッタースピード:1/250秒

 絞り値:F16

 撮影モード:マニュアル

 焦点距離:1000mm(換算1500mm)

 ISO感度:400

 撮影地:滋賀県

 使用カメラ:NIKON D40

 使用レンズ:Nikon Reflex−NIKKOR・C 1:8 f=500mm
        :Nikon Teleconverter TC−201 2×


 C

 撮影日:2012年12月25日

 撮影時間:12時56分44秒

 シャッタースピード:1/100秒

 絞り値:F16

 撮影モード:マニュアル

 焦点距離:1000mm(換算1500mm)

 ISO感度:400

 撮影地:大阪府

 使用カメラ:NIKON D5100

 使用レンズ:Nikon Reflex−NIKKOR・C 1:8 f=500mm
        :Nikon Teleconverter TC−201 2×

 前回に続き大阪南港野鳥園の近況。
 ツクシガモのフォトギャラリー登場は4年ぶりとなった。 2年前と3年前にも撮影しているものの特に 避けていた訳ではないが掲載せずに流していた。 大型のカモなので久しぶりに見るとやはり迫力が 有る。 この状況で明確に雌雄を識別するのは僕には難しい。
 ミコアイサも3年近く前の2013年4月以来久々の登場となった。 雌雄数羽がヒドリガモ、オカヨシガ モ、オナガガモなどの混群に混じっていた(@)。 かなり遠かったのでこういう画質になってしまった。  お詫びの印に(?)常套手段の在庫写真。 雄のエクリプスは雌とよく似ているので比較の為に何枚か 選んで並べてみた。 Aは頭が褐色なので雌と思われる。 Bは雌タイプとキャプションを付けたもの の頭は褐色だが白い羽が出て来ており光の加減かも知れないが背も黒く見える事から雄エクリプスと 思われる。 Cはかなり換羽が進行しており明らかに変身途中の雄。





□■ 以下、圭坊の記述 □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

 2016年1月20日 [ 第214回 ] の末尾に

   前回の余録に対して下記の様な投稿を頂いた(フォトギャラリー第213回参照)

 と在った事を覚えておいでだろうか。

 まぁ、検索エンジンから来た人はともかく、私のホームページから来た人なら、全員が全員、「ああ、こ の口調は圭坊が書いた物だな」 と理解して頂けた事と思う。

 実は、1月20日に彼に対して、メールで反駁しておいたんだ。

 それが以下の駄文である。

 - - ダチンコに向けたメール、此処から- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

 ( ^ω^ ) ワロリンヌ。

 あれでは全然反駁になってないでゴザル。



 鳥の気持ちは鳥にしか分からないので飽くまで推測だが、
 少なくとも自ら望んで籠の中に入って来て 飼い鳥になる野鳥は居ないだろう。

 それは鳥に 「飼われる」 という概念が理解できないからに過ぎない。

 もう少し賢い獣になると、飼われるという事が理解出来て自ら飼われようとすることがある。

 犬や猫などで、敵ではない人間が存在することを理解した個体の中に、自ら人間に身を摺り寄せて 飼ってアピールをする者が居る。

 鳥にももう少し知能があれば、飼われようとする者もあらわれるだろうね。



 逆に飼い鳥は籠から抜けるチャンスが有れば出て行ってしまうだ ろう
 (帰巣本能によって戻って来る伝書鳩はその様な本能を人間が利用しているに過ぎない)。

 逃げるのは単純に弱肉強食の世界で生き残る為に必要な本能に従っているに過ぎない。

 ただし、高く飛んで餌を探さなくて済む生活に慣れた個体は、餌の貰える環境へ戻ろうとする傾向が ある。

 大昔も大昔。 まだ結婚する前で、オイラが親元で暮らしていた頃。
 たしか、ヒヨドリだったと思うが、駐車場で翼を傷めた個体を見つけて保護したことがある。
 「蟲しか喰わないんだろうなぁ」 と思って、釣り道具屋でゴカイを買って、カッターナイフで刻んで食わ せた。
 どうせ羽根が治ったら自然へ還す予定だったので、鳥小屋は、新聞紙を敷いた上に洗濯籠を被せた だけの簡易仕様。
 ひと月くらいだっけか、選択籠の中を飛び回る様になったので、庭に放ったら、あっという間に視界の 彼方へ。
 お礼の挨拶くらいして欲しかったが、畜生にそれを望むのは無理なので諦めたら、半日くらいして鳴 き声が。
 どうも単純に腹が減った際に、この辺で努力しないで飯が食えていたことを思い出したみたいだ。
 とはいえ、人間の姿を見たら逃げるので、捕まえて飼うことも出来ず (そもそも、飼うのは違法だ が)、数日したら来なくなった。

 先述の犬や猫もそうだ。 (犬の場合は保健所がヤバイので公道で放し飼いは無理だが) 野良猫歴 のある猫は、腹が満たされたら外へ出たがる。
 でも、腹が減れば帰って来る。 繁殖期にメスを追いかけて遠くへ行ってしまい、帰って来れなくなる バカ猫も居るけど、基本的には帰って来る。



 野鳥 たちは長い者では片道3万km以上も季節移動する。
 それが彼らの本能であり遺伝子に組み込まれ た強い衝動なのだ。

 いやいやいや。

 片道3万km以上も季節移動するのは、他の種と餌を奪い合う事無く子を産み育てれられる環境を求 めて移動するだけの事。
 「本能であり遺伝子に組み込まれた強い衝動」 であるから、ヒヨドリのように簡単に洗脳できるとは思 わないけど、目的地よりも手前に似たような環境の理想郷を見つければ、そこが新しい目的地になる だろうし、(物理的に可能かどうかは別にして)新しい目的地を次々に用意して、飛行距離を短くし続け たら、おそらく渡り鳥ではなくなるだろうと思われる(あくまで憶測ですが)。

 ちなみに、巨大な植物園などで、鳥を放し飼いにしている場合、餌台を置いて、獲物を狩る必要のな い生活が続くと、鳥は木に停まってばかりで、ほとんど飛ばなくなるんだそうな。
 渡り鳥も、遠距離を飛ばなくても食って子孫を遺せる環境が続いたら飛ばなくなると思うよ。



 人間の主観かも知れないが懲役刑が刑罰として成立するのは
 多くの囚人にとっ て自由を奪われる事それ自体が苦痛だからだ。
 インドア派の人が部屋に閉じ籠って生活する事を選 ぶのは
 それがその人の欲求であり自身の自由を謳歌している事に他ならないのではないか。
 たとえ その結果運動不足で寿命を縮める事になるとしても本望だろう。
 仮出所無しの終身刑で三度の食事 に困らず安全と医療が保証され
 長生き出るが自由が制限される人生と、
 自分で生活費を稼がねばな らずリスクも多いが
 自分のやりたい事が出来る自由な人生とどちらを選ぶかと問われれば、
 僕は迷わず後者を選ぶし鳥たちにも選ばせてあげたい。

 いやいやいや。

 仮説が根本から間違ってる。

 ・ 囚人 ⇒ 仮出所無しの終身刑で三度の食事に困らず安全と医療が保証され
        長生き出るが自由が制限される人生

 ・ 囚人じゃない ⇒ 自分で生活費を稼がねばな らずリスクも多いが
            自分のやりたい事が出来る自由な人生

 これは間違っていない。

 だが、

 ・ 飼われ鳥 ⇒ 三度の食事 に困らず安全と医療が保証され長生き出るが自由が制限される鳥生

 だとしても

 ・ 野鳥 ⇒ 日々の一瞬一瞬が僅かな気の緩みで他者に生きたまま食い殺されるサバイバル社会。
        しかも、明日どころか今日の飯さえ保障されない。

 ですよ。

 野鳥の弱肉強食リスクを人間の仕事レベルに希薄させるのはアカンでしょ。

 囚人の人生を以て、野鳥を語るんじゃなくて、野鳥が負っているリスクを人間に喩えて、人は野で生き ることを選ぶのか?を考えなきゃ比較としてフェアではない。

 たとえば、とある国のとある所に、経営破綻して廃園となった動物園があるとする。
 何故か貴方の家がその動物園のサファリツアーの入り口に建っている。
 玄関ドアはサファリツアーコースに向いている。
 仕事をしたり、飲み屋や風俗に行ったり、恋人に会う為には廃園となって、腹を空かせた猛獣が待つ サファリツアーコースを抜けて外へ出るしかない。
 一方、ドアを開けずに引き籠っていれば、何処からか粗末な衣服や不味い食料が湧いて来る・・・とす る。

 さて、ドアを開ける気になるかい?
 ちなみに野菜を採らない猛獣は、内臓を食べることで栄養のバランスを取っているから、必ずしも頸 動脈を噛み千切って早く楽にしてくれるとは限らないよ。
 私なら、生きたまま腸を食い散らかされるくらいなら家に引き籠りたいね。 たとえ、妄想072くらいし か娯楽が無いとしても。


 登山家が危険を冒してまで山に登るのはそれがその人の欲求であり、
 命あっての物種とは言え危険だから山に登るなと強制されたら
 果たしてその人は長 生きして幸せな人生だと言えるだろうか。

 え? 登山家って猛獣と闘いながら山を登ってるの?・・・という次元の話なんだがね。

 アタリマエの話だけど、弱い種ほど多産だ。

 小魚などは一度に十万以上も産卵して孵化する。 鳥も哺乳類とは比べ物にならない程多く産卵して 孵化する。

 しかし、その中で成魚/成鳥まで育つのは、ホンの僅かだ。

 基本的に全部死ぬ。

 死ぬために生まれてくる。

 圧倒的に死ぬ個体郡の中に、小魚ならちょっとした宝くじの特等並みの確率で、鳥だったらビンゴ大 会の一等賞並みの確率で、生き残って未来へ命を繋ぐ個体が存在する。

 それ以外は全部死ぬ。

 だから、もし、孵化する前の幼魚や幼鳥に
 「 これから先は、ほぼ100%生きたまま他者に喰われてもがき苦しんで死ぬ
   魚(鳥)生が待っています。 生まれたいですか? 」
 と訊けるとしたら、
 (相手に知能があるなら) 「 生まれたくない 」
 と答えるでしょう。
 私も、(私が魚や鳥だったら)そう答えます。

 魚や鳥は、産まれてしまったから仕方なく生存競争に加わっているだけです。

 たとえば、競争率20倍の大学があって、合格すれば人生勝ち組確定だとしても、落ちた奴は全員死 刑・・・なんて受験があったら誰が受けるだろうか。

 そういうことなんですよ。

 野生のリスクは登山家のリスクとは比べ物にならない。
 毎年毎年、登山家の九割が遭難して死ぬというなら、比較として成り立つが、登山家が死んだだけで 新聞の記事になる程度の温いリスクで、野生動物の生存競争リスクに喩えてはいけないよ。


 鳥たちは籠の中が比較的安全だとは理解してないだろう。
 結果的に長生き出来る確率が高いに過ぎない。
 但し飼い主の家が火災になっても自ら逃げる事は出来ないから
 絶対安全とは限らないし野外だから短命に終るとも限らない。

 近年オナガガモの標識 調査で10年前に足環を付けられた個体が生存していた事が確認されてい る。

 それは飼われ鳥に於いては、偶然に運の悪い個体が存在し、野鳥に於いては、偶然に運の良い個 体が存在したに過ぎない。

 要は餌が確保できて、外敵に襲われず、日陰や人間の熱源などで極端な寒暖から逃れられれば、 野鳥にだって長生きは出来る。

 先述した通り、そもそもこの世に生れ出て、成鳥まで無事に育つ個体自体が既にレアケースである。

 さらにレアケースな『長生きした野鳥の例』に意味は無い。

 「誰もがそんな鳥に成れるとは限らない」 どころの話じゃなくて、ほとんど誰も成れないレア中の弩レ アケースだからだ。

 野に生きれば、九分九厘が生きたまま喰われて死ぬか、あるいは飢え死や凍死する。

 人に飼われれば、(飼う人にもよりけりだが)九分九厘が鳥生を全うする。

 これは厳然たる事実である。



 我々は自由主義国日本に生まれ自由が当たり前過ぎてその尊さに気付きにくい傾向が有る。
 その一方で安全が当たり前過ぎて危険に対して鈍感な面も否めないのだが。

 いや、日本がイラクとかアフガニスタン,パキスタン,ソマリアよりも遥かに安全だとしても、
 http://matome.naver.jp/odai/2140534889141515201?page=3
 http://matome.naver.jp/odai/2140534889141515201?page=2
 アフガニスタン,パキスタン,ソマリアでさえも、野生の弱肉強食に比べたら超安全なぬるま湯だよ。

 幾ら何でも、野生動物みたいに、新生児の九割以上が未成年の間に死んじゃうんじゃないからね。

 それでも、貴方が、AK47を乱射してヒャッハー!なイラクとかアフガニスタン,パキスタン,ソマリアよ りも遥かに安全な日本に生まれ育ったことを感謝するって言うのなら、もし、鳥籠の鳥に言語を操って 喋る知能があったなら、
 「 雌鳥の尻尾を追い回してヒャッハーな鳥生は謳歌できませんでしたが、
   野生よりも遥かに安全な環境で育てて頂いて感謝します 」
 と言うとは考えられないかな。

 頭を撃ち抜かれて死ぬのでさえ十分すぎるくらいに嫌なのに、生きたまま腸食われてのたうち回って 死ぬんですよ。

 嫌すぎません?

 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - ダチンコに向けたメール、此処まで - -

 翌日に追伸も送ってあるので、それも晒しておく。

 - - ダチンコに向けたメール、此処から- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

 昨日の帰宅途中に気付いたんだが、登山家の件は、こうも考えられるよね。

 アニメ『ヤマノススメ』
 http://www.yamanosusume.com/
 でもそうだけど、基本的に登山は、安全で簡単な低い山から始めて、少しずつ難度を上げて行く。

 だけど、野生の生き残りを賭けた闘いは違う。

 生まれた瞬間がアンナプルナ
 http://mc.matome-complate.com/archives/22771312.html
 だ。

 何故なら、肉は若ければ若い程美味く、逃げ足は若ければ若い程遅いからだ。

 たとえば、アフリカ奥地の村を、人肉の味を覚えた猛獣が襲う場合、成人男性は後回し。
 喰われるのは女子供。

 だから、野生の生存競争のリスクを登山に喩えるなら、最初の登山がアンナプルナであるという前提 でなくてはならない。

 と考えれば、世界屈指の有名な登山家だって、初登山がアンナプルナで登山家の成ろうなんて思う だろうか。

 思わないよね。

 バイク乗りだって、初運転がマンクスTT
 http://matome.naver.jp/odai/2138098190648457601
 ならバイクに乗ろうなんて思わないし、
 クルマ乗りだって、初運転がパイクスパークヒルクライム
 http://jp.autoblog.com/2015/07/01/ppihc2015/
 ならクルマに乗ろうなんて思わないだろう。

 どっちもほぼ確実に死ぬもんな。

 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - ダチンコに向けたメール、此処まで - -

 さて今回、これ等のメールに対して、彼から反論が来た。

 勝手ながら、彼の記事の末尾にて反駁したい。

 いつもの逆転裁判風で行きます。

 まず、全文。

 どうやら正解の無い領域に踏み込んでしまった感があります。
 そもそも当初から意見がかみ合っていない様に思います。
 元々このコラムを記述した意図は
 「 意に反した生活を強いられるのは(たとえ長生き出来たとしても)幸せと言えるのだろうか 」
 という疑問に発しています。
 人間に飼育された経験の無い野生動物は何の経験則も無しに籠の中に入って来て
 自ら錠を下ろす様な事はしません(多分)。
 籠の中が本来の生息地ではないからです。
 生まれながらに籠の中という飼い鳥は自然界を知りませんが、
 一見すると満ち足りた様でも本能を封印された生活で幸せなのかという話です。
 なるほど確かに毎日の様に充分な食べ物が出て来る快適な空間かも知れませんが
 「長生きイコール幸せ」というのは人間の 価値観の押し付けに過ぎないのではないかと思います。
 案外「せっかく鳥に生まれて来て空を飛べないくらいなら死んだ方がマシだ」と思っているかも
 知れません。
 いかに生きたかではなくどれだけ長く生きたかに重きを置くという価値観は
 人間同士の間でさえ評価の分かれる所です。
 果たして飼い鳥が長生き出来て幸せだと思っているのか誰にも分かりません。

 自然界で巣立ち前に喰われたりするのは恐らく鳥にとっても激しい恐怖と苦痛を伴い
 不幸な事だと思われますが、結果に対して人間の主観で評価しているに過ぎません。

 またそれを確率で論じるのは論点が違う様に思います。
 確率の問題で言うなら登山家よりも遥かに危険な職業、
 例えば初期の宇宙飛行士などの様に誰も望まない様な危険を冒してでも
 自ら宇宙へ行くという選択をした人々が実在します。

 高い確率で挑戦が無残な失敗に終ったとしても不幸な人生だったと言えるでしょうか?

 なお、犬や猫を引き合いに出されていますが
 彼らには人間によって有史以前から取捨選択されながら飼い慣らされて来た
 途方も無く長い歴史が有り、たとえ野良犬U世として生まれた犬であっても 「人間になつく」 という
 遺伝子が強いと思われます。
 これをもって 「きっと野鳥も同じだろう」 と考えるのには無理が有ります。
 野生のオオカミが容易に飼い慣らせるなら
 ニホンオオカミやエゾオオカミは絶滅せずに済んだかも知れません。

 なるほど確かに餌付けに寄って来る野鳥は存在します。
 それも彼らの自由ですが彼らの本能と高い学習能力に従って人間を警戒しつつも
 「餌が出て来る便利な動物」 くらいに認識して寄って来るものと思われます。
 しかしそれを以って彼らが籠の中の監禁生活を望んでいると 判断するのは早計に過ぎます。
 自然界がいかに過酷であるとしても籠の中で安全を保障してあげているのだから
 鳥もきっと幸せだろうなどと考えるのは一方的な思い込みであり
 安全の押し付けに過ぎない可能性が有ります。


 以下、各個反駁。

 どうやら正解の無い領域に踏み込んでしまった感があります。
 そもそも当初から意見がかみ合っていない様に思います。
 元々このコラムを記述した意図は
 「 意に反した生活を強いられるのは(たとえ長生き出来たとしても)幸せと言えるのだろうか 」
 という疑問に発しています。
 人間に飼育された経験の無い野生動物は何の経験則も無しに籠の中に入って来て
 自ら錠を下ろす様な事はしません(多分)。
 籠の中が本来の生息地ではないからです。
 生まれながらに籠の中という飼い鳥は自然界を知りませんが、
 一見すると満ち足りた様でも本能を封印された生活で幸せなのかという話です。
 なるほど確かに毎日の様に充分な食べ物が出て来る快適な空間かも知れませんが
 「長生きイコール幸せ」というのは人間の 価値観の押し付けに過ぎないのではないかと思います。
 案外「せっかく鳥に生まれて来て空を飛べないくらいなら死んだ方がマシだ」と思っているかも
 知れません。
 いかに生きたかではなくどれだけ長く生きたかに重きを置くという価値観は
 人間同士の間でさえ評価の分かれる所です。
 果たして飼い鳥が長生き出来て幸せだと思っているのか誰にも分かりません。

 

 そもそも当の御鳥様に意見を訊かずに憶測であーでもないこーでもないと語っている時点で結論なん か出るワケが無い。

 では、当の御鳥様に意見を訊くべきなのか? 答えはYESだ。 だが不可能だ。

 鳥に人と会話する知能は無い。 もっとも人に近い猿でさえも、ピカピカの小学一年生が出来る足し 算が関の山である。

   2014年04月29日  IRORIO
   サルにも算数ができた!計算できないなんて猿以下かも……
   http://irorio.jp/onaiuiko/20140429/131289/

 会話に至っては、関係者が誤認しているだけで、猿でも実際のコミュニケーションは成立しない。

   2014年01月03日 ゴリラ語録
   ゴリラのココは本当に手話で会話ができるのか - その5 馬からサルへ、歴史は繰り返す
   http://gorilla-go-rock.seesaa.net/article/384255557.html

 もちろん、鳥は猿よりも知能が遥かに劣る。

 空を飛ぶ鳥は、その質量を徹底的に軽量化するため、翼を構成する骨まで中空化している。
 もちろん、脳も例外ではない。

 こういう動きをすれば餌が貰える ・・・ つまり、芸を覚えさせることさえ鳥類には困難な事です。
 そんな鳥類に、幸せを感じる知能があると見做す時点で誤っているのはないでしょうか。

 犬は簡単に芸を覚えるし、猫は機嫌の良し悪しを明確に表すから、おそらく犬や猫は我が身の置か れている状況に対して、幸福だとか不幸だとか感じている可能性が高いと思う。 しかし、鳥は違うだろ う。

 そこに考えを及ばす時、鳥類に対して

   意に反した生活を強いられるのは(たとえ長生き出来たとしても)幸せと言えるのだろうか

 というクエスチョンを設定した事が間違いだと気付くべきであった。

 そう考えて、「意に反した〜」 を取り除けば、残るのは、自然の摂理に逆らって人が餌を与えたり、保 護したりするのは正義か否か、というクエスチョンだけだ。

 だが、そうなれば、これはもう個人の見解から出ることは不可能。

 お互いに、いわゆる、『お前がそう思うなら、そうなんだろう、お前の中では、な』 ということです。

     /: : : : : __: :/: : ::/: : ://: : :/l::|: : :i: :l: : :ヽ: : :丶: : 丶ヾ    ___
     /;,, : : : //::/: : 7l,;:≠-::/: : / .l::|: : :l: :|;,,;!: : :!l: : :i: : : :|: : ::、  /     ヽ
    /ヽヽ: ://: :!:,X~::|: /;,,;,/: :/  リ!: ::/ノ  l`ヽl !: : |: : : :l: :l: リ / そ そ お \
   /: : ヽヾ/: : l/::l |/|||llllヾ,、  / |: :/ , -==、 l\:::|: : : :|i: | /   う う  前  |
.   /: : : //ヾ ; :|!: イ、||ll|||||::||    ノノ  イ|||||||ヾ、 |: ::|!: : イ: ::|/   な 思 が
   /: : ://: : :ヽソ::ヽl |{ i||ll"ン    ´   i| l|||l"l `|: /|: : /'!/l     ん う
 ∠: : : ~: : : : : : : :丶ゝ-―-      ,  ー=z_ソ   |/ ハメ;, :: ::|.   だ ん
   i|::ハ: : : : : : : : : : : 、ヘヘヘヘ     、  ヘヘヘヘヘ /: : : : : \,|.   ろ な
   |!l |: : : : : : : : :、: ::\    、-―-,      / : : :丶;,,;,:ミヽ   う  ら
     丶: :ハ、lヽ: :ヽ: : ::\__  `~ "      /: : ト; lヽ)   ゝ
       レ `| `、l`、>=ニ´        ,  _´ : :} `   /
         ,,、r"^~´"''''"t-`r、 _  -、 ´ヽノ \ノ   /    お ・
       ,;'~  _r-- 、__     ~f、_>'、_         |  で  前 ・
      f~  ,;"     ~"t___    ミ、 ^'t         |  は  ん ・
      ,"  ,~         ヾ~'-、__ ミ_ξ丶     |  な  中 ・
     ;'  ,イ ..          ヽ_   ヾ、0ヽ丶    l         /
     ( ;":: |: :: ..          .`,   ヾ 丶 !    \____/
     ;;;; :: 入:: :: ::      l`ー-、   )l   ヾ 丶
     "~、ソ:: :い:: :     \_  ノ ,    ヾ 丶



 自然界で巣立ち前に喰われたりするのは恐らく鳥にとっても激しい恐怖と苦痛を伴い
 不幸な事だと思われますが、結果に対して人間の主観で評価しているに過ぎません。

 

 そもそも知能が蟲よりも少しマシなレベルに留まる鳥類に対して、自然の摂理に従って生きることが 幸せだと感じるという発想自体が既に、結果に対して人間の主観で評価しているに過ぎません。

 昆虫でさえも危険から逃げます。

 脳ですらない神経節しか持たない原始的な昆虫でさえも危険から逃れるのです。

 なぜでしょう?

 生き延びたいからですね。

 では、なぜ生き延びたいのでしょう?

 どうせ一年かそこらで死ぬのに。 死ぬ状況次第では、神経が発する苦痛を脳が受け取る前に神経 節ごと潰されて死ぬことだって小さな昆虫では珍しくないのに。

 答えは、やや観念的な概論になってしまいますが、生き物の正体が 『遺伝子の容器』 だからです。

 生き物は遺伝子を未来へ繋ぐ為に世に生まれます。

 ご飯を食べたいと思うのも、ご飯を食べて美味しいと思うのも、「あーセックスしたい」 と考えるのも、 セックスして気持ち良いと感じるのも、多くの男性がゴム姦よりも生姦中出しの方が気持ち良いと感じ るのも、眠たくなるのも、十分な睡眠が心地良いのも、すべて、遺伝子を未来へ繋ぐ為に仕組まれた 『遺伝子の罠』 です。

 ついでに書いておきますと、人間がわざわざ危険な行為に及んでスリルを愉しむのも、生きている事 を強く実感して、セックスに励むように仕向ける為の 『遺伝子の罠』 と捉えることが出来ます。

 だから、自然界に居るにせよ、人に飼われているにせよ、自分の置かれている状況が幸せかどうか 考える知能がない蟲や脳の小さな動物であっても、遺伝子の目的 ―― ほんのちょっとだけ変化させ た自分を未来へ繋ぐ ―― が高い確率で叶う環境が幸せであると捉えることが出来るのではないでし ょうか。

 そう考えれば ( あくまで遺伝子にとって、ですが ) 幸せとは、[ セックスして出産(産卵)が叶う環境 ] に居る事であり、不幸とは、 [ セックスして出産(産卵)が叶わない環境 ] に居る事という事になるでし ょう。

 であるならば、(遺伝子にとって)最高に幸せな環境とは、外敵の心配がなく、飢え死のリスクもなくセ ックスして出産(産卵)が可能なパートナーが居る状況であり、(遺伝子にとって)最悪に不幸な環境と は、外敵とか、飢え死のリスクなんか関係が無くて、単純にセックスして出産(産卵)が可能なパートナ ーが居ない(今後も現れる可能性がない)状況という事になります。

 つまり、知能の劣る生き物に対して、その幸/不幸を客観的に判断するために、『遺伝子が幸せかど うか』 を判断基準にするならば、異性を交えた多頭飼いが最高の幸せであり、異性を交えない多頭飼 い、もしくは単頭飼いで飼い殺しにされるのが最悪の不幸ということになると思います。

 え? 遺伝子レベルの話じゃない、って?

 んなこと言っても、最低限のコミュニケーションさえ成立しない程に知能が低いんだから、あーでもな い、こーでもないと勝手な憶測を走らせるよりは遥かに建設的だと思いますけどね。



 またそれを確率で論じるのは論点が違う様に思います。
 確率の問題で言うなら登山家よりも遥かに危険な職業、
 例えば初期の宇宙飛行士などの様に誰も望まない様な危険を冒してでも
 自ら宇宙へ行くという選択をした人々が実在します。

 

 まぁ、大気圏を出た後は、終始、ガンマ線のシャワーを浴び続けるので、黎明期から今まで有人宇宙 飛行が危険で在り続けているのは事実ですが、初期の宇宙飛行士でも死ぬ確率は、狩られる側の野 生動物に比べたら“絶対安全”と言い切って良いレベルですよ。

   http://ja.wikipedia.org/wiki/有人宇宙飛行

   > ■ ソ連の有人宇宙飛行の歴史
   >
   > ・ ボストーク宇宙船
   >  ボストークは人類が初めて有人宇宙飛行をした際に搭乗した宇宙船。
   >  《解説中略》
   >
   > ・ ボスホート宇宙船
   >  ボスホートはアメリカのジェミニ計画に対抗する目的で作られた宇宙船である。
   >  世界初の宇宙遊泳を実現した。
   >
   > ・ ソユーズ宇宙船
   >  ソユーズはアメリカのアポロ計画に対抗する計画であり、月着陸を目指していたが、
   >  アメリカの追い上げが激しく、1969年のアポロ11号によって、
   >  ついにアメリカに先を越されてしまう。
   >
   《中略》
   >
   > ■ アメリカの有人宇宙飛行の歴史
   >
   > ・ マーキュリー計画
   >  マーキュリー計画とは、1956年〜1963年に行われたアメリカ初の有人宇宙飛行計画。
   >  アメリカ初の宇宙飛行士として7人が選ばれ、マーキュリー・セブン(オリジナル・セブン)と
   >  呼ばれた(マーキュリー計画で実際に宇宙に行ったのは6人)。
   >  1961年5月のマーキュリー・レッドストーン3号(フリーダム・セブン)により
   >  アメリカ初の有人宇宙飛行に成功。
   >  《解説中略》
   >
   > ・ ジェミニ計画
   >  ジェミニ計画とは、当時のアメリカ大統領であるジョン・F・ケネディが
   >  1961年5月15日におこなった
   >  『 この10年期の末までに人間を月に着陸させ無事に帰還させるべきだと信じる。』
   >  とする演説を受け、これを実行するためアポロ計画の下積みとして実施された計画であり、
   >  この計画で育まれた技術はアポロ計画に活用された。
   >
   > ・ アポロ計画
   >  アポロ計画とは、人類を月へ送る計画である。
   >  人類を月へ送るための機材を打ち上げるには、それまで打ち上げロケットとして
   >  使っていた、大陸間弾道ミサイルを改良した物では不足であった。
   >  アメリカは新ロケットであるサターンV型ロケットを開発し、その先端にアポロ宇宙船を
   >  取り付け打ち上げた。
   >  そして1969年7月16日、アポロ11号から切り離された月着陸船が月面に着陸。
   >  人類は月の地面を踏んだ。
   >  人類を月に送った事は人類の新たなる一歩を意味し、アメリカとソ連との宇宙開発競争で
   >  アメリカに劇的な勝利をもたらした。

 んで、事故が

   http://ja.wikipedia.org/wiki/宇宙開発における事故 ― 3.主な事故の一覧

   > ソユーズ
   >
   > ・ 1967年 - ソユーズ1号の帰還失敗
   >  大気圏再突入時にパラシュートが正常に開かず地上に激突。 宇宙飛行士1人が死亡。
   >
   > ・ 1971年 - ソユーズ11号の帰還失敗
   >  大気圏再突入の準備中に宇宙船内の空気が失われた。 宇宙飛行士3人が死亡。
   >
   > ・ 1975年 - ソユーズ18a号の打ち上げ失敗
   >  打ち上げ中にロケットが異常を起こした。
   >  高度145kmでカプセルが緊急分離され宇宙飛行士2人は生還
   >
   > ・ 1983年 - ソユーズT-10-1の爆発
   >  打ち上げ直前にロケットで火災が発生。
   >  打ち上げ脱出システムが作動し宇宙飛行士2人は生還
   >
   >
   > アポロ計画
   >
   > ・ 1967年 - アポロ1号の火災事故
   >  訓練中の事故で司令船が炎上。 船内にいた宇宙飛行士3人が死亡。
   >
   > ・ 1970年 - アポロ13号の酸素タンク爆発
   >  月に向かう途中で液化酸素タンクが爆発。
   >  月面着陸を中止し、月の周回軌道を利用して宇宙飛行士3人全員が地球に生還

 ほとんど死んでいません。

 一方で自然界に生きる狩られる側の野生動物は哺乳類で数十,鳥類で数百,魚類で数万もの子を 産み育てますが、その中でさらなる未来へ遺伝子を遺すまで生き続けられる個体は数匹。
 死ぬのがアタリマエどころか、死なないのがオカシイといわざるを得ない死亡率です。

 それに、ソビエト時代の宇宙飛行士は、一般大衆が寒冷地のコルホーズで使い捨ての労働を強いら れていた時に、本人と家族の衣食住を国抱えで養って貰えるエリートでした。 アメリカの場合は、他に 就ける仕事は幾らでもありましたが、其れ等と違って宇宙飛行士はずば抜けた名誉職です。 宇宙飛 行士だって誰にでも成れる職業ではありませんが、アポロ時代の宇宙飛行士は、生還すれば時の人。  どんな映画俳優も合衆国大統領も存在が霞んでしまう時の人。 それでいて、生還率は上述の高さ。

 そりゃあ、成れるモンなら成りますよ。

 狩られる側の野生生物と比較するには余りに例として不適切です。



 高い確率で挑戦が無残な失敗に終ったとしても不幸な人生だったと言えるでしょうか?

 

 誰が失敗程度で終わるような話をしてるんですか。

 宇宙飛行士の死亡率が九割を超えていて、成功して生還しようが、失敗して死のうが誰にも知って貰 えないとしたら、誰が宇宙飛行士になんか成るもんですか。

 被曝のリスクはあるにせよ、大多数が五体満足なまま生きて還って、報酬を受け取ってヒーローにな れるから挑戦するんです。



 なお、犬や猫を引き合いに出されていますが
 彼らには人間によって有史以前から取捨選択されながら飼い慣らされて来た
 途方も無く長い歴史が有り、たとえ野良犬U世として生まれた犬であっても 「人間になつく」 という
 遺伝子が強いと思われます。
 これをもって 「きっと野鳥も同じだろう」 と考えるのには無理が有ります。

 

 は?

 そもそも鳥類が人に懐かないのは、飼われた歴史がないからではなくて、知能が低いからだぞ。

 猛獣は人に飼われた歴史を持たないが、知能が高い猛獣は人に懐く。

   2015年10月28日 pecp
   【驚愕】日本じゃ絶対無理! あの動物をペットにする人たち
   http://peco-japan.com/2529

 鳥類だって、頭が賢かったら、飼われる/飼われないの歴史なんか関係なしに、懐くと思いますよ。

 現実の鳥類はバカだから、そう憶測するしかありませんが。



 野生のオオカミが容易に飼い慣らせるなら
 ニホンオオカミやエゾオオカミは絶滅せずに済んだかも知れません。

 

 いや、飼い慣らせたと思うよ。

 ただ、農家にとって狼は、生活を脅かす天敵中の大天敵。

 殺しても気が収まらないような相手を飼おうとする奴が居なかっただけだろうね。



 なるほど確かに餌付けに寄って来る野鳥は存在します。
 それも彼らの自由ですが彼らの本能と高い学習能力に従って人間を警戒しつつも
 「餌が出て来る便利な動物」 くらいに認識して寄って来るものと思われます。
 しかしそれを以って彼らが籠の中の監禁生活を望んでいると 判断するのは早計に過ぎます。
 自然界がいかに過酷であるとしても籠の中で安全を保障してあげているのだから
 鳥もきっと幸せだろうなどと考えるのは一方的な思い込みであり
 安全の押し付けに過ぎない可能性が有ります。

 

 ・・・ それじゃ最初にループしちゃうんだけどさ。

 押し付けかどうかは当の御鳥様に訊かない限りは憶測の域を出ないワケで。

 だいいち、ネズミ程度の脳しか持たない鳥類が籠の中に居て、それが自分が意に反した生活を強い らている状況だと理解できるのだろうか。

 彼らが大空を飛ぶ姿を見て、さぞかし気持ちが良いのだろうな、と妄想するのは人間の価値基準に 照らしているに過ぎない。 前にも書いたが、毎日確実に餌が貰える環境に置くと、鳥は余り飛ばなくな る。 これは鳥にとって飛ぶという行為が快楽を伴うモノではなく、単に食う為にやむを得ず行っている 辛い労働であることの証左だ。

 だから、私はこう結論付ける。

 鳥に猛獣並みの知能があれば、人に懐くだろうし、飼われる歴史を重ねれば人から逃げなくなるだろ う。 ( 余談ですが雀を食う歴史を持たない国の雀は人が寄っても逃げません:ニューヨークの公園 )  だが、現実の鳥類はバカでネズミ程度の知能しかない。 だから、飼われている時に 「此処は安全で 飢えないから幸せだ」 とか、逆に大自然の大空を飛んでいる時に 「飯には不自由するが、好きな雌を 選んで犯したい放題。 ああ、自由って素晴らしい」 とか考えることはないでしょう。

 だから、勝手な憶測で [ どう在れば幸せなのか? ] なんて考察は意味がないんですよ。

 〜以上、反駁終了。



 ■ 追伸 ■

 ちなみに、狩られる側の心境が疑似体験できる映画を紹介。

 レンタルビデオ屋で借りて観てくれたまえ。

 大自然は生まれた瞬間からこういう状況の連続だ。

 徹底的に知能が低くなかったら、恐怖で発狂してしまうと思うね。

   映画「クーデター」公式サイト
   http://coup-movie.com/

 そう考えれば、狩られる側の知能が低いのは神様の御慈悲なのかも知れない。



□■ 2016年02月08日 □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

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 - - ダチンコから 02月07日に来たメール晒し 此処から - - - - - - - - - - - - - - - - -

 知能の低い動物が幸福や不幸を感じるか?というのは永遠の謎でしょうが、
 こう考える事は出来ないでしょうか。
 投稿者は性欲に限定的に論じられていますが、少しでも多く(長く)自分のやりたい事が
 出来るのが幸福だと置き換える事は出来ないでしょうか?
 譬え野鳥に幸福を感じる知能が無いとしても欲望を満たせないより
 満たせる方が快楽を感じる事が出来るはずです。
 だからこそ動物は「行動」するのだと思われます。
 その結果生き残った者が遺伝子を後世に残しその欲望を受け継いで来たと思われます。
 当然性欲はその中の一つであり子孫繁栄に不可欠な条件ではありますが全てではありません。
 ほとんどの野鳥が命懸けで渡りをするくらいですから多くの野鳥にとって 「季節移動」 は
 性欲や食欲と同じく子孫を後世に受け継ぐ為に用意された強い欲望の一つであると思われます
 ( 渡りをしない人間には想像もつ きませんが )。
 渡り鳥のうち親鳥からはぐれた幼鳥も全てかどうか分かりませんが
 誰に教わる訳でもないのに渡りをしていると思われます。
 先祖代々渡りをして来た結果として生き残り遺伝子を受け継いで来たのだから
 敢えて名付けるなら 「飛翔欲」 とでも呼ぶべき強い欲望の一つであると考えるのが合理的です。
 多くの局面で野鳥たちはやむを得ず大きなエネルギーを消費しつつ 「飛ぶ」 様に見受けられます。
 飛ぶ必要の無い時には飛ばないのも鳥の持つ性質だと思われます。
 しかし長距離を移動する場合においては様々な障壁や危険を乗り越えて 「飛翔」 する事は
 大変有利であり鳥類の繁栄ぶりを見れば効率の良い移動手段である事に疑いは有りません。
 上昇気流や季節風などを利用して長距離を飛翔する事は費用対効果の高い手段であると
 思われます。
 もちろん野鳥たちはそれを計算している訳ではないと思いますが
 本能に従った結果として遺伝子が生き残って来たのであれば、
 すなわち 「飛ぶ」 事は鳥類の持つ強い衝動であると言えます。
 むしろ知能の高い動物ほどしばしば本能に従わない傾向が有ります。
 人間と比べて知能の低い鳥類だからこそ本能に従って生きる方が
 幸福と見る事は出来ないでしょうか。
 すなわち大空を飛ぶこと自体が鳥の本能であり幸福 (原始的な幸福感かも知れませんが) で
 あろうと推察するものです。
 有史以前に人間と共生して生き残る道を選択した犬や猫の遺伝子と
 昨日今日人間に捕獲された鳥の遺伝子とを同列にペットとして扱うのは
 自然の摂理に反しており自然界が宇宙旅行とは比較にならないほど危険だとしても
 鳥たちを人間の愛玩用として籠の中に閉じ込めておく理由にはなりません。

  - - - - - - - - - - - - - - - - - ダチンコから 02月07日に来たメール晒し 此処まで - -

 論破開始

 いやいやいや。

 だからネズミと変わらない知性しか持たない鳥類を過大評価するのは止めようよ。

 そもそも渡り鳥がどうして季節季節に長距離の移動をするのか考えてごらんよ。

 渡り鳥が“渡る”のは、生まれ持った本能でもなければ、神が最初から渡り鳥として造って与えられた 特殊能力でもない。

 なまじ飛ぶ能力を有しているから、遠い御先祖様が外気温や餌などの環境の変化に我慢強く耐える ことをせずに、さっさと新天地を求めて長距離の移動をしたに過ぎない。
 そして、たまたまその時期に温かくなって餌も豊富で、かつ捕食者の少ない土地を見つけて、移り住 んだ奴等が居た。
 ( もちろん、日本未満の環境の土地にしか辿り着けなかった奴等は死滅した )
 そこが、外気温や餌などの環境が変化しない土地だったら、そのまま住み着いて日本になんか帰っ て来ない。 ⇒ つまり、渡り鳥になんか成らない。
 でも、不幸なことに、その土地もまた外気温や餌などの環境が変化する土地だった。
 おなじ状況で人間だったら、終の棲家を捜しに新天地へ行こうとするだろう。
 だが、鳥はバカだ。
 バカだから、渡り鳥になる前に、日本で何度か寒さに凍え、あるいは何度か灼熱に耐えた記憶を辿っ て、日本に戻れば、また温かい、あるいは涼しい環境で暮らせると考えて日本へ戻ってしまった。

 こうして、この時点から、季節毎に行き来をする渡り鳥の生活が始まった。

 これだけだよ。

 だから、幼鳥も親鳥と一緒に飛んでコースを覚える。

 なんのソースも示さずに

    渡り鳥のうち親鳥からはぐれた幼鳥も全てかどうか分かりませんが
    誰に教わる訳でもないのに渡りをしていると思われます。

 って書いているけど、“渡り”が生まれて初めての挑戦になる幼鳥が、親鳥を含む渡りの群れからは ぐれたら生存の確率は完全にゼロです。 それこそ偶さか漁船の上に堕ちて、優しい船員から釣り用 の餌を分けて育てて貰いでもしない限りゼロです。


 思考実験をしましょう。

 新天城ドーム、有明コロシアム、こまつドーム、但馬ドーム、豊田スタジアム、御崎公園球技場(現:ノ エビアスタジアム神戸)、北九州メディアドーム(小倉競輪場)、大分スポーツ公園総合競技場(現:大分 銀行ドーム)・・・まぁ、どれでもイイんだが、でかいドーム施設を買い取って、エアコンで温度調節して、 沢山の餌を与え、渡り鳥を飼うとする。

 飼育最初の年に渡りを始めようとする個体が出れば、実験は失敗に終わるが、気温が渡り鳥の希望 する最適な温度で、日照時間も水銀灯のON/OFFをタイマー制御しているんだから、季節の移ろいは 把握できない。 だから、高い確率で飼い殺しモードが遂行できると思われる。

 危険がなく餌を食いっぱぐれない環境だと雀でも十年以上生きると言われているから、何年後になる かは分からないが、“渡ったことが一度でもある”個体が死滅するまで待てば、ドーム内に居る個体は 全て“渡ったことが一度もない温室育ちの”個体だけ。

 さて、同種族が渡りを開始する時期にエアコンを切ってドームの天井を開け、餌を回収したらどうなる か?

 もちろん、ドームの近くに今まで毎年渡り続けていた同種族は居ないと仮定して、だよ。

 これまでの主張から憶測すると、貴方の回答は、
 「 それでも“渡ったことが一度もない温室育ちの”個体もまた渡りを開始して
  迷うことなく目的地に到着する 」
 なんだろうけど、其れっておかしくないか。

 遺伝子は体の設計図だ。 脳の記憶 ―― つまり、記憶する事で変化する脳神経の構造 ―― は、 一切記憶されない。
 ( 記憶は全く何も引き継ぎませんが、記憶以外なら引き継ぎます。
  たとえば人間の赤ん坊は、飢えている時にクチの中へモノを入れると舐めます。
  舐めて母乳が出たら吸って摂取しようとしますが、これは“記憶”ではなく“反射”です )

 前回の返答で、「雀を食う習慣がない国土に住む雀は人から逃げない」 とまるで遺伝子が記憶する かのように書いたが、アレも良く考えたら、親や同族が人から逃げるのを真似ているだけの可能性が 高い。 というか、確実にそうだろう。

 だから、私は、思考実験に対してこう答える。

 「 それでも“渡ったことが一度もない温室育ちの”個体は、初めての状況にどうして良いか判らず、
  そのままドーム内に留まって、親鳥は死なないが、環境の変化に耐えられない雛鳥の多くが
  死んで個体数を減らすだろう。
  あるいは、渡りを開始する可能性も考慮されるべきだが、
  その行先は、“渡ったことが一度でもある”個体が知っている目的地ではない。 新天地である。
  ( もちろん、“偶然に”、同じ場所へ辿り着く可能性もある ) 」

 です。


 それと、

   大空を飛ぶこと自体が鳥の本能であり幸福 (原始的な幸福感かも知れませんが) であろう

 と書いておられますが、広くて飛ぶ空間が十分にあっても施設で飼われる鳥は、あまり飛びません

 空を飛ぶことは莫大なエネルギーを浪費しますから、腹が減った際に確実に餌にあり付けると限らな い自然界の鳥こそ飛ぶことを控えて、腹が減った際に確実に餌にあり付ける飼われた鳥こそ盛大に飛 んで飛んで飛びまくる筈ではありませんか。

 でも現実は逆です。

 だから、貴方が絶対に譲らない思考の原点が間違っているんです。

 鳥は飛ぶのが好きだから飛んでいるのではありません。

 飛ぶ能力を有する事で、飛ぶ能力を有しない者たちとは違う餌の獲り方や、捕食者からの逃げ方を 得たから、“生きる為に”飛んでいるに過ぎません。

 そもそも長距離を飛んでいる姿を見て、「渡り鳥は、“渡り”行為自体が欲望 」 とか 「飛ぶ事は鳥類 の持つ強い衝動である」 とか、そんなことを言うならオイラはどうなるよ。

 貴方だってそうだったと思うけど、オイラは早朝に家を出て1時間以上も公共の交通手段を乗り継い で大阪市内へ行き、10時間以上も働いて、同じだけの時間を掛けて家に帰っている。 毎日だ!

 これを観察した人知を超えた高度生命体から
 「 圭坊という個体は、自宅の近くで労働者の募集があるにも拘らず、ああして毎日毎日遠い地まで
  労働する為に移動しておる。
  『圭坊という個体にとっては、電車やバスを乗り継ぐ行為自体が欲望なのだ』
  あるいは、
  『公共交通機関を乗り継ぐのは、圭坊の強い衝動である』
  なのであろう 」
 なんて言われたら、たとえ相手が人知を超えた高度生命体であっても、助走を付けてブン殴るぞ。

 マトモな賃金を払ってくれる会社に再就職できるだけの能力を持たない無能だから、土地を貸してい る先にコネ入社して、失職したら生活レベルがとんでもないことになるから、往復で2時間半も掛けてコ ネ入社先へ通ってるんだ。

 渡り鳥だって同じだ。 季節の移ろいがあると生存が難しいから ( 特に子育てが難しい )、飛びたくも ない長距離を飛んでいるだけだ。

 渡り鳥に人並みの知能があって、インターネット環境があって、貴方の書いた文章が読まれたら、貴 方、渡り鳥に横ッ面、ブン殴られますよ。



 あと、最後に。

   自然界が宇宙旅行とは比較にならないほど危険だとしても
   鳥たちを人間の愛玩用として籠の中に閉じ込めておく理由にはなりません。

 だから、それを決めるのは、オイラでも無けりゃ貴方でも無いよ。

 当人が決める事だ。

 だけど、当人は基本的にバカしか居なくて人間を保護者として認識することさえ出来ない。

 だから、答えなんか出ないと言ってる。



□■ 2016年02月12日 □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 さらに続きがキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!。

 - - ダチンコから 02月10日に来たメール晒し 此処から - - - - - - - - - - - - - - - - -

 相手を論破するとか言い負かすのが目的ではなく純粋に何らかの答を出したいだけなので
 一応「激論」を継続しますね。
 往々にして変人と紙一重の人間が一見無駄な努力の様に思えるひねくれた事を考え出した時に
 何かが発見されるのかも知れません。
 
 渡り鳥が毎年正確に越冬地に辿りつき繁殖地に戻るのは 「記憶」 によるものだと言いきれるのかと いう根本的な命題を提示しましょう。
 我々人間の主観では
 「 親鳥が越冬地を知っているから幼鳥も越冬地について行く。
  その記憶を代々受け継いで行くから毎年同じ所に同じ冬鳥が集まる。
  帰巣本能により自分の生まれ育った場所に戻り繁殖する 」
 と考えてしまいがちです。
 ところがこの方程式では説明のつかない事が現実には起きています。
 いつだったか忘れましたが豊岡のコウノトリ放鳥個体が数羽別々に移動し、
 なぜか滋賀県の某所に別々に飛来し再集結したことが有りました。
 レンジャー曰くなぜそんな事が可能だったのか全くの謎との事でした。
 またその豊岡には数年前 (間違い無く海外から) 野生個体が飛来し
 放鳥個体との繁殖に成功しました。
 しかもこの個体を含めて1999年以降過去3例も野生個体が飛来しているのです。
 なぜ携帯電話やナビシステムなど持たない彼らが長距離を移動し
 ピンポイントでそこに仲間が居ると分かったのでしょうか?
 いくら視力が優れていても数百km以上も遠方の仲間を見つける事は不可能です
 ( 日本の上空はそれほど澄んでいません )。
 それとも当てずっぽうに飛び回っているうちに偶然見つけたのでしょうか?
 ここからは飽くまで僕個人の突拍子も無い珍説ですが、
 「 彼らは自分の行きたい方向に行きたい距離を飛んだだけ 」
 という事です。
 豊岡でコウノトリが飼育されているのは過去にそこに野生のコウノトリが生息していたからです
 ( 飼育個体・放鳥個体はロシア系の子孫ですが )。
 つまり彼らの多くが 「自分の行きたい方向に行きたい距離を飛んだ」 結果として
 誰が決めた訳でもないのに豊岡に居た訳です。
 そこへ別の野生個体が飛来したのは偶然ではないと考える事は出来ませんか?
 日本の個体群が絶滅したのは1971年だから、この野生個体はまだ生まれてもいません。
 つまり誰に聞いた訳でもなく豊岡に飛来したのです。
 かつて豊岡に飛来した個体群と共通の遺伝子を持っていると考えれば
 漠然とですが納得出来ます。
 放鳥個体の件も同様です。
 コウノトリ個体群が共通して持って生まれた遺伝子からの指令により
 示し合わせた様に同じ方向に同じ距離を飛んだ ( しかも同じ時季に ) と考えれば
 謎解きのヒントになると思うのです。
 そうして景色を見下ろしながら飛んでいるうちに 「お!この辺はいい所だな・・・」 と感じて
 降りてみたら同じ趣味趣向の仲間が居たという経緯は有り得ない話ではありません。
 アホウドリの移住計画の例も述べておきましょう。
 繁殖地の伊豆大島の鳥島が噴火したら絶滅してしまうと考えた研究チームが
 350kmも離れた無人島に雛だけ数羽を人為的に運んで人工飼育し放鳥しました。
 巣立った島に戻って来るという習性を利用して新たな繁殖地を形成させるのが目的で、
 実際狙い通りに戻って来て繁殖に成功しましたが、ここで僕が注目したいのは
 繁殖地に戻って来た事ではなくて、その前にアホウドリの越冬地として定着している
 ベーリング海へ渡っていた事実です。
 なぜ幼鳥だけで餌の豊富な越冬地が分かったのでしょうか?
 何故わざわざ冬にアラスカ沖へ向かおうと思ったのでしょうか?
 単に暖かいところを目指していたならまず有り得ない現象です。
 これも偶然と片付けて しまっていいのでしょうか?
 それとも南下の途上でたまたま北上する近縁種の大群と遭遇し
 何となくついて行ったら何やら餌の豊富な海域に到達したのでしょうか?
 そういう 「偶然」 なら充分有り得ると思いますが想像の域を出ません。
 何とも奇跡的な偶然という感じです。
 
 野鳥たちが渡りを開始する時季については諸説有り解明されていません。
 餌が減ったり気温が変化したから移動するとは限らないのです。
 暖冬や冷夏の年でも移動しますから。
 実際、バードウォッチングをしていると、まだまだ餌が有るのに抜けてしまう事は珍しく有りません。
 また群れからはぐれた第1回冬羽の個体 (渡り初体験) が単独で行動している所を見る事も
 有ります。
 渡って来てから親とはぐれたり独り立ちした可能性も有るし、
 「 あの鳥たちについて行けば何となく安心だ 」
 と判断して同種の群れあるいは他種と混群になって
 一緒に行動しつつ渡って来たというケースが大半でしょうけど。
 もとより、渡りのほとんどは群れの中の経験者の記憶により決定されているという考えを
 否定するものではありません。
 ただそれは誰もが考える普通の答であり、それだけを結論にして皆と同じ様に納得してしまったら
 このコーナーが存在する意味が有りませんし、何より上記の疑問に対する解答にはなっていません。
 
 そこで個人的な珍説の続きです。
 先祖の 「記憶」 は遺伝しませんが 「この時季になったらこの方向に移動したい」 という
 かなり具体的な欲求は遺伝しないとは限らないと考える事は出来ないでしょうか?
 少なくとも否定は出来ませんね。
 人間でも近親者の行動パターンは似ている場合が有ります。
 また 「帰巣本能により自分の生まれ育った場所に戻り繁殖する」 のは
 記憶による行動と思われがちですが、それでは説明のつかない事も明らかとなりつつあります。
 上記のアホウドリの例の様に渡りは必ずしも
 「冬は南へ移動し夏は来た道を戻って北へ移動する」
 という様な単純なものではなく、キョウジョシギなどの標識調査により
 春の渡りルートと秋の渡りルートが大きく異なる種が存在する事が明らかとなって来ています
 (迂回型)。
 その事 は実際にバードウォッチングをしていても感じる事が出来ます
 ( 秋には頻繁に観察出来るのに春にはほとんど見られないソリハシシギなど )。
 地図を持たない野鳥たちは異なるルートを辿って何故自分の故郷へ戻る事が出来るのでしょうか?
 宇宙空間にでも出なければ日本列島全体を俯瞰して見る事は出来ません。
 この疑問については後述の 「星座説」 で説明が不可能ではありませんが・・・
 先祖の中にたまたまそのルートを飛びたいと思って、それがたまたま最適に近いルートだった
 お陰で生き残った者が居て、同様の具体的欲求を子孫たちが受け継いでいて
 同じ様に飛んでいるという図式が考えられます。
 その欲求を受け継がなかった者は最適ルートから逸れてしまって淘汰され、
 受け継いだ者は生き残ってその遺伝的習性を補強する。
 もちろんその他にも様々な要因が複合しているはずですが、
 こう考えると全て一応の説明はつきます。
 ただ勿論この考えにも別の疑問は有ります。
 先述のコウノトリが何故海外へ渡らないのかという疑問です。
 遺伝的に大陸と豊岡とを往還する性質が有るのであれば
 その様な個体が登場しても良さそうなものです。
 実は豊岡の放鳥個体と野外巣立ち個体は個々に把握されていて
 その所在が有る程度追跡調査されています。
 その中には1年以上行方不明という者が有り、死亡した可能性のほか
 人知れず大陸方面に渡った可能性も考えられています。
 仮に大陸で豊岡出身のコウノトリが発見されたら
 この仮説の弱点を補完する材料くらいにはなるものと期待しています。
 但しコウノトリの飛翔能力は高く、既に沖縄で発見されているほどだから
 大陸に至る者が出て来ても偶然だろうと言われるのは目に見えていますが。
 なお、個体数の多い種においては様々な方向へ渡った中から
 最適ルートを選んだ者が生き残るので毎年同じ越冬地に同種の野鳥が飛来する様に見えるのだ
 と言えるかも知れませんが個体数の少ないコウノトリにおいては、そう考えるのには
 確率的に無理が有ります 。
 
 地球という惑星は公転軌道に対して自転軸がいい感じに傾いているせいで、
 その表面の大気層に無視出来ないほどの季節変化をもたらしています。
 その惑星で進化した生物は皆大なり小なり季節変化に影響を受け、
 或る者は順応し利用する事により生き残って来たと言えます。
 鳥類も例外ではなく 「星座の位置を見て渡りのスイッチが入る」 とか
 「星座を見て渡りルート(現在地)を把握している」 などという説も有るほどです
 ( かなり有力な様ですが )。
 
 ところで野鳥の渡りは人間社会における通勤と同種の物でしょうか?
 人間が通勤する動機は我々が一番よく知っていますから今更ここで論じる事はしませんが、
 野鳥の渡りは謎に満ちており単純に比較出来るものではないでしょう。
 家畜も驚く様な東京の通勤地獄と比べると大阪のそれは屁みたいなものですが、
 それはさて置き野鳥が飛ぶ事にそれほど大きな苦痛を感じているとしたら
 何故渡りをやめないのでしょうか?
 ここで鳥が飛ぶ動機について整理してみましょう。

 @ 季節移動:気候帯が異なるほどの遠方まで移動する手段として
    最も効率の良い手段として飛ぶ。

 A 外敵などからの避難:飛べない外敵から逃れる最終手段として飛ぶ。
    あるいは最も素早く避難する最適な手段として飛ぶ。

 B 食料を発見し入手する:食欲を満たす効率的な手段として飛ぶ。

 C 障害物を乗り越える:いちいちよじ登ったり泳いだりするよりも手っ取り早い方法として飛ぶ。

 D 飛んでいる状態が普段の姿だから動機もクソも無い。

 まあこんなところでしょう。
 Aは高等動物に共通する自己保存欲による行動であり
 我々人間にも容易に理解出来る行動です。
 特に飛び立つ瞬間は大きな瞬発力が要求されますからAやBCの場合は
 出来れば飛びたくないでしょう。
 Dはアマツバメの場合です。
 まあ特異なケースですがこんな鳥が居るくらいですから
 鳥にとって飛ぶ事はさほど辛い事でもない様に思えます。
 問題は@ですね。
 何千何万kmという移動は走ったり泳いだりしていては何日かかるか分かりませんから
 飛翔という手段は有効であろうと思われます。
 もし走ったり泳いだりする方が楽なら
 野鳥たちももっと頻繁にそうしている姿が目撃されるはずです。
 つまり季節移動する限り野鳥は飛ぶ事をやめないと考えられます。
 こうして見て来る と短距離を飛ぶ場合と長距離を飛ぶ場合とでは少し事情が違う様に思います。
 さて、「野鳥は渡る必要が無くなれば渡らなくなる」 という説はどうでしょうか。
 この思考実験なるものは 「人間の思考」 に過ぎませんが、人為的にそういう環境を作れば
 そうなるかも知れません。
 「鳥は飛ぶのが好きだから飛んでいるのではありません」
 その通りでしょうね。 必要に迫られて飛んでいるんだと思います。
 ただ、飼い鳥が飛ばなくなる理由は野鳥と比べて圧倒的に飛ぶ機会が少なく
 筋力も落ち体重も増えてますます飛ぶのが辛くなって飛ばなくなるのだと思います。
 飛翔に大きな苦痛が伴いなおかつ
 鳥籠に監禁されている事に何ら苦痛を感じていないのだとしたら
 「 野鳥は渡る必要が無くなれば渡らなくなる 」
 というのも有りでしょう。
 実際、籠脱けして野生化した外来種はほとんど移動しません
 ( 元々季節移動しない種が飼いやすいから飼い鳥として定着したのかも知れませんが )。
 考えてみれば上記のコウノトリの人工繁殖はこの思考実験の例に似ていますが、
 これについては後述します。
 野鳥が渡りをする動機としては、圭坊氏も指摘されている通り
 餌が減って空腹に耐えられなくなり食欲を満たす為、
 あるいは繁殖地に渡って子孫を残したい為、
 これらの欲望との釣り合いの中で渡りを決意するに至っていると考えるのが自然です。
 しかしそれだけでは長距離の移動を説明するのには充分ではありません。
 単に空腹を満たす為なら漂鳥がそうしている様にもう少し近場でも良さそうなものですし、
 もっと小刻みに移動した方が負担が少なくて済みそうです。
 既に番いの相手を見つけているならわざわざ遠方の繁殖地に戻る必要は無いはずです。
 日本列島から離れる為には海を渡らねばならないとしても、アオアシシギなどは
 その日本列島を遥かに通り越し10日間ほどで1万kmも移動すると言われます。
 もし飛ぶのが嫌いなら尚の事そこまでするのは他に 「季節移動欲」 とでも言うべき
 「強い動機」 が有るからだと考えねばなりません。
 渡り鳥が渡りをするのは 「それが最適だから」 であり、結果的にたまたま最適化した者の
 生き残りが現在の渡り鳥の姿そのものだという事ではないでしょうか。
 この疑問に多分正解は有りません。
 ただこれだけは言えます。
 「 飼い鳥は自らの意志で飼い鳥になった訳ではなく人間が強制しているに過ぎない 」
 という事です。
 彼らがどう感じているか何も分からないのにも関わらずです。
 我々もそろそろ着地点を探しましょう。
 前述の 「具体的な欲求」 が遺伝しないという前提で考えて
 親から子へ代々渡りルートが受け継がれているとして、その伝承がどこかで断たれた場合
 渡りルートはリセットされてしまうかも知れませんが、沖縄まで飛んだ放鳥コウノトリの行動を
 見れば分かる通り少なくとも渡りそのものは無くならないでしょう。
 ほとんどの鳥類には渡り(季節移動)をする性質が備わっており、
 その自由を奪う事になる鳥籠は飼い鳥に想像以上の苦痛を与えているかも知れないと考えます。

  - - - - - - - - - - - - - - - - - ダチンコから 02月10日に来たメール晒し 此処まで - -

 ・・・ 長げぇ (゚д゚ )

 かつて、『走り屋&ドリフト』 の 『教えて&教えます』 に於いて、長文書きで名を馳せた(笑)このオイ ラが 「うひゃあ」 と思って凄いぞw

 でもまぁ、知らないことばかりで面白かった。

 雑学好きとして純粋に礼を言っておこう。 ありがとう。

 とはいえ、いささか論旨がズレているような気がするので、元の軌道に戻そうか。

 もともとの議題は、
 「 空を飛ぶ鳥を生存確率数パーセントというグレートハンティングから隔離して保護することは、
  ―― 自然保護の観点を抜きにして ―― 有りか無しか 」
 だったはずだ。

 この議題に返れば、話としては至極簡単なんだと思うんだが、いかがだろうか。

 「本人が嫌がることを強いるのは良くない」 なんて言い出したら、受験生のMYガキンチョなんか、ゲー ム三昧、深夜アニメ三昧、YoutubeMAD動画三昧で堕落するから不許可。
 だいいち、「本人が嫌がることを強いるのは良くない」 なんて言い出したら、誰よりも私が毎日13時間 も拘束される施設事務員を辞めて、引き篭もりの生活を始めますから不許可ですって
 ( 実を言うと、さすがに毎日毎日通勤と就労に13時間も費やす日々に嫌気が差していて、本気で辞め たくなっているんだがw )。

 ガキンチョが嫌いな勉強をすることは、本人の将来の為だし、オイラが楽しくも無い仕事を続けること は家族の生活の為である。

 つまり、ガキンチョに於いては、
 重要:[ 未来の人生 ] >>> [ 今の勉強から逃げて楽になる ] :重要ではない
 であり、オイラの施設勤めに於いては、
 重要:[ 家族の生活 ] >>> [ 仕事を辞めてニート生活を満喫 ] :重要ではない
 であると言える。

 これをそのまま鳥類に当て嵌めた時に、
 ダチンコは、
 重要:[ 飼われるストレス ] >>> [ グレートハンティングの連鎖からの開放 ] :重要ではな
 になると主張していて
 オイラは
 重要:[ グレートハンティングの連鎖からの開放 ] >>> [ 飼われるストレス ] :重要ではな
 になると反駁している。

 これはどちらも成り立つと思う。

 と考えるのも、ちょっと検索したら、ほぼ完璧な参考資料 ( というか解説 )に出会えたからだ。
 紹介する。

   教えて!goo
   何故スズメって飼っちゃいけないの?
   http://oshiete.goo.ne.jp/qa/875527.html
   解決済

   質問者:sac123
   質問日時:2004/05/30 17:07
   回答数:7件

   スズメはペットとして飼ってはいけない、と聞いたことがあります。
   特に数が少ないとは思いません。
   理由を知っている方、教えて下さい。

   No.5
   回答者: usaghi 回答日時:2004/05/31 15:13

   理由はたくさんあり、とても書ききれないのですが…

   法律で禁止されているからいけない、という説明では理解できない人が多いと思います。
   実際には、あらゆる観点から、野鳥を飼うことは良くないということが
   充分にわかっているにもかかわらず、飼おうとする人が後を絶たないので、
   法律で明記するに至った、という経緯だと理解しています。

   人には、生きものを所有したい、命あるものを自分の自由にしたい、という欲望があり、
   なかなか断ち切れません。

   何も定めがなかった時代には、人が人を所有することもまかり通っていました。 「奴隷」 です。
   奴隷は人がお金で買うことが出来て、所有権を持ちさえすれば、奴隷の生き方を好きなように
   できます。
   行動範囲も食べるものも、所有者の決めた通りに。
   所有者は奴隷を殺すのも自由。奴隷の生んだ子もまた、所有者のものとして
   好きなようにできます。

   これが動物であれば「ペット」です。
   お金で所有権を得て、行動範囲を制限し、閉じ込めたり、所有者の目の届く範囲につないで、
   所有者の与えたものだけを食べさせて生きる。
   殺すことも自由だし、生まれた子もまた所有者の自由になります。

   飼い主が生き物を好きにする、と言っても、もちろん、殺そうとしている場合の話をしている
   わけではありません。
   飼い主にサディスティックな気持ちがなくても、所有欲というものは、命あるものに対して
   発揮されるべきではないと思うのです。
   人は自分が生んだ子供であっても、所有者ではないし、親の意のままに生きることを強いては
   いけませんよね。
   自分の子を虐待したり、殺してしまってもいけません。
   人が人を所有することの是非については、ある程度共通の理解が得られていると思いますが、
   それでもなお、事件の起きやすい部分については法律で定めることになるわけです。

   人が人を所有することを法律で禁じていても、幼児虐待や子殺しは後を絶たないし、
   新潟の少女監禁のような事件は起きてしまいます。
   人でさえそうですから、動物への所有欲を止めるのは並大抵ではないでしょう。
   そういう中から、一部の動物を 「ペット」 として区別し、所有権を認めることで、
   言ってみれば、所有欲のはけ口を作ったのではないでしょうか。
   人を含めてすべての命ある鳥獣は、だれの所有物でもなく、だれかに所有されて
   意のままに生きることを強いられるべきではないけれど、すべて禁止してしまうと、
   人の欲求は収まらずにかえって悲惨な事件を起こしてしまう。
   だから、人以外の動物に一部奴隷制を残したと。

   ペット動物というのは、もともと人に飼われていて不都合を感じにくい動物とか、
   改良の末、人との生活でストレスを感じないようになった動物が多いです。
   犬などは典型的だと思うのですが、人との生活に適応し、服従することに
   むしろ喜びを感じるような習性のものであれば、人にもペットにとっても、とてもよいことです。
   犬ととても良い関係を築いて共同生活を送っている人にとっては、所有欲の話は理解しにくい
   ことでしょう。

   鳥の場合もそうです。
   セキセイインコや十姉妹など、ペットとしての歴史の長いものは、かごで飼われることに
   ストレスを感じにくく、飼いやすい鳥です。
   それでも、犬、猫、ハムスターといった哺乳類ペットに比べると、
   ちょっとした不注意で死なせてしまうことも多い繊細な生き物ですが。
   セキセイインコを文鳥を比べると、文鳥の方が野性味があります。
   環境の変化に敏感で、人見知りが激しく、ささいなことにも怯えてバタバタ暴れたりします。
   文鳥の方がインコよりペットとして適応しきっていない鳥種だということになります。

   野鳥は文鳥どころではありません。
   スズメやメジロ、シジュウカラの飛び方を見たことがありますか?
   文鳥とは比べ物にならない俊敏な動きをします。
   健康な野鳥であれば、鋭く飛び回り、俊敏に動き回る習性は消えません。
   かごの中の生活はストレスとなり、命を落とすこともあります。
   ヒナから育てても、おとなしく肩に乗っているような手乗り鳥にはならないのです。

   メジロは野鳥の中では警戒心の薄い鳥です。
   警戒心が薄いので捕まえるのが簡単。
   昔から 「鳴き合わせ会」 などの目的で大量に捕獲されてきました。
   警戒心の薄いメジロとはいえ、捕まえられてかごに入れられたとたん、ストレスで大量死します。
   わずかな生き残りが飼い鳥にされました。
   野鳥の中でも捕獲・飼育に対する監視が最も厳しいのがメジロだと思うのですが、
   メジロが希少種だから、という理由ではなく、悲惨な事件が最も起こりやすいから、だと言えます。

   スズメはこれほど身近にいるにもかかわらず、野鳥の中でも飛びぬけて警戒心の強い鳥です。
   人が近寄るだけでもストレスになる生き物を、かごに入れて飼うのはとても残酷なことです。
   健康な成鳥を捕まえて飼おうとすれば、ほとんどがストレスで死んでしまうでしょう。
   人に対する恐怖、飛び回ることが出来ないストレスで餓死するか、怯えて暴れ回り、
   かごにぶつかって死ぬかです。

   スズメを飼うことの是非が話題になりやすいのは、成鳥ではなく、ヒナの場合です。
   身近に巣を作るため、ヒナが巣から出てきた時に、人の手の届くところで目撃されることが多い
   からです。
   ツバメを別として、大抵の野鳥は巣立ちの時はほとんど飛べません。
   これを巣立ち雛と言います。
   巣立ちというのはヒナが巣から飛び立つようなイメージがありますが、それはツバメだけであって、
   スズメなどでは巣からヒナが落ちてきます。
   親鳥はヒナが巣の外に出た後も、餌を運んで巣の中にいた時と同様、
   巣の外で子育てをしているのですが、巣立ち雛はあまりにも姿が幼くてかわいらしいため、
   見かけた人が、巣から落ちてしまったと勘違いして拾ってしまうことが後を絶ちません。
   巣立ち雛は警戒心が薄く、ほとんど飛べないので、人の手で簡単に捕まってしまいます。
   拾った人は助けてあげようとした、と思いこんでいて、悪気はないのですが、
   これはヒナにとっては悲惨な誘拐です。
   ヒナの扱いを知らない人であれば、すぐに死なせてしまうでしょうし、
   ヒナが生きながらえて成鳥になったとしても、それは新潟少女監禁事件や北朝鮮の拉致と
   変わらないわけです。
   スズメのヒナについてことさら問題になるのは、希少種だからというわけではありません。
   巣が身近にあるために誘拐という悲惨な事件が起こりやすいからなのです。

   その他に、人間の方を保護する意味もあります。
   野生鳥獣はどんな病原体を持っているかわかりません。
   人間に感染する病気を持っている場合もあります。
   鳥インフルエンザが人に感染する確率は限りなく0に近いですが、
   もっと身近に怖い病原体というのはひそんでいます。
   鳥類は身体にダニや原虫を持っている場合がほとんどですし、
   糞の中にも危険な病原体がたくさんあります。
   肺炎クラミジアなどは人に感染して死に至ることもあります。
   怪我や病気で弱った鳥を保護して、その鳥が死ぬ瞬間に立ち会うことになると、
   鳥の体温が失われるとともに、ダニや原虫などの病原体がいっせいに鳥の体から離れて
   人に移ってくることになります。

   あまりに小さい雛が巣から落ちた時は、そのヒナが病気のため、親が間引きしたのかも
   しれません。
   そういったヒナに手を触れるということは、病原体も一緒に抱え込む可能性もあります。

   さまざまなケースがあり、まだまだ書ききれませんが、どの観点から見ても、
   専門家が疾病鳥獣を保護するなどのごく特殊な場合を除いて、野鳥を家の中で飼うのは
   良くないことばかりです。
   良くないことなのに、起こりやすい、ということに対して法律は定められていると思います。

 鳥自身に、飼われる事が、弱肉強食のグレートハンティングの連鎖からの開放であるということを理 解できるだけの知能が存在しない以上、当の鳥さんにとっては、人間に飼われる事は、捕食者に捕ま ったという認識しか持てないだろう。 だから、その場合にはダチンコの主張通りに

 重要:[ 飼われるストレス ] >>> [ グレートハンティングの連鎖からの開放 ] :重要ではな

 で正鵠を射ていると思う。

 だがしかし、 [ 飼われるストレス ] が犬猫並みに小さいのであれば、

 重要:[ グレートハンティングの連鎖からの開放 ] >>> [ 飼われるストレス ] :重要ではな

 が成り立つから飼っても良いと言っているわけだ。

 さてみなさん ( 浜村淳の口調で )。

 この教えて!gooの回答者は、人間を忌避するスズメを飼うのは酷いことだと断じているんだけれど も、Youtubeで検索すると、ですね。

   スズメのチュンちゃん、赤ちゃんたちも次々手乗り(^^♪2013.5.16
   https://www.youtube.com/watch?v=UahJ-OeqMRM

   手乗りスズメ
   https://www.youtube.com/watch?v=kXfmluTReOA

   Tokyo:上野公園で手乗りすずめ - UenoPark
   https://www.youtube.com/watch?v=TPWb-Y73rQE

   手乗りすずめ(・Θ・) Sparrow,すずめ,スズメ,雀
   https://www.youtube.com/watch?v=fReOcuAQMJ8

   すずめ食堂 無謀な奴ら編 スズメは Tree Sparrow であーる
   https://www.youtube.com/watch?v=iDZsum7NA9I

 人間を怖がらないスズメが少なからず居るということが分かります。

 肩にも乗るみたいですよw

   肩に乗るスズメのピーちゃん
   https://www.youtube.com/watch?v=V22NF-89flA

 「それでも窓を開けたら逃げるのでは?」
 という疑問が湧くと思いますが

   趣味人倶楽部 お悩みQ
   雀って人に懐きますか〜?
   http://smcb.jp/ques/25075
   > 回答者 aliponさん 2010年1月4日 19:04
   >
   > 4年前の葛飾区の水元公園の写真なんですが、
   > この公園では有名な鷹匠さんが鷹を連れてよく散歩されているんですが、
   > 雀も連れて歩いています。
   >
   > 娘の肩に飛び移って遊んでいました。^^
   >
   > 証拠写真が残っていました♪
   >
   http://img3a.smcb.dena.ne.jp/cvt/ans/1/080/3hoc6310g84i9421gosuvfnrd631000.jpg
   /500x500-49152.jpg
   

 飼い主と一緒に外を散歩するスズメまで実在するみたいで ( ^ω^ )

 飼われていても強いストレスを感じることがなくて、人間と良好な関係を保てており、屋外に出てさえ 人から逃げないんだから、これ等のスズメたちは、犬や猫と変わらないのではないでしょうか?

 まさに、野鳥でも人間に慣れてしまえば
 重要:[ グレートハンティングの連鎖からの開放 ] >>> [ 飼われるストレス ] :重要ではな
 が成り立つワケで。

 要は新潟少女監禁事件や北朝鮮の拉致みたいなのは不可だけれども、本人 (というか本鳥) が、自 ら望んで人間に庇護下に入るのであれば ( 何を以って“自らの意思”と見做すのか?という疑問は残 りますけれども ) それは可なんじゃないでしょうか。

 まぁ、飛ぶ鳥を部屋で放し飼いにするのは、糞の始末が大変だろうと懸念しますが。



□■ 2016年02月17日 □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 続きがキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!。

 - - ダチンコから 02月15日に来たメール晒し 此処から - - - - - - - - - - - - - - - - -


 ( 前回までを001としそのつづきとして改めてテーマをつけました )
 
 002 空を飛ぶ鳥を生存確率数パーセントというグレートハンティングから隔離して
     保護することは、 ―― 自然保護の観点を抜きにして ―― 有りか無しか
 
 ( 001 「野鳥が幸せか飼い鳥か幸せか」 からのつづき )
 
 圭坊コメント:

 < 再掲(抜粋) >

 空を飛ぶ鳥を生存確率数パーセントというグレートハンティングから隔離して保護することは、
  ―― 自然保護の観点を抜きにして ―― 有りか無しか

 ダチンココメント:

 「種」 としての野鳥を保護するのか個々の 「個体」 を保護するのかによって
 答が変わって来るのではないでしょうか?
 「個体」 として保護するという事はその個体が自然界に居た事を意味しますから
 当の野鳥にとっては 「要らん世話」 という事になろうかと思います。
 またツバメなどの雛が巣から落ちている場合、寄生虫などの影響で
 親鳥が放棄する事が有るそうなので巣に戻すのはNGです。
 車にはねられたりしたなど人為的な事故の場合は
 治療の為に一時保護する事に異存は有りませんが、
 他の野鳥に襲われて怪我をしたなどという場合、それは自然の摂理ですから
 人間が干渉すべきではないと考えます。
 その野鳥を保護した結果、飢餓から脱するはずだった捕食者を追い詰める事にもなりかねません。
 更に言えば怪我ではなく人間に慣れている野鳥を保護するという事なら話が全く違って来ます。
 その場合どういう経緯で 人間に慣れるに至ったかが問題です。
 例えばツバメは自らの意志(?)で場合によっては農家の土間などに営巣しますが、
 その農家に野鳥保護の意識が無かったとしても結果としてツバメを保護していると言えます。
 ツバメは害虫を駆除してくれる事から伝統的に農家が大切にしており
 人間と野鳥が積極的に共生している稀なケースと見なす事が出来ます。
 これとは別に、最初からほぼ確信犯的に人為的な餌付けなどにより
 半ば強引に飼い慣らされている疑いが濃厚なケースは関わった人間の都合が勝っており、
 そこが鳥獣保護法の無い国だと仮定しても論外と言わざるを得ません。
 「種」 として、すなわち前回001で投稿者が指摘された様な 「遺伝子の器」 という観点で考えると
 個々の個体は全体の中で一定の役割を果たしていると考えるべきであって、
 例えば前回も登場したゴカイは釣り餌として利用される事によって 「種」 として
 繁殖のチャンスを拡大しているとも考えられます。
 つまり個々の個体は大半が犠牲になりますが 「種」 としては
 人間を利用して生き残っていると言えます。
 その点では釣られる方の魚も人間に食べられる事によって水産資源として管理されるという
 地位を手に入れているとも考えられます。
 それを言い出すと家畜の類も右に同じです。
 人間に食べられる前提の家畜においてさえ 「種」 として見ると保護され
 繁栄を手に入れているのです。
 「いわんやペットにおいてをや」 です。
 ただし家畜などの場合、人間の文明が存続する限り
 半永久的に人間と共存(?)して行くものと思われますがペットとなると少し事情が異なります。
 ペットとして完全に定着している犬や猫はともかく爬虫類など飼育の難しい生物が
 ペットショップで売られている現状は、飼いきれなくなって捨てられたペットが野生化し
 外来種として日本の在来種を駆逐しつつあるという問題の原因ともなっています。
 話が横道に逸れましたが個々の一般家庭において既に手放されつつあるのですから
 近い将来 「種」 ごと放棄されてしまう可能性が高いと見るべきです。
 一たび 「保護」 されるということはその瞬間から弱体化が始まっていると考えねばなりません。
 一度飼い慣らした 「種」 を自然に戻すのは困難です。
 コウノトリやトキの野生復帰にどれほど手間が掛かっているかを見れば明らかです。
 人間の都合で散々飼い慣らす為に餌を与えられ温室育ちで弱体化させられた揚句
 グレートハンティングのサバイバル社会に投げ出された 「種」 は存続して行けるのでしょうか?
 ペットブームが去ったらポイ捨てというのでは余りに身勝手です。
 ペットとして人間と共存させるのであれば末代まで未来永劫自然界から隔離し
 付き合って行く覚悟が必要であり、現状を見ればとてもじゃないけどそこまで出来る訳が無いのは
 明白です。
 話はまた横道に逸れますが犬猫でさえ野良犬野良猫になって
 生態系を脅かしているではありませんか。
 自然界の方でもそんな外来種は迷惑であり籠の中に隔離しておいてくれと思っているでしょう。
 なお野生を捨てて人間に飼われるという事は品種改良により人為的に 「種」 としての形態が
 変化させられるという別の問題もはらんでいます。
 
 ところで自然界は全ての生物種が生態系の中でそれぞれの役割を果たす事によって
 全体としてバランスを保ち共生しているとも見る事が出来ます。
 そういう視点で見ると一つの 「種」 だけを切り離して単体で見る事は出来なくなる様な気もします。

  - - - - - - - - - - - - - - - - - ダチンコから 02月15日に来たメール晒し 此処まで - -

 「野鳥が幸せか飼い鳥か幸せか」 に関しては、当の鳥に幸せを感じる知能も不幸を感じる知能もな いんだから、命題が変わるのは当然だわな。

 では、反駁行きます〜♪

 なお、今回は纏めて反駁するよりも、各個撃破の方が適切だと思いましたので、『サヨクの嘘を暴 け!』でお馴染みの任天堂携帯ゲーム機用アプリ【逆転裁判】を模した手法を採用しました。

 また、途中に非常にキツイ口調で書かれている箇所がありますが、正直な話、文明のぬるま湯に肩 まで浸かった生活を甘受しておきながら、それはないだろう、と思いましたので、敢えて強い口調で書 かせて頂きました。 悪しからず。

 「種」 としての野鳥を保護するのか個々の 「個体」 を保護するのかによって
 答が変わって来るのではないでしょうか?
 「個体」 として保護するという事はその個体が自然界に居た事を意味しますから
 当の野鳥にとっては 「要らん世話」 という事になろうかと思います。

 

 それじゃ永久ループなんだってば。

 当の野鳥が 「要らん世話」 だと考えるかどうかは、当の野鳥に訊くしかない。

 訊きたくても鳥と人間はコミュニケーション不可。
 仮に鳥の思考を読み取って音声や映像として出力する技術が有ってもコミュニケーションは不可だろ う。 それに、脳の大きさから勝手に判断すると、( カラスみたいに子犬並みの知能を有する種も存在 しますが ) 基本的にネズミ程度の知能だと推し測られるでしょう。

 常識的に考えれば、
 @ 要らん世話かどうか理解する能力を鳥は持たない
 A 食う気のない人間が安全だという知識を持たない野鳥にとって人間は全て捕食者に見える
 というだけのこと。

 「要らん世話」 だなんて高度な認識は常識的に考えて鳥類には無理。



 またツバメなどの雛が巣から落ちている場合、寄生虫などの影響で
 親鳥が放棄する事が有るそうなので巣に戻すのはNGです。
 車にはねられたりしたなど人為的な事故の場合は
 治療の為に一時保護する事に異存は有りませんが、
 他の野鳥に襲われて怪我をしたなどという場合、それは自然の摂理ですから
 人間が干渉すべきではないと考えます。
 その野鳥を保護した結果、飢餓から脱するはずだった捕食者を追い詰める事にもなりかねません。

 

 クルマに撥ねられてケガを負った ─┬─[ 放置 ]─→ 負傷後衰弱死
                       │          或いは、弱った所を捕食者に見つかって餌
                       │
                       └─[ 保護 ]─→ 人の庇護下に入る

. 他の野鳥に襲われてケガを負った ─┬─[ 放置 ]─→ 縄張り争いなら負傷後衰弱死
                        │          或いは、弱った所を捕食者に見つかって餌
                        │          敵が捕食者なら、そのまま喰われて終了
                        │
                        └─[ 保護 ]─→ 人の庇護下に入る

 同じですよ。

 人間に起因するなら人間が関わって良いとか悪いとか。

 それを人間が判断するのは、“驕り”ではないでしょうか。



 更に言えば怪我ではなく人間に慣れている野鳥を保護するという事なら話が全く違って来ます。
 その場合どういう経緯で 人間に慣れるに至ったかが問題です。
 例えばツバメは自らの意志(?)で場合によっては農家の土間などに営巣しますが、
 その農家に野鳥保護の意識が無かったとしても結果としてツバメを保護していると言えます。
 ツバメは害虫を駆除してくれる事から伝統的に農家が大切にしており
 人間と野鳥が積極的に共生している稀なケースと見なす事が出来ます。

 

 農家が大切にしたというより、ツバメにはヘビやスズメなどの天敵が多くいて、これら天敵達がこぞっ て人間が嫌いなので、ツバメが“人間の威”を借りているに過ぎません。

 ツバメにとって人間は利用価値アリですが、人間にとってツバメはどうでしょう。

 農家にとって害虫を食ってくれるツバメは確かに益鳥ですが、数が少な過ぎて農薬の代わりに成ると は思えません。 害虫も食ってくれるが、折角作った作物も食ってしまうスズメの方が農家にとっての益 鳥の度合いは大きいと言えるでしょう。

   参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/大躍進政策 - 2.2 四害駆除運動

 人の通る軒先に巣を造るツバメは、糞を巣の外へ撒き散らすので、ネズミ以上に不衛生な有害動物 です。 それでも、スズメと違って人を怖がらず、子育て中の可愛い雛を披露 ( といっても、人間が勝 手に覗き見るだけですが ) してくれるツバメは、害虫を摂ることではなく、人間に癒しを与えるという点 で共生していると言えるでしょう。

 しかしそれは、似たようなサイズで似たような外見のスズメが人を恐れて近付かなくて、人間に癒しを 与えてくれないから、代わりにツバメが愛好されているに過ぎません。

 もし、スズメがツバメ以上に人を恐れず、人間の近くまで寄ってくる野鳥であったなら、身悶えする位 に可愛い声で鳴き、穀類という手で摘まめる餌を食するスズメの“癒し”は、ツバメの比ではありませ ん。

 今の所、人間を異常に怖がるスズメは、“癒し”という点での貢献度はツバメよりも低い評価になりま すが、共生しているという点では、ツバメ以上でしょう。

 なにせ、ツバメが絶滅しても農家は困りませんが、スズメが絶滅すれば高性能な農薬をふんだんに 使えない途上国の農村は飢饉に陥ります。

 なお、合鴨農法は、以下の通り。

   参考:2010年06月18日 農家こうめのワイン アイガモ農法の問題点

 農家と最も共生している鳥は、スズメがファイナルアンサーなのでは?



 これとは別に、最初からほぼ確信犯的に人為的な餌付けなどにより
 半ば強引に飼い慣らされている疑いが濃厚なケースは関わった人間の都合が勝っており、
 そこが鳥獣保護法の無い国だと仮定しても論外と言わざるを得ません。

 

 恐らく貴殿の主張は、前回で例として挙げたスズメについて語っているのだと思うので、その線で反 駁させて頂く。

 スズメを飼ってはいけない理由は、上で挙げた資料

   教えて!goo
   何故スズメって飼っちゃいけないの?
   http://oshiete.goo.ne.jp/qa/875527.html

 に詳しく書かれていますが、それ以外にも、人を怖がるスズメの習性を利用して、ツバメが身を守って いるから、人に慣れさせるべきではないという事も理由の一つでしょう。

 完全な室内飼いなら問題はありませんが、上で挙げた

   趣味人倶楽部 お悩みQ
   雀って人に懐きますか〜?
   http://smcb.jp/ques/25075

 のように、人に懐いたスズメを外へ出せば、近くに居る他のスズメが
 「 なんだ。 人間って怖くないんだ 」
 と学習して、人から逃げなくなったらツバメにとって悲劇が起こります。

 貴殿には既知の情報だと思いますが、読んでくれている第三者がいた場合に備えて、書いておきま すと、スズメはツバメと姿格好が似ていますので、スズメがツバメの巣を奪うことが往々にして起こりま す。 ツバメが人間の近くに巣を作るのは、人間を好きだからではなくて、人間の威を借りてツバメを追 い払っているのです。

 ですから、野生のツバメが人間を恐れなくなってしまうと、わざわざ人が行き来する場所に作ったツバ メの巣が、人を恐れなくなったスズメに強奪されてしまいます。

 だから、スズメを人に慣らしてはいけない、と言えるわけです。

 しかし、それは、逆に捉えれば、何羽かのスズメを根気良く餌付けて、人に飼われるストレスを除去し た上で、動物病院で使う薬剤を用いて、病原菌や寄生虫・ダニを駆除し、狭い籠ではなく飛び回れる広 い部屋で多頭飼いにして、子を作り世代交代できる環境を整えてやるのであれば、飼ってもイイだろ う、と考えます。

 もちろん、これは人の都合で勝手にやることであり、自然の摂理に反しています。

 でも、だからどうしたというの?

 紙を作ったり、建築資材を作る為に鳥たちの棲家である森林を伐採しておいて、
 都市や工場地帯を作る為に、野生動物の生存場所である野原を切り拓いておいて
 古くは発電するために、今は人間様の居住区を水害から守る為に、淡水魚の棲家である河川を
コンクリートで固めておいて
 クルマの排気ガスや石炭ストーブからの排ガス、工場の煙突から排出される排気ガスなどで
鳥が飛翔する空を汚染しておいて
 工場からの廃棄物や事故を起こした原発から排出される放射性物質で、海水魚の棲家である
海を汚染しておいて

 今更、たかだか [ 本来なら野に在るべき野鳥を慣らして飼う ] 如きが

   論外

 だと?

 本来なら野に在るべき野鳥を慣らして飼うなんて次元じゃない大罪を我々は犯した後じゃないか。

 そりゃあ、もちろん、
 「 大罪を犯したからと言って罪を重ねて良いワケではない 」
 という理屈は分かりますよ。

 だけれども。

 それは、大罪を犯して得た文明という名のぬるま湯に肩まで浸かった生活を享受し続けている状態 で言うべきではないのではありませんか?

 最低でも大罪を犯して得た文明を捨て、人工物に関わらない生活を送れるようになってから言うべき だと思う。

 この辺は、原発反対のサヨク連中にも通じるんだよね。

 いや、貴殿をあんなヒトモドキと同列に扱うつもりはないんだけどさ。

 原発で作った電気でアンプを駆動させておきながら、「原発反対!」 なんてさ。

 冗談としか思えないでしょ。

 多くの種を絶滅に追いやった文明の恩恵を受けながら、

   人が野生種をペットにするのは許せない

 なんて言われましてもねぇ。

 悪いけど、それは説得力なっしんぐッス。



 「種」 として、すなわち前回001で投稿者が指摘された様な 「遺伝子の器」 という観点で考えると
 個々の個体は全体の中で一定の役割を果たしていると考えるべきであって、
 例えば前回も登場したゴカイは釣り餌として利用される事によって 「種」 として
 繁殖のチャンスを拡大しているとも考えられます。

 

 鳥と扱いが違い過ぎるやないけw

 飛ぶ能力を持つ鳥から飛翔できる環境を奪う事が大罪だと言い張るそのクチで、泥質/砂質の海底 に穴を掘り潜る能力を持つゴカイから、泥質/砂質の海底に自由に穴を掘り自由に潜る環境を奪って おいて、何が繁殖のチャンスだよ。

 その論で言うなら、たとえ飛翔の自由を奪おうとも鳥を雄雌両性の多頭飼いするならば、「種」 として 繁殖のチャンスを拡大しているとも考えられるやん。

 ダブルスタンダードはあかんで。 ダブルスタンダードは。



 つまり個々の個体は大半が犠牲になりますが 「種」 としては
 人間を利用して生き残っていると言えます。

 

 そんなん自然界の弱肉強食よりも凄惨やんけw

 神が造りし崇高なるグレートハンティングを我々人間が人智をフル稼働させて逃れ続けているのは 「捕食者に生きながら喰われる」 という死に対する恐怖があるからだ。

 だが、弱肉強食の野生に於いても、食われる側の立場にいる者が食われる事なく老衰で死ぬ可能性 はゼロではない。 餓死でも病死でもなく、天寿を全うして死ぬ個体も存在する。
 だが、釣り餌にソレはない。
 釣り人に購入されて、釣り餌として体にブッ太い針を突き刺され、瀕死の状態で魚に生きたまま喰わ れるか、或いは、売れ残って飢え死にする二択の死に方しかない。

 だいいち、今現在のゴカイは、自然界に多数存在していて、かつ、同時期に人に飼育されて個体数を 増やす ( 最終的に買われるか、あるいは売れ残って餓死するから総数は増えない ) ゴカイも存在して いる。

 自然界のゴカイが絶滅した後に、人に飼われるゴカイが生き残ったなら、それは

   人間を利用して生き残っている

 という表現で良いと思いますが、自然界のゴカイが数を減らしつつあって、近い将来に絶滅の可能性 があるというのでもないのに、人に飼われるゴカイが存在する事を 『人間を利用して生き残っている』 という表現はオカシイでしょう。

 繰り返しになりますが、人の手を介して誕生から生殖まで生きた『種』を

   人間を利用して生き残っている

 と言ってしまうのであれば、雄雌両性を多頭飼いして生殖するペット ( ペット化された野生種を含 む ) もまた、

   人間を利用して生き残っている

 と表現されて然るべきです。

 ダブルスタンダードはあきまへん。



 その点では釣られる方の魚も人間に食べられる事によって水産資源として管理されるという
 地位を手に入れているとも考えられます。

 

 いやいやいや。

 クジラ偏愛白人団体が海洋の食物連鎖からクジラだけを外している事に因って、水質資源の管理 は、実質上破綻状態にあると言わざるを得ません。

 更に言えば、クールジャパン活動が実を結び、寿司がワールドフーズに成ってしまった所為で、世界 中で消費される魚介類が厖大化して、海中の食物連鎖はバランスが崩壊しつつあります。

 総合的水資源管理を謳うのであれば、魚の餌を大量に消費して生態系を破壊するクジラを間引きし た上で、魚介類を食わないように ―― 食う場合は、総合的水資源管理に基づいて、あくまで計画的に 獲る ―― しかありません。

 しかし、そんなことが可能でしょうか。

 反捕鯨団体のバックには、「可愛いクジラちゃんを食べるなんて許さない」 という白痴丸出しの理由で 大金を払ってくれるスポンサーが存在します。 つまり、単純に経済行為としてやっているワケですか ら、「捕鯨の妨害を止めろ」 なんて言ったって止めるワケがありません。

 反捕鯨国と言えばオーストラリアですが、思想的にクジラを神格化している面もありますが、ホエール ウォッチングという観光収入が欲しくてやっており、やはり経済行為です。

 日本人を含めて、美味しい魚の味を覚えた人々に食うなというのも無理な話です。

 幾ら規制した所で、規制を掻い潜って漁をする悪質な密漁者は必ず現れます。

 日本海でさえ、日本の業者が漁獲量を制限していても、不逞韓国人が密漁して、日本の商社へ売り 捌いているのが現状です。

 どうしても格好ばかりではない、ちゃんとした総合的水資源管理をやるというのであれば、捕鯨国だ けで軍事同盟を築き軍事力を以て圧力を掛けるしかありません。

 さぁ野郎共、戦争の準備だッ!



 それを言い出すと家畜の類も右に同じです。
 人間に食べられる前提の家畜においてさえ 「種」 として見ると保護され
 繁栄を手に入れているのです。

 

 ゴカイで書いた話と重複するんだけど、食肉畜産動物が待っている“死”は、グレートハンティングで 喰い殺される野生の死に方よりも遥かに無慈悲で残酷です。

   お肉が食卓に上がるまで

 特に豚は、大地を駆け回っていた猪が家畜化され、狭い檻の中で碌な運動もさせて貰えずに成獣に なるまでの期間を過ごし、壮絶な最期を遂げて食卓に上がります。

 それの何処が“繁栄”なのか?

 それが“繁栄”だというなら、飛ぶ能力を持つ鳥を狭いゲージに押し込んで、世代交代を繰り返させ て、飛べない鳥類として飼い、最後に解体して喰うのもまた“繁栄”と呼んで良いことになるぞ。

 貴方が鳥を好きな事は知っている。 自然界に於ける鳥の生態に興味があって、知識を貪っているこ とも知っている。

 だけど、ダブルスタンダードは良くない。

 ダブルスタンダードは止めようよ。



 「いわんやペットにおいてをや」 です。
 ただし家畜などの場合、人間の文明が存続する限り
 半永久的に人間と共存(?)して行くものと思われますがペットとなると少し事情が異なります。
 ペットとして完全に定着している犬や猫はともかく爬虫類など飼育の難しい生物が
 ペットショップで売られている現状は、飼いきれなくなって捨てられたペットが野生化し
 外来種として日本の在来種を駆逐しつつあるという問題の原因ともなっています。
 話が横道に逸れましたが個々の一般家庭において既に手放されつつあるのですから
 近い将来 「種」 ごと放棄されてしまう可能性が高いと見るべきです。

 

 は?

   近い将来 「種」 ごと放棄されてしまう可能性が高い

 なんで?

 飼いきれなくなって捨てられたペットは野生化して行き延びているんじゃん。

   飼いきれなくなって捨てられたペットが野生化し 外来種として日本の在来種を駆逐しつつある

 ってのは、人の手が介しているけれど、本質的には弱肉強食であり、神の摂理だよ。

 人の手を介してやってきた外来種によって在来種が絶滅するのが許せないというのであれば、
もう人類を滅ぼして下さいな。

 上で紹介した資料

   教えて!goo
   何故スズメって飼っちゃいけないの?
   http://oshiete.goo.ne.jp/qa/875527.html

 を補完しておきますと、そもそも人間は他者と関わらずに生きて行くことが出来ない生き物です。

 ですから、

   人には、生きものを所有したい、命あるものを自分の自由にしたい、という欲望がある

 というよりも、伴侶を得る事の代償行為として命ある生き物を飼おうとします。

   セキララ☆ゼクシィ
   ひとり暮らし+ペット=結婚できないって本当?
   http://zexy.net/contents/lovenews/article.php?d=20110111&vos=nxywsmfs20101214
   > 「 人の本能には、愛情を与えたりもらったりしたいという欲求がありますが、
   >  多くの人は結婚でその欲求を満たせるとイメージします。
   >  ですが結婚は、相手をコントロールしきれなかったり、どうなるか分からなくて
   >  ヤキモキする場面もたくさんありますよね。
   >  そこに面白さや醍醐味を感じられれば問題ないです。
   >  しかし、ひとり暮らしの人はすでに自立していて
   >  自分本位なライフスタイルが確立されていますから、
   >  人と一緒に暮らすことに窮屈さを感じてしまいます。
   >  そんな時にペットがいたらどうでしょう?
   >  ペットは餌をあげたり、ちょっと遊んであげると大喜びして、
   >  まっすぐな愛情を返してくれる存在。
   >  かといって自分のライフスタイルを崩されることもないので、
   >  結局その存在に満足し、口では 『結婚したい』 と言いつつ、
   >  深層心理では 『ペットがいれば癒されるし、寂しくないし、楽だわー』 と
   >  思い始めてしまうのです 」

 ですから、独身がペットを飼うと、それによって精神が満たされてしまい、婚期を逃す傾向があるそう です。

   【婚活アルバム】目指せ結婚!初心者を応援する婚活ブログ
   一人暮らしの女性はペットを飼っていると結婚ができなくなる?
   http://loverisace.blog55.fc2.com/blog-entry-191.html

 また、伴侶を得た場合でも、子供が生まれれば情操教育の為にペットを飼う夫婦は少なくありませ ん。

   猫画像どっと 猫ブログ
   小動物のペットが子供の情操教育に超役立つ7つの理由
   http://nekogazou.com/syoudoubutu/

 これ等を『マズローの欲求5段階説』に当て嵌めて考えれば、

   モチベーションUPの法則
   マズローの欲求5段階説
   http://www.motivation-up.com/motivation/maslow.html

 ペットを飼うという行為は、人間の欲求の第三階層 [ 社会的欲求 ( 集団に属したり、仲間が欲しくな ったり ) ] と 第四階層 [ 尊厳欲求 ( 承認欲求:他者から認められたい、尊敬されたい ) ] を同時に満 たす行為です。

 更に言えば、敢えて飼育が難しい生き物をペットとして飼おうとする行為は、『マズローの欲求5段階 説』に於ける最終第五階層 [ 自己実現欲求 ( 自分の能力を引き出し創造的活動がしたいなど ) ] で あると捉えることが出来ると思われます。

 このような欲求は、人が人であるが故に発する自然な欲求でしょう。

 どの程度まで遡れば、人とペットの関係を断ち切れるのか分かりませんが、古来から狩りのお供とし て活躍していた犬でさえも、人がホモサピエンスになった瞬間に既にペットとして飼われていたわけでは ないでしょう。

 そう考えれば、既にペット化が完了している種を飼う行為も、まだペット化していない種を飼おうとする 行為も神罰が下されなければならないような罪ではないと考えるべきはありませんか?

 逆に。

 それが罪だと言うなら、どうぞ。

 「人類が、野に在って然るべき種を飼って、自然環境を破壊しています。 神罰を!」
 と神に訴えてノア計画を発動させてくださいな。

 既に此処まで自然破壊をして、何も起こらないのですから、門前払いされると思いますけど。



 人が介する事に因って生じた 「種」 の絶滅は許し難い大罪だが、

 

 んじゃ文明なんか使うな!

 コウノトリにしろトキにしろ、食用にしたり、羽毛を活用したり、肉片を漁の撒き餌にしたり、あるいは 経済成長の為の開発によって生活環境が奪われたりして、個体数を減らした結果、絶滅危惧種に成っ たに過ぎない。

 コウノトリを飼う奴が居たから絶滅危惧種になったのでもなければ、トキを飼う奴が居たから絶滅危 惧種になったのでもない。

 人類が文明を得る為に、経済活動を重ねた結果、彼らが絶滅危惧種になるまで個体数を減らしたの だ。

 森林を破壊して造った住宅に住み、自然の水の流れを破壊して造った水を飲み、自然の摂理を曲げ て製造された食品を食べて、電気を使い、クルマや電車に乗っておきながら

   人が介する事に因って生じた 「種」 の絶滅は許し難い大罪

 だなんて言うな!

 そういうことは、最低限、人工の物に一切関わらない生活をしてから言え。



 人が介しない状態で
 一たび 「保護」 されるということはその瞬間から弱体化が始まっていると考えねばなりません。
 一度飼い慣らした 「種」 を自然に戻すのは困難です。
 コウノトリやトキの野生復帰にどれほど手間が掛かっているかを見れば明らかです。

 

 人が意図した結果じゃなくても、人の経済活動の結果として、個体数を絶滅の危機まで減らさせたの がコウノトリやトキだ。

 なぜ、人の手を介して僅かな個体を生殖させ、遺伝子の連続を続けようとするのか。

 自然の掟に従って、自然に絶滅させるべきはないのか?

 人間が生活環境を奪ったからといって、個体数の維持が不可能な迄に数を減らした種を、人間が人 間の勝手な判断で、人の手を介して増やす事も自然の摂理に反する行為ではないのか?

 野生復帰も何も、そもそも変な贖罪意識で自然の摂理を捻じ曲げるべきではないのではありません か?



 人間の都合で散々飼い慣らす為に餌を与えられ温室育ちで弱体化させられた揚句
 グレートハンティングのサバイバル社会に投げ出された 「種」 は存続して行けるのでしょうか?
 ペットブームが去ったらポイ捨てというのでは余りに身勝手です。

 

 なぜ捨てることが前提なのか?

 もちろん、成長して可愛く無くなったら捨てるという無責任な飼い主 ( 主にDQN ) が要ることは事実 だ。

 だが、大多数の飼い主はそうではない。

 ペットロスという、精神的ダメージを抱える覚悟前提で最後まで付き合う。

 少数の例を使って恰も全体像がそうであるかのように言うのは止めよう。



 ペットとして人間と共存させるのであれば末代まで未来永劫自然界から隔離し
 付き合って行く覚悟が必要であり、現状を見ればとてもじゃないけどそこまで出来る訳が無いのは
 明白です。

 

 室内飼いのペットの殆どはそうだぞ。

 雄雌両性多頭飼いで子が多く生まれた際に、貰い手を捜す事になるが、それにしたってストレス発散 の為に嬲り殺しにしそうな奴に譲るなんてことはありません。

 自分と同じ様に愛しんで飼ってくれる人に譲ります。

 その論でいけば、むしろ問題になるのは畜産農家が飼っている豚さん牛さん鶏さんです。

 予想外の原因で経営困難になった畜産農家が、育てている家畜を手放そうと思っても、周りの畜産 農家に受け入れるキャパシティがなければ手放すことは出来ません。
 ギリ出荷可能なサイズに育っている肉牛や豚は、事情を話して食肉センターに引き取って貰う事が出 来るかも知れませんが、それ以外 ( 乳牛や卵を産む為の鶏 ) は全部潰すしかありません。

 飼い続ける事が不可能になった時の仮定の話をするなら、家庭のペットではなく、畜産農家の家畜で しょうに。

 なんとしてでも 『ペットを飼うのは悪』 としたい貴殿の思惑が透けて見える様に思えます。

 ・・・ 穿ち過ぎですかね?



 話はまた横道に逸れますが犬猫でさえ野良犬野良猫になって
 生態系を脅かしているではありませんか。
 自然界の方でもそんな外来種は迷惑であり籠の中に隔離しておいてくれと思っているでしょう。

 

 だから、外来種が生存競争に加わって来るのをも含んでのグレートハンティングだろうに。

 気候の変動に伴って野生動物も生活場所を変える。

 特定の種が棲む場所は未来永劫、その種が絶滅するまで永遠にその場に留まるワケではない。

 草食獣が移動しようが肉食獣が移動しようが、移動によって今まで出会った事の無い捕食者と被捕 食者が出遭えば、それは外来種との遭遇と何も変わらない。

 人が介そうが介しまいが、グレートハンティングの組み合わせ変更は常に起こり得る。

 人の介在だけを悪玉に仕立て上げることに何か意味でもあるのか?



 なお野生を捨てて人間に飼われるという事は品種改良により人為的に 「種」 としての形態が
 変化させられるという別の問題もはらんでいます。

 

 まさか貴殿は、豚肉を食すそのクチで、言うて居るのではあるまいな。

 上述した通り、豚は人が猪を家畜化して創った種だ。

 人為的に 「種」 としての形態が変化させられて何が悪いというのか。

 極言すれば、自然にとって人はその存在自体が悪である。

 火を使い、武器を使い、文明を築き上げて、あろうことかグレートハンティングという神の摂理から人 類は逃れてしまった。

 この時点で、人が人の望むように自然を改変する事に対して、同じ人である者が異議を唱えることは 出来なくなった。

 なぜなら、グレートハンティングという神の摂理から逃れた人である時点で、その存在自体が悪だか らだ。

 自分達が安寧に暮らすというタダそれだけの為に、
 紙を作ったり、建築資材を作る為に鳥たちの棲家である森林を伐採しておいて、
 都市や工場地帯を作る為に、野生動物の生存場所である野原を切り拓いておいて
 古くは発電するために、今は人間様の居住区を水害から守る為に、淡水魚の棲家である河川を
コンクリートで固めておいて
 クルマの排気ガスや石炭ストーブからの排ガス、工場の煙突から排出される排気ガスなどで
鳥が飛翔する空を汚染しておいて
 工場からの廃棄物や事故を起こした原発から排出される放射性物質で、海水魚の棲家である
海を汚染しておいて

 ここまで自然を改変しておいて、人為的に 「種」 としての形態が変化させられるのが許せないって。

 悪の分際で正義の味方ヅラするの止めてくんない?



 ところで自然界は全ての生物種が生態系の中でそれぞれの役割を果たす事によって
 全体としてバランスを保ち共生しているとも見る事が出来ます。
 そういう視点で見ると一つの 「種」 だけを切り離して単体で見る事は出来なくなる様な気もします。

 

 いや、「待った!」 じゃないんだが、元ネタが任天堂の携帯ゲーム機アプリ【逆転裁判】だけなので、 適当な画像が無かっただけなのだが、その主旨には賛同する。

 しかし、認めようが認めまいが、地球の覇権を握ったのは人類である。

 好奇心からキメラを創ったり、人工ウイルスを製造する事は ( あくまで人類の滅亡を阻止する目的 で ) 禁忌とされるべきですが、人がより豊かでより安寧な生活を甘受するためであれば、 ( もちろん、 十分な安全性が確認された上で ) 遺伝子操作だろうが野生生物の人工養殖化だろうが好きにするべ きです。

 そういう意味で、

   全体としてバランスを保ち ( 人間にとって都合の良い様に、人間以外の種と ) 共生している

 社会を目指すべきでしょう。

 人にとって人の尊厳の前には、他の動物の尊厳なんか知ったこっちゃありません。

 それが人にとって都合の良い、ひいては、生き易い生活環境の確立に繋がるのですから。



□■ 2016年02月26日 □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 また続きがキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!。

 よく懲りないもんだな。

 - - ダチンコから 02月21日に来たメール晒し 此処から - - - - - - - - - - - - - - - - -

 ダチンココメント:
 一文一文反駁するのは煩雑なので僕の考えを以下の様に全体的にまとめさせてもらいました。
 そのため必ずしも順番通りには並んでいませんが、概ね回答にはなっていると思います。

 > 「要らん世話」 だなんて高度な認識は常識的に考えて鳥類には無理。

 「鳥類には無理」と何故断言出来るのでしょうか?
 因みに僕には 「無理じゃない」 とは断言出来ません。
 人の脳の血流を解析しその人が見ている画像をモニターに再現する研究をしている所が有って
 既にある程度成果が上がっている様ですが、仮にそういう研究が進んでも
 鳥が何を考えているのかは永遠の謎でしょう。
 なお参考までに、動物の知能を測る尺度として 「脳化指数」 というものが提唱されています
 ( [ 脳化指数 ] = [ 定数 ] × [ 脳の重量 ] ÷ [ 体重 ] 2/3 )。


 > 人の手を介して誕生から生殖まで生きた『種』(ゴカイ)を
 > 人間を利用して生き残っていると言ってしまうのであれば、
 > 雄雌両性を多頭飼いして生殖するペット(ペット化された野生種を含む )もまた、
 > 人間を利用して生き残っていると表現されて然るべきです。
 > 食肉畜産動物が待っている“死”は、グレートハンティングで 喰い殺される野生の死に方よりも
 > 遥かに無慈悲で残酷です。

 ゴカイや家畜の例えはゴカイや家畜の遺伝子を擬人化して
 その生き残り戦略を比喩的に表現したものであって
 ゴカイや家畜は人間が養殖して人間の犠牲になっても良いとか悪いとかという趣旨で
 書いたのではありません。 それは 「誤解」 です。
 遺伝子としての 「種」 の存続の話をしているのに各 「個体」 の悲惨な最期を理由に反駁されては
 話が混乱します。
 だから
 「 個々の個体は大半が犠牲になりますが
  『種』 としては人間を利用して生き残っていると言えます 」
 と言っているではありませんか。
 ゴカイは自然界でも生き残っているとは言え
 少なくとも人間の影響で安定的に個体数を確保しています。
 その点は水産資源として養殖放流されているアユなどにおいて顕著です。
 日本のアユは背ビレの形で天然モノか養殖モノかが見分けられ
 既に天然モノは絶滅したと見られています
 ( 養殖モノが圧倒的多数になり駆逐されてしまったという側面も有るでしょうが )。
 もちろん僕は豚肉も魚も、それどころか鶏肉も食べます。
 鶏だけを特別扱いしている訳ではありません。
 「 鶏は鳥類じゃないか。 野鳥ファンのくせに食べるのか 」
 という怒号が飛んできそうですが。
 人間は悲しいかな雑食性の動物であり
 偏らずバランス良く何でも食べるのが最も良いという体の構造になっていますから
 やむを得ず動物性タンパク質も摂取して命を頂戴しているのです
 ( カッコよく書きましたが本音を言えば好き嫌いが無く単にそれが美味しいからです。
  美味しいという事は体が欲しているとも考えられます。
  薬が苦いのは毒物だから味覚でチェックし体が拒否しているんだと思います )。
 本題に戻りますと、ペットの遺伝子も人間を利用して生き残っているのだとしても、
 健康に生きる為にやむを得ず犠牲にしているゴカイや家畜と、生きる為に不可欠という訳でも
 ないのに単に癒しの為に飼い殺しをしている鳥とを同列に論じるのは適当ではなく、
 立て分けて考えるのはダブルスタンダードでも何でもありません
 ( 念の為に言っておくと僕はペットを目の仇にしている訳ではありません。
  このコーナーらしく過激な表現で小理屈をこねまわしているだけです )。


 > 飼いきれなくなって捨てられたペットは野生化して行き延びている

 ペットの野生化による生態系の破壊を心配する一方で 「種」 としての存続を心配するのは
 一見すると矛盾している様ですが、野生化した生物が外来種として駆除されたり
 ペットとしての販売や飼育が禁止されたりするという事は
 遺伝子的には人間を利用する事に失敗したという見方が出来ます。
 話を戻すと飼い鳥の場合、籠脱けした鳥は大多数が自然界では通用せず
 すぐに死んでしまっているものと思われます。
 その中にごく希に野生化する者が存在し、日本の場合は飼い鳥と言えば通常外国産の鳥ですから、
 たまたま野外で繁殖に成功すると外来種となり、その中でも在来種を圧迫するまでになってしまった
 種がご存じの通り特定外来生物となって駆除の対象となります。
 ペットが特定外来生物になった顕著な例がアライグマです。
 アライグマはテレビ番組の影響からか一時期ペットとして大量に販売され
 凶暴化した成獣が捨てられるという社会現象を引き起こしました。
 アライグマはスズメなどより遥かに知能が高い ( 哺乳類の中でも高い方? ) ですが
 総体的に人間には遂になつきませんでした
 ( 多数の中には少数の例外も有るかも知れませんが )。
 子供の頃から餌を与えられていたにもかかわらず
 大人になると飼い主を攻撃する様になったと聞きます。
 繁殖可能な成獣になると本能的に親離れ子離れするという習性が強いのでしょう。
 知能が高いからと言って人間(育ての親)になつくとは限らないという事になります。
 結果として野生化した繁殖個体群の駆除という最悪の結果を招いています。
 鳥の世界ではソウシチョウが一時期ペットとして輸入されたものの安価過ぎた上に
 売れ筋じゃなくなって採算がとれなくなり野外に捨てる業者がいた事などの為に
 野生化し特定外来生物になったという指摘が有ります
 ( 他にもガビチョウ、カオジロガビチョウ、カオグロガビチョウなどが
  特定外来生物 = フォトギャラリー第150回参照 )。
 ごく一部の悪徳業者だと反駁されるかも知れませんが、
 少数の不心得者を以って全体を批判しているのではなく、
 人間社会の現実としてこういった事例が有る以上、今後もそういう例が出て来るだろうと
 予測するのは当然ではありませんか。
 人間が飼い慣れない動物を飼うのは飼われる動物にとっても悲劇です。
 彼らこそペットブームとやらの被害者です。
 単に可愛いからとか珍しいからなどという動機で習性がよく分からないにもかかわらず
 消費者を煽ってわざわざ飼育の難しい動物をペット化するのは身勝手というものです。
 犬や猫の様に家族の一員となって生涯を全うするレベルになって初めて
 人間もペットも幸せと言えるのではないでしょうか。


 > グレートハンティングの組み合わせ変更は常に起こり得る。

 地球上の生物種のほとんどは様々な障壁によって
 一定範囲内に隔離されていてその障壁を越える事が出来ません。
 それによってエリア(区)ごとに生態系バランスと「種」が保たれています
 ( もちろんそれだけで保たれている訳ではありませんが )。
 そしてそれを破壊して来たのは人間です。
 本来そこに居るはずの無い外来種により在来種が絶滅させられたら
 それは人間が殺したのと同じではないですか。
 このうえ更に人間のつまらない欲望を満たす為に
 生態系を破壊するのを良しとする事は出来ないでしょう。
 我々人間は余りにも抜きん出て獰猛でズル賢く
 自分達でコントロール出来ないほどの絶対的な権力を入手してしまいました
 ( アフリカのサバンナではライオンなどの猛獣でさえ成人男性を怖れると聞きます。
  案外そういう所でも生身の人間は生き残るものなのかも知れません。
  だとすると文明によって人間が覇権を手に入れたとは言い切れないという事になります。
  自身でそれを確かめにアフリカのサバンナへ行こうとは思いませんが )。
 人間は自然の恩恵を受けている一方であまりにも自然を改変してしまいましたから、
 これ以上の破壊工作は最小限に抑えなくてはならないという危機意識が根底に有るのだと思います
 ( それもまた人間の勝手な都合なのかも知れませんが )。
 野生動物が車にはねられたりしたなど人為的な事故の場合は
 治療の為に一時保護するという行為は誤解を恐れず言うと、
 ある意味 「文明は自然界には存在しない」 事にしようとする行為なのだと思います
 ( 「文明」 は 「自然」 と対極に位置していますから )。
 存在しないのだから 「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」 という状態、
 つまり可能な限り車と衝突しなかった状態に戻そうとしているという事です。
 「人間に起因するなら人間が関わって良い」 という発想になるのもそういう理由からだと思います。

 ところでフォトギャラリー第203回で記述した事もありますが
 野鳥たちは手付かずの自然の中にだけ存在する訳ではありません。
 日本の里山は連綿と人間の手で植林され耕作され手入れされて現在に至っています。
 好むと好まざるとにかかわらずそれが現在の秩序です。
 その人工的な環境に順応して様々な野生動物が生息しているのです。
 もはや全く人間の手が入っていない大自然など日本のどこにも見当たらないと言っても
 過言ではありません。
 その日本で生き延びた野鳥が地球的規模で拡散しているという事は、
 それだけで地球上に手付かずの自然などほとんど残っていないという事になります。
 極論すればこの地球そのものが巨大な鳥籠なのかも知れません。
 つまり完全な「野鳥」といったものは既に存在しないと言えなくもありません。
 ツバメに限らず全ての野鳥がこの人造環境に適応していると見る事が出来ます。
 原始時代、大阪平野などが一面の湿地帯だったころ絶滅に瀕していた種が
 現在は繁栄しているという例も有るかも知れません。
 人間が耕作しなければそのおこぼれもまた存在しなかった筈ですから。
 人間の文明が有るからこその現在の生態系であるならば
 ( もちろんそのせいで絶滅した種も存在するし
  文明が有っても無くても生き残っていたであろう種も存在するでしょうが )、
 少なくとも
 「大罪を犯して得た文明という名のぬるま湯に肩まで浸かった生活を享受し続けている状態」
 だからと言って
 「本来なら野に在るべき野鳥を慣らして飼う」 事に対して何も言えないという理屈にはなりません。

 一方で
 「大罪を犯して得た文明という名のぬるま湯に肩まで浸かった生活を享受し続けている状態」
 の人が 「本来なら野に在るべき野鳥を慣らして飼う」 のが許されると言うのであればなおの事です。
 もちろん地球そのものが鳥籠なのだとしたら野鳥とされる鳥たちもペットみたいなものだろう
 という事にもなるのですが。
 ただ、地球は世界最大の鳥籠なので鳥たちも自分たちが鳥籠の中に居るとは
 夢にも気付かないでしょう
 ( 我々人間も鳥籠の中で一緒に暮らしている事に気付いていません )。


 > 人が介する事に因って生じた「種」の絶滅は許し難い大罪

 これはどこからの引用でしょうか? 僕のコメントがそういう趣旨に受け止められたのでしょうか?
 他人の発言の責任は取れません。


 > 人の手を介して増やす事も自然の摂理に反する行為ではないのか?

 僕は絶滅危惧種の人工繁殖に諸手を上げて賛成した覚えは有りません。
 それは厳密な意味でもはや「野鳥」とは呼べない事になるかも知れないと思うからです。
 もっとも、前述の通り厳密な意味で「野鳥」と呼べる鳥は何?という疑問は残りますが。
 トキは一度絶滅したところから人工的に海外個体群を移入し人工繁殖し放鳥したという
 極端な例ですからレッドリストでも日本で唯一「野生絶滅」というカテゴリーに分類されています。
 今後どんなに野生復帰しても定義を変えない限り永久にここから出してもらえないでしょう。
 同様の理由で出水市におけるツルへの餌付けも無人島におけるアホウドリの移住計画も、
 それをしたら純然たる「野鳥」とは言えなくなってしまうのではないかという疑問が生じるのですが
 「種」が絶滅してしまったら元も子も有りませんから背に腹は代えられないという事になるのでしょう。
 出水市におけるツルへの餌付けに関しては江戸時代からの伝統なので
 仮に今やめても同じ事だという側面も有ります。
 生物種は絶滅により減る事は有っても突然変異がもっと頻繁に起こったりしない限り
 増える事は期待出来ません。
 絶滅危惧種の人工繁殖や餌付けに賛同する人達には
 時々刻々と生物の多様性が失われつつある事に対する焦りも有るのだと思います。
 自然淘汰により絶滅しゆく者を人工的に増やそうとするのは自然の摂理に反すると言えるでしょう。
 しかし人間が絶滅に追いやっている者を増やそうとするのは、
 絶滅に追いやっている時点から既に自然の摂理に反していると言うべきです。
 所詮前述の例の通り 「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」 という状態にしようと
 する行為ですから、自然の摂理に反している状態から強引に自然の摂理に反していない状態に
 持って行こうとしているという事なのではないでしょうか。
 もちろんそれで完全に自然の摂理に反していない状態になる訳ではありません。
 所詮人間のやる事です。
 しかし可能な限り理想に近づけようとする努力を全否定してしまったら
 歯止め無く理想から遠ざかって行く事になります。
 しかしながら 「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」 という状態を
 理想の状態と言っているのではありません。
 それを言ってしまったら文明など破壊せよという事になってしまいます。
 何としても人間の文明が存在する事が前提の話でなければなりません。
 「自然」 というものが 「文明」 と対極の位置に有る物だから、
 文明が存在しつつ 「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」 という状態を
 求めている時点でどうしてもこういう矛盾を抱えてしまうのはやむを得ません
 ( この 「文明が存在しつつ」 の部分は後述するので頭の片隅に置いておいて下さい )。
 外来種が駆除されたり、人間のつまらない動機による野鳥への餌付けが批判されたりするのも
 「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」 という状態を求めているからに他なりません。
 フォトギャラリーにも書きましたが最近バードウォッチングをしていると、
 手っ取り早く撮影する為にスマホなどでさえずりを流したり餌付けしたりなどして
 野鳥をおびき寄せる行為がごく一部の人に見受けられ
 ( フォトギャラリー第212回参照 ) 個人的に快く思っていないため
 特にそういった事を意識したコメントになりました。
 僕も人間ですから主観が混ざってしまうのはやむを得ません。
 野鳥ファンなら誰しも野鳥のいい写真が撮りたいという気持ちは分かりますが
 そんな自分勝手な動機で必要以上に野鳥を翻弄する権利が人間には有るのでしょうか。
 圭坊はヒヨドリか何かを介抱した体験をお持ちとの事ですが
 その事を責めるつもりは毛頭有りません。
 僕も窓にストライクしたジョウビタキを介抱した事が有ります ( フォトギャラリー第13回参照 )。
 野鳥に対する愛情が有りまごころに裏打ちされた行動であれば無下に責める事は出来ませんし
 状況から察するに上記のロジックで言うと
 「窓ガラスが存在しないとしたら、こうなっていたであろう」 という状態へ持って行こうとする作業と
 いう事になろうかと思います。
 しかし撮影目的の餌付けなどは全く異質のものです。
 餌付けの結果野鳥にどういう悪影響が有るか深く考えもせず
 ただ楽をしていい写真が撮りたいという動機でワームなどを仕込んでいます
 ( ワームも犠牲になっている訳ですが )。
 大多数の良心的な野鳥ファンは暗黙の了解として
 野鳥に対して極力影響を与えない様に心掛けているものです。
 上記の 「文明が存在しないとしたら・・・」 という発想に当てはめて考えると、
 文明が存在しない訳ですから
 「 自分が素っ裸もしくは動物の毛皮をまとって棍棒など持って立っていると仮定して
  その状態に近い状態でカメラを構える 」
 という事になろうかと思います。
 素っ裸もしくは毛皮をまとって棍棒などを持って立っている状態と
 服を着てカメラを構えて立っている状態とでは外見上ほとんど違いが無く
 野鳥に与える影響も限りなく大差無いものになると考えられます。
 もちろん現実には素っ裸で外を出歩く訳には行きません
 ( お巡りさんのご厄介になってしまいます ) から、これは飽くまで仮定の話ですが。
 文明が存在しない状態から遠ければ遠いほど望ましくない状態と考えると
 多少の餌付けはまだしも ( 餌付けがいいとは言いません )
 スマホなどでさえずりを流す行為は
 文明が存在しない状態からは程遠く決して好ましい事ではないと考えます
 ( 撮れた写真も決していいものではなく人工的なものになるでしょう )。
 原始時代に鳥が飼われていたという証拠は今のところ無い筈ですから
 文明が存在しないとしたら鳥籠も無いという事になります。
 何を言わんとしているかはもうお分かりですね。
 どうしても鳥を飼うとしたら鶏がおそらく人間に飼われた歴史が
 鳥類の中で最も長いので文明が存在しない状態に最も近いのではないでしょうか。
 飼育方法も確立されていますし早朝に鳴いて近所迷惑になりさえしなければ
 飼いやすい鳥だと思います。


 > ここまで自然を改変しておいて、
 > 人為的に「種」としての形態が変化させられるのが許せないって。
 > 悪の分際で正義の味方ヅラするの止めてくんない?

 僕が
 「 野生を捨てて人間に飼われるという事は
  品種改良により人為的に 『種』としての形態が変化させられるという別の問題もはらんでいます 」
 と書いたのは前述した通り 「遺伝子」 の立場で考えるとそういう問題を抱えているという
 脈絡だったはずです。
 あの文章の主語は 「遺伝子」 です。
 「遺伝子」 を擬人化して 「遺伝子」 が自分の姿を変えられては困るだろうという趣旨で
 そう表現したものです。
 「人為的に『種』としての形態が変化させられるのが許せない」 などと
 自分の立場で主観を述べた覚えはありません。


 > 農家と最も共生している鳥は、スズメがファイナルアンサーなのでは?

 農家にとっては大問題かも知れませんが僕にとっては平たく言えば 「別にどっちでもいい」 です。
 特にどちらを応援したいという気持ちも有りません。
 因みに僕がよく行く農耕地ではスズメなどよりホオジロの方が圧倒的に多く見られます。
 地域によるのではないでしょうか。


 > 火を使い、武器を使い、文明を築き上げて、あろうことかグレートハンティングという
 > 神の摂理から人類は逃れてしまった。
 > この時点で、人が人の望むように自然を改変する事に対して、同じ人である者が
 > 異議を唱えることは出来なくなった。
 > なぜなら、グレートハンティングという神の摂理から逃れた人である時点で、
 > その存在自体が悪だからだ。

 「文明」 をどう定義するかという事はさておき、
 人間は最初に文明を手に入れてから生き残った訳ではなく
 弱肉強食の自然界で生き延びたあとに文明を手に入れた筈です。
 すなわちグレートハンティングという神の摂理から人類が逃れてしまったのは
 必ずしも文明を築き上げた後とは限らないという事になります。
 人間ほど無益な殺生を繰り返す獰猛な生物は地球上には見当たりません。
 案外アウストラロピテクスの頃から食物連鎖の頂点に君臨して
 動物たちから恐れられていたのかも知れません
 ( 子供が他の猛獣の犠牲になる危険性が高いのはライオンなどでも同様です )。
 頂点に近い猛獣ほど自然界における存在確率が低く
 人間が彼らと遭遇する機会は想像している以上に少なかったかも知れません。
 特に日本列島においては人間と対等以上の猛獣は極めて稀であったと思われます。
 ツキノワグマ程度なら1対1でもたいてい人間から逃げるとされます。
 原始人はオオカミ(犬)と共生して主に夜間における肉食獣の危険を回避し、
 頭数を増やして集団で行動する事により他者を圧倒し、弱肉強食の世界を勝ち抜いていたと
 考えます。
 人間が文明の利器で決定的に地上を支配する様になったのは
 もっと後の話だったのではないでしょうか。
 命中精度の高いライフルの登場などつい昨日今日の事です。
 すなわち、必ずしも
 「 グレートハンティングという神の摂理から逃れた人である時点でその存在自体が悪 」
 とは言えず
 「 この時点で、人が人の望むように自然を改変する事に対して、
  同じ人である者が異議を唱えることは出来なくなった 」
 とも言えないという事になります。
 また仮にアウストラロピテクスが地球外知的生命から文明を授けられるなどして
 グレートハンティングという神の摂理から逃れてしまったのだとしても、
 「 人が人の望むように自然を改変する事に対して、
  同じ人である者が異議を唱えることは出来なくなった 」
 とは言えないでしょう。
 なぜなら 「望むように自然を改変する」 人も 「存在自体が悪」 なのですから、
 同じ 「存在自体が悪」の人が「存在自体が悪」 の人に異議を唱えることが出来ないとは
 話が一方的過ぎます。
 平たく言えば 「 お前もやっとるやないか 」 に対して
 「 お前に言われたくないわ 」 と言い合いしているという構図です。
 こんな子供の喧嘩みたいに次元の低い話をしていても良いのでしょうか。
 手に負えないほどの文明を手にしてしまったからこそ、
 その 「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」 という状態に近づけようとするのは
 むしろ 「存在自体が悪」 の我々に課せられた課題とも考えられます。


 > 全体としてバランスを保ち ( 人間にとって都合の良い様に、人間以外の種と ) 共生している
 > 社会を目指すべきでしょう。

 圭坊が
 「 『 文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう 』 なんて自分には関係無い。
  自分は文明を謳歌する立場なのだから自由に自然を改変させてもらっても
  とやかく言われる筋合いは無い 」
 というスタンスなのだとしても、我々人間は文明の恩恵を受けている以前に
 自然の恩恵を受けている筈です。
 文明が発祥したのも自然の恩恵が有ったからこそです。
 「 文明のぬるま湯に肩まで浸かった生活を甘受しておきながら 」
 とか
 「 そういうことは、最低限、人工の物に一切関わらない生活をしてから言え 」
 とか仰るのであれば、太陽光線という自然の恩恵、温暖な気候という自然の恩恵、
 日光を燦々と浴びて育った農作物
 ( もちろん機械力という文明の利器は事実上不可欠ではありますが )、
 同じく日光を燦々と浴びて育った飼料を食べて育った家畜の肉、海の幸山の幸、
 そういった自然の恩恵に肩まで浸かった生活を甘受しておきながら
 「 (人間にとって都合の良い様に、人間以外の種と) 共生している社会を目指すべきでしょう 」
 などと言うべきではないと言われても仕方が有りません。
 ちょっとタチの悪い人に捕まると 「自然の恩恵に一切関わらない生活をしてから言え」 と
 言われるでしょう。
 太陽光線を完全に遮断し完全な断熱材で覆われた家の中で原発を稼働し
 ( 三重水素を排出して大気で希釈したら太陽光線による対流を利用した事になるので反則 )
 オール電化でゲーム三昧、人工照明で野菜と飼料と家畜を育てて自給自足の生活をして
 排泄物も肥料としてリサイクルし酸素は野菜から供給し水道は井戸水など使用せず
 尿を浄化するなどして再利用し
 ( 井戸水は太陽光線により蒸発した水蒸気が雨となって山に降り地下に浸透したものだから反則 )
 ・・・ どう考えてもコスト的に無理でしょう。
 我々は文明の恩恵も自然の恩恵もいいとこ取りをしなければ生きて行けないのです。
 この巨大な鳥籠の中で
 「文明が存在しつつ」 「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」
 という状態を模索し、自然の良さを可能な限り残しながら文明を維持して行くスタイルが
 最も現実的で理に適っていると考えます。

 この他にも折角いろいろコメントして頂きましたが
 「テーマから遠い」 「同意見」 「枝葉末節」 などの理由で回答は割愛させて頂きます。

 余談ですが大阪の某ペット可マンションの管理規約には
 「飼えない動物」 の例として大まじめに 「ぞう」 と書かれています。 そりゃ飼えないでしょうなぁ・・・

  - - - - - - - - - - - - - - - - - ダチンコから 02月21日に来たメール晒し 此処まで - -

 人の事は言えないが、相変わらず長いお (´・ω・`)

 では、性懲りもせずに論破開始。

 なお、オイラは頭が悪くて何に反駁して、何をスルーすれば良いのか判りません。 なので、総当たり 行きます!


 ダチンココメント:
 一文一文反駁するのは煩雑なので僕の考えを以下の様に全体的にまとめさせてもらいました。
 そのため必ずしも順番通りには並んでいませんが、概ね回答にはなっていると思います。

 > 「要らん世話」 だなんて高度な認識は常識的に考えて鳥類には無理。

 「鳥類には無理」 と何故断言出来るのでしょうか?
 因みに僕には 「無理じゃない」 とは断言出来ません。
 人の脳の血流を解析しその人が見ている画像をモニターに再現する研究をしている所が有って
 既にある程度成果が上がっている様ですが、仮にそういう研究が進んでも
 鳥が何を考えているのかは永遠の謎でしょう。
 なお参考までに、動物の知能を測る尺度として 「脳化指数」 というものが提唱されています
 ( [脳化指数] = [定数] × [脳の重量] ÷ [体重] 2/3 )。

 

 既に示した通り、人に最も近い猿でさえも人とのコミュニケーションは無理だ。

   2014年01月03日 ゴリラ語録
   ゴリラのココは本当に手話で会話ができるのか - その5 馬からサルへ、歴史は繰り返す
   http://gorilla-go-rock.seesaa.net/article/384255557.html

 そして、↑このwebサイトに書かれた事実が

   > なお参考までに、動物の知能を測る尺度として 「脳化指数」 というものが提唱されています
   > ( [脳化指数] = [定数] × [脳の重量] ÷ [体重] 2/3 )。

 という提唱さえも、否定している。

 人と同等の知能を有し得る程に体重比で重い脳質量を持つゴリラでさえも、人とのコミュニケーション は不可能なのだ。

 もちろん、会話できる程の知能を有していないからといって、「要らん世話」 だなんて認識すらも出来 ないとは限らない。

 実際、猫は構い過ぎると怒る。

 しかし、これは人間の女性に対して、愛撫し続けると怒り出すのと変わらない (と思う)。

 構われ過ぎた猫の怒りも、愛撫され過ぎた女性の怒りも、「要らん世話」 だではなくて、「おまえ鬱陶し いな」 ではないだろうか。

 「要らん世話」 だという認識は 「おまえ鬱陶しいな」 とは次元が違う。

 「おまえ鬱陶しいな」 は、自分と他者の関係だけで決定付けられる判断であって、自分が置かれてい る状況と関係がない。

 一方、「要らん世話」 というのは自分が置かれている状況と自分の能力を秤に掛けて、「お前の助け なんかなくても大丈夫」 という判断を下すということだ。

 言い方を変えると、相手が自分にしようとしている行為が、「要らん世話」 と捉えられるということは、 自分が現在の状況を鑑みて、相手が自分に対してやろうとしていることが必要か否かを判断した結果 ということである。

 これが鳥類に可能だろうか。

 考えて欲しい。 鳥類は、人間だったら恐怖の余りに発狂してしまうようなグレートハンティング社会の 弩真ん中で、自分よりも弱者である存在を狩って喰い、同種の異性を見つけてセクロスして、仔を生 み、育てているのだ。

 現在の状況を鑑みることが出来る程度の知能があれば、恐怖の余りに発狂してしまうだろうと思われ る凄惨な殺し合い ―― それも、弱者は決して強者に敵わないという弱者にとっては、絶望的な殺し合 い ―― の中で鳥類は ( 鳥類に限らないが ) 自分よりも弱者である存在を狩って喰い、同種の異性 を見つけてセクロスして、仔を生み、育てている。

 そりゃあ、自分が現在の状況を鑑みる知能が有って、殺される恐怖も抱いた上で、それでも縮こまっ て居たら飢えて死ぬだけだから、勇気を振り絞って弱肉強食の世界へ身を投じているという可能性だ ってゼロではない。

 しかし、常識的に考えたら、自分が狩られる側に居るという認識が出来ない程度の知能だから、自分 が成鳥まで生き延びて、子孫を遺せる可能性の低さになんか思考が及ぶことなく、ただただ、目の前 にある、或いは飛んで見つけた餌を喰い、繁殖期に見つけた異性と性欲の赴くままにセクロスしている だけの可能性が高いだろう。

 結論。

 「要らん世話」 だという認識は高度な知能がなければ持つことが出来ない ( と思われる )。

 グレートハンティング社会の弩真ん中で平然と生きている連中の知能が高いとは思えない。

 鳥も同じ。

 だから、知能の低い鳥類が人の好意に対して 「要らん世話」 だという認識を持つのは無理
 ( と考えるのが合理的 )。



 > 人の手を介して誕生から生殖まで生きた『種』(ゴカイ)を
 > 人間を利用して生き残っていると言ってしまうのであれば、
 > 雄雌両性を多頭飼いして生殖するペット(ペット化された野生種を含む )もまた、
 > 人間を利用して生き残っていると表現されて然るべきです。
 > 食肉畜産動物が待っている“死”は、グレートハンティングで喰い殺される野生の死に方よりも
 > 遥かに無慈悲で残酷です。

 ゴカイや家畜の例えはゴカイや家畜の遺伝子を擬人化して
 その生き残り戦略を比喩的に表現したものであって
 ゴカイや家畜は人間が養殖して人間の犠牲になっても良いとか悪いとかという趣旨で
 書いたのではありません。 それは「誤解」です。
 遺伝子としての「種」の存続の話をしているのに各「個体」の悲惨な最期を理由に反駁されては
 話が混乱します。
 だから
 「 個々の個体は大半が犠牲になりますが『種』としては人間を利用して生き残っていると言えます 」
 と言っているではありませんか。

 

 だったら、もしかしたら飛翔本能というものがあって、広い大空を自由に飛ぶことが制限されると酷い ストレスに晒されるかも知れない野鳥を狭いゲージに押し込んで、世代交代を繰り返させて、飛べない 鳥類として飼い、最後に解体して喰うのもまた

   『種』としては人間を利用して生き残っている

 と言えるのではありませんか。

 貴殿の主張は、
 「 野鳥を狭いゲージに押し込めて飼い殺しにするのは、
  当人(当鳥)にとって不幸であるから止めるべきだ」
 なのでしょう。

 しかも、人間だったら恐怖の余りに発狂してしまうグレートハンティングの弩真ん中で、自分よりも弱 者である存在を狩って喰い、同種の異性を見つけてセクロスして、仔を生み、育てているという―― そ んなの正気じゃ出来ないだろ ―― ってツッコミを入れたくなるような行動をしている鳥類に対して、「要 らん世話」 だなんて高度な認識さえも不可能ではないと言い張るのでしょう。

 だったら、ゴカイも同じです。

 泥質/砂質の海底に穴を掘り潜る能力を持つゴカイから、泥質/砂質の海底に自由に穴を掘り自由に 潜る環境を奪うことと、広い大空を自由に飛び回る能力を持つ野鳥から広い大空を自由に飛び回る環 境を奪う事は等しく同じではありませんか。

 ゴカイから泥質/砂質の海底に自由に穴を掘り自由に潜る環境を奪うことは

   『種』としては人間を利用して生き残っている

 であり、野鳥から広い大空を自由に飛び回る環境を奪う事は

   野鳥が不幸に感じるかも知れないことは止めろ

 というのは、幾ら否定されようともダブルスタンダードです。

 ゴカイから泥質/砂質の海底に自由に穴を掘り自由に潜る環境を奪って。個体数を増やす機会を与 えることが【間違った行為ではない】と許されるのであれば、野鳥から広い大空を自由に飛び回る環境 を奪っても、それが雌雄両性の多頭飼いで個体数を増やす機会を与えているならば、それは【間違っ た行為ではない】と許されるべきです。



 ゴカイは自然界でも生き残っているとは言え少なくとも人間の影響で
 安定的に個体数を確保しています。

 

 いや、それに何の意味があるというの?

 何らかの大きな変革が有って、地球上の幾多の種が滅びるとして、その変革の後まで生き残れる確 率は、人間のような高等生物よりも、原生動物に近い簡単な生命体の方が高いと思われます。

 であると仮定するならば、人間の手を介して ( 人間に関わっている部分の ) 個体数を確保していた としても、何らかの大きな変革が起こった際には、人間は死滅してしまうか、或いは、死滅しないまで も、ゴカイなんか飼っていられる状況ではなくなってしまいますので、いずれにせよ、人が関わって生き ているゴカイはその時点で全滅が確定します。

 そう考えるならば、人間の影響で安定的に個体数を確保していることに意味なんかありません。

 逆に、そういうグレートハンティングの輪から外されて、人に生殺与奪の権を握られて生きる種にも、 種の存続としての価値があるというなら、狭いゲージに鳥を押し込めて、異性間で性交させ、自然とは 別の環境で種を存続させることもまた、意味のある行為であり、そういう飼育方法を非難される謂れは 何も無いことになります。

 コウノトリやトキがゲージではなく、野に放たれる理由は、飛べないコウノトリも飛べないトキも人間の 勝手な価値基準で、「飛べなくなったコウノトリはコウノトリとして保護する価値がない」 とか「飛べなくな ったトキはトキとして保護する価値がない」 と見捨てられてしまうからではありませんか? 飛べなくなっ ても、飛べる個体と等しく価値があると見做してくれるなら、野良犬や野良猫,猛禽類等の外敵から襲 われて個体数を減らしかねない自然下での育成なんか放棄してしまえば良いのです。

 でもコウノトリもトキもあくまで飛ぶ鳥として、人間の監視下にありながら、野生に生かされています。

 それは結局のトコロ、コウノトリにしろトキにしろ、生物学の種の定義に 「飛ぶ」 と在るから、飛ばない コウノトリも飛ばないトキも 「定義外」 ・・・ つまりは 「規格外の出来損ない」 として扱われているのでは ありませんか。

 たとえゴカイ (多毛類)の一種 [ 埋在性ベントス ] を、「泥質/砂質の海底に穴を掘り潜る能力を持つ 種」 だと生物学的に定義した際に、飼育工場で蠢く [ 埋在性ベントス ] が亜種として扱われることはな いでしょう。

 ゴカイであれ、野鳥であれ、生まれ持って得ている能力 ( [ 埋在性ベントス ] に於いては、「泥質/砂 質の海底に穴を掘り潜る能力 ] であり、( 一部を除いて ) 野鳥に於いては [ 飛ぶ能力 ] ) を失うこと があろうとも、個体数が確保できていれば、それは絶滅危惧種ではなくなることを意味するはずです。

 鳥の絶滅危惧種だけが、飛べる個体のみをカウントして、「絶滅危惧ガー」 と喧伝するのは、「 飛べ ない鳥は固有種ではない、タダの『飛べない鳥』という括りに過ぎない」 と言わんがばかりの人間の奢 りではありませんか。



 その点は水産資源として養殖放流されているアユなどにおいて顕著です。
 日本のアユは背ビレの形で天然モノか養殖モノかが見分けられ
 既に天然モノは絶滅したと見られています
 ( 養殖モノが圧倒的多数になり駆逐されてしまったという側面も有るでしょうが )。

 

 え? それ、善しとするの?

   養殖モノが圧倒的多数になり ( 天然モノが ) 駆逐されてしまった

 現状を善しとするの?

 それは、美味しい鮎を簡単に獲れるようにするために、人が自然に手を加えることを善しとする発想 だよ。



 もちろん僕は豚肉も魚も、それどころか鶏肉も食べます。
 鶏だけを特別扱いしている訳ではありません。
 「 鶏は鳥類じゃないか。 野鳥ファンのくせに食べるのか 」 という怒号が飛んできそうですが。
 人間は悲しいかな雑食性の動物であり偏らずバランス良く何でも食べるのが最も良いという
 体の構造になっていますからやむを得ず動物性タンパク質も摂取して命を頂戴しているのです
 ( カッコよく書きましたが本音を言えば好き嫌いが無く単にそれが美味しいからです。
  美味しいという事は体が欲しているとも考えられます。
  薬が苦いのは毒物だから味覚でチェックし体が拒否しているんだと思います )。
 本題に戻りますと、ペットの遺伝子も人間を利用して生き残っているのだとしても、
 健康に生きる為にやむを得ず犠牲にしているゴカイや家畜と、
 生きる為に不可欠という訳でもないのに単に癒しの為に飼い殺しをしている鳥とを
 同列に論じるのは適当ではなく、立て分けて考えるのはダブルスタンダードでも何でもありません

 

 だから。

 当の家畜にとってそんな人間の都合なんか知ったこっちゃないんだってば。

   ゴカイや家畜は人間に美味しい食卓を与える為の犠牲だから無問題

   でも、野鳥の飼い殺しは、生きる為に不可欠という訳でもないから有問題

 なんて言われましてもね。

 ゴカイを繁殖させて釣りの餌にして、食卓に魚料理を載せなくても、狭い区画で不自由させて、餌だけ 十分に与えて家畜を育てて殺し、食卓に肉料理を載せなくても

 んなもんは、豆を食ってりゃ済む話なんです。

   2007年02月07日 分裂勘違い君劇場
   「健康のためには、お肉もしっかり食べなきゃ」というのは科学的根拠のない迷信です
   http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20070207/1170721518

 つまり、ゴカイを繁殖させて釣りの餌にして、食卓に魚料理を載せたり、狭い区画で不自由させて餌 だけ十分に与えて家畜を育てて殺し、食卓に肉料理を載せるのも、人間の健康の為に、泣いて馬謖を 斬るが如く、他に手段が無くて仕方なくやっているワケではありません。

 タンパク質の摂取を豆に限定されることが我慢できない我儘な人間のために、魚や家畜が尊い命を 落しているのです。

 人間がタンパク質の摂取を豆で我慢できるのであれば、ゴカイも家畜も必要ありません。

 ( そもそも、人口爆発に伴って危惧される食糧危機は、タンパク質を畜産で摂ることを前提と
  しているために生じる問題であって、畜産を止めて農業のみで人を食わせるのであれば、
  人間が農業で生産し得る食料には、まだまだ十分な余裕があると言われています。)

 ゴカイにしろ家畜にしろ、奪わなくても済む他者の命を、我儘な人間が徒に奪うために存在していま す。

 ( 何を以て大罪と呼ぶのかは神のみぞ知るところですが ) 種の存続としてではなく、野生の生存競 争の輪から外れた人間サマの都合の為に産ませて殺すという行為が大罪であると仮定するなら、

   生きる為に不可欠という訳でもないのに単に癒しの為に ( 野鳥を ) 飼い殺し

 にする如きは、人が食う為だけの為にこの世に生を受けさせ、大空を飛翔する自由どころか決めら れた区画から出る事さえ許されず、チンコのおっ勃たない ( 或いはオマンコの濡れない ) 不細工な異 性と無理矢理交配させられて、漸く仔を授かったと思いきや、屠殺場に送られて殺される悲惨な家畜 生活に比べたら、

 悲 惨 さ が 少 な 過 ぎ て ど う で も 良 い で す。



 ( 念の為に言っておくと僕はペットを目の仇にしている訳ではありません。
  このコーナーらしく過激な表現で小理屈をこねまわしているだけです )。

 > 飼いきれなくなって捨てられたペットは野生化して行き延びている

 ペットの野生化による生態系の破壊を心配する一方で
 「種」としての存続を心配するのは一見すると矛盾している様ですが、
 野生化した生物が外来種として駆除されたり
 ペットとしての販売や飼育が禁止されたりするという事は
 遺伝子的には人間を利用する事に失敗したという見方が出来ます。

 

 いやいやいや。

 法律の世界なんかがそうなんだけど。

 世の理には、「より良い未来」 になるのか、「より悪い未来」 になるのか分からない選択肢と、「現状 維持」 の選択肢という二択があった場合に、「現状維持」 という選択肢が選ばれる事が往々にしてあ る。

 野生化した生物をそのまま野放しにした場合、生態系に変化が訪れる可能性が濃厚であるが、それ が人の世に良い結果となるかどうかは、神ならぬ人に分かろうハズがない。

 だから、善くなる可能性があるとしても、悪くなる可能性を忌避するために、野生化した生物を外来種 として駆除したり、ペットとしての販売や飼育を禁止しているに過ぎない。

 実際問題、

   養殖モノが圧倒的多数になり ( 天然モノが ) 駆逐されてしまった

 鮎の現状に関しては、人に何の害も出ておらず、それどころか鮎が美味しい時期になれば、簡単に 食卓へ上げられるようになったことにより、天然鮎の駆逐が問題視されなくなっている。

 結局のトコロ、人は人の都合で環境の変化を評価しているに過ぎず、人間が関与していなかった状 態の環境を以て尊しとしているワケではないということです。



 話を戻すと飼い鳥の場合、籠脱けした鳥は大多数が自然界では通用せず
 すぐに死んでしまっているものと思われます。
 その中にごく希に野生化する者が存在し、日本の場合は飼い鳥と言えば
 通常外国産の鳥ですから、たまたま野外で繁殖に成功すると外来種となり、
 その中でも在来種を圧迫するまでになってしまった種がご存じの通り
 特定外来生物となって駆除の対象となります。
 ペットが特定外来生物になった顕著な例がアライグマです。
 アライグマはテレビ番組の影響からか一時期ペットとして大量に販売され
 凶暴化した成獣が捨てられるという社会現象を引き起こしました。
 アライグマはスズメなどより遥かに知能が高い(哺乳類の中でも高い方?)ですが
 総体的に人間には遂になつきませんでした
 ( 多数の中には少数の例外も有るかも知れませんが )。
 子供の頃から餌を与えられていたにもかかわらず
 大人になると飼い主を攻撃する様になったと聞きます。
 繁殖可能な成獣になると本能的に親離れ子離れするという習性が強いのでしょう。
 知能が高いからと言って人間(育ての親)になつくとは限らないという事になります。
 結果として野生化した繁殖個体群の駆除という最悪の結果を招いています。
 鳥の世界ではソウシチョウが一時期ペットとして輸入されたものの
 安価過ぎた上に売れ筋じゃなくなって採算がとれなくなり
 野外に捨てる業者がいた事などの為に野生化し特定外来生物になったという指摘が有ります
 ( 他にもガビチョウ、カオジロガビチョウ、カオグロガビチョウなどが
  特定外来生物=フォトギャラリー第150回参照 )。
 ごく一部の悪徳業者だと反駁されるかも知れませんが、
 少数の不心得者を以って全体を批判しているのではなく、
 人間社会の現実としてこういった事例が有る以上、
 今後もそういう例が出て来るだろうと予測するのは当然ではありませんか。
 人間が飼い慣れない動物を飼うのは飼われる動物にとっても悲劇です。
 彼等こそペットブームとやらの被害者です。
 単に可愛いからとか珍しいからなどという動機で習性がよく分からないにもかかわらず
 消費者を煽ってわざわざ飼育の難しい動物をペット化するのは身勝手というものです。
 犬や猫の様に家族の一員となって生涯を全うするレベルになって
 初めて人間もペットも幸せと言えるのではないでしょうか。

 

 以前にも述べた通り、犬も猫もその原種が世に生まれ出た瞬間から人間の伴侶と成り得たワケでは ありません。

 犬も猫も、誰か 「コイツをペットにしよう」 と挑戦したチャレンジャーが居て、紆余曲折を経て犬や猫 がペットになったのです。

 であるならば、まだペットになっていない野生種を飼い慣らして、ペットにしてみようと挑戦する事は罪 ではないでしょう。

 ただし、アライグマにしろ、ソウシチョウにしろ、「コイツは飼えない」 と判断した後の処理が間違って います。

 外来種を在来種の野に放ったのは完全にアウトです。

 人は残虐な生き物であり、その残虐性を以て知らない他種を自分の支配下に置く(=ペットとして飼 う)のですから、ペットとして飼えないと判断された時点でやるべきことは、手元に居るソイツの抹消、つ まり殺して衛生的に廃棄、です。

 仮にペットとして飼えたとしても、飽きたから野に捨てるは許されません。

 人の手に囚われた以上、その個体は自然から切り離された個体であり、外来種と云うカタチで生き延 びることは、自然に対する人間の過剰な関与だと、( 人類が種の頂点だとする主張に与する私でさ え ) 思います。

 ですから、「飼おうとしたが、飼うには適さないな」 と最終判断された時点で、処分されるべきだったの です。

 処分・・・もりろん、鏖殺しです。

 如何なる紆余曲折であったかは定かでありませんが、犬や猫が紆余曲折を経て人と共存し得るペッ トに成った以上、いまだペットでない野生種を人間が飼おうとする権利は憚られる物ではないはずです ( それを否定してしまうと、ペットとしての犬や猫の存在、鷹匠が高度な道具として利用している鷹,既 に観光資源に成り果てていますが、鵜飼の鵜やカルガモ農法のカルガモ等も否定されることになりま す )。

 ですから、野生種を飼おうとすること自体に問題はないハズです ( とりあえず、神からの天誅もあり ませんし )。 チャレンジが許されるとするならば、問題は飼う事を諦めた人間が野に放つ事に因って 生じる在来種の危機。 これさえも、単に弱肉強食の追加ステージだと捉えて無視すことだって許され ないわけではありません ( この件に関しても、とりあえず、神からの天誅はありません )。 ただ、アラ イグマのように人が飼っている家畜を襲うのは、本末転倒。 人間がアライグマを介して自分で自分の 首を絞めている結果になっています。

 これを避けるためには。

 野生種を飼うと云うチャレンジを行って、尚且つ、飼えなくても人に被害が及ばない様にするために は。

 殺せば良いんです。 飼おうとされたアライグマやらソウシチョウやらが何頭(何羽)居たのかは知り ませんが、どうせ元居た野生に還る事なんか叶わないんですから、さっさと鏖殺しにして、それ以降を 強い罰則付きで禁輸にすれば良い。

 それだけの話です。

   「飼おうとする」⇒「飼えなくて捨てる」⇒「外来種になる」⇒「野生動物を飼おうとしてはいけない」

 と限定するから、野生動物を飼おうとすることが問題になるのであって、

   「飼おうとする」⇒「飼えなくて殺処分」⇒「のーまんたい」

 です。



 > グレートハンティングの組み合わせ変更は常に起こり得る。

 地球上の生物種のほとんどは様々な障壁によって一定範囲内に隔離されていて
 その障壁を越える事が出来ません。
 それによってエリア(区)ごとに生態系バランスと「種」が保たれています
 ( もちろんそれだけで保たれている訳ではありませんが )。
 そしてそれを破壊して来たのは人間です。
 本来そこに居るはずの無い外来種により在来種が絶滅させられたら
 それは人間が殺したのと同じではないですか。

 

 いいじゃん、別に。

 人に取って必要な自然とは、人が生きて行くのに都合の良い自然だ。

 台風もハリケーンも洪水も旱魃も、地震すらも、あるとあらゆる自然災害が、もし、人の手にコントロ ールが委ねられたとしたら、人は躊躇うことなく、人間の生活環境の為に自然災害をコントロールする だろう。 或いは、敵国を攻撃する手段として活用するかも知れない。 いずれにせよ、利己的な手段 として活用されるであろうことは、確実である。

 生きるという事は慈善活動ではない。

 ブラックバスのように外来種に在来種が駆逐されて、それまで人が食っていた在来種が食えなくな り、食卓に上げるには糞不味い外来種ばかりになってしまうのは困る。 大変に宜しくない。 ただ、そ れが宜しくないのは、単純に食卓が貧相になってしまうからであって、在来種が絶滅の危機に瀕するか らではない。

 ブラックバスが鯛や鮃のように人間にとって美味しい食材だったら、多くの人は、ブラックバスによる 在来種絶滅の危機を憂いたりはするまい。

   それは人間が殺したのと同じではないですか

 それの何が悪い。

 人は、食ったら美味しかったから乱獲したとか。 その種が人が味を好む種を横取りして喰っちゃうか ら先んじて殺して、自分達の食べる量を確保するとか、腹にの中の脂を取るためだけに捕獲するとか、 羽毛や毛皮を剥ぎ取る為に乱獲したとか、様々な理由で加減しないで狩り殺し、幾多の種を絶滅させ ている。

 しかし、そのおかげで飢え死にせず、料理店が繁盛して店主が首を括らずに済み、寒い冬に暖を取 ることが出来て、極寒の地でも活動する事が叶って、人は行き延びて経済活動することが出来た。

 もし、人の乱獲によって絶滅した種を、当時の人達が人道的見地から一定数以上の個体数を維持で きるように管理していたとしたら、その種は絶滅せずに済んだでしょうが、何人かのヒトは飢えたり、職 を失ったり、あるいは寒さに凍えて死んだりしたでしょう。

 もし、タイムマシンで過去へ行って、今現在に絶滅種になってしまった種を狩らない様に妨害した場 合、もしかしたら、オイラや貴殿の先祖が死んで、オイラや貴殿がこの世から消えてしまうかも知れま せん。

 今の我々が在るのは、良くも悪くも過去に生きた人々の行動の結果だ。

 だから、未来の人達が居るのも、良くも悪くも現在に生きている人々の行動の結果である。

 ブラックバスの放流のような、人間の食生活に悪影響が出る様な自然環境への干渉が慎まれるべき であることに異論はない。 だが、それさえも、( 人の営みを最優先項目とする以上 ) 比較的どうでも 良い些事だ。

 森林を薙ぎ倒し、浅瀬を埋め立て、河川をコンクリートで覆って、野生動物の棲家を奪い、数え切れ ない程の野生動物を殺しておいて、今更、たかだか、飼えもしない野生動物を人が飼おうとした挙句に 野に放ってしまうのは、特定外来種を創ってしまうことになるので、

   それは人間が殺したのと同じではないですか

 とかw

 オイラと同様、貴殿も同じ人間が犯した大罪の上に生かされている身ではないか。

 人間の価値観で断罪する神が存在するなら偽善を纏うが、纏うまいがどの道、地獄行きは避けられ まい。

 今更、チマチマとした偽善で点数稼ぎをするのは止めようぜ。



 このうえ更に人間のつまらない欲望を満たす為に
 生態系を破壊するのを良しとする事は出来ないでしょう。

 

 なーんとも思わんよ。

 だって、今までやってきたことが大罪過ぎるんだもの。

 そりゃ、森林を薙ぎ倒し、浅瀬を埋め立て、河川をコンクリートで覆って、野生動物の棲家を奪い、数 え切れない程の野生動物を殺したのはオイラでもなければ貴殿でもない。 しかし、そうした犠牲の上 に我々は生かされている。

 生態系を破壊するのは許せないというなら、どうか中国やアフリカへ行って、「 これ以上の開発をす るな 」 と身を挺して訴えて下さいな。 応援しますよw



 我々人間は余りにも抜きん出て獰猛でズル賢く
 自分達でコントロール出来ないほどの絶対的な権力を入手してしまいました
 ( アフリカのサバンナではライオンなどの猛獣でさえ成人男性を怖れると聞きます。
  案外そういう所でも生身の人間は生き残るものなのかも知れません。
  だとすると文明によって人間が覇権を手に入れたとは言い切れないという事になります。
  自身でそれを確かめにアフリカのサバンナへ行こうとは思いませんが )。
 人間は自然の恩恵を受けている一方であまりにも自然を改変してしまいましたから、
 これ以上の破壊工作は最小限に抑えなくてはならないという危機意識が根底に有るのだと思います
 ( それもまた人間の勝手な都合なのかも知れませんが )。

 

 いや、野鳥が好きで、そういう主張をしている貴殿におかれましては、本当に

   これ以上の破壊工作は最小限に抑えなくてはならないという危機意識

 があるのかも知れませんが、基本的にこういう自然保護等の行為は、金 に な る か ら や っ てい る んです。 下っ端は、ボランティアという名のタダ働きですが、役員報酬も給与も退職金も出ます。  配布物の印刷を頼まれた業者だって材料費だけで請け負うわけではありません。
 さすがに鳥獣保護行政は地球温暖化詐欺のような巨悪ではありませんが、お金になるからやってい るんです。 これは高齢者介護施設で働く職員と同じですね。 お年寄りが好きだから、可哀想なお年 寄りを助けてあげたいから・・・ではなく、他の高難度な仕事が勤まらない程度のスキルでも食って行け るだけの給与が貰えるからやっているんです。

 変な幻想を持つのは止めましょう。



 野生動物が車にはねられたりしたなど人為的な事故の場合は
 治療の為に一時保護するという行為は誤解を恐れず言うと、
 ある意味 「文明は自然界には存在しない」 事にしようとする行為なのだと思います
 ( 「文明」 は 「自然」 と対極に位置していますから )。
 存在しないのだから 「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」 という状態、
 つまり可能な限り車と衝突しなかった状態に戻そうとしているという事です。
 「人間に起因するなら人間が関わって良い」 という発想になるのもそういう理由からだと思います。

 

 それは、あくまで、そういう考え方をする人間の意見でしかありません。

 普通の思考をする大多数の人は、

 ・ 可愛いから助ける

 ・ 猛禽類みたいに元気になった後で手に負えなくなるような鳥じゃないから助ける
  ( まぁ、オイラの場合は、傷付いた鷹を助けて何処まで恩返ししてくれるか興味津々ですが )

 ・ 人間と違って、助け方が悪くて死んでも自分に責任が及ばないから助ける

 ・・・ くらいしか考えないと思いますよ。



 ところでフォトギャラリー第203回で記述した事もありますが
 野鳥たちは手付かずの自然の中にだけ存在する訳ではありません。
 日本の里山は連綿と人間の手で植林され耕作され手入れされて現在に至っています。
 好むと好まざるとにかかわらずそれが現在の秩序です。
 その人工的な環境に順応して様々な野生動物が生息しているのです。
 もはや全く人間の手が入っていない大自然など日本のどこにも見当たらないと言っても
 過言ではありません。
 その日本で生き延びた野鳥が地球的規模で拡散しているという事は、
 それだけで地球上に手付かずの自然などほとんど残っていないという事になります。
 極論すればこの地球そのものが巨大な鳥籠なのかも知れません。
 つまり完全な 「野鳥」 といったものは既に存在しないと言えなくもありません。
 ツバメに限らず全ての野鳥がこの人造環境に適応していると見る事が出来ます。
 原始時代、大阪平野などが一面の湿地帯だったころ絶滅に瀕していた種が
 現在は繁栄しているという例も有るかも知れません。
 人間が耕作しなければそのおこぼれもまた存在しなかった筈ですから。
 人間の文明が有るからこその現在の生態系であるならば
 ( もちろんそのせいで絶滅した種も存在するし
  文明が有っても無くても生き残っていたであろう種も存在するでしょうが )、
 少なくとも
 「大罪を犯して得た文明という名のぬるま湯に肩まで浸かった生活を享受し続けている状態」
 だからと言って 「本来なら野に在るべき野鳥を慣らして飼う」 事に対して
 何も言えないという理屈にはなりません。
 一方で
 「大罪を犯して得た文明という名のぬるま湯に肩まで浸かった生活を享受し続けている状態」
 の人が 「本来なら野に在るべき野鳥を慣らして飼う」 のが許されると言うのであれば
 なおの事です。
 もちろん地球そのものが鳥籠なのだとしたら
 野鳥とされる鳥たちもペットみたいなものだろうという事にもなるのですが。
 ただ、地球は世界最大の鳥籠なので
 鳥たちも自分たちが鳥籠の中に居るとは夢にも気付かないでしょう
 ( 我々人間も鳥籠の中で一緒に暮らしている事に気付いていません )。

 

 じゃあ、も う ど う で も い い んじゃん。

 人間が天災から逃れ、安寧な日々の中で経済活動に勤しむことが出来るように、と人の手で改変さ れた環境が、多くの野生動物から棲家を奪い、生活環境を奪っていることを善しとするなら、いまさら、 人が原因で特定外来種が襲来して在来種の幾つかが滅びに直面するとしても、それもまた、( 巨視的 な観点から見て ) 神の御意志でしょう。



 > 人が介する事に因って生じた「種」の絶滅は許し難い大罪

 これはどこからの引用でしょうか? 僕のコメントがそういう趣旨に受け止められたのでしょうか?
 他人の発言の責任は取れません。

 

 すまんの。

 人が野生種をペット化する

  → アライグマのように一時期のブームが過ぎ去った後に還れもしない自然界へ放置

    → 害獣化 → 害獣として駆逐 ? これは許せん!

 という御主張だったので、こうお考えなのではないかと邪推してしまっただけですの。



 > 人の手を介して増やす事も自然の摂理に反する行為ではないのか?

 僕は絶滅危惧種の人工繁殖に諸手を上げて賛成した覚えは有りません。
 それは厳密な意味でもはや「野鳥」とは呼べない事になるかも知れないと思うからです。
 もっとも、前述の通り厳密な意味で「野鳥」と呼べる鳥は何?という疑問は残りますが。
 トキは一度絶滅したところから人工的に海外個体群を移入し人工繁殖し放鳥したという
 極端な例ですからレッドリストでも日本で唯一「野生絶滅」というカテゴリーに分類されています。
 今後どんなに野生復帰しても定義を変えない限り永久にここから出してもらえないでしょう。
 同様の理由で出水市におけるツルへの餌付けも無人島におけるアホウドリの移住計画も、
 それをしたら純然たる「野鳥」とは言えなくなってしまうのではないかという疑問が生じるのですが
 「種」が絶滅してしまったら元も子も有りませんから背に腹は代えられないという事になるのでしょう。
 出水市におけるツルへの餌付けに関しては江戸時代からの伝統なので
 仮に今やめても同じ事だという側面も有ります。
 生物種は絶滅により減る事は有っても突然変異がもっと頻繁に起こったりしない限り
 増える事は期待出来ません。
 絶滅危惧種の人工繁殖や餌付けに賛同する人達には
 時々刻々と生物の多様性が失われつつある事に対する焦りも有るのだと思います。
 自然淘汰により絶滅しゆく者を人工的に増やそうとするのは自然の摂理に反すると言えるでしょう。
 しかし人間が絶滅に追いやっている者を増やそうとするのは、
 絶滅に追いやっている時点から既に自然の摂理に反していると言うべきです。
 所詮前述の例の通り 「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」 という状態にしようと
 する行為ですから、自然の摂理に反している状態から強引に自然の摂理に反していない状態に
 持って行こうとしているという事なのではないでしょうか。
 もちろんそれで完全に自然の摂理に反していない状態になる訳ではありません。
 所詮人間のやる事です。
 しかし可能な限り理想に近づけようとする努力を全否定してしまったら
 歯止め無く理想から遠ざかって行く事になります。

 

 いいじゃん。 理想なんかどうでも。

 今の現代に恐竜が存在しないように、( 人の狩りを含めた ) 生存競争に負けて種が滅びることは太 古から連綿と続いてきた避けられない歴史です。

   http://ja.wikipedia.org/wiki/絶滅した動物一覧

 人が滅ぼした種もまた少なくありません。
 ドードーも滅びました。 クアッガも滅びました。 ニホン狼も滅びました。 フォークランド狼も滅びまし た。 有袋類フクロオオカミも滅びました。 有袋類ウサギワラビーも滅びました。
 ジョンブルク鹿も滅びました。 ジャワ虎も滅びました。
 カリブモンク海豹も滅びました。 野生牛ブルーバックも滅びました。 バッファローも野生種は滅びま した。 ニホン川獺も滅びました。
 ニホン海驢も滅びました。 21世紀になってからも、ピンタゾウ亀が滅んでいます。

 鳥類も沢山の種が人の利己的な経済活動の所為で滅んでいます。 モアという大型の鳥が18世紀ま でに滅びました。 本来、ペンギンと呼ばれていたオオウミガラスも19世紀の半ばに滅びました。 オガ サワラカラス鳩が滅びたのは19世紀の終わり。 カロライナ鸚哥やゴクラク鸚哥,リョコウ鳩,ワライ梟 が滅びたのは20世紀初頭。
 
 いずれも人間が食ったり、皮を剥いで着る物にしたり、羽を毟って寝具や防寒具にした等の所為で滅 んだ種です。

 これからも滅び続けます。

 そもそも動物は、一定の数を割ってしまうと種を維持することが出来ません。
 釈迦の耳に念仏だと思われますが、絶滅危惧種とはそのままでは絶滅してしまうまで個体数を減らし た種であって、例えば、現在絶滅危惧種に指定されているチンパンジーが約2万1000体、ゴリラが約2 万5000体ということから考えても、50羽に満たないトキは別格としても

   トキの生息状況について (pdf)

 3,000羽に満たないアホウドリとか

   http://ja.wikipedia.org/wiki/アホウドリ

 ツルは、鹿児島県出水市に全世界の約半数が飛来して越冬するという話で、その個体数がナベヅル が約1万2千羽(92%)、マナヅルが1千羽 (他に10羽に満たない希少種が居るらしい)。

   マナヅル - CEC

 単純にこの倍が全世界の個体数だと仮定してナベヅル約2万4千羽、マナヅル2千羽と推計されま す。

 絶滅種危惧種から盛り返し得る最低限度の個体数は種によって異なると思われますが、幾らかでも 可能性があるのは、チンパンジーやゴリラ程度には個体数があるナベヅル位の物でしょう。

 頑張っている皆様に唾を吐く様な話で申し訳ないんですけれども、トキやアホウドリ、ナベヅル以外の 鶴に関しては、やるだけ無駄 ・・・ もっと悪く言ってしまえば、慈善行為に酔っている自慰にしか見えま せん。

 ずばり言って、絶滅する種は絶滅する運命なんです。

 絶滅しない種は、端から絶滅しません。 それは、たとえ絶滅危惧種になっても同じです。

 実は、遺伝子を調べた結果、かつて人類が絶滅危惧種であったことが判明しています。

   2010年01月25日 07:36 サイエンスあれこれ
   人類はかつて何度も絶滅危惧種だった
   http://blog.livedoor.jp/science_q/archives/1017776.html
   > 人間の個体間の遺伝的差異が、他の動物に比べて非常に小さいことから、
   > 進化の過程で個体数が極端に減少したか、もしくは遺伝的に近い特定の集団だけが
   > 生き残るようなできごとがあったのだと推測されています。
   > このような進化のボトルネックは、我々の先祖がネアンデルタール人との共通の祖先から
   > 別れる25〜50万年前以前に最低1回、別れた後約10万年前までに最低1回、
   > そしてその後、アフリカを旅立った5〜6万年前以降に、それまでよりはずっと規模は小さいが
   > 2回ほどあった
   >
   《中略》
   >
   > ゲノム全体に散在しているAlu配列周辺のDNA配列を、
   > 以前と比べて安価に全ゲノム配列決定された二人の人間の間で比較することで、
   > その当時どのくらいの人口規模であれば、現在の配列の違いを生み出しうるかを
   > 算出しました。
   > その結果、約120万年前に地球上にいた、現在の我々に直接つながるご先祖様
   > (ホモ・エレクトス)の数は、すでにたったの1万8500人から2万6000人の間だとわかりました。

   http://ja.wikipedia.org/wiki/トバ・カタストロフ理論 - 1.学説の概要
   《中略》
   >
   > トバ・カタストロフ理論によれば、大気中に巻き上げられた大量の火山灰が日光を遮断し、
   > 地球の気温は平均5℃も低下したという。
   > 劇的な寒冷化はおよそ6000年間続いたとされる。
   > その後も気候は断続的に寒冷化するようになり、地球はヴュルム氷期へと突入する。
   > この時期まで生存していたホモ属の傍系の種(ホモ・エルガステル、ホモ・エレクトゥスなど)は
   > 絶滅した。
   > トバ事変の後まで生き残ったホモ属はネアンデルタール人とヒトのみである
   > (ネアンデルタール人と姉妹関係にあたる系統であるデニソワ人が
   > アジアでは生き残っていたことが、近年確認されている)[3]。
   > 現世人類も、トバ事変の気候変動によって総人口が1万人にまで激減したという。

 別に人類は、自分よりも高位の生命体に助けられて今の人口まで個体数を増やしたのではありませ ん。 自力で他の種との生存競争に打ち勝って数を増やしたのです。

 神ならざる者が、他種の生存に関わろう等とはおこがましいにも程があるとは思いませんか。

   可能な限り理想に近づけようとする努力を全否定してしまったら
   歯止め無く理想から遠ざかって行く事になります。

 ぶっちゃけ、人の理想とは“人にとって都合の良い理想”でしかありません。

 人の手で絶滅寸前まで個体数を減らさせてしまったという自責の念から、贖罪意識でやっている行為 であり、絶滅危惧に人間並みの知能があったら、それこそ 「余計なお世話」 だと言うでしょう。

 考えてみて下さい。

 繁殖可能な個体種が少なくなったからという理由で、十歳以上も年上の「もしかして生理上がってんじ ゃねーの」 と突っ込みたくなるようなジャイ子

   http://ja.wikipedia.org/wiki/ドラえもんの登場人物一覧 - 2.4 剛田家

 が生殖の相手として宛がわれたら。

 そりゃもう、「 いっそのこと殺してくれぇ 」 と言いたくなるでしょう。

 幸いにして絶滅危惧種にある鳥の知能が低いから何の問題も起こっていませんが、もし、絶滅危惧 種の鳥に人並みの知能が有ったら、暴動が起こっていますよ。



 しかしながら 「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」 という状態を
 理想の状態と言っているのではありません。
 それを言ってしまったら文明など破壊せよという事になってしまいます。
 何としても人間の文明が存在する事が前提の話でなければなりません。
 「自然」 というものが 「文明」 と対極の位置に有る物だから、
 文明が存在しつつ 「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」 という状態を
 求めている時点でどうしてもこういう矛盾を抱えてしまうのはやむを得ません
 ( この 「文明が存在しつつ」 の部分は後述するので頭の片隅に置いておいて下さい )。
 外来種が駆除されたり、人間のつまらない動機による野鳥への餌付けが批判されたりするのも
 「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」 という状態を求めているからに他なりません。

 

 だから、貴殿がご自身でお書きになっておられる通り、自分達が文明科学の恩恵にドップリと浸って おきながら、「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」 という状態を求めているなんての は、当の滅ぼされ掛かっている絶滅危惧種にとったら、悪い冗談にしか思えないのではありませんか
 ( もちろん、悪い冗談だ等と判断できるだけの知能を彼らは持ち合わせていないのですが )。



 フォトギャラリーにも書きましたが最近バードウォッチングをしていると、
 手っ取り早く撮影する為にスマホなどでさえずりを流したり餌付けしたりなどして
 野鳥をおびき寄せる行為がごく一部の人に見受けられ (フォトギャラリー第212回参照)
 個人的に快く思っていないため特にそういった事を意識したコメントになりました。
 僕も人間ですから主観が混ざってしまうのはやむを得ません。
 野鳥ファンなら誰しも野鳥のいい写真が撮りたいという気持ちは分かりますが
 そんな自分勝手な動機で必要以上に野鳥を翻弄する権利が人間には有るのでしょうか。

 

 フォトギャラリーの記事を読んだ時に、酷く違和感があったんだけど、

   スマホなどでさえずりを流したり餌付けしたり

 これって悪い事なのか?

    スマホなどでさえずりを流

 す、なんてのは、古くは縄文時代から使われている狩猟の手段に過ぎません。

   outdoor life バードコール
   http://www.outdoorandlife.com/comp/birdcall.html
   > バードコールは鳥を寄せつけるために音を出す狩猟のために用いる道具です。
   > その歴史は古く日本では縄文時代のキジ笛が東北地方から発見されたそうです。
   > 江戸時代になってからはウグイス笛やヒバリ笛などの竹製の鳥笛が作られるようになりました。
   > 現在最も一般的な物は木にスズを差し込んだ形になっていて摩擦で音が出るようになっており、
   > 微妙な力加減により数十種類の音色を出すことが可能です。
   > 最も簡単な方法として口笛でも出来ます。 ウソという鳥の種類は口笛に似た声を出します。
   > シギの仲間の鳥も口笛で真似しやすい。
   > 簡易的な道具としては5円や50円硬化を用いて少し隙間をあけ、口もとに持って行き
   > 音を出すとバードコールとなります。 カラ類を呼び寄せるには効果的です。
   > 鳥笛は何年も練習を積めば、鳥の好奇心を誘発させる音だけでなく、
   > 安心させて近付ける音色を出すことが出来るといわれています。
   > 本来は狩猟用の道具だったバードコールも
   > 現在ではバードウォッチングに使われることが多く、
   > 頻繁に使うと逆に鳥のストレスとなってしまうので気をつけましょう。

 「狩りもしないのに、バードコールで呼び寄せてストレスを与えるべきではない」
 という尤もらしい抗弁が立つ事は容易に想像できます。

 しかし、そんなことを言えば、彼らの領域へ侵入して、隠し撮りをするというバード・フォト行為自体が、 そもそも彼等にとって大きなストレスなのではありませんか。

 他の誰でもない貴殿が彼等に見つからない様に苦労して撮影していると吐露しています。

 バードコールも何も貴殿等が彼らの領域へ侵入してることが、既に彼らにとって
 「 エゲレスのパパラッチじゃあるまいし、堪忍して欲しい 」
 のではないでしょうか。

 もっと耳に痛い事を言わせて頂くなら、そもそも写真雑誌やwebページに野鳥の画像を載せるから、 野鳥に興味を持つ奴が現われて、少ない可処分時間で確実に野鳥と遭遇する為に、スマホなどで囀り を流したり餌付けをしたりするのではありませんか。

 この人造物に塗れた地球にあって、それでも本当に野鳥を

   「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」

 という環境に置きたいのであれば、まず、彼らの生活環境に近付くべきではありません。

 それこそ天体望遠鏡のアイピースに一眼レフのマウントをセットして、彼らの生活圏外から撮るべき です。 そうしないで、彼らの生活圏内に侵入し、手で持てる軽い長玉で撮影可能な距離まで近付いて 撮っているなら、それは

   スマホなどでさえずりを流したり餌付けしたり

 している人達を批難する資格は無いように思われます。

 もちろん、始める前からマナーの勉強を前提にできない一般の人達が安易にバード・ウォッチングを 始めてしまうわないように、写真雑誌に野鳥の画像を載せることも、webページに野鳥の写真を載せる ことも慎むべきです。

 それこそが野鳥の生態を守る為に、貴殿達に課せられたマナーだとオイラは思いますね。



 圭坊はヒヨドリか何かを介抱した体験をお持ちとの事ですが
 その事を責めるつもりは毛頭有りません。
 僕も窓にストライクしたジョウビタキを介抱した事が有ります ( フォトギャラリー第13回参照 )。
 野鳥に対する愛情が有りまごころに裏打ちされた行動であれば無下に責める事は出来ませんし
 状況から察するに上記のロジックで言うと
 「窓ガラスが存在しないとしたら、こうなっていたであろう」 という状態へ持って行こうとする
 作業という事になろうかと思います。

 

 オイラが保護したヒヨドリと思しき鳥も、状況を鑑みたらクルマと接触して負傷した可能性が濃厚です が、他の鳥類や猫のような捕食者と闘って傷付いた可能性だって払拭できません。

 「人造物たるクルマがなかったら」 だの、「人造物たる窓ガラスが存在しないとしたら」 だのそんなこと は関係がありません。

 ものすごく単純に

 「 きゃー、可愛いくて小さい鳥が羽を痛めて、地面を這ってオイラから逃げようとしている。
  可愛い過ぎて身悶えしそう (鼻血ブー)。
  たとえ飼われるストレスで死ぬとしても。このままだったら確実に死ぬから保護しちゃえ 」

 という女学生的な屑思考の結果、保護したに過ぎません。

 単純に保護したいから保護した。 可愛いかったから保護した。 タダそれだけです。

 私は人間嫌いを卒業したと自分では思っていますが、傷付いて動けなくなっていたのが、自分みたい な見苦しいオッサンだったら保護なんかしません。

 近くの公衆電話から110番通報してサヨウナラです。



 しかし撮影目的の餌付けなどは全く異質のものです。
 餌付けの結果野鳥にどういう悪影響が有るか深く考えもせず
 ただ楽をしていい写真が撮りたいという動機でワームなどを仕込んでいます
 ( ワームも犠牲になっている訳ですが )。

 

 先に書いた内容と重複しちゃうんだけど。

 そもそもバードウォッチングに興味を持つような画像を写真雑誌やwebページに載せておいて、同じ ページにマナーに関する詳しい解説を載せておかないで、「マナーを守らないお前等は悪だ」 って、そ りゃ「お前は何様だよ」 と思っちゃうよ。



 大多数の良心的な野鳥ファンは暗黙の了解として
 野鳥に対して極力影響を与えない様に心掛けているものです。

 

 先に書いた内容と重複しちゃうんだけど。

 鳥にとっては、自分の生活圏内に入りこまれて、盗み撮りされている時点で迷惑千万ではありません か。

 結局のトコロ、貴殿等の言う

   野鳥に対して極力影響を与えない

 ってのは、野鳥を撮るという自分の欲望を満たした上での話であって、野鳥に対して影響を与えない 様にする為に、野鳥の生活圏から遠く離れて見守るという事が出来ない屑の戯言に過ぎません。

 この辺は、我々走り屋 (まぁ、オイラはもう看板を下ろしたも同然の状態ですがw) にも言えます。

 走り屋は、暗黙の了解として

 ・ 自分より遅い相手を追わない。

 ・ 抜けそうに思えても抜かない。
  前走車両が左のウインカーを焚いて道路の左端に寄って減速した場合にのみ、
  抜かせて頂く ( ちゃんとお礼のハザードを焚く )。

 ・ ヘッドライトの点かない対向車が居るという前提で、可能な限り車線を割らない。

 ・ 対向車が確認できた時は、ドリフトしない。

 ・ 一般車に追い付きそうになったら、ハザードランプを焚いて後方の車両を牽制しつつ徐行し、
  一般車両にストレスを与えないようにする。。

 ・ エンジン音や排気音、タイヤのスキール音が住宅街に届きそうな場所は攻めない。

 ・ パトカーに散らされたら、再結集しない。 その日は其処で終了。

 ...エトセトラ。

 マナーというか、事故防止というか、要はポリスに目を付けられて走行不可能にならないように取り決 めがされていて、雑誌『CAR BOY』やwebサイト『走り屋&ドリフト』などで、マナーに関する篤い議論が 交わされていました ( 遠い目 )。

 だがしかし。

 ある日突然に、『頭文字D』なんていう運動物理学を無視した糞漫画が大ヒット!
 それまで一部の好事家以外誰も近寄らなかった峠に、碌に調律されていない一般車が ―― 峠を通 行する為ではなく、峠を攻める為に ―― 登って来るようになりました。
 彼らはマナーを知りません。 いえ、マナー以前に最低限のドライブテクニックを有していません。
 最低限のドライブテクニックを有していないアベレージドライバーが、事故防止、通報防止の為に取り 決められたマナーを無視して走り回る ・・・ 其の結果は火を見るよりも明らかでしょう。

 あちらこちらで事故が起こり、通報されてパトカーが出動しまくり、やがて日本中の峠が夜間通行禁 止になりました。 茨木市のサ●ータウンなんぞは、スキール音一発で20分以内にパトカーが飛んで来 ます。 もはや公道に遊び場所はなくなりました。

 しかし、そもそも、制限時速30km/h程度の狭い峠道で、140km/hだの150km/hだの出しているとか、 静まり返った夜間の野鳥園前で、タイヤからもうもうと白煙を上げて走っているとか、ってのがオカシイ のです。 公道は遊び場ではありません。 マナー云々以前に公道で遊んでいることが間違いなので す。

 もちろん、公道を異常な速度で走り回ることは違法行為であり、バードウォッチングは違法行為では ありません。

 しかし、スズメなどが人の視線を感じて逃げるほどに、狩られる可能性に対して神経を尖らせている ことから鑑みて、( 猛禽類のような強い鳥類は別にして ) 普通の弱い鳥類がバードウオッチングという 名の人間の視線に晒されることが恐怖であり、ストレスである事は議論を待たないでしょう。 もし、弱 い鳥類に人権ならぬ鳥権が認められていて、人と違わない知能を有して彼らが主張するなら、きっとバ ードウォッチングは鳥権を侵害する違法行為であると認められるに違いありません。

 貴殿等がすべきことは、マナーの悪い一般ピープルを罵って憂さを晴らす事ではなく、「 果たしてマナ ーさえ守られれば其れで良いのか?」 を考えるべきであり、その先にある 「 自分が鳥であったなら、 生活を隠し撮りされて平気か?」 を考えるべきではないでしょうか。

 「 我々が野鳥を隠し撮りするのは正当な権利であるが、
  バードウオッチングを始めたばかりの一般ピープルがバードコールを使ったり、
  餌で野鳥を誘き寄せるのは許せない 」

 なんて言うのは、かつての我々走り屋が ( 自分達の違法行為を棚に上げて )

 「 頭文字Dに感化された弩素人がマナー度外視で走り回るのはケシカラン 」

 と怒っているのと、何も変わらない様に思います。



 上記の 「文明が存在しないとしたら・・・」 という発想に当てはめて考えると、
 文明が存在しない訳ですから
 「 自分が素っ裸もしくは動物の毛皮をまとって棍棒など持って立っていると仮定して
  その状態に近い状態でカメラを構える 」 という事になろうかと思います。
 素っ裸もしくは毛皮をまとって棍棒などを持って立っている状態と
 服を着てカメラを構えて立っている状態とでは外見上ほとんど違いが無く
 野鳥に与える影響も限りなく大差無いものになると考えられます。

 

 そもそも野鳥にとって人間という捕食者が生活圏内に居る時点で、強烈なストレスを感じるのではあ りませんか?

   「 自分が素っ裸もしくは動物の毛皮をまとって棍棒など持って立っている

 ↑ これって、野鳥から見れば自分を狩りに来た人間以外の何者でもないでしょう。

 多くの同胞が食べる為だけに限らず、蒲団や防寒着の材料として羽根を毟り取る為に、或いは、人 間が増やしたい個体と食べる餌が重複するという理由で狩られ、殺されて来た野鳥にとって

   「 自分が素っ裸もしくは動物の毛皮をまとって棍棒など持って立っている

 ような人間なんか全然ウエルカムじゃありません。



 もちろん現実には素っ裸で外を出歩く訳には行きません
 ( お巡りさんのご厄介になってしまいます )
 から、これは飽くまで仮定の話ですが。
 文明が存在しない状態から遠ければ遠いほど望ましくない状態と考えると
 多少の餌付けはまだしも (餌付けがいいとは言いません) スマホなどでさえずりを流す行為は
 文明が存在しない状態からは程遠く決して好ましい事ではないと考えます

 

 上述の通り、

   餌付け

 は餌を求めて寄ってくる野鳥を狩るための手段であり、

   スマホなどでさえずりを流す行為

 は、太古の昔から存在する

   斃せる外敵の声に似せた音を出して、追っ払いに来させる

 とか、

   同種異性の声に似せた音を出して、求愛させに来させる

 という狩りの手段でしかありません。

 そして、愛護が目的だろうが、保護が目的だろうが、残存個体の監視が目的だろうが、野鳥の視界 に入って来る人間は、野鳥にとって自分を狩ろうとする捕食者です。

 如何に慈悲の心に満ちていようが、野鳥の目に映る貴殿の姿は捕食者です。

 たとえ、手に弓矢を持っていなくても、たとえ、手に猟銃を持っていなくても、たとえ、手に罠をもってい なくても、たとえ、手に友好の証であるプラカードを持っていてもw、鳥にとって貴殿は狩人と区別が付き ません。 つまり、バードウォッチングされる側にとって、バードウォッチングする貴殿達は敵です。 捕 食者です。 そんな奴等が、自分の生活圏内にズカズカと土足で ( いや、靴を脱げば良いって話じゃ ないんですが ) 入ってくる時点で迷惑千万でしょう。

 そんな連中に

   多少の餌付けはまだしも (餌付けがいいとは言いません)
   スマホなどでさえずりを流す行為は 《中略》 決して好ましい事ではない

 なんて言う資格は無いと思います。



 (撮れた写真も決していいものではなく人工的なものになるでしょう)。

 

 そりゃ勝手な先入観だ。

 せめてブラインドテストくらいはやってから言ってくれたまえ。



 原始時代に鳥が飼われていたという証拠は今のところ無い筈ですから
 文明が存在しないとしたら鳥籠も無いという事になります。
 何を言わんとしているかはもうお分かりですね。
 どうしても鳥を飼うとしたら鶏がおそらく人間に飼われた歴史が鳥類の中で最も長いので
 文明が存在しない状態に最も近いのではないでしょうか。
 飼育方法も確立されていますし早朝に鳴いて近所迷惑になりさえしなければ
 飼いやすい鳥だと思います。

 

 既に突っ込み済みの部分と重複するんですけど、犬や猫が始祖から人のペットでは無かったのと同 様に、ニワトリだって始祖から家畜だっワケではあるまい。

 ( どのような紆余曲折かは杳として知れないが ) ニワトリの始祖が紆余曲折を経て家畜になったと 仮定するなら、同じ様に紆余曲折を経て、今はペットとして確立していない野鳥がペットとして飼われる 可能性は否定できません。

 ☆ ちなみに、圭坊は縁日で買ったヒヨコをニワトリまで育ててしまいました。
   自社ビルの屋上で飼っていたのですが、その余りの喧しさに住み込みで働いてくれていた
   従業員からクレームが来て処分した事があります。



 > ここまで自然を改変しておいて、人為的に「種」としての形態が変化させられるのが許せないって。
 > 悪の分際で正義の味方ヅラするの止めてくんない?

 僕が
 「 野生を捨てて人間に飼われるという事は
  品種改良により人為的に 『種』としての形態が変化させられるという別の問題もはらんでいます 」
 と書いたのは前述した通り 「遺伝子」 の立場で考えると
 そういう問題を抱えているという脈絡だったはずです。
 あの文章の主語は「遺伝子」です。
 「遺伝子」を擬人化して「遺伝子」が自分の姿を変えられては困るだろうという趣旨で
 そう表現したものです。
 「人為的に『種』としての形態が変化させられるのが許せない」 などと自分の立場で
 主観を述べた覚えはありません。

 

 いやま。 ツッコミというよりは重箱の隅突きであることは重々承知の上で。

 遺伝子は自分の姿が変わらないと困ります。

 これは単に環境変化に対する対応の問題で、未来の環境変化が如何なるものであろうとも対応が可 能になる様に、遺伝子は子を親のコピーにはしません。 原始動物が単性生殖であるのに対して、高 等生物が両性生殖である最大の理由は『種の多様性』を求めるからです。

 ですから、私のようにアトピー性皮膚炎なんて欠陥品が発生します。

 同じく私が患っている糖尿病にしてもそうです。 現在の日本では欠陥品です。

 アトピー性皮膚炎の患者は、本来ならばもっとアレルゲンの多い環境で生きて行ける存在が、日本の ような過度に清潔な環境に置かれた為に、旧来種よりも高出力な免疫反応を持て余してアレルギー性 疾患を発動させています。

 糖尿病は、逆に農耕民族で日々飢えているのがデフォルトであった世代の遺伝子が現代に発現した 例と言えるでしょう。 糖尿病患者は、冷夏の度に飢饉を起こしていた昔の日本だったら、他の人が飢 え死にするのを尻目に生き延びることが出来た優良種だった筈です。

 温暖化や寒冷化を含み、環境が変化することは必至であり、生き残りに特化した遺伝子が変異する こともまた必至です。

 さすがにキメラやバイオハザードに至り得る様な遺伝子操作は ( 人に害を成し得るという観点か ら ) 慎まれるべきですが、人が介する事に因って遺伝子変化の多様性が増えるのであれば、それは 遺伝子にとってウエルカムなハズです。

 遺伝子は、環境の変化を先取りして変化を続け、適さない奴は片端から滅びて行くのですから。



 > 農家と最も共生している鳥は、スズメがファイナルアンサーなのでは?

 農家にとっては大問題かも知れませんが僕にとっては平たく言えば 「別にどっちでもいい」 です。
 特にどちらを応援したいという気持ちも有りません。
 因みに僕がよく行く農耕地ではスズメなどよりホオジロの方が圧倒的に多く見られます。
 地域によるのではないでしょうか。

 (´・ω・`) ま、これについてはどうでもいいや。



 > 火を使い、武器を使い、文明を築き上げて、
 > あろうことかグレートハンティングという神の摂理から人類は逃れてしまった。
 > この時点で、人が人の望むように自然を改変する事に対して、
 > 同じ人である者が異議を唱えることは出来なくなった。
 > なぜなら、グレートハンティングという神の摂理から逃れた人である時点で、
 > その存在自体が悪だからだ。

 「文明」 をどう定義するかという事はさておき、
 人間は最初に文明を手に入れてから生き残った訳ではなく
 弱肉強食の自然界で生き延びたあとに文明を手に入れた筈です。
 すなわちグレートハンティングという神の摂理から人類が逃れてしまったのは
 必ずしも文明を築き上げた後とは限らないという事になります。
 人間ほど無益な殺生を繰り返す獰猛な生物は地球上には見当たりません。
 案外アウストラロピテクスの頃から食物連鎖の頂点に君臨して
 動物たちから恐れられていたのかも知れません

 

 アウストラロピテクスの時点で既に道具を使っていたんですがw

   2015年01月28日 NATIONAL GEOGRAPHIC 日本語版
   最初に道具を使った人類はアウストラロピテクス
   http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20150127/433311/

 映画『2001年宇宙への旅』を引き合いに出すまでもなく、人が手にした最初の道具は、争う敵を叩き 殺したり、狩りで獲物を弱らせたり殺したりするために使われました。

 道具を手にした時点で人は他の動物と同一視できません。



 ( 子供が他の猛獣の犠牲になる危険性が高いのはライオンなどでも同様です )。
 頂点に近い猛獣ほど自然界における存在確率が低く
 人間が彼らと遭遇する機会は想像している以上に少なかったかも知れません。
 特に日本列島においては人間と対等以上の猛獣は極めて稀であったと思われます。
 ツキノワグマ程度なら1対1でもたいてい人間から逃げるとされます。

 

   2014年10月31日 産経ニュース
   過去最悪の人身被害 長野でツキノワグマ異常出没のなぜ
   http://www.sankei.com/life/news/141031/lif1410310042-n1.html
   > 大量出没に伴って人身被害も10月23日現在で26件に達し、
   > 18年度の18件をすでに大きく上回って過去最悪となった。
   > 内訳は、山菜採りなどで入った林の中が8件なのに対し、
   > 集落付近が13件と人家近くでの被害が目立つ。

 遭遇数から見れば少数ですが、普通に襲われています。 腹を減らしている等、状況次第なのでは ありませんか。



 原始人はオオカミ(犬)と共生して主に夜間における肉食獣の危険を回避し、
 頭数を増やして集団で行動する事により他者を圧倒し、
 弱肉強食の世界を勝ち抜いていたと考えます。
 人間が文明の利器で決定的に地上を支配する様になったのは
 もっと後の話だったのではないでしょうか。
 命中精度の高いライフルの登場などつい昨日今日の事です。
 すなわち、必ずしも
 「グレートハンティングという神の摂理から逃れた人である時点で、その存在自体が悪」
 とは言えず
 「この時点で、人が人の望むように自然を改変する事に対して、
 同じ人である者が異議を唱えることは出来なくなった」
 とも言えないという事になります。
 また仮にアウストラロピテクスが地球外知的生命から文明を授けられるなどして
 グレートハンティングという神の摂理から逃れてしまったのだとしても、
 「 人が人の望むように自然を改変する事に対して、
  同じ人である者が異議を唱えることは出来なくなった 」
 とは言えないでしょう。
 なぜなら 「望むように自然を改変する」 人も 「存在自体が悪」 なのですから、
 同じ 「存在自体が悪」 の人が 「存在自体が悪」 の人に異議を唱えることが出来ないとは
 話が一方的過ぎます。
 平たく言えば 「お前もやっとるやないか」 に対して 「お前に言われたくないわ」 と
 言い合いしているという構図です。
 こんな子供の喧嘩みたいに次元の低い話をしていても良いのでしょうか。
 手に負えないほどの文明を手にしてしまったからこそ、その
 「 文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう 」
 という状態に近づけようとするのはむしろ 「存在自体が悪」 の我々に課せられた
 課題とも考えられます。

 

   「 文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう 」

 なんて発想をするくらいなら、さっさと文明のない生活へ身を置いては如何ですか?

 自分は文明の恩恵に肩まで浸かっておきながら、

  文明が関与しない野に置かれた野鳥こそが正しい野鳥の姿だ

 なんて風に言われましてもねぇ。

 そりゃあ、説得力なっしんぐッスよ。



 > 全体としてバランスを保ち (人間にとって都合の良い様に、人間以外の種と) 共生している
 > 社会を目指すべきでしょう。

 圭坊が
 「 『文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう』 なんて自分には関係無い。
  自分は文明を謳歌する立場なのだから
  自由に自然を改変させてもらってもとやかく言われる筋合いは無い 」
 というスタンスなのだとしても、我々人間は文明の恩恵を受けている以前に
 自然の恩恵を受けている筈です。
 文明が発祥したのも自然の恩恵が有ったからこそです。
 「文明のぬるま湯に肩まで浸かった生活を甘受しておきながら」
 とか
 「そういうことは、最低限、人工の物に一切関わらない生活をしてから言え」
 とか仰るのであれば、太陽光線という自然の恩恵、温暖な気候という自然の恩恵、
 日光を燦々と浴びて育った農作物
 ( もちろん機械力という文明の利器は事実上不可欠ではありますが )、
 同じく日光を燦々と浴びて育った飼料を食べて育った家畜の肉、海の幸山の幸、
 そういった自然の恩恵に肩まで浸かった生活を甘受しておきながら
 「(人間にとって都合の良い様に、人間以外の種と) 共生している社会を目指すべきでしょう 」
 などと言うべきではないと言われても仕方が有りません。
 ちょっとタチの悪い人に捕まると 「自然の恩恵に一切関わらない生活をしてから言え」 と
 言われるでしょう。

 

 ( ゚д゚)は?

 オイラは別に

   「 自然が存在しないとしたら、こうなっていたであろう 」

 なんて社会を目指そうとか、そういう思想を元に行動しようなんて主張した事は一度たりとも無いんで すがね。

 人がやらかした自然破壊は、人を自然災害から守るためであり、人が農業を効率良く興すためであ り、人が快適に暮らすインフラ整備のためです。 決して、自然を破壊する事を目的として自然を破壊 したワケではありません。

 自然の恩恵は自然の恩恵として有難く頂戴しつつ、かつ、人間に恩恵を齎さない自然に関しては対 費用効果を吟味して、人の徳になると判れば、勝手気ままに破壊して、人類の繁栄をゆるぎないもの にすれば良いのです。

 もはや怖いモノ無しの人類にとって、自然とは征服して利用すべき存在でしかありません ( ← 若干 の皮肉を含むw )。

 さんざん、好き放題しておいて、今更

   「 文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう 」

 なんて綺麗事w 空気が凍り付くほど寒いですよ。



 太陽光線を完全に遮断し完全な断熱材で覆われた家の中で原発を稼働し
 ( 三重水素を排出して大気で希釈したら太陽光線による対流を利用した事になるので反則 )
 オール電化でゲーム三昧、人工照明で野菜と飼料と家畜を育てて自給自足の生活をして
 排泄物も肥料としてリサイクルし酸素は野菜から供給し水道は井戸水など使用せず
 尿を浄化するなどして再利用し
 ( 井戸水は太陽光線により蒸発した水蒸気が雨となって山に降り地下に浸透したものだから反則 )
 ・・・ どう考えてもコスト的に無理でしょう。

 

 おいおい、火星移住計画を根本から否定ッスか?

 ま、夢物語だと思わなくないけどね。

 それでも巨大な金属製の筒を宇宙空間に建造して人が住む・・・なんて機動戦士ガンダムに登場する 宇宙コロニー計画に比べたら、断然、実現の可能性がある話なんだが。

   アステロイド・マイナーズ 1  あさりよしとお

   アステロイド・マイナーズ 2 あさりよしとお



 我々は文明の恩恵も自然の恩恵もいいとこ取りをしなければ生きて行けないのです。
 この巨大な鳥籠の中で
 「文明が存在しつつ」 「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」
 という状態を模索し、自然の良さを可能な限り残しながら文明を維持して行くスタイルが
 最も現実的で理に適っていると考えます。

 

 だから、いいとこ取りじゃなくて、人間が恩恵を最大限に受ける様にしているだけなんだってば。

 もはや文明は『存在する』って次元じゃなくて、極限を目指して突っ走っている状態。

 「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」 なんて夢想物語は、頭の中に御花畑がある左 巻きの発想でしかありません。 『文明が存在しなかった状況』 をお望みなら、そういう土地へどうぞ。

 オイラは、T細胞の遺伝子を改変して癌細胞に対してのみ強烈な攻撃力を持たせるという治療法で 癌すらも死に至る病ではなくなる未来が待っている文明社会や、ips細胞の利用によって、この醜いアト ピー性皮膚炎も、忌まわしい糖尿病も完治可能になるであろう未来が待っている文明社会に肩まで浸 かって暮らす事にしますよ。

    「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」

 ・・・ ははは、しらんがなw

 可愛いから助ける。 可愛いから飼いたい。 可哀想だから助ける。 オイラを含む普通の人はこん なに単純ですよ。 貴殿も見習っては如何かな。



 この他にも折角いろいろコメントして頂きましたが
 「テーマから遠い」「同意見」「枝葉末節」などの理由で回答は割愛させて頂きます。

 余談ですが大阪の某ペット可マンションの管理規約には 「飼えない動物」 の例として
 大まじめに 「ぞう」 と書かれています。 そりゃ飼えないでしょうなぁ・・・

 (´・ω・`) それ、どうやら犬HKのテレビ番組『笑点』が元ネタのような。

   放送内容 第2254回
   http://www.ntv.co.jp/sho-ten/old/backnumber/110220/week_01.html
   > 木久扇 「 マンションじゃ 飼うに飼えない インド象。」
   >
   > 歌  丸 「 … 山田君、木久ちゃんにも二枚やってくれ。」



 ちなみにロト6だったけか、一軒家の天井に穴を開けてキリンを飼うという荒唐無稽なテレビ広告が ありましたが、一応、根拠があるんですね。

   2012年09月12日 YAHOO!知恵袋
   キリンは法律上ペットとして飼育できるそうですが・・・
   http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1493949194

 ちょっとビックリ。

 



□■ 2016年03月04日 □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 また続きがキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!。

 よく懲りないもんだな。

 まぁ、こんなしょうもないことに付き合ってくれていることには感謝する。

 - - ダチンコから 03月01日に来たメール晒し 此処から - - - - - - - - - - - - - - - - -

 ダチンココメント:

 そもそも、

 「 火を使い、武器を使い、文明を築き上げて、
  あろうことかグレートハンティングという神の摂理から人類は逃れてしまった。
  この時点で、人が人の望むように自然を改変する事に対して、
  同じ人である者が異議を唱えることは出来なくなった。
  なぜなら、グレートハンティングという神の摂理から逃れた人である時点で、
  その存在自体が悪だからだ。」

 とコメントされたのは圭坊氏であって、
 僕は自分の事を存在自体が悪だとも何とも思っていません。
 圭坊氏の構築された世界観にお付き合いしているだけです。
 「 文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう 」
 などと面倒くさい話を広げたのも 「お付き合い」 の流れです。
 「 見ようによってはそういう見方も出来ますね 」 ってだけの事です。
 圭坊氏がコメントの最後に言っておられるのと同様に
 僕は単純に野鳥が好きなだけであり(片思いですが)、
 難しい理屈でバードウォッチングをしている訳ではありません。
 健康で文化的に文明を謳歌しつつ自然を慈しんでいるつもりです。
 文明を謳歌するという意味において僕は圭坊氏と同類なのでしょうが、
 圭坊氏はそれに加えて前回のコメントで
 「 人にとって人の尊厳の前には、他の動物の尊厳なんか知ったこっちゃありません 」
 と宣言されており、前後の脈絡からも自然の恩恵を真っ向から否定もしくは軽視されていることが
 読み取れます。
 今回コメントでも
 「 もはや怖いモノ無しの人類にとって、自然とは征服して利用すべき存在でしかありません 」
 と。
 それはもはや「自然」ではなく「文明」と呼ぶべきものです。
 文明を謳歌するどころか
 「もはや文明は『存在する』って次元じゃなくて、極限を目指して突っ走っている状態」 で良し
 とされています。
 「文明の恩恵も自然の恩恵もいいとこ取りをしなければ生きて行けない」 と言う僕に対してさえ
 「さっさと文明のない生活へ身を置いては如何ですか」 などと仰る始末です。
 であるならば、何度も言う様ですがこの際 「自然の恩恵を遮断して」 生きてみてください。
 他ならぬ圭坊氏のロジックをお借りすれば、
 「自然を謳歌する人」 は 「文明の恩恵を遮断して」
 「文明を謳歌する人」 は 「自然の恩恵を遮断して」
 それぞれ頑張って頂くという事で宜しいのではないですか?
 因みに僕はどちらの意見にも偏らず 「自然の恩恵も文明の恩恵もいいとこ取りをして」 しか
 生きられませんから、この不毛なロジックにお付き合いするのはまっぴらですがね。
 乗りかかった船でもう少しこの世界観にお付き合いします。
 「存在自体が悪」 とか言い出すと、なるほど 「自然を謳歌する人」 は文明を捨てねばならない
 というのは分からないでもないです。
 文明を捨てる訳ですからカメラを持つ事も車で外出する事も何も出来なくなります。
 いえ、仮に何もしなくても文明の中に身を置いている限り同じ事です。
 そもそも文明を捨てるという事は法律の縛りも無くなり
 野鳥どころか人を殺しても罪に問われない事になります。
 もちろん現実にはそうはなりません。
 一人で 「今から文明を捨てます」 と宣言しても文明の方が許してくれません。
 人を殺せば罪に問われます。
 本人の意思に関係無く我々は文明に帰属する事を強制されているのです。
 強制されている訳ですから、すなわち文明を捨てないからと言って 「存在自体が悪」 として
 振舞わねばならないという理由にはなりません。
 また文明社会に生まれた赤ん坊の時点で 「存在自体が悪」 だと断ずるに至っては、
 それはもう特定宗教の世界です。 信者の方だけで語り合って下さい。

 つまるところ圭坊氏のロジックは 「本質的には皆同じだ」 とばかりに味噌も糞も一緒にしており、
 土台バランス感覚を欠いた観念的・非現実的な主張なのです。
 それこそ出来るものなら自然の恩恵を一切遮断してから言って欲しいものです。
 いえ教科書通りなら 「エジプトはナイルのたまもの」 と言われる様に、文明は自然の恩恵を受けて
 発祥した訳ですから圭坊氏は文明の恩恵も遮断しなければなりません
 ( なぜなら文明の恩恵を受けている時点で自然の恩恵も受けている事になるからです )。
 すると投稿自体できなくなってしまいますが、
 そもそもこの世界観では 「存在自体が悪」 の(疑いの有る)者同士が何を言い合っても
 互いに 「ああ言えばこう言う」 で説得力が無いただの水掛け論に陥ってしまうのではないでしょうか。

 この様に世の中は 「0か100か」 という絶対的な本質論 (言わば「総論」) だけで動いている訳
 ではありません。
 多くの矛盾を抱えながらも、その中で相対的にベターな道 (「各論」) を探しながら
 ( 少なくとも文明の崩壊した無政府状態の紛争地などではない先進国においては )
 人間様が人間様として健康で文化的に生きて行くしかないのです。

 さて、そこでバードウォッチングの話に戻ります。
 圭坊氏によれば本質的には野鳥から見れば捕食者の姿だという事になるのでしょうが、
 仮に文明が崩壊して食べる物が何も無い飢餓に襲われれば
 僕は遠いご先祖様がそうしていた様に迷うこと無く自ら野鳥を捕まえて食べるでしょう。
 そうなれば人間も野生動物ですから捕まる野鳥の方が悪いという事になります。
 しかし幸い現実には今のところそうはなっていませんから単に野鳥を観察しているだけです。
 その違いは (生きる為に不可欠かどうかはさて置き) 「文明が有るか無いか」 だけです。
 圭坊氏ご指摘の通り野鳥から見れば何の違いも有りません。
 言いかえれば (実際には野鳥に対して捕食者にならないという点を除いて)
 元々緊張が当たり前の自然界で 「 何の違いも無い事をやっているだけ 」 です。
 人間は人間である以前に動物の一種です。
 仮に野鳥が野鳥ファンに対して強いストレスや恐怖を感じているのだとしても、
 そういうのをひっくるめての自然界です。
 僕が捕食者だろうがバードウォッチャーだろうが野鳥にとっては 「元々そこに有る恐怖」 です。
 これのどこに問題が有ると言うのでしょうか?
 緊張や恐怖が日常茶飯事の自然界は動物園とは違うのです。
 ただ勿論、そうは言っても相手は人間よりも弱い立場の野鳥です。
 趣味としてバードウォッチングするからには最低限の心遣いは求められて当然です。
 ここで当然予想される反駁は
 「 じゃあ縄文時代からやってる様にスマホでさえずりを流したり
  餌付けしたりしても問題無いではないか。 ダブルスタンダードはあかんで 」
 ですが、縄文時代なんてつい最近の事だという話は置いといて、
 外見上は同じ様に野鳥を観察している様に見えるとしても、
 「間接的」 に在るがままの野鳥を観察するのと 「直接的」 に干渉するのとは
 同じ事として片付ける訳には行きません ( これについては後述します )。

 圭坊氏に指摘されるまでもなく実はだいぶ以前から僕は
 「生態系の中に仲間入りさせてもらっている」 と感じながらバードウォッチングをしています
 (フォトギャラリー第2回参照)。
 もちろん圧倒的に有利な立場で 「猛獣が来たぞー」 という感覚で出歩いているのですが、
 圭坊氏の指摘にも有る通り、僕自身もクマに襲われる危険性がゼロではありませんから
 自然界と対等の関係にあり、あながち単なる疑似体験でもないと言えます
 ( 数年前自宅から徒歩圏でツキノワグマの足跡が発見されています )。
 因みに野鳥たちは人間の10倍もあろうかという視力で、こっちが気付くよりもかなり前に
 こちらの存在に気付いていると思われます。
 もし彼らが人間と遭遇する事にえも言われぬ恐怖心を抱いているとしたら、
 その姿を垣間見る事も出来ないでしょう。 まして餌付けなど出来ようはずが有りません。
 実際、野外を歩いていると野鳥たちは僕の姿を見て一目散に逃げて行くと言うより、
 一時的に飛び退いたとしても僕が何者なのか一旦見極めたうえで
 逃げ去ったり逃げなかったりという行動パターンである場合が大半です。
 タカが現れた際の目にもとまらぬ俊敏な逃げっぷりと比べると分かりますが、
 多くの野鳥にとって動きの鈍い人間などさしたる恐怖の対象ではなく、
 場合によっては 「ラッキーなタイプの奴」 か 「使えない奴」 かという価値基準で
 こちらを見下ろしている様にすら見えます
 ( もちろんこれは飽くまで自分の都合のいい様に解釈した僕の主観かも知れませんが、
  多くの野鳥ファンが僕と同じ実感をお持ちだと思います )。
 この感覚を持っているのは野鳥ファンなどよりもお百姓さんでしょう。
 田圃の真中で農作業しておられるお百姓さんの周囲には野鳥が群れている事がよく有ります。
 トラクターの後ろを付いて歩くアマサギなどが良い例です。
 この場合アマサギにとってトラクターは土中などに隠れている餌(昆虫や蛙)を蹴散らしてくれる
 便利な動物という事になるのでしょう。
 もちろんその金属製の動物には人間が乗っかっている訳ですがアマサギたちはお構い無しです。
 前回コメントでも触れましたが野鳥たちの多くは大なり小なり人間の営みをしたたかに利用し、
 このある種人工的な生態系に順応して生きていると見る事が出来ます。
 フォトギャラリーにざっと目を通して頂ければ分かると思いますが
 僕の目の前に野鳥が飛んで来る事も決して珍しくはありません。
 もちろん珍しくないと言ってもそう頻繁にそんなシャッターチャンスに恵まれる訳ではありませんが
 辛抱強く待っていれば誰にでもそういう時が訪れます。
 でなければ僕ごときアマチュアにあれほど沢山の写真が撮れる筈が有りません。
 比較的警戒心の強い種においてもある程度距離が有れば警戒していない証拠に
 羽繕いする者まで居ます。
 野鳥から見れば僕ごときが現れても 「大型動物が1匹増えただけ」 なのです。
 そういう話はこっちに置いといて、例えば誰かが餌付けした野鳥がたまたま営巣中の親鳥だった
 とします。
 仮定の話ですが、親鳥が次々出て来る栄養満点の餌に夢中になるあまり
 丸一日巣に戻るのを忘れてしまったとしたら雛はどうなりますか。
 一方でただ単に親鳥を観察しているだけの場合と比べて相対的に考えて下さい。
 もちろん絶対的な本質論だけで考えると線引きは出来ないですよ。
 だからと言って一部カメラマンが直接的に野鳥に干渉するのを
 手放しで良しとする訳にはいかないでしょう ( 目糞鼻糞だとしても )。

 「種」 の弱体化という事について僕の考えを述べておきましょう。
 数十年も昔に聞きかじった以下の様な話が有ります
 ( 学生時代、社会ダーウィニズムの講義で研究発表の題材にした記憶が有ります )。
 ある埋立地で繁殖するハエを駆除するために殺虫剤を撒いていましたが
 ハエが世代交代する過程で並みの殺虫剤が利かなくなってしまいました。
 殺虫剤に強い個体が生き残り遺伝子を引き継いだからです。
 更に強い殺虫剤を撒いても同じ事。 また更に強い個体が生き残っただけでした。
 そこでとある研究者が一計を案じました。
 一定数のハエを研究室で温室栽培の様に育ててから埋立地に放したのです。
 温室育ちの個体が交配した結果その遺伝子が次世代に引き継がれ
 弱い殺虫剤でも簡単に駆除出来たという話です。
 もちろんこの結果を否定する研究なども有るかも知れませんが、
 野鳥に対する餌付けには 「種」 の弱体化を招く危険性が有るという示唆にはなります。
 餌付けした結果、本来生き残るはずではなかった個体が
 その遺伝子を次世代に引き継いでしまったら、いずれ餌付け無しでは生き残れない者ばかりに
 なってしまいます。
 ( これに対して予想される回答は 「別にいいじゃん」 ですが、
  「今までやってきたことが大罪過ぎる」 からこそ 「別にいいじゃん」 とも
  言っておれないのではないかと。)


 少し個別に反駁しておきましょう。

 > ゴカイから泥質/砂質の海底に自由に穴を掘り自由に潜る環境を奪うことは
 > 『種』としては人間を利用して生き残っている
 > であり、野鳥から広い大空を自由に飛び回る環境を奪う事は
 > 野鳥が不幸に感じるかも知れないことは止めろ
 > というのは、幾ら否定されようともダブルスタンダードです。

 ゴカイであれ鳥であれ ( たとえ「種」として成功しているとしても ) 徒に生命を人間の支配下に
 置き弄ぶ事を良しとしないという点では一貫しておりダブルスタンダードでも何でもありません。
 もちろんゴカイが居なくても魚を捕える事は出来ます
 ( 漁獲のほとんどは定置網漁や底引き網漁によるものでしょう )。
 しかし僕は漁師ではありませんし漁師さんの漁法についてあれこれ言える訳がありません。
 釣り趣味の人にゴカイが可哀想だと説教するつもりもありませんしその逆もありません。


 > 養殖モノが圧倒的多数になり(天然モノが)駆逐されてしまった現状を善しとするの?

 前回コメントのアユの例えを補足しておきます。
 あの話はこれも数十年昔にアユ釣り趣味の人の話として耳にした記憶を頼りに書いたので
 自信は有りませんが、世間で呼ばれている 「天然モノ」 というのは
 ほぼ全て 「養殖由来の野生化した個体(及びその子孫)」 だそうです。
 その意味で 「天然モノ」 は絶滅したか呑みこまれたという事になります
 ( 正しいかどうかは分かりません )。
 これを 「善しとする」 事は出来ないかも知れませんが
 現実にアユは遺伝子の形を僅かばかり変えられたとは言え生き残っていると言えます。
 養殖の結果もし弱体化して完全に絶滅していたとしたら遺伝子にとって最悪ですけど。


 > 人間がタンパク質の摂取を豆で我慢できるのであれば、ゴカイも家畜も必要ありません

 コジツケがましい事を言う様ですが植物も生き物だという事をお忘れですか?
 言わんとしている事そのものは否定しませんが、
 植物には脳も神経も無いじゃないかと言われれば極端な話、
 動物性プランクトンと植物性プランクトンが本質的にどこまで異なると言えるのかを論ずる事に
 なって ( ここでは 「ペットが駄目なら」 という前提条件は付きますが ) ゴカイも家畜も駄目で
 豆なら良いと仮にも認める様な事を言ってしまうと、鯨は知能が高いから捕鯨は駄目という
 環境団体と言ってる事が同じになってしまいませんか?
 僕はベジタリアンではありませんし皆さんの主張がどうであれ鯨も家畜も豆も食べますが。
 ( 蛇足ですが人間は草食から雑食に進化したのではなく
  肉食から雑食に進化したという説も有ったかと記憶します )


 > 生きる為に不可欠という訳でもないのに単に癒しの為に (野鳥を) 飼い殺しにする如きは、
 > 屠殺場に送られて殺される悲惨な家畜生活に比べたら、 悲惨さが少な過ぎてどうでも良いです。

 絶対的な本質論で味噌も糞も一緒にしてしまうかと思いきや
 時と場合により相対的に思考されるとは驚きです。
 これを称してダブルスタンダードと言うのでは?
 この相対的思考に照らせば僕が単に野鳥を観察する事を餌付けやペット化と比較して
 「少しはマシだ」 と論じるのも正しいと評価されるべきです。


 > まだペットになっていない野生種を飼い慣らして、
 > ペットにしてみようと挑戦する事は罪ではないでしょう

 子供でも犬や猫が可愛いとイメージ出来るのは彼らがペットとして身近に定着しているからです。
 誰も見た事が無い様な亀や蛇を可愛い ( 或いはカッコいい、美しい、珍しい・・・ ) などと
 イメージ出来る人はよほどのマニアだけでしょう。
 そういう動物をペット化する動機は多分にペット業界の利害が関係していると推察出来ます。
 メディアに露出させ 「可愛い可愛い」 とアピールしなければ誰も知らない様な
 珍獣の類いをわざわざペットにしなくても誰も困りません。
 企業の健全な経済活動を全て否定するものではありませんが 「可愛いから飼いたい」 などという
 メルヘンな動機でワニガメとかニシキヘビとかをペット化して来た訳ではありますまい。
 実のところ飼い慣れない動物を新たにペット化するには弱い根拠と言わざるを得ません。


 > それは結局のトコロ、コウノトリにしろトキにしろ、生物学の種の定義に「飛ぶ」と在るから、
 > 飛ばないコウノトリも飛ばないトキも 「定義外」 ・・・

 ヤンバルクイナは長距離を飛ぶ能力は無いとされるけれど立派な野鳥です。
 それはさて置き、コウノトリやトキを野生に戻そうとしているのは
 人間が永久に養う訳には行かないからというのが主な理由の一つでしょう。


 > 人が原因で特定外来種が襲来して在来種の幾つかが滅びに直面するとしても、
 > それもまた、( 巨視的な観点から見て)神の御意志でしょう。

 「神の御意志」 なるものが存在するとするならば一部の人間がどういう動機にせよ
 「在来種を守らなきゃ」 とか 「コウノトリを復活させなきゃ」 と考えて実行に移すのも
 「神の御意志」 でしょう。
 コウノトリに人間を魅了し利用する力が残っていたと考える事も出来ますから。


 > 始める前からマナーの勉強を前提にできない一般の人達が
 > 安易にバード・ウォッチングを 始めてしまうないように、
 > 写真雑誌に野鳥の画像を載せることも、webページに野鳥の写真を載せることも慎むべきです。

 「 僕がこのHPを開設した目的の一つは多くの人に野鳥に関心を持ってもらい
  野鳥保護のプラスになればと思っているからだが (以下略)」
 ・・・フォトギャラリー第191回をご参照ください。
 しかし一つ間違うと逆効果になるリスクも内在しているのは事実です。
 様々なジレンマの中でバードウォッチングを楽しみつつ
 僕なりにヘボなHPを運営しているつもりです ( 自己満足と笑われるでしょうが )。
 そういう事を抜きにしても僕ごとき一般人が世界中に向けて情報発信する能力を持つ事は
 それはそれで文明の持つ力であり自己実現のアイテムとしても有益だと思います。


 > そもそもバードウォッチングに興味を持つような画像を写真雑誌やwebページに載せておいて、
 > 同じページにマナーに関する詳しい解説を載せておかないで、
 > 「マナーを守らないお前等は悪だ」 って、そりゃ 「お前は何様だよ」 と思っちゃうよ。

 一方で 「マナーに関する詳しい解説を載せておかない」 事を批判し、
 一方でマナーに関し注意喚起する事を批判されていますが、
 圭坊氏は僕に一体どうしろと言うのでしょうか?
 注意喚起の事なら 「野鳥王国:初歩のバードウォッチング」 をご参照ください。
 イの一番にマナー(自己流モットー)について記載しています。
 フォトギャラリーでも読者離れを覚悟のうえで繰り返し口うるさい事を述べて来たつもりです。
 それ以前に、高級カメラを持ち歩くほどの大人であればマナーなどいちいち伝授しなくとも
 本来「常識」に照らして判断出来て当たり前でしょう。
 上記の「自己流モットー」も読んでいただければ分かる通り
 ほとんど子供を相手にしている様な内容です。
 ご丁寧に生き餌を仕掛け長時間にわたりスマホ等で大音量のさえずりをエンドレスで流す行為を
 見てしまうと、( バードコールみたいな素朴な遊び道具レベルと異なり ) 常識的に度を越している
 と実感しますよ。
 そんな現状で僕みたいに直接あるいは間接的に注意喚起する野鳥ファンが居なくなれば
 どうなりますか。 よりマナーの悪い人だけが残ってしまう事になるでしょう。


 > 鳥にとっては、自分の生活圏内に入りこまれて、
 > 盗み撮りされている時点で迷惑千万ではありませんか。

 これについては前述しましたが少し付け加えておきます。
 野鳥は地球上のありとあらゆる空間に進出していて
 極論すれば野鳥の存在し得ない空間を探す方が難しいほどです。
 僕の家が山間部にあるからかも知れませんが玄関のドアを開けた瞬間から
 野鳥と遭遇すると言っても過言ではありません
 ( 過去自宅敷地内に飛来した野鳥はチョウゲンボウ、イソヒヨドリ、ジョウビタキ、エナガ、
  シジュウカラ、セグロセキレイなど多数、もちろんハシブトガラス、ハシボソガラスも野鳥です。
  因みに2軒隣にはコシアカツバメの古巣が有ります )。
 文明社会と自然界が切っても切れない関係にある様に
 人間の生息域と野鳥の生息域は (ほとんど全て) オーバーラップしており、
 ( バードウォッチングしようがしまいが、文明が有ろうが無かろうが ) 自ずと一定の緊張関係は
 存在しています。
 何も人里離れた辺境地とかに行かなくとも外を出歩くだけで既に野鳥の生活圏内です。
 言わば 「仮に野鳥を避けようとしてもどこにも逃げ場は無い」 という状態です。
 「鳥にとって迷惑千万」 だとしても、だからこそバードウォッチングという趣味においては
 一定のモラルが求められてしかるべきなのではないですか ( これについては更に後述します )。
 なお、僕の家が自然の野山を切り開いた所に建てられたものだとしても、
 そこに住んではいけないと言う権利は誰にも無いでしょう。
 時代を遡れば大阪駅前や東京駅前だって原野や海だった訳ですから。


 > 野鳥を撮るという自分の欲望を満たした上での話であって、
 > 野鳥に対して影響を与えない 様にする為に、野鳥の生活圏から遠く離れて見守るという事が
 > 出来ない屑の戯言に過ぎません。

 その通り 「屑の戯言」 でしょうね。 僕は偽善者でも聖人君子でもありません。
 他の人と同じく趣味を楽しむただの野鳥ファンです。
 ただ、「存在自体が悪」 と自称する人に言われたくありませんけどね。
 前述した様に僕は圭坊氏と同じく文明を謳歌する人間様です。 鶏肉も食べます。
 ずいぶん昔ですが鴨肉も食べた事が有ります。
 繰り返し述べて来た通り我々は文明の恩恵も自然の恩恵もいいとこ取りをしなければ
 「健康で文化的に」 生きて行く事が出来ないのです。
 文明を謳歌して 「健康で文化的に(趣味を楽しみながら)」 生きて行くのに際して
 「野鳥に対して極力影響を与えない様に心掛ける」 のは
 僕の個人的なモットー (或いは良心的な野鳥ファンの暗黙の了解) であり、
 誰かに類推適用されてとやかく強制されるものではありません。
 こう言うと当然予想される反駁は
 「 じゃあスマホでさえずりを流したり餌付けしたりしても
  とやかく強制されるものではないではないか。 ダブルスタンダードはあかんで 」
 ですが、これは前述の 「線引き」 の問題です。
 「極力影響を与えない」 というのが線引きの出来ない曖昧なものだからと言って
 味噌も糞も一緒にして 「お前もやっとるやないか」 と言うことは出来ないでしょう。
 所詮 「個人的なモットー」 或いは 「暗黙の了解」 というものは
 事細かに明文化されたものではありません。
 社会通念上どう見ても非常識なレベルに達しておれば、
 それは 「 違うじゃないか 」 と立て分けて考えるべきなのであって、
 それこそがモラルや不文律の存在理由なのだと考えます。


 > 貴殿等がすべきことは、マナーの悪い一般ピープルを罵って憂さを晴らす事ではなく、
 > 「 果たしてマナーさえ守られれば其れで良いのか?」 を考えるべきであり、
 > その先にある 「 自分が鳥であったなら、 生活を隠し撮りされて平気か?」 を考えるべきでは
 > ないでしょうか。

 「人にとって人の尊厳の前には、他の動物の尊厳なんか知ったこっちゃありません」 とのたまう
 圭坊氏からこの様な愛鳥コメントを頂くとは意外な感じもしますが
 野鳥に成り代わり感謝申し上げておきます。
 そもそも 「趣味」 というのは 「文明」 の最たるものでしょう。
 現代においてさえ発展途上国や紛争地帯では趣味さえもままならないのですから、
 平和な先進国に生まれた我々は感謝しなくてはなりません。
 ペットを飼う事が趣味ならば、在るがままの野鳥の姿を観察するだけのバードウォッチングは
 「少しはマシな趣味」 と言えます。
 釣りなどと異なり直接的に命を奪う事も、営巣の邪魔をするなど余程のミスをしなければ
 基本的には有りません ( 釣りという趣味を批判するつもりはありません )。
 人間様の数多ある趣味の中でも比較的自然を慈しむ傾向の強いバードウォッチングという
 「少しはマシな趣味」 ( この際「欲望」と呼んでもいいです ) において、
 子供でも分かる様な最低限のマナーさえ守れない人に苦言を呈する事が許されないのでしょうか。
 圭坊氏の指摘される様な主張をする権利が有るとすれば当の野鳥以外に無いでしょう。
 自分が鳥であったなら ( カメラの意味を理解出来るかどうかはさて置き )
 「 生活を隠し撮りされても、命を奪われたりコレステロール値の高いものを食べさせられたり
  騒音を聞かされたり自由を束縛されたりするよりは平気だ 」
 と答えます ( 野鳥がそう答えてくれるとは限りませんが )。


 > 道具を手にした時点で人は他の動物と同一視できません。

 前回コメントでも述べた事と重複しますが
 道具を手にした時点で文明を手に入れグレートハンティングという神の摂理から逃れた訳では
 ないでしょう。
 どう考えてもサバイバル社会で生き永らえながら徐々に文明を築いて行ったはずです
 ( 歴史は苦手ですが世界四大文明の発祥はアウストラロピテクスよりずっと後の事です )。
 最後の決定打が文明だったに過ぎないのだと思います。
 教科書通りなら道具を手にした事は文明の第一歩だった訳ですが、
 文明発祥の要素には 「道具の発明」 「火の使用」 「言葉の発明」 「農耕の発明」 云々の他に
 「オオカミとの共生」 を書き加えるべきだと思うのですが ・・・ 親とはぐれたオオカミの子供を
 見つけたヒトが本能的に可愛いと感じ餌を与え始めた。
 オオカミの子供の方も本能的にヒトになついたというのが取っ掛かりでしょう。
 たまたま従順で大人しい種の中の大人しい個体だったのかも知れません。
 どちらも社会性を持った習性ゆえに自然と混群になったのでしょう。
 夜行性のオオカミと群れを形成する事により昼夜を問わず数的優位で
 (他のヒトを含む) あらゆる猛獣に対抗出来たと考えます。
 つまり犬は単なるペットではなく人間にとっては弱肉強食のサバイバル社会を共に生きた
 恩人(恩犬)という事になります。
 そうでなければ我々はこんな脆弱な肉体に進化しないでしょう ( 性質は獰猛ですが )。


 この他にも様々なコメントを頂きましたが誠に失礼とは存じますが
 逐一お答えしていると余りにも長文になってしまううえ
 僕にとって特にこだわりの無い問題であったりするので反駁は割愛させて頂きます。

  - - - - - - - - - - - - - - - - - ダチンコから 03月03日に来たメール晒し 此処まで - -

 人の事は言えないが、相変わらず長いお (´・ω・`)

 それに気の所為か、随分とご立腹のご様子である (^_^ ;)冷汗

 サヨクの自虐史観潰しの文章で使った言葉遣いに比べたら、随分と慎重に言葉を選んで、平和裏に 議論を展開していたつもりだったんだが。

 やっぱ、あかんのか。

 まぁ、オイラの書き込みに対しては、頭の中が中学二年生から成長していない屑が書いているんだと 蔑んで ( 事実、そうだもん ) 、心を落ち着けてお読みいただきたい。

 では、性懲りもせずに反駁参る。

 なお、オイラは頭が悪くて何に反駁して、何をスルーすれば良いのか判りません。 なので、今回も総 当たり行きます!


 ダチンココメント:

 そもそも、

 「 火を使い、武器を使い、文明を築き上げて、
  あろうことかグレートハンティングという神の摂理から人類は逃れてしまった。
  この時点で、人が人の望むように自然を改変する事に対して、
  同じ人である者が異議を唱えることは出来なくなった。
  なぜなら、グレートハンティングという神の摂理から逃れた人である時点で、
  その存在自体が悪だからだ。」

 とコメントされたのは圭坊氏であって、
 僕は自分の事を存在自体が悪だとも何とも思っていません。
 圭坊氏の構築された世界観にお付き合いしているだけです。
 「 文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう 」
 などと面倒くさい話を広げたのも 「お付き合い」 の流れです。
 「 見ようによってはそういう見方も出来ますね 」 ってだけの事です。

 

 すまんの。 それはわからんかったわ。



 圭坊氏がコメントの最後に言っておられるのと同様に
 僕は単純に野鳥が好きなだけであり(片思いですが)、
 難しい理屈でバードウォッチングをしている訳ではありません。
 健康で文化的に文明を謳歌しつつ自然を慈しんでいるつもりです。
 文明を謳歌するという意味において僕は圭坊氏と同類なのでしょうが、
 圭坊氏はそれに加えて前回のコメントで
 「 人にとって人の尊厳の前には、他の動物の尊厳なんか知ったこっちゃありません 」
 と宣言されており、前後の脈絡からも自然の恩恵を真っ向から否定もしくは軽視されていることが
 読み取れます。
 今回コメントでも
 「 もはや怖いモノ無しの人類にとって、自然とは征服して利用すべき存在でしかありません 」
 と。
 それはもはや「自然」ではなく「文明」と呼ぶべきものです。
 文明を謳歌するどころか
 「もはや文明は『存在する』って次元じゃなくて、極限を目指して突っ走っている状態」 で良し
 とされています。
 「文明の恩恵も自然の恩恵もいいとこ取りをしなければ生きて行けない」 と言う僕に対してさえ
 「さっさと文明のない生活へ身を置いては如何ですか」 などと仰る始末です。
 であるならば、何度も言う様ですがこの際 「自然の恩恵を遮断して」 生きてみてください。
 他ならぬ圭坊氏のロジックをお借りすれば、
 「自然を謳歌する人」 は 「文明の恩恵を遮断して」
 「文明を謳歌する人」 は 「自然の恩恵を遮断して」
 それぞれ頑張って頂くという事で宜しいのではないですか?
 因みに僕はどちらの意見にも偏らず 「自然の恩恵も文明の恩恵もいいとこ取りをして」 しか
 生きられませんから、この不毛なロジックにお付き合いするのはまっぴらですがね。

 

   「もはや怖いモノ無しの人類にとって、自然とは征服して利用すべき存在でしかありません」

   それはもはや「自然」ではなく「文明」と呼ぶべきものです。

 “自然を征服して支配下に置くのが文明”

 であるならば、支配下に置かれた自然を自分の思うままに消費することも 「文明を使用する行為」 に 含まれるのではありませんか。

 そもそも文明は、文明そのもの単体では成り立ちません。

 使用者たる人間の存在が不可欠です。

 そうです。 人間が文明を利用する事に因って、文明が自然を消費しているのです。

 文明至上主義者に向かって 「自然の恩恵を遮断しろ」 と言うのは、正論のように見えますが文明を 活用するためには、自然を消費せざるを得ないので、「自然の恩恵を遮断しろ」=「文明の恩恵をも遮 断しろ」 と成ってしまうので、文明至上主義者に対する反駁としては不適切です。



 乗りかかった船でもう少しこの世界観にお付き合いします。

 (´・ω・`) お手を煩わせてしまって、ごめんよぉ。



 「存在自体が悪」 とか言い出すと、なるほど 「自然を謳歌する人」 は文明を捨てねばならない
 というのは分からないでもないです。
 文明を捨てる訳ですからカメラを持つ事も車で外出する事も何も出来なくなります。
 いえ、仮に何もしなくても文明の中に身を置いている限り同じ事です。
 そもそも文明を捨てるという事は法律の縛りも無くなり
 野鳥どころか人を殺しても罪に問われない事になります。
 もちろん現実にはそうはなりません。
 一人で 「今から文明を捨てます」 と宣言しても文明の方が許してくれません。
 人を殺せば罪に問われます。
 本人の意思に関係無く我々は文明に帰属する事を強制されているのです。

 

 いや、そんなもん、内戦状態で法による秩序が成り立っていない国へ行けば良いだけやん。

 オイラも貴殿も自ら社会的安寧を望んで、自分の意思で日本国の文明に帰属しているんです。

 「強制されて」 ではありません。



 強制されている訳ですから、すなわち文明を捨てないからと言って 「存在自体が悪」 として
 振舞わねばならないという理由にはなりません。
 また文明社会に生まれた赤ん坊の時点で 「存在自体が悪」 だと断ずるに至っては、
 それはもう特定宗教の世界です。 信者の方だけで語り合って下さい。

 

 別に

   「存在自体が悪」 として振舞え!

 なんて言うとりゃせんがな。

 ただ、人が生み出した人の倫理観に照らして、人が今までしてきたこと ( そしてこれからもし続けよう としていること ) は、 「存在自体が悪」 だと断ずるに相当する行為だと思うから、「重々自覚して生きよ う」 というだけのことだよ。



 つまるところ圭坊氏のロジックは 「本質的には皆同じだ」 とばかりに味噌も糞も一緒にしており、
 土台バランス感覚を欠いた観念的・非現実的な主張なのです。
 それこそ出来るものなら自然の恩恵を一切遮断してから言って欲しいものです。

 

 だから、

 “自然を征服して支配下に置くのが文明”

 なんだから、文明を介して自然を搾取するのは文明至上主義者として何の矛盾もないっつーの。



 いえ教科書通りなら 「エジプトはナイルのたまもの」 と言われる様に、文明は自然の恩恵を受けて
 発祥した訳ですから圭坊氏は文明の恩恵も遮断しなければなりません
 ( なぜなら文明の恩恵を受けている時点で自然の恩恵も受けている事になるからです )。

 

 だから、

 “自然を征服して支配下に置くのが文明”

 なんだから、文明を介して自然を搾取するのは文明至上主義者として何の矛盾もないっつーの。



 すると投稿自体できなくなってしまいますが、
 そもそもこの世界観では 「存在自体が悪」 の(疑いの有る)者同士が何を言い合っても
 互いに 「ああ言えばこう言う」 で説得力が無いただの水掛け論に陥ってしまうのではないでしょうか。

 この様に世の中は 「0か100か」 という絶対的な本質論 (言わば「総論」) だけで動いている訳
 ではありません。
 多くの矛盾を抱えながらも、その中で相対的にベターな道 (「各論」) を探しながら
 ( 少なくとも文明の崩壊した無政府状態の紛争地などではない先進国においては )
 人間様が人間様として健康で文化的に生きて行くしかないのです。

 さて、そこでバードウォッチングの話に戻ります。
 圭坊氏によれば本質的には野鳥から見れば捕食者の姿だという事になるのでしょうが、
 仮に文明が崩壊して食べる物が何も無い飢餓に襲われれば
 僕は遠いご先祖様がそうしていた様に迷うこと無く自ら野鳥を捕まえて食べるでしょう。
 そうなれば人間も野生動物ですから捕まる野鳥の方が悪いという事になります。
 しかし幸い現実には今のところそうはなっていませんから単に野鳥を観察しているだけです。
 その違いは (生きる為に不可欠かどうかはさて置き) 「文明が有るか無いか」 だけです。
 圭坊氏ご指摘の通り野鳥から見れば何の違いも有りません。
 言いかえれば (実際には野鳥に対して捕食者にならないという点を除いて)
 元々緊張が当たり前の自然界で 「 何の違いも無い事をやっているだけ 」 です。
 人間は人間である以前に動物の一種です。
 仮に野鳥が野鳥ファンに対して強いストレスや恐怖を感じているのだとしても、
 そういうのをひっくるめての自然界です。
 僕が捕食者だろうがバードウォッチャーだろうが野鳥にとっては 「元々そこに有る恐怖」 です。
 これのどこに問題が有ると言うのでしょうか?

 

 問題は無いよ。

 だからこそ、その辺の野鳥をとっ捕まえてペットとして飼い、飼い殺しにしようと、捌いて喰おうと何の 問題もない。

 ↑ここまでやるなら問題は無い。 人が鳥の天敵であり、ヒトという危険な種から逃げることが、グレ ートハンティングから逃れる為の訓練になるからね。

 しかし、バードウォッチャーは違う。 鳥を襲わない善い奴である。

 野生に於いては、そういう存在が大変に宜しくない。 危機感覚を麻痺させてしまいかねないからだ。

 もちろん、野生にも鳥類の天敵のように見えて鳥類を襲わない存在がある。

 言わずと知れた草食動物である。

 だが人間は、時と場合によって、鳥を襲う存在に変わる。

 そう狩猟である。

 解禁の時期になれば狩猟が許される区域で行われるバードウォッチングは、野鳥の警戒心を緩ませ て、鳥を人に狩られ易くする行為であって、鳥類にとってありがた迷惑な行為でしかありません。

 ・・・ と、かなり強引にバードウォッチャーを悪者に仕立ててしまいましたが、こんな超論法は、実はあ まり現実的ではありません。

 スズメの餌付けに代表されるように、野鳥の警戒心を解くというのは並大抵の事ではなく、毎日毎日 根気良く、スズメを驚かせない様に、石像と化してその場を動かず、毎日毎日機械の様に餌をやり続 けて、ようやく人に対する警戒心が解かれるのです。
 ですから、襲ってこない人が自分のテリトリーに人が度々入って来たからといって、そう簡単に 「あ あ、人間は安全なのか」 と思っては貰えないと思います。 おそらく現実にバードウォッチャーの存在が 狩人に加担している可能性はゼロでしょう。

 ではなぜ、バードウォッチャーの存在が恰も野鳥の警戒を解いて彼らを危険に晒しているが如き主張 を、オイラは書いたのか。

 それは、スマホで囀りを鳴らす行為やその場限りの一時的な餌付けが野鳥に及ぼす影響が、オイラ が書いた 「バードウォッチャーの存在が野鳥の警戒を解いて彼らを危険に晒す影響」 と大同小異な杞 憂なのではないか?と問いたいのです。

 そうした行為が野鳥の生活環境を微小に変化させ、その変化がバタフライエフェクト的にドミノ倒しの 影響を及ぼし、最終的に野鳥はおろか、人間様の生活環境にまで悪影響を及ぼす可能性は、ゼロと 断言することが出来ません。

 しかし、そもそもこの世に 「可能性がゼロである」 と断言できる事象なんか存在しません。

 ですから、「○○という行為が□□という結果を引き起こす可能性がある」 というだけで、○○を禁止 してしまうのは早計です。

 面白い例を紹介しましょう。

 サヨクが忌避する物質といえば、放射性物質に農薬,食品添加物が代表例に挙がると思われます が、意外なターゲットとして、人工甘味料があります。

 人工甘味料の殆どは、その化学式に毒性の根拠を見出すことが出来ません。

 ( 文系のバカサヨクは「塩素ガー」って言うのですが、そんなことを言ったら、歯磨き粉に含まれる
  フッ素化合物は化学式的にサリンの仲間ですから、歯磨き粉が猛毒を発して、歯を磨いた奴が
  死んでしまいますw )

 にもかかわらず、古くから自然崇拝主義者のターゲットにされてきました。

 我々が子供の頃に発癌性物質との疑いを受けて、市場から姿を消したのはチクロでした。

 しかし、その後の科学的な検証によってチクロの発癌性は否定され、EU圏や中国では使用が解禁さ れています。

 しかし、今でも人工甘味料は似非科学というか科学モドキを振り回すバカサヨクの攻撃対象であり続 けています。

 最近で酷かったのはこれかな。

   2015年03月08日 科学ニュース隊
   「糖質ゼロ」も安心できない!? 人工甘味料が糖尿病リスクを高める可能性
   http://www.scienceplus2ch.com/archives/4981378.html
   > 予備群も含めれば2000万人という国民病である糖尿病。
   > 予防やダイエットのために、「糖質ゼロ」「カロリーオフ」を謳う飲料・食品に手を伸ばす人は
   > 少なくない。
   > ところが健康を気遣って選んだはずなのに、かえって病気のリスクが高まるという
   > 研究がある。
   >
   > 「糖質ゼロ」「カロリーオフ」の飲食物には糖質が含まれていないにもかかわらず、
   > しっかりと甘みがある。 「人工甘味料」によるものだ。
   >
   > その人工甘味料について、2014年9月に興味深い研究報告が
   > 英科学誌『ネイチャー』に発表された。
   > イスラエルのワイツマン科学研究所のチームが行なった実験で、
   > マウスを3つのグループに分け、それぞれ
   > 「普通の水」「ブドウ糖を含んだ水」「人工甘味料を含んだ水」
   > を与え続けて経過を観察した。
   > 順天堂大学大学院医学研究科の白澤卓二教授が説明する。
   >
   > 「 実験結果は、『人工甘味料が糖尿病リスクを高める』 ことを示唆するものでした。
   >  人工甘味料を与えられていたすべてのマウスが2型糖尿病を引き起こす
   >  『耐糖能異常』 を示したのです 」
   >
   > これまでも人工甘味料によって糖尿病リスクが高まる可能性を指摘した研究はあり、
   > 学会では古くて新しいテーマだった。
   >
   > 国内では、2013年に富山県の工場で働く2037人の男性(平均年齢46.2歳)を
   > 7年間にわたって追跡調査し、人工甘味料の入ったダイエット用飲料と
   > 糖尿病リスクの連関を調べた研究がある。
   > この研究では、ダイエット飲料を週に1本(250ミリリットル)以上飲む男性は、
   > めったに飲まない男性に比べて糖尿病発症リスクが1.7倍になるとの結果が出ている。
   >
   > 海外ではさらに大規模な調査がある。
   > 2013年2月に報告されたフランス国立保健医学研究所の研究では、
   > 約6万6000人のフランス人女性を14年間追跡調査した。
   > その結果、ダイエット炭酸飲料を1週間に500ミリリットル飲む人と
   > 通常の炭酸飲料を同量飲む人では、前者のほうが糖尿病になる割合が15%高かった。
   > 飲む量が多いグループ同士では、その差はさらに広がった。
   >
   > 「 ただし、これまでの研究では
   >  人工甘味料が糖尿病を引き起こしているかどうかの因果関係は不明瞭でした。
   >  人工甘味料によって味覚が鈍るなどして、他の食事の際に糖質を摂り過ぎてしまった
   >  結果だとする見方などがありました。
   >  今回のイスラエルのチームの研究は、
   >  『どういったメカニズムで人工甘味料が糖尿病を引き起こすのか』
   >  という疑問に答える材料を提示したのが興味深い点です 」
   >
   > ( 管理栄養士でフードコーディネーターの安中千絵氏 )
   >
   >
   > ※ 週刊ポスト2015年3月13日号
   >
   > http://www.excite.co.jp/News/column_g/20150305/Postseven_307022.html

 いかがだろうか?

 「へーなるほど。 そうだったのか」 と思った方は失礼ながら理系センスがゼロのお方だ。

 悪い事は言わないから義務教育の理科から学び直した方が良い。

 この記事の中で科学的であると言えるのは、最初に紹介されたイスラエルのワイツマン科学研究所 のチームが行なった実験だけだ。 富山県の工場で働く男性を7年間にわたって追跡した調査も、フラ ンス国立保健医学研究所がフランス人女性を14年間に渡って追跡した調査も全く以って科学ではな い。

 人工甘味料入りの飲料を好んで飲むのは間違いなく甘党なのだから、人工甘味料の摂取以外の栄 養摂取量を無秩序にしていたら、甘党の糖尿病発症リスクが高くなるのは当たり前だ。
 エビデンスとして認められる統計を取るのであれば、サンプルは、寮生活の学生や住み込みで働い ている人に限定して、寮での食事以外に間食や外食を許さず、人工甘味料の摂取以外の栄養素摂取 量を厳に同一にして調査しなければならない。 甘い物を好む人が欲望のままに間食したり高カロリー な外食を摂ったりしていたら、糖尿病リスクが増大するのは当然である。

 そんなものは科学ではない。

 イスラエルのワイツマン科学研究所のチームが行なった実験にしても穴が無いワケではない。

 そもそもマウスと人は、化学物質に対する感受性というか耐性が全く異なる。

 たとえば、一時期に強烈な発癌性が懸念されて、忌避する為にゴミの分別回収が始まり、超高温度 焼却施設が次々に建てられた悪魔の化学物質ダイオキシンは、人とマウス ( というか、モルモット ) で 毒性の現れ方が全く異なる。

 自画自賛で申し訳ないが、随分以前に書いた拙稿を紹介する。

 折角なので、オイラに無断で丸々転載しやがりましたURLから紹介w

   ★阿修羅♪
   サヨクの嘘を暴け! 〜食品編〜 (奇行種圭坊の魔窟)
   【不安商法】 猛毒ダイオキシン
   http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/345.html

 あまりにも古い文章なので、残念ながらリンクの多くが「Not found」になってしまっているが、書かれて いる内容はあくまでリンク先の根拠資料に基づいた事実である。

 ダイオキシンはモルモットに対して極めて強い毒性を示すが、同じ小型齧歯類であるハムスターに対 しては、同体重比で八千分の一しか毒性を発揮しない。 人に対しては更に弱く、大量に摂取しない限 り、人への毒性の発現はほぼ見られない。

 そもそも既に認可されている人工甘味料は全て、異常なまでに執拗な、ある意味、悪意さえある検査 と実験を経てシロと判明した化学物質です。

 たとえば、今現在主流の人工甘味料アステルパームについて書かれた科学的な記事がコチラ。

   ☆喪われた化合物の名誉のために(3)〜アスパルテーム〜
   http://www.org-chem.org/yuuki/aspartame/aspartame.html

 ダイオキシンと同様に、特定の動物に対して特殊な作用を起こす可能性は、ありとあらゆる物質に関 して存在します。 だから、薬も化粧品も、動物実験で安全性が確認された後で、尚も治験という名の 人体実験を行って最終チェックをするのです。

 ですから、イスラエルのワイツマン科学研究所のチームが行なった実験で、人工甘味料を摂取したマ ウス郡が 『耐糖能異常』 を示した ・・・ つまり、『境界型糖尿病 ( 糖尿病予備軍 )』 になったからとい って、人に対しても同じことが起こるとは限りません。

 あくまで

   人工甘味料を摂取すると 『境界型糖尿病 ( 糖尿病予備軍 )』 になる可能性が提言された

 に過ぎません。

 実際問題、なぜ、イスラエルのワイツマン科学研究所のチームがこんなに浅い段階で、研究内容を 公表したのか疑問に思います。

 下手したら副作用で死んじゃうような強烈な特効薬の治験じゃあるまいし、契約した人を軟禁して普 通の食事以外に

   「普通の水」 「ブドウ糖を含んだ水」 「人工甘味料を含んだ水」

 を与え続けて経過を観察するだけの話です。

 莫大な研究予算を持つワイツマン科学研究所が出来ない道理は無い。

 出来ないのでもなければ、やらないのでもなく、やったが期待通りの結果にならなかった。
 だから、治験をやる前の段階のデータを公表して人工甘味料の製造メーカーにネガティブ・キャンペ ーンを張った ・・・ というのが真相だと思う。

 ま、邪推はともかく。

 科学とはこういうものです。

 仮説は実証されて始めて意味を持ちます。

   「スマホで囀りを流すのは」「○○で」「□□だから」自然環境破壊である。

   「その場限りの一時的な餌付けをすることは」「○○で」「□□だから」自然環境破壊である。

 仮説ですよね。 実証されていませんよね。

 念のために釘を刺しておきますが。

   野鳥の権威である某先生が言っているから

 というのはナシですよ。

 では、スマホで囀りを流したり、その場限りの一時的な餌付けをすることが他人から制止されなけれ ばならない理由を科学的に解説、お願いします。



 緊張や恐怖が日常茶飯事の自然界は動物園とは違うのです。
 ただ勿論、そうは言っても相手は人間よりも弱い立場の野鳥です。
 趣味としてバードウォッチングするからには最低限の心遣いは求められて当然です。
 ここで当然予想される反駁は
 「 じゃあ縄文時代からやってる様にスマホでさえずりを流したり
  餌付けしたりしても問題無いではないか。 ダブルスタンダードはあかんで 」
 ですが、縄文時代なんてつい最近の事だという話は置いといて、
 外見上は同じ様に野鳥を観察している様に見えるとしても、
 「間接的」 に在るがままの野鳥を観察するのと 「直接的」 に干渉するのとは
 同じ事として片付ける訳には行きません ( これについては後述します )。

 圭坊氏に指摘されるまでもなく実はだいぶ以前から僕は
 「生態系の中に仲間入りさせてもらっている」 と感じながらバードウォッチングをしています
 (フォトギャラリー第2回参照)。
 もちろん圧倒的に有利な立場で 「猛獣が来たぞー」 という感覚で出歩いているのですが、
 圭坊氏の指摘にも有る通り、僕自身もクマに襲われる危険性がゼロではありませんから
 自然界と対等の関係にあり、あながち単なる疑似体験でもないと言えます
 ( 数年前自宅から徒歩圏でツキノワグマの足跡が発見されています )。
 因みに野鳥たちは人間の10倍もあろうかという視力で、こっちが気付くよりもかなり前に
 こちらの存在に気付いていると思われます。
 もし彼らが人間と遭遇する事にえも言われぬ恐怖心を抱いているとしたら、
 その姿を垣間見る事も出来ないでしょう。 まして餌付けなど出来ようはずが有りません。
 実際、野外を歩いていると野鳥たちは僕の姿を見て一目散に逃げて行くと言うより、
 一時的に飛び退いたとしても僕が何者なのか一旦見極めたうえで
 逃げ去ったり逃げなかったりという行動パターンである場合が大半です。
 タカが現れた際の目にもとまらぬ俊敏な逃げっぷりと比べると分かりますが、
 多くの野鳥にとって動きの鈍い人間などさしたる恐怖の対象ではなく、
 場合によっては 「ラッキーなタイプの奴」 か 「使えない奴」 かという価値基準で
 こちらを見下ろしている様にすら見えます
 ( もちろんこれは飽くまで自分の都合のいい様に解釈した僕の主観かも知れませんが、
  多くの野鳥ファンが僕と同じ実感をお持ちだと思います )。

 

 いやいや。 そりゃあ、その鳥が始祖から今まで連綿と野生で生活をし、鳥以外の動物の観察を続け てきた結果、

   四足の動物 ( ちなみに人間は二足を宙に浮かせている四足の“動物”) は、
   俺達と違って空を飛べない

 と学習したから、僅かな距離を離れただけで安全圏と見做して、それ以上遠くへ逃げないだけですが な。

 もし、文明が更に進化して ( たとえば重力制御の技術を手に入れる等して ) 、人が自在に空を飛べ る等になったとしたら、彼らの学習内容は

   普通の四足の動物は、俺達と違って空を飛べないが
   二足を宙に浮かせている四足の動物は、空を飛んで襲ってくる

 と上書きされて、人も鷹等の猛禽類と同様の扱いとなり、姿を見ただけで恐れ慄いて逃げ惑います よ。

 しかし、オイラが撒く餌 ( 市販の小鳥用の餌=雑穀 ) を食いに集まるスズメタンに関しては、もうちょ っと学習して欲しいんだがなぁ。 もう三年以上も餌撒きを続けていて、撒く時間になると撒く場所の上 を飛び交う癖に、オイラの姿が見えると20メートル近くも離れたビルの屋上まで逃げて、コッチの様子を 窺いやがんの。

 俺のジャンプ力は1メートルもねーよ。 何で過大評価されるんだ? それとも、この容姿はスズメに とって、そんなに恐ろしいのか (´・ω・`)ショボーン



 この感覚を持っているのは野鳥ファンなどよりもお百姓さんでしょう。
 田圃の真中で農作業しておられるお百姓さんの周囲には野鳥が群れている事がよく有ります。
 トラクターの後ろを付いて歩くアマサギなどが良い例です。
 この場合アマサギにとってトラクターは土中などに隠れている餌(昆虫や蛙)を蹴散らしてくれる
 便利な動物という事になるのでしょう。

 ・゚・(つД`)・゚・ ウリが撒いた餌を食いに来るスズメタンにも其の位の胆力があればなぁ。。。



 もちろんその金属製の動物には人間が乗っかっている訳ですがアマサギたちはお構い無しです。
 前回コメントでも触れましたが野鳥たちの多くは大なり小なり人間の営みをしたたかに利用し、
 このある種人工的な生態系に順応して生きていると見る事が出来ます。
 フォトギャラリーにざっと目を通して頂ければ分かると思いますが
 僕の目の前に野鳥が飛んで来る事も決して珍しくはありません。
 もちろん珍しくないと言ってもそう頻繁にそんなシャッターチャンスに恵まれる訳ではありませんが
 辛抱強く待っていれば誰にでもそういう時が訪れます。
 でなければ僕ごときアマチュアにあれほど沢山の写真が撮れる筈が有りません。
 比較的警戒心の強い種においてもある程度距離が有れば警戒していない証拠に
 羽繕いする者まで居ます。
 野鳥から見れば僕ごときが現れても 「大型動物が1匹増えただけ」 なのです。

 

   2015年11月7日 [ 第207回 ] より

   http://dachinko.okoshi-yasu.com/page013.html

   オシドリも金網越しの撮影となった。
   立ち上がれば何も被らない画が撮れたが、しゃがんで草むらに紛れていたからこそ
   彼らのほぼ無警戒なありのままの姿を見る事が出来たのだし、もし立ち上がれば
   途端に飛ばしてしまうのが確実な距離だった。
   だからこちらに気付いたか或いは何かに驚いたかして 飛び去るまで
   じっとしゃがんだまま撮影した。

 怖がらないんなら、↑立ち上がって撮れば良かったんじゃんw

   ある程度距離が有れば警戒していない

 そりゃ、その鳥が始祖から長きに渡って鳥以外の動物と関わった結果、

   四足は飛べないから、離れれば怖くない

 と学習しただけ。

 どう言い繕おうとも、近い距離に現れる人間は、鳥にとって脅威以外の何物でもありません。
そういう意味で、野鳥の生活区域へ土足で入り込むバードウォッチャーは、鳥達にとって脅威であり、 招かざる客です。

 実際に貴殿は、鳥に見つかれば鳥が怯えて直ちに逃げ去るような距離まで鳥に近付いて撮影しまし た。

 それが、悪か?と問われれば、別に悪じゃないと思います。

 綺麗事さえ言わなければ誰もそんな些細な事を責めはしません。

 排気音やスキール音で野生動物の安眠を妨害してきた我々走り屋の悪行に比べたら可愛い
モンです。

 でも、貴殿は、自分が彼らの生活圏内に入って、見つからない様に隠れて撮影しておきながら、

 「 我々が野鳥を隠し撮りするのは正当な権利であるが、
  バードウオッチングを始めたばかりの一般ピープルがバードコールを使ったり、
  餌で野鳥を誘き寄せるのは許せない 」

 って言うんでしょ。

 しかも、言い訳するのにあろうことか、

   目の前に野鳥が飛んで来る事

 があるだの、

   比較的警戒心の強い種においてもある程度距離が有れば警戒していない

 だの。

 それじゃ、通報されて捕まったストーカーの言い訳じゃないですか。

 ストーカーだって、お目当ての女性が偶然に前を横切ることがあるでしょうよ。

 ストーカーだって、セキュリティの万全なマンションの部屋から目撃されたからといって、逐一通報され はしないでしょうよ。

 だからって、ストーカー行為が善しとされるワケではありません。

 それらと同じです。

 ただ今更揉み手で擦り寄る気は毛頭ありませんが、こちとら別にバードウォッチングなんて趣味を誰 が何処でどうやろうと興味も湧きませんし、咎める気もありません。

 これは、貴殿が走り屋家業 ( といってもお金は出て行くだけで、まったく儲けは無いんですが ) に何 の興味も持たれないのと同じ。

 じゃあなんでオイラが噛み付いているのかというと、単純に自分の行為は正当化するのに、他人の類 似した行為を責めるからです。

 かつて我々走り屋は、速度を出す技術を持たず、ただただ騒音を撒き散らして市井の人々の安眠を 妨害して悦に入る低次元な“暴走族”という人種に嫌悪感を抱いて見下していました。 それは、はっき りと自覚していました。 しかし、月日を経て、今になって振り返れば、“走り屋”も“暴走族”も大した差 はありません。 どちらも市井の市民の敵,迷惑な存在だったのです。

 翻ってバードウォッチャーはどうでしょう。 “走り屋”と同様に自分たちの仲間内でしか通用しないル ールを金科玉条として扱い、それに外れた行為 ( スマホで囀りを流す&その場限りの餌付け ) はル ールやマナーに反した行為だから許されないと鼻息荒く主張されていますね。

 それは“走り屋”が“暴走族”を格下に見ていたのと何も変わりません。

 もし、科学的な根拠があって、統計的有意あるいはエビデンスのあるデータに基づいて、スマホで囀 りを流す行為や、その場限りの一時的な餌付けが、鳥の生活環境や鳥の生活習慣に悪影響を及ぼ し、引いては人間様の環境にも悪影響がありえるというのであれば、根拠資料を集めて役所の戸を叩 き、「スマホで囀りを流す行為」 や 「その場限りの一時的な餌付け」 を罰則付きで禁止させるべきで す。

 「法で禁止されていないことは何をやっても良い」

 ↑ 小学校で絶対悪として扱われる概念ですが、残念ながら事実です。

 スマホで囀りを流す行為やその場限りの一時的な絵付けを止めさせたいのであれば、法的に禁止さ せるしかありません。

 法で縛れるだけの根拠が示せないから諦めましょう。

 そもそも当の鳥から見たら、王道のバードウォッチも邪道のバードウォッチも大差はありません。

 それこそ、走り屋と暴走族程度の違いです。



 そういう話はこっちに置いといて、例えば誰かが餌付けした野鳥がたまたま営巣中の親鳥だった
 とします。
 仮定の話ですが、親鳥が次々出て来る栄養満点の餌に夢中になるあまり
 丸一日巣に戻るのを忘れてしまったとしたら雛はどうなりますか。
 一方でただ単に親鳥を観察しているだけの場合と比べて相対的に考えて下さい。

 

 いやいやいやw 

 その論で行くと、多毛類がいっぱい居る沼地とか、稲に付く蟲がいっぱい居る無農薬農法の田んぼと か、親鳥が見つけたら自分が腹を満たすのに夢中になって、巣で待つ雛が死んじゃうことになっちゃい ますよ。

 野生にあっては、自分の腹さえ満腹にならないのに、捕らえた獲物を呑み込まないでクチに咥え、巣 で待つ雛まで運ぶのが親鳥であり、その自分の生死よりも仔を優先する姿に我々愚民は心を打たれ るのでしょう。

 だったら、満腹に成れば尚の事、親鳥はせっせと餌を雛に運ぶでしょうに。



 もちろん絶対的な本質論だけで考えると線引きは出来ないですよ。
 だからと言って一部カメラマンが直接的に野鳥に干渉するのを
 手放しで良しとする訳にはいかないでしょう ( 目糞鼻糞だとしても )。

 「種」 の弱体化という事について僕の考えを述べておきましょう。
 数十年も昔に聞きかじった以下の様な話が有ります
 ( 学生時代、社会ダーウィニズムの講義で研究発表の題材にした記憶が有ります )。

 (´・ω・`) すげーな。 良くそんなの覚えていられるな。

       オイラなんか中学で学ぶ算数の定理でさえも、インターネットの検索が頼りなのに。

       ( 念の為に弁明しておきますと、定理を思い出しさえすれば問題は解けますYO )


 ある埋立地で繁殖するハエを駆除するために殺虫剤を撒いていましたが
 ハエが世代交代する過程で並みの殺虫剤が利かなくなってしまいました。
 殺虫剤に強い個体が生き残り遺伝子を引き継いだからです。
 更に強い殺虫剤を撒いても同じ事。 また更に強い個体が生き残っただけでした。
 そこでとある研究者が一計を案じました。
 一定数のハエを研究室で温室栽培の様に育ててから埋立地に放したのです。
 温室育ちの個体が交配した結果その遺伝子が次世代に引き継がれ
 弱い殺虫剤でも簡単に駆除出来たという話です。
 もちろんこの結果を否定する研究なども有るかも知れませんが、
 野鳥に対する餌付けには 「種」 の弱体化を招く危険性が有るという示唆にはなります。
 餌付けした結果、本来生き残るはずではなかった個体が
 その遺伝子を次世代に引き継いでしまったら、いずれ餌付け無しでは生き残れない者ばかりに
 なってしまいます。
 ( これに対して予想される回答は 「別にいいじゃん」 ですが、
  「今までやってきたことが大罪過ぎる」 からこそ 「別にいいじゃん」 とも
  言っておれないのではないかと。)

 

 さすがに其れは針小棒大が過ぎるという物。

 それが本当なら、オイラが撒く餌 ( 市販の小鳥用の餌=雑穀 )を食べているスズメ達は、オイラが 餌を撒くのを止めたら、穀類をとる方法を忘れて飢え死にすることになりますYO。

 幾ら何でも其れはないでしょうw

 とある地点でとある団体が入れ替わり立ち代わり野鳥に餌を与えたからといって、そうそう簡単に自 分で餌を捕ることを忘れはしませんて。

 そもそも、鳥にはテリトリーという物があるワケで。 とある種類の鳥がとる地点で人間から餌を貰っ ていたとしたら、その種類の鳥とテリトリー争いをする種類の鳥は、寄って来ません。

 何もその周辺に棲んでいる鳥が悉く満腹になる量を、毎日毎日餌付けに来てるんじゃあるまいし、そ の場限りの一時的な餌付けで、野鳥から狩りをする能力が奪われるなんて事は、さすがに杞憂です よ。

 オイラが伏せた洗濯籠の中で保護したヒヨドリと思しき鳥も、いわば保護している間中、ずっと人から 餌を貰い続ける生活でしたけど、元気になったので庭に放ったら、さっさと視界から消えました。 その 後、何日間かは、庭の周辺で鳴いていて、苦労せずに食える環境が名残り惜しかったみたいですが、 スグに来なくなりました。

 貴殿に言わせると、あのヒヨドリと思しき鳥は、オイラに餌付けされた所為で、可哀想に獲物を獲る方 法を忘れて飢え死にしたということになるんでしょうね。

 それはないと思いますけどねぇ。



 少し個別に反駁しておきましょう。

 > ゴカイから泥質/砂質の海底に自由に穴を掘り自由に潜る環境を奪うことは
 > 『種』としては人間を利用して生き残っている
 > であり、野鳥から広い大空を自由に飛び回る環境を奪う事は
 > 野鳥が不幸に感じるかも知れないことは止めろ
 > というのは、幾ら否定されようともダブルスタンダードです。

 ゴカイであれ鳥であれ ( たとえ「種」として成功しているとしても ) 徒に生命を人間の支配下に
 置き弄ぶ事を良しとしないという点では一貫しておりダブルスタンダードでも何でもありません。

 

 ( ゚д゚) は?

 貴殿がゴカイの扱いに関して

   徒に生命を人間の支配下に置き弄ぶ事を良しとしない

 なんて主張をしたことがあったかい?

 かつて、貴殿が言っていないにも関わらず、

  > 人が介する事に因って生じた「種」の絶滅は許し難い大罪

 と貴殿が発言したかの如く扱ったオイラが言うのもアレですけれども。

 言っていない事を 「言った」 とするのは止めましょう。



 もちろんゴカイが居なくても魚を捕える事は出来ます
 ( 漁獲のほとんどは定置網漁や底引き網漁によるものでしょう )。
 しかし僕は漁師ではありませんし漁師さんの漁法についてあれこれ言える訳がありません。
 釣り趣味の人にゴカイが可哀想だと説教するつもりもありませんしその逆もありません。

 

 誰も漁の方法の話なんかしとりゃあせんがな。

 鳥に対しては

   鳥篭に閉じ込めて飼うのは残酷な行為なので許さん

 と主張しつつ、ゴカイに対しては、人が釣り餌として養殖する場合に

   土に潜る自由を奪って、狭い場所でひしめきあって餌を食わされる生活でも全然無問題

 と仰られる貴殿のダブルスタンダードを責めているんです。

 もちろん、キリスト教的観点から、

   鳥はゴカイよりも上位の存在だから、生命の価値が高い鳥類の権利が尊重され、
   生命の価値が低いゴカイの権利が制限されるのは当然のことである

 と仰られるなら賛同し、支持しますよ。

 オイラもそう思いますもん。 ( オイラは、キリスト教徒ではありませんが )



 > 養殖モノが圧倒的多数になり(天然モノが)駆逐されてしまった現状を善しとするの?

 前回コメントのアユの例えを補足しておきます。
 あの話はこれも数十年昔にアユ釣り趣味の人の話として耳にした記憶を頼りに書いたので
 自信は有りませんが、世間で呼ばれている 「天然モノ」 というのは
 ほぼ全て 「養殖由来の野生化した個体(及びその子孫)」 だそうです。
 その意味で 「天然モノ」 は絶滅したか呑みこまれたという事になります
 ( 正しいかどうかは分かりません )。
 これを 「善しとする」 事は出来ないかも知れませんが
 現実にアユは遺伝子の形を僅かばかり変えられたとは言え生き残っていると言えます。
 養殖の結果もし弱体化して完全に絶滅していたとしたら遺伝子にとって最悪ですけど。

 (´・_・`) んー、突っ込みどころが見つからないな。 パス



 > 人間がタンパク質の摂取を豆で我慢できるのであれば、ゴカイも家畜も必要ありません

 コジツケがましい事を言う様ですが植物も生き物だという事をお忘れですか?
 言わんとしている事そのものは否定しませんが、
 植物には脳も神経も無いじゃないかと言われれば極端な話、
 動物性プランクトンと植物性プランクトンが本質的にどこまで異なると言えるのかを論ずる事に
 なって ( ここでは 「ペットが駄目なら」 という前提条件は付きますが ) ゴカイも家畜も駄目で
 豆なら良いと仮にも認める様な事を言ってしまうと、鯨は知能が高いから捕鯨は駄目という
 環境団体と言ってる事が同じになってしまいませんか?

 僕はベジタリアンではありませんし皆さんの主張がどうであれ鯨も家畜も豆も食べますが。
 ( 蛇足ですが人間は草食から雑食に進化したのではなく
  肉食から雑食に進化したという説も有ったかと記憶します )

 

 命を何処まで等価と見做すかなんて糞議題を引っ張り出すのは止めてください。

 等しく等価な命なんかありません。

 そもそも人が他者の命を喰らうて生き延びる業を負った生き物である以上、そして、人が食物連鎖の 頂点に立っている以上、命の価値は人が決めるものでしかありません。

 ( 神様が決めてくれたら話が早いんですけどねぇ )

 私が前回に

 > 人間がタンパク質の摂取を豆で我慢できるのであれば、ゴカイも家畜も必要ありません

 と書いたのは、貴殿が

   ゴカイや家畜は人間に美味しい食卓を与える為の犠牲だから無問題

   でも、野鳥の飼い殺しは、生きる為に不可欠という訳でもないから有問題

 というダブルスタンダードを主張されたからです。

   生きる為に不可欠という訳でもないから有問題

 というなら、

   人が豆食って我慢すれば、ゴカイも家畜も徒に命を落とす必要は無い

    ↓ ↓

   人は自分の味覚を満たす願望を叶えるために、死ななくても良い命を奪っている

 であり、だったら、

   人が自分の飼いたい願望を叶えるために、野鳥を捕らえて飼っても無問題

 なんじゃねーの?と訊いているんです。



 > 生きる為に不可欠という訳でもないのに単に癒しの為に (野鳥を) 飼い殺しにする如きは、
 > 屠殺場に送られて殺される悲惨な家畜生活に比べたら、 悲惨さが少な過ぎてどうでも良いです。

 絶対的な本質論で味噌も糞も一緒にしてしまうかと思いきや
 時と場合により相対的に思考されるとは驚きです。
 これを称してダブルスタンダードと言うのでは?
 この相対的思考に照らせば僕が単に野鳥を観察する事を餌付けやペット化と比較して
 「少しはマシだ」 と論じるのも正しいと評価されるべきです。

 

 そうですね。

 であるなら、野生の鳥を捕まえて狭い鳥篭に押し込み、ペットとして飼う事もまた、 人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜と比較して、

   「少しはマシだ」 と論じるのも正しいと評価されるべきです

 ね。



 > まだペットになっていない野生種を飼い慣らして、
 > ペットにしてみようと挑戦する事は罪ではないでしょう

 子供でも犬や猫が可愛いとイメージ出来るのは彼らがペットとして身近に定着しているからです。
 誰も見た事が無い様な亀や蛇を可愛い ( 或いはカッコいい、美しい、珍しい・・・ ) などと
 イメージ出来る人はよほどのマニアだけでしょう。
 そういう動物をペット化する動機は多分にペット業界の利害が関係していると推察出来ます。
 メディアに露出させ 「可愛い可愛い」 とアピールしなければ誰も知らない様な
 珍獣の類いをわざわざペットにしなくても誰も困りません。
 企業の健全な経済活動を全て否定するものではありませんが 「可愛いから飼いたい」 などという
 メルヘンな動機でワニガメとかニシキヘビとかをペット化して来た訳ではありますまい。
 実のところ飼い慣れない動物を新たにペット化するには弱い根拠と言わざるを得ません。

 

 おいおいw

 鳥の話をしているんだから、「野生種」=「鳥の野生種」だよ。 当然だろ。

 そして、未だに人が飼うことに成功していない鳥の野生種の中には、愛くるしい子猫や子犬でさえ敵 わない思わず抱擁して頬ずりしたくなるような可愛い鳥がいっぱい居る。

 普通の人が 「飼いたい」 という衝動に駆られるのは、そういう鳥たちの可愛いさであり、亀や蛇を飼う 人ような 「珍しい動物を飼うことで衆目を集めたい」 という自己顕示欲の発露ではありません。

 可愛い生き物を飼いたいと思うのは、人の普通の感覚であり、飼い慣れない動物を新たにペット化す るには十分な動機と言えるでしょう。



 > それは結局のトコロ、コウノトリにしろトキにしろ、生物学の種の定義に「飛ぶ」と在るから、
 > 飛ばないコウノトリも飛ばないトキも 「定義外」 ・・・

 ヤンバルクイナは長距離を飛ぶ能力は無いとされるけれど立派な野鳥です。
 それはさて置き、コウノトリやトキを野生に戻そうとしているのは
 人間が永久に養う訳には行かないからというのが主な理由の一つでしょう。

 

 また微妙な回答だなー。

 これも内輪で勝手に決めてるルールなんだけど、猫大好き人間には課せられたルールというものが ありまして。

 @ 野良猫に餌をやるべからず

 A 飢えた野良猫が可哀想だと思うなら、万難を排して飼え。

 B 飼うと決めたらちゃんと獣医に見せるなどして、責任を持って、最期を看取るまで付き合うこと

 なんですな。

 で。

 コウノトリやトキは飼っちゃイケナイ生き物だから、このルールが適用されないのは当然なんだけれど も。

 飼う気がないのに餌をやり、餌を貰うことで野生を失った個体にしておきながら、時期が来たら野に 放ってハイサヨウナラってのは酷いんじゃないのかな。 いや、もちろん、ハイサヨナラじゃなくて、行動 を追跡して調査し、取ったデータを他の個体の育成に活用しているんでしょうけど。

 そもそも絶滅確定種に関わって、絶滅を先送りしていることの意義が理解できない。

 絶滅が危惧されるまで個体数を減らし続けた理由が、たとえばクジラを保護したために生態系のバラ ンスが崩れて、クジラに食われる魚たちが絶滅の危機に瀕しているのだとしたら、シロンボの横暴の後 始末を我々黄色人種がつけるのだとして理解できますが、コウノトリもトキもそれらの種を絶滅に追い やったのは他でもない日本人ではありませんか。 人によって捕らえ方は違うと思いますが、オイラに は彼らを絶滅に追いやった日本人に彼らを救う資格はないように思えます。
 当人ならぬ当鳥にしてみれば、
 「 いままで散々ブッ殺しておいて何が保護だよフザケンナ。
  悪いと思ってんならテメーが俺らよりも先に滅びて見せろよ、クソッタレ 」
 だと思いますよ。

 前回も書きましたが、個体数を盛り返しえるだけの数が居ない種に関しては、静かに幕を閉じさせて あげるのが情けなのではないでしょうか。

 まぁ、考え方は人それぞれですけれども。



 > 人が原因で特定外来種が襲来して在来種の幾つかが滅びに直面するとしても、
 > それもまた、( 巨視的な観点から見て)神の御意志でしょう。

 「神の御意志」 なるものが存在するとするならば一部の人間がどういう動機にせよ
 「在来種を守らなきゃ」 とか 「コウノトリを復活させなきゃ」 と考えて実行に移すのも
 「神の御意志」 でしょう。
 コウノトリに人間を魅了し利用する力が残っていたと考える事も出来ますから。

 

 そうですね。

 であるなら、野鳥を狭い鳥籠に閉じ込めて飼い殺しにするのも、

   野鳥が人間を魅了して、餌を確実に得る為に利用した

 という解釈でOKですねw



 > 始める前からマナーの勉強を前提にできない一般の人達が
 > 安易にバード・ウォッチングを 始めてしまうないように、
 > 写真雑誌に野鳥の画像を載せることも、webページに野鳥の写真を載せることも慎むべきです。

 「 僕がこのHPを開設した目的の一つは多くの人に野鳥に関心を持ってもらい
  野鳥保護のプラスになればと思っているからだが (以下略)」
 ・・・フォトギャラリー第191回をご参照ください。
 しかし一つ間違うと逆効果になるリスクも内在しているのは事実です。
 様々なジレンマの中でバードウォッチングを楽しみつつ
 僕なりにヘボなHPを運営しているつもりです ( 自己満足と笑われるでしょうが )。
 そういう事を抜きにしても僕ごとき一般人が世界中に向けて情報発信する能力を持つ事は
 それはそれで文明の持つ力であり自己実現のアイテムとしても有益だと思います。

 

 ちょっと話題から外れるんだけどさ。

 バードフォトグラファーとかバードウォッチャーって、他人の撮った写真が気になるものなのかな?

 実は、オイラも一応はバカチョンじゃないデジタルカメラを持っていて、モーターショウや改造車ショウ で格好の良いクルマを撮ったり、(多くが整形ですが)可愛いキャンペーンガールの写真を撮って、自分 のweb上に載せていますが、正直な話、[ 走り屋&ドリフト ] で知り合ったクルマ好き連中以外誰も訪れ ませんよ。

 ( 一時期、なぜかキャンギャルマニアの大手サイトからリンクが張られていたことがありましたが、
  下手すぎてあまり反響がなかったのか、今はリンクが外されています )

 どの位反響があるのかな?

 ちなみに、オイラのwebサイトの場合は、

 ・ クルマ関係 ⇒ クルマのサイトにリンクが貼られまくり。

 ・ ゲーム関係 ⇒ 2ちゃんねるにリンクが貼られて、自分の好きなゲームを批判されたゲーマーが
.           大激怒。 結構な頻度で炎上沙汰になりました。
.           ( 更新していないので、最近は無視されています。 ちょっち寂しい )

 ・ アトピー関係 ⇒ アトピー性皮膚炎に悩む同士からちょくちょくメールが来る。
.            また、俎上に載せられたアトピービジネスの会社から苦情と削除依頼が!

 ・ WGIP否定関係 ⇒ 反響が何もないように見えて、実は読んだサヨクが大慌てで自分のサイトから、
              ( 本人が気付かずに書いてしまった ) 不都合な真実を消してなかった事に
              したり、サイトそのものを消したりしています。

 まぁ、2002年の2月から延べ14年間もやってるから、何らかの手応えがあるのは当然なんだけどね。



 > そもそもバードウォッチングに興味を持つような画像を写真雑誌やwebページに載せておいて、
 > 同じページにマナーに関する詳しい解説を載せておかないで、
 > 「マナーを守らないお前等は悪だ」 って、そりゃ 「お前は何様だよ」 と思っちゃうよ。

 一方で 「マナーに関する詳しい解説を載せておかない」 事を批判し、
 一方でマナーに関し注意喚起する事を批判されていますが、
 圭坊氏は僕に一体どうしろと言うのでしょうか?

 

   「マナーに関する詳しい解説を載せておかない」 事

 ↑ 無辜の第三者の好奇心を煽っておきながらフォローしていない罪

   マナーに関し注意喚起する事

 ↑ そもそもバードウォッチングなどという鳥にとって傍迷惑な行為に及んでおきながら、大同小異な 行為 ( スマホで囀りを流す&その場限りの餌付け ) を悪逆非道の如く罵る罪

 二つの罪を犯しているぞ、と指摘しているだけです。

 ま、大罪じゃありませんが。



 注意喚起の事なら 「野鳥王国:初歩のバードウォッチング」 をご参照ください。
 イの一番にマナー(自己流モットー)について記載しています。

 

   http://shige.tubakurame.com/newpage416.html

   @ 野鳥の邪魔をしない。

   野鳥は人間の為に生きている訳ではないから繁殖などの邪魔にならない様に配慮が必要。
   「バードウォッチングさせてもらっている」 というくらいの意識でちょうど良い

 ↑ 撮影可能な距離に居ることがバレたら、鳥が慌てて逃げ出すようなストーキング行為をやってる時 点でアウトなんとちゃうんか、とw



 フォトギャラリーでも読者離れを覚悟のうえで繰り返し口うるさい事を述べて来たつもりです。
 それ以前に、高級カメラを持ち歩くほどの大人であればマナーなどいちいち伝授しなくとも
 本来「常識」に照らして判断出来て当たり前でしょう。
 上記の「自己流モットー」も読んでいただければ分かる通り
 ほとんど子供を相手にしている様な内容です。
 ご丁寧に生き餌を仕掛け長時間にわたりスマホ等で大音量のさえずりをエンドレスで流す行為を
 見てしまうと、( バードコールみたいな素朴な遊び道具レベルと異なり ) 常識的に度を越している
 と実感しますよ。
 そんな現状で僕みたいに直接あるいは間接的に注意喚起する野鳥ファンが居なくなれば
 どうなりますか。 よりマナーの悪い人だけが残ってしまう事になるでしょう。

 

   僕みたいに直接あるいは間接的に注意喚起

 (´・ω・`) はて?

   2015年12月25日 [ 第212回 ]

   http://dachinko.okoshi-yasu.com/page008.html

   ところでごく一部の撮影隊がやっているアプリなどで鳴き声を流す行為や
   撮影の為の餌付けについて苦言を呈しておきたい。
   見る人が見れば分かると思うがこのルリビタキもそういう撮影隊による
   偽の鳴き声におびき寄せられてさえずっているところだ。
   手っ取り早く撮影したいからとむやみに鳴き声を流すと周囲の野鳥たちが混乱をきたし
   本来の生態とは異なる不自然な姿を見せるだけではなかろうか。
   餌付けも度を越すと野生を失い鳥を放し飼いしているみたいになってしまうだろう。
   食べ過ぎて腹だけが異様に膨れたオオルリを目にした事も有る。
   僕は飼い鳥には全く興味が無 い。
   だからこんな取って付けた様な写真が撮れても大した感動も無く虚しさしか残らない。
   地道な努 力を重ねてやっと撮れた飾らない野鳥の素顔にこそ新しい発見が有り
   何倍もの感動や達成感が有る。
   僕にとって今回の掲載写真の中でどれが一番嬉しくないのかは言うまでも無いだろう。
   この撮影隊にも大人の対応でそれとなく疑問符を投げかけて
   早々にその場を立ち去った。
   こういう人達とはあま り仲良くなりたいとは思わないので情報を探られたが
   敢えて当たり障りの無い事しか教えなかった。

 これの何処が“直接あるいは間接的に注意喚起”なの?



 > 鳥にとっては、自分の生活圏内に入りこまれて、
 > 盗み撮りされている時点で迷惑千万ではありませんか。

 これについては前述しましたが少し付け加えておきます。
 野鳥は地球上のありとあらゆる空間に進出していて
 極論すれば野鳥の存在し得ない空間を探す方が難しいほどです。
 僕の家が山間部にあるからかも知れませんが玄関のドアを開けた瞬間から
 野鳥と遭遇すると言っても過言ではありません
 ( 過去自宅敷地内に飛来した野鳥はチョウゲンボウ、イソヒヨドリ、ジョウビタキ、エナガ、
  シジュウカラ、セグロセキレイなど多数、もちろんハシブトガラス、ハシボソガラスも野鳥です。
  因みに2軒隣にはコシアカツバメの古巣が有ります )。
 文明社会と自然界が切っても切れない関係にある様に
 人間の生息域と野鳥の生息域は (ほとんど全て) オーバーラップしており、
 ( バードウォッチングしようがしまいが、文明が有ろうが無かろうが ) 自ずと一定の緊張関係は
 存在しています。
 何も人里離れた辺境地とかに行かなくとも外を出歩くだけで既に野鳥の生活圏内です。
 言わば 「仮に野鳥を避けようとしてもどこにも逃げ場は無い」 という状態です。
 「鳥にとって迷惑千万」 だとしても、だからこそバードウォッチングという趣味においては
 一定のモラルが求められてしかるべきなのではないですか ( これについては更に後述します )。
 なお、僕の家が自然の野山を切り開いた所に建てられたものだとしても、
 そこに住んではいけないと言う権利は誰にも無いでしょう。
 時代を遡れば大阪駅前や東京駅前だって原野や海だった訳ですから。

 

 空間が連続しているからセーフなんて屁理屈が通用するなら、ストーカー犯罪は取り締まり出来ない よ。

 バードウォッチングを批難する観点から、鳥を二つに大別するなら
 「 人を怖がらない鳥 」 と 「人を怖がる鳥 」 になるだろう。

 身近な例で言えば、前者は鳩、後者はスズメですね。

 逃げない鳥が存在するからと言って、逃げる鳥を追い回して良いとは言えません。

 ストーキングする迄もなく向こうから寄って来る鳥が存在するからといって、隠れて近付いているのが バレたら死に物狂いで逃げるような臆病な鳥をストーキングして良いとも言えません。

 大空を飛ぶ能力を奪って鳥篭に閉じ込めて飼い殺しにするのを残酷だと主張される一方で、隠れて 近付いているのがバレたら死に物狂いで逃げるような臆病な鳥をストーキングするのは構わないって のが、捻くれ者のオイラには都合の良いダブルスタンダードに思えるのです。

 『美少女を拉致監禁して檻に入れて飼う』 と 『美少女に付き纏うストーカー行為』 の比較なら、前者 が圧倒的に悪逆卑劣な犯罪であることは疑いありません。 が、しかし。 だからといって、後者が無罪 というわけでもありません。

 そういう話です。



 > 野鳥を撮るという自分の欲望を満たした上での話であって、
 > 野鳥に対して影響を与えない 様にする為に、野鳥の生活圏から遠く離れて見守るという事が
 > 出来ない屑の戯言に過ぎません。

 その通り 「屑の戯言」 でしょうね。 僕は偽善者でも聖人君子でもありません。
 他の人と同じく趣味を楽しむただの野鳥ファンです。
 ただ、「存在自体が悪」 と自称する人に言われたくありませんけどね。

 

 おいおいw 誰も 「只一人、オイラ個人だけが悪」 だなんて言ってないぞ。

 オイラが市井の弩平民の分際で、人類を一括りに 「悪」 と言い張っているだけだぞ。



 前述した様に僕は圭坊氏と同じく文明を謳歌する人間様です。
 鶏肉も食べます。 ずいぶん昔ですが鴨肉も食べた事が有ります。

 ( ^ω^ ) 鴨南蛮美味しいよねー。

 鴨南蛮の鴨肉は、合鴨の肉だけど。



 繰り返し述べて来た通り我々は文明の恩恵も自然の恩恵もいいとこ取りをしなければ
 「健康で文化的に」 生きて行く事が出来ないのです。
 文明を謳歌して 「健康で文化的に(趣味を楽しみながら)」 生きて行くのに際して
 「野鳥に対して極力影響を与えない様に心掛ける」 のは
 僕の個人的なモットー (或いは良心的な野鳥ファンの暗黙の了解) であり、
 誰かに類推適用されてとやかく強制されるものではありません。
 こう言うと当然予想される反駁は
 「 じゃあスマホでさえずりを流したり餌付けしたりしても
  とやかく強制されるものではないではないか。 ダブルスタンダードはあかんで 」
 ですが、これは前述の 「線引き」 の問題です。
 「極力影響を与えない」 というのが線引きの出来ない曖昧なものだからと言って
 味噌も糞も一緒にして 「お前もやっとるやないか」 と言うことは出来ないでしょう。
 所詮 「個人的なモットー」 或いは 「暗黙の了解」 というものは
 事細かに明文化されたものではありません。
 社会通念上どう見ても非常識なレベルに達しておれば、
 それは 「 違うじゃないか 」 と立て分けて考えるべきなのであって、
 それこそがモラルや不文律の存在理由なのだと考えます。

 

 だから、その 「線引き」 が 「自分達の都合の良いように自分達が決めた物でしかない」 という点が問 題なんだよ。

 貴殿等の 「線引き」 は、バードウォッチングが野鳥から赦される行為だという前提に立っている。

 これは、我々走り屋が決めた 『自分達の間だけで通じる峠のマナー』 と何も変わらない。

 鳥に高度な知能が有って、かつ、意思表示が可能だった場合に、
 「 人に対してはストーカー行為が禁じられるのに、鳥に対してはストーカー行為が禁じられていない。
  これは重大な鳥権の侵害である 」
 と主張されたら、バードウォッチングという趣味自体がアウトだ。

 世の中には“目糞鼻糞”という言葉があります。

 『バードウォッチング』と『スマホで囀りを流す&その場限りの餌付け』のどっちが目糞でどっちが鼻糞 なのかは知りません。 もしかしたら、片方はもっと汚い尻糞なのかも知れません。

 しかし、いずれにせよ、当の本人ならぬ本鳥からみたら、どっちもどっちでしょう。

 というか、対価も払わずに隠し撮りしているストーカーに比べたら、その場限りの餌付けというカタチで 撮影の対価を払ってくれる人の方がありがたいのではないでしょうかね。

 モーターショウや改造車ショウで我々弩素人カメラマンもどきに写真を撮らせてくれている綺麗なおね ーさん達だって、我々が入場料という対価を払い、その対価が回り巡って彼女らに支払われるからこ そ、にこやかに撮らせてくれるのであって、カネも払わずに隠し撮りしていたら、塩どころか石を投げら れますよ。



 > 貴殿等がすべきことは、マナーの悪い一般ピープルを罵って憂さを晴らす事ではなく、
 > 「 果たしてマナーさえ守られれば其れで良いのか?」 を考えるべきであり、
 > その先にある 「 自分が鳥であったなら、 生活を隠し撮りされて平気か?」 を考えるべきでは
 > ないでしょうか。

 「人にとって人の尊厳の前には、他の動物の尊厳なんか知ったこっちゃありません」 とのたまう
 圭坊氏からこの様な愛鳥コメントを頂くとは意外な感じもしますが
 野鳥に成り代わり感謝申し上げておきます。
 そもそも 「趣味」 というのは 「文明」 の最たるものでしょう。
 現代においてさえ発展途上国や紛争地帯では趣味さえもままならないのですから、
 平和な先進国に生まれた我々は感謝しなくてはなりません。
 ペットを飼う事が趣味ならば、在るがままの野鳥の姿を観察するだけのバードウォッチングは
 「少しはマシな趣味」 と言えます。
 釣りなどと異なり直接的に命を奪う事も、営巣の邪魔をするなど余程のミスをしなければ
 基本的には有りません ( 釣りという趣味を批判するつもりはありません )。
 人間様の数多ある趣味の中でも比較的自然を慈しむ傾向の強いバードウォッチングという
 「少しはマシな趣味」 ( この際「欲望」と呼んでもいいです ) において、
 子供でも分かる様な最低限のマナーさえ守れない人に苦言を呈する事が許されないのでしょうか。
 圭坊氏の指摘される様な主張をする権利が有るとすれば当の野鳥以外に無いでしょう。
 自分が鳥であったなら ( カメラの意味を理解出来るかどうかはさて置き )
 「 生活を隠し撮りされても、命を奪われたりコレステロール値の高いものを食べさせられたり
  騒音を聞かされたり自由を束縛されたりするよりは平気だ 」
 と答えます ( 野鳥がそう答えてくれるとは限りませんが )。

 

   圭坊氏の指摘される様な主張をする権利が有るとすれば当の野鳥以外に無いでしょう。

 と書いた、その次の行で

   自分が鳥であったなら

 って書き出しで鳥に成り代わって主張する。 此処は笑うトコか?



 > 道具を手にした時点で人は他の動物と同一視できません。

 前回コメントでも述べた事と重複しますが
 道具を手にした時点で文明を手に入れグレートハンティングという神の摂理から逃れた訳では
 ないでしょう。
 どう考えてもサバイバル社会で生き永らえながら徐々に文明を築いて行ったはずです
 ( 歴史は苦手ですが世界四大文明の発祥はアウストラロピテクスよりずっと後の事です )。
 最後の決定打が文明だったに過ぎないのだと思います。
 教科書通りなら道具を手にした事は文明の第一歩だった訳ですが、
 文明発祥の要素には 「道具の発明」 「火の使用」 「言葉の発明」 「農耕の発明」 云々の他に
 「オオカミとの共生」 を書き加えるべきだと思うのですが ・・・ 親とはぐれたオオカミの子供を
 見つけたヒトが本能的に可愛いと感じ餌を与え始めた。
 オオカミの子供の方も本能的にヒトになついたというのが取っ掛かりでしょう。
 たまたま従順で大人しい種の中の大人しい個体だったのかも知れません。
 どちらも社会性を持った習性ゆえに自然と混群になったのでしょう。
 夜行性のオオカミと群れを形成する事により昼夜を問わず数的優位で
 (他のヒトを含む) あらゆる猛獣に対抗出来たと考えます。
 つまり犬は単なるペットではなく人間にとっては弱肉強食のサバイバル社会を共に生きた
 恩人(恩犬)という事になります。
 そうでなければ我々はこんな脆弱な肉体に進化しないでしょう ( 性質は獰猛ですが )。

 (´・_・`) まぁ、割とどうでもいい話なので反駁はしない。

 ↓この辺の人は、そういう説を支持しているようだ。

   IRORIO
   数万年前、原始人は猟犬を連れて狩りをしていた。考古学者の結論
   http://irorio.jp/sophokles/20140605/140322/

 もっとも、狩っていたのはマンモスではなさそうですが。

   2011年03月26日 共同体社会と人類婚姻史
   マンモスハンターは事実ではない!
   http://bbs.jinruisi.net/blog/2011/03/961.html

 事実なら夢の無い話である。



 この他にも様々なコメントを頂きましたが誠に失礼とは存じますが
 逐一お答えしていると余りにも長文になってしまううえ
 僕にとって特にこだわりの無い問題であったりするので反駁は割愛させて頂きます。

 (´・ω・`) あ、いや、適当に切ってくれないと、オイラ馬鹿だから。

 上手く取捨選択できなくて、イチからジュウまで全部に反駁しちゃうんで、適当に切り捨ててくれるの はむしろありがたいッス。

 



□■ 2016年03月12日 □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 また続きがキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!。

 しかも、各個攻撃キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!

 その体力に感心する。

 - - ダチンコから 03月09日に来たメール晒し 此処から - - - - - - - - - - - - - - - - -

 ダチンココメント:
 今回は個別に反駁して行きます。

 > 文明を活用するためには、自然を消費せざるを得ないので、
 > 「自然の恩恵を遮断しろ」=「文明の恩恵をも遮断しろ」と成ってしまうので、
 > 文明至上主義者に対する反駁としては不適切です。
 > 文明を介して自然を搾取するのは文明至上主義者として何の矛盾もないっつーの。

 偉大なる自然の恩恵を軽く見ておられるから
 出来るもんなら自然の恩恵を遮断してみて下さいと言っているのです。
 自然至上主義者が文明を遮断しなければならないとすれば
 文明至上主義者は自然を遮断しなければならないというのも道理でしょう。
 そうして文明がいかほどのもんか証明して頂きたいものです。
 ただ圭坊氏自身も認めておられる様に、自然を遮断するのであれば
 文明も遮断しなければ自然を遮断した事になりません。
 だからそのあと
 「 文明は自然の恩恵を受けて発祥した訳ですから
  圭坊氏さんは文明の恩恵も遮断しなければなりません 」
 と指摘しています
 ( どこにも居場所が無くなってしまいますので圭坊氏の主張が根底から崩れる事を意味します )。
 反駁が不適切なのではなくて、そもそもこの世界観が根本的に非現実的過ぎるのです。
 まぁこれについては観念の世界の話だし無理難題の域を出ず
 何か結論が出たとしても誰も得をしないのでここらへんでやめておきます。


 > いや、そんなもん、内戦状態で法による秩序が成り立っていない国へ行けば良いだけやん。

 自然至上主義者の方には是非そうして頂くとして、ここにはそういう方は参加されていませんので、
 この話はこれっきりになるものと思われます
 ( 自然至上主義者の方がこのコーナーを読んで頂いているとしても、
  事ここに至ってこの段階から参加しようとは思わないでしょうなぁ・・・)。


 > 人が今までしてきたこと (そしてこれからもし続けようとしていること) は、
 > 「存在自体が悪」 だと断ずるに相当する行為だと思うから、
 > 「重々自覚して生きよう」 というだけのことだよ。

 そこから何故に
 「 人にとって人の尊厳の前には、他の動物の尊厳なんか知ったこっちゃありません 」
 という発想になるのでせうか?
 この思想はたいそう立派に存じますが僕には高尚すぎてとても真似出来ません。


 > 問題は無いよ。
 > だからこそ、その辺の野鳥をとっ捕まえてペットとして飼い、飼い殺しにしようと、
 > 捌いて喰おうと何の問題もない。
 > ↑ここまでやるなら問題は無い。
 > 人が鳥の天敵であり、ヒトという危険な種から逃げることが、
 > グレートハンティングから逃れる為の訓練になるからね。
 > しかし、バードウォッチャーは違う。 鳥を襲わない善い奴である。
 > 野生に於いては、そういう存在が大変に宜しくない。
 > 危機感覚を麻痺させてしまいかねないからだ。

 圭坊氏の論法によれば、バードウォッチングは
 「野鳥の警戒心を緩ませて、鳥を人に狩られ易くする行為」
 だから問題が有るという事であって、
 「野鳥が野鳥ファンに対して強いストレスや恐怖を感じている」
 のだとしても、それは問題無いと認めておられます。
 これが珍しく意見の一致をみたという前提での今回の僕のコメントなので、
 予めここで再確認しておきます。

 さて、僕一人の価値観かも知れませんが僕が 「自然を慈しむ」 と言う時、
 それは何も 「野鳥を『可愛い可愛い』とチヤホヤする」 という事ではありません。
 「あるがままの自然を慈しむ」 という意味です。
 例えば 「こんなふうに餌を見つけるのか」 とか 「こうやって生きているのか」 などと感動するのが
 (僕にとっての) 「自然を慈しむ」 の意味の一つです。
 さてそこで、野鳥をとっ捕まえ、捌いて喰うならまだしもペットとして飼うのは
 「あるがままの自然」 の姿から程遠いと言わざるを得ません。
 そんなもの管理人の独断じゃないかと言われるでしょうが
 少なくともダブルスタンダードだと批判されるものではありません。
 飽くまでも僕の主観ですが、実際ペットとして鳥を飼ったとしても姿形が 「鳥」 ってだけであって、
 野に在る野鳥の生々しい姿とは天地雲泥の差が有ります。
 野鳥を飼い鳥と比べると全身にみなぎる緊迫感ひとつとっても
 研ぎ澄まされた刀の様に美しいと感じます。
 僕にとって飼い鳥とは、鳥の形だけを切り取って籠の中に入れているというイメージです。


 > 野鳥の警戒心を緩ませて、鳥を人に狩られ易くする行為であって、
 > 鳥類にとってありがた迷惑な行為でしかありません。

 現実問題として東南アジアなどではカスミ網猟が行われており
 絶滅危惧種 (などと言うとまた突っ込まれそうですが・・・) なども捕獲され
 店頭に並べられ食べられていると聞きます。
 日本で餌付けされ人間に慣れてしまった野鳥が捕まらない様に祈る様な気持ちです。
 野鳥には人間を警戒してもらわねば困りますね。
 なお、僕が野鳥を脅かさない様に気を遣っているとしても、結果的に鳥を襲わないだけであって
 野鳥が野鳥ファンに対して強いストレスや恐怖を感じていないとは言い切れませんから
 「野鳥の警戒心を緩ませて、鳥を人に狩られ易くする行為」 とまでは言えませんし、
 もしそうだとしてもその倫理観を問うのならカスミ網猟の倫理観を問うのが先です。
 また、合法的な狩猟に何の問題も無いとしたら 「鳥を人に狩られ易くする行為」 にも
 何の問題も有りませんし、野鳥を脅かして回れと誰かに強制される謂れも有りません。


 > スマホで囀りを流したり、その場限りの一時的な餌付けをすることが
 > 他人から制止されなければならない理由を科学的に解説、お願いします。

 これは野鳥には関係無いと言われるでしょうけど、前回もコメントした通り
 人間社会の常識とかモラルの話です (後述します)。
 人間社会の常識やモラルに科学的な根拠は必ずしも必要ありません。


 > 僅かな距離を離れただけで安全圏と見做して、それ以上遠くへ逃げないだけですがな。
 > どう言い繕おうとも、近い距離に現れる人間は、鳥にとって脅威以外の何物でもありません。

 これらに対する回答は前述の通り前回コメントの中に有りますね。
 圭坊氏も問題無いと認めておられる通り、僕が捕食者だろうがバードウォッチャーだろうが
 (「鳥を襲わない善い奴」だろうが) 野鳥にとっては 「元々そこに有る恐怖」 です。
 つまり野鳥がどんなに恐怖心を抱いていようがそれが 「あるがままの自然」 の姿であって
 何ら問題無いという前提で、それでもなお野鳥たちはそれほど恐怖心を抱いていない(であろう)
 と言っているだけです。 それとも 「問題は無いよ」 と言った前言を今さら覆しますか?


 > 実際に貴殿は、鳥に見つかれば鳥が怯えて直ちに逃げ去るような距離まで
 > 鳥に近付いて撮影しました。

 これも前述の通り何の問題も無い事なのですが、一応反駁しておくと
 例示されているフォトギャラリーのケースでは僕の方からは野鳥に近付いたりしていません。
 むしろそれは極力やらない様にしようというスタンスです
 ( 僕は移動中の出会いがしらは別として基本的に待ち構えるスタイルです )。
 気付かずに近付いてしまったりする事は有るでしょうし野鳥の方で気付かずに寄って来る事も
 有るでしょうが特に警戒心の強い者には僕なりに細心の注意を払っているつもりです。
 しかしそれも自己流モットーや不文律の類いでしかなく
 誰かに準用されてとやかく言われる筋の話ではありません。
 単純に 「野鳥が逃げるから」 自分の都合で気を遣っているだけだと思ってもらっても構いません。
 この様にフォトギャラリーを遡って読んで頂くと、このコーナーで僕がその場の思い付きで
 コメントしたりしていない事が分かって頂けるでしょう。
 衰えたとはいえ僕にも学習能力は有りますから
 長い年月の内には細かい部分で考え方が変遷しているかも知れませんが、
 僕なりに(飽くまでも「僕なりに」ですが)一本筋を通しながらバードウォッチングをしている事は
 読み取って頂けるものと思います。


 > それじゃ、通報されて捕まったストーカーの言い訳じゃないですか。
 > 空間が連続しているからセーフなんて屁理屈が通用するなら、
 > ストーカー犯罪は取り締まり出来ないよ。
 > 「 人に対してはストーカー行為が禁じられるのに、
 >  鳥に対してはストーカー行為が禁じられていない。これは重大な鳥権の侵害である 」
 > と主張されたら、バードウォッチングという趣味自体がアウトだ。
 > 撮影可能な距離に居ることがバレたら、鳥が慌てて逃げ出すような
 > ストーキング行為をやってる時点でアウトなんとちゃうんか、とw

 圭坊氏に言わせればストーカーの被害者にとってストーカーは
 「元々そこに有る恐怖」 な訳ですな。
 野鳥ファンをストーカーに例えるとは何とも強引な例示です。


 > 単純に自分の行為は正当化するのに、他人の類似した行為を責めるからです。

 物事を一面からしか見ていない意見ですね。
 一見すると本質論的には同じ事であっても他の面で異なるという事は世の中に沢山有ります。
 この件は
 野鳥から見れば同じ事だが人間界の常識に照らせば必ずしも同じ事ではない
 と言えます (後述します)。


 > だったら、満腹に成れば尚の事、親鳥はせっせと餌を雛に運ぶでしょうに。

 その意見にも科学的な根拠は無いでしょう?
 これに関しては僕も実はその可能性には気付いていましたが希望的観測に過ぎません。
 「ネズミ程度の脳しか持たない鳥類」 だから、例示した様な可能性はゼロではありません。
 とは言えさすがにこれは例え方が下手くそでした。
 しかし営巣中でなくとも高カロリーの生き餌を次々に出されて
 ついつい食べ過ぎ体質が変わってしまうという可能性は否定出来ません。
 その結果思わぬ悲劇(※)を招くかも知れません。
 ( ※:体重が増えた事により飛翔力が落ち
     タカなどの捕食動物に襲われた時に逃げ遅れたり渡りの途中で海に落ちたりする可能性。)
 しかしこの設問に関しては互いに科学的な根拠を持ち合せていないので想像の域を出ません。


 > その場限りの一時的な餌付けで、野鳥から狩りをする能力が奪われるなんて事は、
 > さすがに杞憂ですよ。

 もしその個体が餌付け無しでは生き残れない遺伝的に弱いスキルの者だったとして、
 そういう優秀でない者が遺伝子を次世代に引き継いでしまったら
 「種」 としては弱体化するでしょうという話です。
 個々の個体が持っているスキルを失うという話ではありません。
 一世代一回限りなら知れてるでしょうけど、全国的に何世代か繰り返せば
 採餌スキルの低い遺伝子が大量に残ってしまう事になります。
 その結果全体の平均スキルが低下すれば 「種」 全体のリスクになり得ます。


 > 貴殿がゴカイの扱いに関して徒に生命を人間の支配下に置き弄ぶ事を良しとしないなんて
 > 主張をしたことがあったかい?
 > 土に潜る自由を奪って、狭い場所でひしめきあって餌を食わされる生活でも全然無問題
 > と仰られる貴殿のダブルスタンダードを責めているんです。

 改めて端的に言うと、
 「 人間が生きて行くうえでゴカイの飼育が不可欠のものであるなら
  徒に生命を人間の支配下に置き弄んだとは言い切れない 」
 「 人間が生きて行くうえでペットを飼う事が不可欠のものでないなら
  徒に生命を人間の支配下に置き弄んでないとは言い切れない 」
 この2つは矛盾していないという事ですよ (仮定が正しいかどうかはさて置き)。
 表現は変遷しているかも知れませんが僕のこれまでの意見と食い違ってないでしょう。


 > 生きる為に不可欠という訳でもないから有問題
 >
 > というなら、
 >
 >   人が豆食って我慢すれば、ゴカイも家畜も徒に命を落とす必要は無い
 >    ↓ ↓
 >   人は自分の味覚を満たす願望を叶えるために、死ななくても良い命を奪っている
 >
 > であり、だったら、
 >
 >   人が自分の飼いたい願望を叶えるために、野鳥を捕らえて飼っても無問題
 >
 > なんじゃねーの?と訊いているんです。

 「人は自分の味覚を満たす願望を叶えるために、死ななくても良い命を奪っている」
 の部分に異論は有りませんよ。
 「人が自分の飼いたい願望を叶えるために、野鳥を捕らえて飼っても無問題」
 の部分はこの構図の中だけで見れば一応は間違ってないと言えるに過ぎません。
 これも一面からしか見ていないパターンですね
 ( ペットの飼育については目の仇にしている訳ではありませんが次の設問に続きます )。


 > 野生の鳥を捕まえて狭い鳥篭に押し込み、ペットとして飼う事もまた、
 > 人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜と比較して、「少しはマシだ」 と論じるのも
 > 正しいと評価されるべきですね。

 僕は世の中は本質論だけでひとくくりに出来ないという考えですから
 元々相対的思考をしています。
 圭坊氏はある種絶対的な本質論で物事をひとくくりにして論じておられるのに
 (時と場合により都合良く) 相対的に論じられるのでそういう所を指摘したまでです。
 しかも今回また相対的思考を持ち出して来られました。
 これをダブルスタンダードと言うのではありませんか?
 相対的に「少しはマシだ」 と論じるのであれば味噌も糞も一緒にする様な
 本質論による決め付けは取り下げねばなりません。
 なお、ここのロジックが全て正しいと仮定しても

   少しはマシ: [単に野鳥を観察する事]
           > [ペットとして飼う事]
           > [人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜]:マシではない

 であるに過ぎません。
 なぜならこの比較論は
 「 単に野鳥を観察する事を餌付けやペット化と比較して 『少しはマシだ』 と論じるのが
  正しいと評価されるのなら 」 という条件から発しているからです。
 つまり 「ペットとして飼う事」 は 「人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜」 より
 少しはマシだが 「単に野鳥を観察する事」 よりはマシではないという図式に
 依然として何ら変わりは無いのです。


 > 未だに人が飼うことに成功していない鳥の野生種の中には、
 > 愛くるしい子猫や子犬でさえ敵わない
 > 思わず抱擁して頬ずりしたくなるような可愛い鳥がいっぱい居る。

 爬虫類を引き合いに出した例えがこれまた下手くそでした。
 世界には本当に多種多様な鳥が居るものです。
 しかしその中でメディアによって積極的にアピールされなくても
 既に誰でもイメージ出来る様な鳥って何種類くらい居るでしょうか?
 このコーナーの発端となったキバタンも
 「どこかで見た事が有るなぁ」 という程度の知名度でしかなく
 名前まで言える人は少ないでしょう。
 そもそも誰も知らない様な鳥をペット化する必要が有るとも思えません。


 > そもそも絶滅確定種に関わって、絶滅を先送りしていることの意義が理解できない。
 > 野鳥を狭い鳥籠に閉じ込めて飼い殺しにするのも、 野鳥が人間を魅了して、
 > 餌を確実に得る為に利用したという解釈でOKですねw

 犬猫などの様に半永久的に人間と共存して行く事が確実なペットならば
 「人間を魅了して、餌を確実に得る為に利用したという解釈でOK」 ですが、
 (以前のコメントに戻ってしまいますが) 半永久的に人間と共存して行く事が確実ではないならば
 実は 「OK」 かどうか誰にも分かりません。
 野生に戻されたペットやコウノトリが結果的に絶滅してしまったら
 「やっぱり人間の責任だったね」 という事になるのでしょうが
 生き延びる可能性もゼロとは言い切れません。
 生き延びたと判断出来れば 「結果オーライ」 なんだろうと思います。
 なお、外来種を処分する際には元々の生息地に戻すという発想が
 なぜ誰にも無いのか不思議です。 お金の問題なんですかね。


 > 無辜の第三者の好奇心を煽っておきながらフォローしていない罪
 > そもそもバードウォッチングなどという鳥にとって傍迷惑な行為に及んでおきながら、
 > 大同小異な行為 (スマホで囀りを流す&その場限りの餌付け)を悪逆非道の如く罵る罪
 > 二つの罪を犯しているぞ、と指摘しているだけです。

 どちらも既に反証済みです。
 そんな「罪」が存在するとして、一つめの「罪」については、
 くどい様ですが前回コメントをそのまま再掲します。

   注意喚起の事なら「初歩のバードウォッチング」をご参照ください。
   イの一番にマナー(自己流モットー)について記載しています。
   フォトギャラリーでも読者離れを覚悟のうえで繰り返し口うるさい事を述べて来たつもりです。
   それ以前に、高級カメラを持ち歩くほどの大人であればマナーなどいちいち伝授しなくとも
   本来 「常識」 に照らして判断出来て当たり前でしょう。
   上記の 「自己流モットー」 も読んでいただければ分かる通り
   ほとんど子供を相手にしている様な内容です。

 二つめの 「罪」 についても、今回コメントを読んで頂ければそんな 「罪」 など犯していない事が
 分かると思います。


 > これの何処が“直接あるいは間接的に注意喚起”なの?

 僕にどんな 「注意喚起」 を期待されているのでしょうか?
 まさか水戸黄門の印籠みたいなものを僕が持っているとでも?
 「フォロー」 していないのは 「罪」 だと言い、
 「フ